こんにちは。
日記が数日抜けてしまった。(8〜11日)
後日穴埋めしようと思う。
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日曜日なので、教会学校へ。
末っ子は友人と出かけたから、私一人での参加。
今日は使徒言行録の第13章。
バルナバとサウロ(パウロ)の布教活動を妨害しようとした魔術師エリマが、サウロに厳しく非難された途端、盲目になってしまったというくだり。
「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。 今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう」
するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。
使徒言行録 第13章 10-11
聖書にはいろいろな魔術師が出てくるけれど、エリマという魔術師は、どうやら神にとって好ましくない者だったらしい。
いきなり盲目にされるというのは過酷な罰だけれども、「時が来るまで」という期限付きであるだけ、まだ優しいように思う。
同じ使徒言行録の第5章には、献金の金額を誤魔化した夫婦が、そろって即死する話がある。
ペトロは言った。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」
すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。
嘘をついた途端に即死して、速やかに埋葬されている。
彼らの罪は、土地を売って手に入れたお金を全額寄付すると言いながら、一部を自分たちのものにしようとしたことだという。
イエスの死後、残された使徒たちは、信者たちから捧げられた財産を共有し、必要に応じて分配するという、共産主義的な営みをしていたのだという。
その考え方に表向きは賛同しながら、いざ献金するとなると出し惜しみをして嘘をつくというのは、信者としては確かにダメなことだろうけれど、その場で即座に殺されるほどの罪だったのかと言われると、よく分からない。
新約聖書(イエス)の時代になって、だいぶ穏やかになった印象の神様が、旧約聖書時代の苛烈さをちょっぴり取り戻したのはなぜなのだろう。
すぐに解決しそうにない疑問なので、宿題としておくことにする。
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教会学校のあと、タリーズで一休みしつつ、X(旧Twitter)で付句をいくつか投稿したり、朝日歌壇を鑑賞したり。
そのあと書店に立ち寄って、のんびり本を眺めて楽しみ、一冊だけ購入。
チラ見して、知らないことばがどっさりあった。
ゆっくり読もう。