こんにちは。
リアルで運動できていないので、ふにゃもらけのお部屋をジム仕様にしてみた。
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末っ子は昨晩から腹痛で、今日は学校を休んでいる。
長女さんは就労支援に。
息子は元気よく介護施設通所。
亭主はリモート仕事。
私は朝から軽い胃痛を理由に休養中。簡単ない家事だけしている。
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11月8日の「折々のことば」(朝日新聞)が矢野顕子氏だったので、写真に撮っておいた。
「やりたいことをやり続けたら、周りがあきらめてくれるのよ」
学生ころ、矢野顕子さんの歌がとにかく大好きで、朝から晩までカセットテープやCDをかけっぱなしにして過ごしていた。
好きな曲はたくさんあるけど、いまでもふと頭の中に流れる曲は、だいぶ少なくなってきた。
「どんなときも どんなときも どんなときも」
聞いていると、頭の中だけ40年前に戻る気がする。「Take it easy」。大切なのは「僕」と「君」の濃淡のよく分からない関係じゃなくて、そのフレーズだった。
「春咲小紅」
大学に合格した春の街の至るところでこの曲が流れていた。
ちょうどその年の春に、神戸ポートアイランド博覧会というのをやっていたので、最初は「ほーら春先神戸にー見にみーに見に来てねー」という歌だと誤解していたことまで思い出す。それから数年後に、ポートピアランドで亭主と一緒にババリアン・マウンテンレアルロードという恐ろしいジェットコースター(とは知らず)に乗って、絶叫すして腰を抜かすとは夢にも思わずに。その数年後の春に神戸で結婚式をあげ、阪神淡路大震災があり、ポートピアランドが閉鎖することなど、もちろん知らなかった。春咲小紅。春先神戸に。
「ラーメン食べたい」
精神的にキツいことがあると(年中キツかった)、夜中に車を飛ばしながら、大声でこの曲を歌っていた。私はウルトラ音痴だけども1人っきりで窓閉め切って運転しているのだから騒音公害の心配はない。
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全然関係ないのだけど、上の矢野顕子さんの言葉から、ふと連想したのは、小室圭さん、真子さんご夫妻のことだった。世情に疎い私でも、凄まじいバッシングがあったことぐらいは知っている。少し前のネットニュースの見出しに、司法試験に合格とあったので、お祝いの記事だろうかと思って開いてみたら、路上でのマスコミの直撃取材に無反応だったことを「お辞儀もしないのはいかがなものか」「評判を落とすのでは」という感じで、批判する内容だったので唖然とした。
見ず知らずの人々に路上でいきなりマイクとカメラを向けられて、奥さんとどんな会話をしたのかなどというプライベートな事情について根掘り葉掘り質問されるという状況は、普通に考えて、非常に気持ちの悪いものだと思うけれども、違うのだろうか。
ましてその奥さんが複雑性PTSDと診断されているのであれば、無言を貫いてプライバシーを守ろうとするのは家族として当たり前の振る舞いと言われることはあっても、非難の理由にはならないだろうに。
いろんな人が、折れることなく当たり前を貫くことで、バッシングが習い性(娯楽?)になっている世の中のあり方が変わっていくといいなと思う。