湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

今日の一冊

お気に入り本棚の七冊目。


藤原新也「印度動物記」朝日文芸文庫

 

 

手元の本の奥付には「1998年3月1日 第1刷発行」とあるけれど、購入したのはたぶん今世紀に入ってからだと思う。

 

1997年生まれの息子が自閉傾向を伴う重度の発達障害と診断されたのは、2000年の2月だった。

 

その息子が、「ムトゥ 躍るマハラジャ」というインド映画にハマったせいで、朝から晩までマサラムービーの歌と踊りが家に充満していた時期があった。

 

 

インドの映画はとにかく長い。

「ムトゥ 躍るマハラジャ 」は2時間45分。それを一日に三回も四回も五回もリピートされる。

映画には、オープニングを含めて、長い長いダンスシーンが何度も入る。

しまいには、全く意味の分からないタミル語の歌を歌えるほどになってしまった。

 

 


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そうやって毎日毎日タミル語の歌と踊りを見せられつづけるうちに、だんだん洗脳されてきたのか、インドに猛烈に興味が湧いて、とにかく何でも知りたくなった。


当時はタミル語学習の本などなく、タミル語・日本語の辞書もなかったようだったので、仕方なく大野晋「日本語の起源」を眉につばをつけながらチラ見したり、インドの歴史やインド料理、インド映画などについて書かれた本をどさどさ仕入れて斜め読みしまくったりと、だいぶわけのわからないことをやっていた。いま思えば、先の見えない育児ストレスが暴走していたのだろう。当時の私は三十代。多少暴走できるような若さと体力がまだあった。(今はない)

 

「印度動物記」も、たぶんそのころに買ったのだと思う。
同じころに沢木耕太郎の「深夜特急」のシリーズなども買ったような記憶がある。


でも、読んだ記憶がない。

私が知りたかったのは、インドを旅行した日本人の感性や思いの記録ではなく、インドそのものの情報だったので、あまり読まずに積んだままだったのだろう。インド映画やインド料理、歴史の本は、わりとしっかり読んだらしく、いまでもそれなりに記憶に残っている。

 

そんな積読本の一冊である「印度動物記」を、お気に入り本棚に入れてあったのは、いずれ読みたくなる時期が来ると感じていたからだ。

 

本書の最後に掲載されている、「ノア」という小説を読んでみた。

 

主人公の「私」が、タラ・ピティ(星の聖地)と呼ばれる地を訪れたときの話だった。

タラ・ピティ(タラピス)は、インドの西ベンガル州にあるという。

 

「私」はニューデリーの骨董屋で、壁面に数多くの頭蓋骨が埋め込まれた建造物の写真を見る。

 

老いた巡礼者とともに人力車に乗り、近代文明の気配のない町についた「私」は、「死へ行く森」と呼ばれる聖地で、稀有な体験をする。


思考は森の闇に包まれながら、どこかが微妙に狂いはじめていた。

……正気を保つのだぞ。

自分に言い聞かせた。

背筋を伸ばし、目の前の道をしっかりと見つめ、足早に目の壁の一帯を通り過ぎた。
しかし目の壁を通り抜け、一分も過ぎた時、ただならぬ気配を背後に感じた。
無数の言葉のようなものが、後方から聞こえてくるのを感じたのだ。私は歩きながら耳の神経をそれに集中した。彼方遠く、あたかも無数の口がざわざわと呪文を唱えながら私に向かって近づいてくるようである。

……空耳に違いない。正気を保つのだ。

私はふたたび自分に言い聞かせながら、足早に歩いた。

しかし音は巨大な森の中に反響し合いながら徐々に大きくなった。

(中略)

やがて頭上で激しい音の渦が巻いた。

闇の中で何かの無数の触手によって木々が激しく揺さぶられた。木の枝のへし折れる音がした。風が舞い降りて来た。無数の小枝や木の実がばらばらと私の体に降りかかってきた。夢中で走った。音の渦の中で、何処をどのように走ったのか、さだかではなかった。そのとき私の体はとつぜん何かによってからめ取られた。激しくそれを振り退けてなおも突き進もうとした。その直後、足が何かに掬われ、地面に叩きつけられた。


(中略)

……その時、私は私の中に小さな声を聞いた。

"見るんだ、俺を襲って来るものを、この目ではっきりと見てやるんだ"


藤原新也『印度動物記』「ノア」より

 

