湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

大河ドラマ「どうする家康」(3)三河平定戦

NHK大河ドラマ「どうする家康」第3回「三河平定戦」を見た。

 

 

歴史音痴なので、桶狭間の戦い今川義元を討ち取った信長が、そのまま東海地方を制圧したんだろうぐらいに思っていたけど、そんなに簡単な話じゃなかった。

 

駿府に帰れないまま岡崎城に入った松平元康(松本潤)は、三河から尾張勢を排除するようにと今川氏真溝端淳平)に命じられる。

 

けれども、今川からの援軍はなく、尾張方に寝返った水野信元(寺島進)のいる刈谷城を攻め落とせないまま、松平勢の戦死者は増え続け、疲弊していく。

 

戦死した者たちの名前を書いた紙片が読み上げられ、夏目広次(甲本雅裕)が名簿に縦線を入れていく。

 

そのなかには、死んでも死ななそうな本田平八郎忠勝(山田裕貴)の名前もあって、倒れている姿が画面に映し出される。

 

でもこの人って、確か戦で一度も傷を負わずに一生を終えたんじゃなかったっけ?

 

マンガ「信長協奏曲」では、本能寺の変の直前に、家康と一緒に信長と会っていた。

 

 

それよりずっとあとの関ヶ原の戦いでも、本田忠勝、頑張っていたような……

 

などと思っていたら、息を吹き替えして、名簿に赤字で「存命」と書き直されていた。

 

なんで倒れていたのだろう。

徹夜で戦っている最中に、寝落ちしたんだろうか。

 

(_ _).。o○

 

戦に勝てず、追い詰められた元康は、酒井忠次の進言によって、今川義元と同盟関係にあった武田信玄阿部寛)に助力を求めようと文を送ったものの、信玄に相手にされず、手紙を突き返されてしまう。

 

落ち目の今川氏の配下であり、自力で三河を平定することもできない元康では、信玄と対等に外交を行う資格はないということらしい。

 

……関係ないけど阿部寛武田信玄、映画「テルマエ・ロマエ」のせいで、日本にタイムスリップしてきた古代ローマ人に見えて仕方がない。

 

 

そういえば、「イケメン戦国」っていうゲームアプリに出てくる武田信玄も、「テルマエ・ロマエ」の阿部寛みたいに、現代日本にタイムワープしてたっけ。

 

 

脱線おわり。

 

八方塞がりの元康のところに、戦争相手の水野信元が、元康の母である於大の方を連れて会いにやってくる。

 

於大の兄である信元が織田に寝返って今川と敵対したため、元康の父である松平広忠は、於大と離縁することになってしまった。

 

幼い元康を残して岡崎城を去った於大は、生き別れて人質生活を送る元康に、愛情のこもった便りを送り続けていたらしい。

 

信長についた伯父を毛嫌いする元康といえども、慕っていた母に来られてしまっては、話を聞かないわけにはいかない。

 

けれども於大は冷酷な選択を元康に迫る。

 

今川に義理だてして信長に滅ぼされるか、それとも今川と妻子を捨てて信長に寝返るか。

 

元康の父広忠も、かつて三河を守るために元康を見捨てたのだと於大は言って、前夫の選択を賞賛する。

 

今川から離反すれば、駿府にいる元康の妻子や三河の者たちは、見せしめに殺されることになるけれど、於大はそんなことは取るにたらないと言い切ってみせる。

 

なんというか、肉親の情の欠如した反社会性パーソナリティでもなければ、戦国武将なんて、まともにやってられないような気がする。於大はそんな戦国の非人情に過剰適応した母親だったのだろうか。

 

なにはともあれ、嫁を孫ごと見殺しにしろと息子に命じる姑は、恐ろしすぎる。😱

 

元康はぎりぎりまで抵抗したものの、長年に渡って今川の圧政に苦しんできた三河の人々の思いに押し切られるようにして、今川と決別することになる。

 

元康の離反を知った今川氏真は激怒。

泣き叫ぶ瀬名の目の前で、三河の女たちが捕らえられ、惨殺されていく。

 

のちに瀬名は家康と不仲になるらしいけど、こんな究極の嫁姑戦争で、姑側についた夫との夫婦仲が破綻しないはずがない。

 

母に生き別れ、父に見捨てられ、信長に干渉され、父と慕う今川義元に死なれ、愛する妻子(瀬名と信康)を処刑するしかなくなる人生。

 

家康の家庭運のなさに、泣けてくる……

 

それにしても、信長の家康への執着の理由は何なのだろう。

 

幼い頃に命を助けて可愛がって(?)いるうちに、信長なりに情が移ったのか、それとも素質の良さや才能を見抜いた上で、手元に置きたいと思ったのか。

 

このドラマは、信長が家康に向ける過剰な独占欲を、どう説明するのだろう。

 

 

(_ _).。o○

 

蛇足。

 

戦死者の名簿チェックをしていた夏目広次は、夏目漱石のご先祖様だという説があるのだとか。

 

300年も時代が違えば、血縁と言ってもほとんど他人みたいなものかもしれないけど、漱石の先祖だと思うと、なんだか胃を悪くしそうな人のように思えてくる。苦労性っぽいし。

 

酒井忠次の一発芸「海老すくい」の歌詞がうまく聞き取れない。

 

銭、太刀、金、槍…だろうか。

 

元は狂言らしいけど、銭金と太刀槍が、なんで海老すくいにつながるのだろう。謎だ。

 

(_ _).。o○

 

そして毎度蛇足の歴メシネタ。

 

今回は、刈谷城攻めの準備で、女性たちが盛大に炊き出しをして、大きな握り飯をたくさんこしらえていた。

 

薄茶色が白米にまだらに混じっている感じなので、玄米ではなく、麦を混ぜて炊いたご飯のように見える。

 

徳川家康は若い頃から麦ご飯が好きだったらしいので、戦の握り飯も麦入りだったのかもしれない。

 

その麦ご飯っぽい巨大握り飯を、経木(きょうぎ)っぽいもので包んで、ソーセージみたいに紐でくくっていた。

 

 

近頃は全く見かけない経木だけど、日本では仏教とともに伝来して、大和時代から包装材として使われていたと、Wikipediaに書いてあった。

 

Amazonで経木を検索してみたら、「和製クッキングシート」「木製抗菌シート」「電子レンジOK」などと紹介されていた。

 

電子レンジ、OKなんだ…。

 

家康はチンしないだろうけど。