湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

今日の一文(一月二十日)

 

横光利一

 

一文に収まらないけど、一文だけだと分かりにくいから、いいことにする。

 

子供たちも子供たちだ。

 

日本人もイギリス人もフランス人も、三つの言葉が互に通じないにも関わらず、それぞれ勝手に何事か饒舌って、朝から一緒に遊んでいる。

 

見ていると、まごまごすることなんか、一度もない。うまい具合に喧嘩もせずして遊ぶものだ。

 

子供の世界にあんな自然な機構が存在しているものなら、いつの日か戦争のないときが来るのかもしれぬ。

 

 

「欧洲紀行」

 

 

横光利一のヨーロッパ行きは1936年のことだったという。

 

同じ船には高浜虚子父娘も乗っていて、船上で句会も頻繁に行われていたようだ。

 

第二次世界大戦後、横光利一は愛国的な言動や戦争協力を批判されて、「文壇の戦犯」として多くの作家と一緒に名を晒されることになる。

 

でも横光利一は、基本的に自由主義者であって、ヨーロッパで書いた記事で、右翼も左翼も紙一重であり、大部分は利益によって動いていると言っていたという(Wikipediaによる)。

 

上に引用した文を読んでも、「戦犯」に至るようなイデオロギーの毒が感じられない。

 

横光利一終戦後の1947年に、49歳で病死している。いまの時代なら死ぬことなどないような、胃潰瘍の悪化が死因だったという。

 

あと三十年長く生きて、自作が教科書に載る時代を見たなら、どう思っただろう。

 

 

(_ _).。o○

 

横光利一というと、中学か高校の国語の教科書で「蠅」という短編を読んだのが強烈な印象を残しているばかりで、この年になるまで「蠅」以外の作品をあまり知らなかった。

 

作品が青空文庫でいくつも公開されているのに気づいたので、片っ端から読んでみている。そのなかでも、この「欧洲紀行」はとりわけ面白い。

 

発表当時はあまり人気がなかったそうだけど、目新しい異国情緒を期待していた当時の読者には、価値が分かりにくかったのかもしれない。