「古今和歌集」の藤原因香(ふじわらのよるか)の歌。
心地そこなひてわづらひける時に、風にあたらじとて、下ろし籠めてのみ侍りけるあひだに、折れる桜の散りがたになれるを見てよめる
たれこめて春のゆくへも知らぬまに待ちにし桜もうつろひにけり
(たれこめて はるのゆくえも しらぬまに まちにしさくらも うつろいにけり)
古今和歌集 80 藤原因香
【意訳】
病気で寝込んでいた時に、身体に風を当てて冷やすのが嫌で、窓のブラインドをおろして暗い部屋に引きこもってる間に、折られた桜が散りかけているのを見て詠んだ歌。
閉め切った暗い部屋に鬱々と閉じこもっていて、今年の春がどんなに素敵だったのかも知らないうちに、あんなに楽しみに待っていた桜の花が、もう散ってしまっていたのね。
自分から引きこもっていたのだから、仕方がないんだけど、なんか悔しい。
こんなふうに、自分だけ取り残されたように気持ちになるのなら、具合が悪いからって意地になって引きこもったりしなければよかったのに。ほんと、馬鹿よね、私…
(_ _).。o○
藤原因香は、平安時代の前期に掌侍(しょうじ)や典侍(てんじ、ないしのすけ)を務めた女性だという。
典侍は、内侍司(ないしのつかさ)を取り仕切る次官で、公卿の娘が任命されることが多かったらしい。
藤原因香の詳しいプロフィールは不明。
源能有(みなもとのよしあり)という男性とやり取りした歌も、古今和歌集に掲載されている。
右のおほいまうち君、すまずなりにければ、かの昔おこせたりける文どもを取り集めて返すとてよみておくりける
たのめ来し言の葉今は返してむわが身ふるれば置き所なし
(たのめこし ことのはいまは かえしてむ わがみふるれば おきどころなし)
古今和歌集 736
*「右のおほいまうち君」…右大臣。源能有のこと。
【意訳】
右大臣源能有が自分の元に通って来なくなったので、昔送られてきた手紙をまとめて送り返すというので詠んだ歌。
貴方から貰った手紙を心の拠り所にしてきたけれど、これ以上待っていても、無駄なのでしょう?
もう若くない私には、愛される価値がないのでしょうから。
手紙の中の貴方は、いまも変わらずに私を愛してくれているけれど、貴方に愛される私はもういないのだから、読み返しても、虚しいだけ。
だから全部、貴方にお返しするわ。
愛に賞味期限があるなんて、思いたくなかった。
………
この歌に、源能有は煮え切らないような、それでいてどこか突き放したような歌を返している。
今はとてかへす言の葉拾い置きておのがものから形見とや見む
(いまはとて かえすことのは ひろいおきて おのがものから かたみとやみむ)
古今和歌集 737
【意訳】
相変わらず意地っ張りだね、君は。
当てつけみたいに僕の手紙を送り返して、それで気が晴れるのならいいけど、難しい性格の君のことだから、きっとまた落ち込むんだろうね。
正直、君は僕には重すぎた。
包容力のない男でごめんね。
でも、君に送った手紙を読み返していたら、僕なりに君を愛していたんだなって思えて、なんだか懐かしいような気持ちになったよ。
二人で過ごした日々が、いつの日か、お互いにとって、いい思い出になることを願っているよ。
……
藤原因香は、生没年未詳。
別れた夫の源能有は文徳天皇の息子で、朝廷の儀礼や政務に詳しい有能な人物だったとか。子沢山だけど、母親が分からない子が多く、藤原因香との間に子どもがいたかどうかは不明(Wikipediaによる)。恋多き男だったのかもしれない。