頃は、正月、三月、四・五月、七月、八・九月、十一月、十二月、すべて折りにつけつつ、一年(ひととせ)ながらをかし。
【現代語訳】
季節は、正月、三月、四・五月、七月、八・九月、十一月、十二月、すべてその折々にて、一年中、趣きがあります。
「一年(ひととせ)ながら」と言いながら、なぜか、「二月」「六月」「十月」がハブられている。
それも、「四・五月」と「八・九月」は、なぜかまとめられている。
抜けているる月と、まとめられている月には、それぞれ何か意味があるんだろうか。
亭主に聞いてみたけど、たぶん正解はないんじゃないかとのことだった。気候的なものだけでなく、宮中行事などに関連しているのだとすれば、古記録を調べるなどしないと分からないだろうとも。
詳細に調べて論文を書いている文学研究者がいるかもしれないけれども、自宅では調べようがないので、亭主頼みになる。気長に待とう。
Wikisourceに掲載されている第二段は、月の括り方が上の講談社のテキストとは少し違っている。
ころは、正月・三月、四月・五月、七・八・九月、十一・二月。すべて、折につけつつ、一年ながらをかし。
Wikisourceの「枕草子」より
「枕草子」を丁寧に読めば、何か見えてくることもあるだろうか。
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