「私」は自分が「死へ行く森」で見たものが何であるのかを知るために、かつて森に住みついていたという聖者に会いにいく。

 

そして、それが人の文明の繁栄と人口増加に応じて不自然に増え続けている猿たちであることと、その猿がある数量を越えたときに、森の終りが来ると伝えられていることを知る。だから、「死へ行く森」と言われているのだった。

 


「数というものが十を越え、千を越え、千万を越え、億を越え、さらにその先ずっと無限に増殖するという考えかたは人間の観念の中にのみある抽象的な数であるにすぎません。

ひとつひとつ自然の物に根ざして、そのひとつひとつを具体的に数えて行くなら、あなたがさっきお気づきになったように、常に私たちはゼロという数に到達するのです。

自然の中では万物は生と死の間を循環しながら大きなゼロという円を描いている。私たちが数えることが出来るのは九までです。そのうち、九を越えようとした場合それはふたたび一に戻り、そこにゼロが一つ加わる。その繰り返しです。

我々は数は無限に増殖するものであるという錯覚を持っているだけです。しかしそれは、ただゼロがいたずらに増えているだけにすぎない。幻想です。

自然から離れた人間の文明というものは、そのゼロを増やすことに熱中しているに過ぎない。そのゼロを欲しながら、ゼロが増えれば増えるほど、むなしさもいや増す」

 

藤原新也『印度動物記』「ノア」より

 

かつて、数多く森に住んでいた聖者たちのなかには、猿の数をひたすら見続けるうちに、虚しさに心折れて狂気に囚われ、弓で猿を虐殺しはじめ、やがては他の聖者を射殺したものもいたという。

 

また俗世に戻ったり、戻ろうとして戻れず、虚しさを積み重ねるような生き様を選んだものもいるという。

 

そして数少ない真の聖者は、揺らぐことなく猿の数(現実)を見据えつづけ、人の尊厳を保っているという。

 

けれども、「私」との語らいに応じた聖者は、森を離れてから、猿たちを、滅びをもたらす忌まわしいものとしてではなく、森の終わりの時を最後の生命の豊かさで精いっぱい飾り立てるいとしいものとして見るようになったという。

 

日本の街に猿の群れはいない。
けれども、増え続けてむなしいゼロを重ねているかもしれない人間の群れはいる。

巷で起きていることを直視し、未来を見通す聖者がいれば、どこであっても「聖地」になりうるのではないか。

 

( _ _ ).。o○

 

蛇足になるけれど、作中、知らない用法の動詞が出てきたので、メモしておく。

 

森の静寂の中で小さな生命の攻防が延々と繰り返された。その時、雄虫の一途な精力の傾注とは裏腹に、雌虫のふてぶてしさを垣間見る。雌虫は雄虫のペニスを足で払いのけながら、一心に樹液を嘗めへずっているのだ。

 

藤原新也『印度動物記』「ノア」より

 

「嘗めへずる」。

 

「へずる」は、削ってとる、かすめとる、という意味だという。

 

漢字で表記する場合は「剝る/折る/削る」となるようだ。

 

古語だと「へつる」となるそうで、岩波古語辞典に用例があった。

 

「へぐもへつるも心は同じ事なり」壒嚢鈔

 

岩波古語辞典 「へつり【折り】」の項

 

壒嚢鈔(あいのうしょう)というのは、室町時代中期の書物とのことで、事物の起源、語源、語義を解説したものだという。

 

「へずる」「へつる」、全く知らなかった。著者世代だと使用語彙に入るのだろうか。

 

ためしに「青空文庫」を検索してみたら、石川欣一(1895年- 1959年)という作家の「可愛い山」という作品に用例があった。

 

籠渡しは駄目だから、崖をへずって下流の吊り橋を渡って来いという信号なのであろう。

 

石川欣一「可愛い山」 青空文庫

 

でもこの用例の「へずって」は、「けずりとる」という意味ではなさそうだ。

他の用例も探してみよう。

 

( _ _ ).。o○

 

もう一つ蛇足。

 

「印度動物記」はKindle化はされていない。

紙の本は品切れか絶版のようだけど、中古品がAmazonに出ていて、最安値で15円だった。

 

新潮文庫版もあるけれど、そちらも品切れのようで、中古の最安値で1円。

 

 

古書がこんなに安いのは、売れないからなのだろうけど、なんともいえず、もの悲しい気持ちになる。