湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「鎌倉殿の13人」(20)帰ってきた義経

第20回「帰ってきた義経」を視聴した。

 

庇護者だった藤原秀衡を頼って平泉に逃げて来た義経が、息子の藤原泰衡に裏切られて討たれてしまうということは、歴史音痴の私でも知っている。

 

また心の痛む回になるのだろうと覚悟していたけれど、義経が義時とともに最後の夜を迎えたことで、奇妙な救いを感じる終わり方だった。

 

文治元年(1185年)に都を追われた義経は、文治三年(1187年)二月、家族と家来を連れて、平泉の藤原秀衡の元に身を寄せるけれども、その年のうちに秀衡は亡くなってしまう。

 

文治五年(1189年)閏四月、義時は、善児(梶原景時の暗殺担当の下人)を連れて、平泉に向かう。

頼朝が義時に与えた指示は、藤原秀衡の嫡男泰衡に、義経を討たせるように仕向けろというものだった。

 

義時は、泰衡をうまく煽って義経討伐をそそのかしただけでなく、義経静御前の末路を聞かせることで、兄頼朝への憎悪を煽り、奥州藤原氏を破滅に導いていく。かつて、片思いしていた八重さんに食べ物を差し入れてにこにこしていた頃の無垢で素朴な義時のおもかげは、だいぶ薄れてしまっている。


ドラマの中の北条義時は、義経にとって、自分を滅ぼすために平泉にやってきた死神でもあり、鎌倉の人々との情をつなぐ最後の使者でもあったように思う。

 

義時が平泉でやったことは冷酷無比な陰謀だったけれども、それが成功したからこそ、義経と頼朝の直接対決は避けられて、奥州攻めの前に義経が頼朝の元に帰ることができたのだから。

 

首だけになって鎌倉に帰ってきた義経を、頼朝は真心をもって慰撫し、叶うことのない語らいを求めて慟哭する。

 

死んでしまってからの和解だけれど、死んだあとまで憎悪するよりは、だいぶマシなように思う。


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藤原秀衡の息子たちは、頼朝兄弟以上に仲が悪かったようだ。

 

ドラマでは、嫡男の泰衡(秀衡の次男)が、兄であり義父でもある国衡(秀衡の長男で庶子)と、激しくいがみ合っていたけれど、直接の武力対決は見られなかった。

 

その後どうなったのかと思って、Wikipedia藤原泰衡のページを見てみたら、秀衡が弟二人(忠衡・通衡)を殺害したと書いてあって、げんなりした。殺害理由は、弟たちが義経側についたからだという。

 

武家社会の兄弟関係、血なまぐさすぎる。(´・ω・`)

 

もっともドラマでは義時に切りかかってきた泰衡の弟を、アサシン善児が後ろから刺し殺していた。善児はそのためだけに平泉についていった感じだった。

 

だいぶ先の話になるけど、源頼家修善寺で暗殺されるときも、もしかしたら善児が暗躍するのじゃなかろうかと思っている。その後の実朝殺害にも絡むのだとすれば、頼朝の息子四人(千鶴丸・頼家・実朝・貞暁)のうち三人までが善児の手にかかることになるけど、脚本家さんはさすがにそこまで悪趣味じゃないかもしない。

 

( _ _ ).。o○


50年ほど前、まだ小学生のころ、子供向けに抄訳された「義経記」を読んだことがある。

 

もう手元に本がないけど、読んだのはたぶんポプラ社の古典文学全集のなかの「義経記」(1965年出版)だったと思う。Amazonに古書のデータがあって、表紙に見覚えがある。

 

静御前の悲劇は、子ども心にも胸に迫るものがあった。

それなのに義経は、別の奥さんと一緒に奥州に逃げていた。

静御前と結婚してるのに、なんで「奥さん」がもう一人いるのか。


一夫多妻という概念を持たなかった純粋無垢(?)な子どもにとって、説明抜きで出現した義経の正妻の存在は謎過ぎた。

 

きっと正妻の里(郷御前)さんも、釈然としない思いを抱えて人生を終えたことだろう。

 

源氏の貴公子と結婚したのに、夫は都で出会った愛人に夢中になったかと思えば、鎌倉からも朝廷からも追っ手をかけられて逃げ回る日々がはじまり、最後は寒い平泉で夫に刺されて死んでしまう。ひどすぎる人生だ。


ドラマでの静御前の悲劇は、ほぼ予想通りだったけれど、義経の正妻の里(郷御前)の最期は、ちょっと思いがけない感じだった。

 

文治元年(1185)の義経の邸襲撃が、兄頼朝の命によるものでなく、里の手引きによるものであるという告白を聞いた義経が、カッとなって里に飛び掛かった次の瞬間には、里は即死していた。早すぎる。

 

その後、泰衡に襲撃されている最中の館に義時を強制招集し、里と娘の遺体の傍らで、鎌倉を確実に攻め滅ぼす戦略について、腹を割って語り合う。

 

館の外では武蔵坊弁慶が全身で攻撃を受け止めて、いままさに立ち往生しようとしているらしき騒音が響き渡っている。義時との話を終えて、戸口の隙間からその様子を覗き見る義経が、子どものようにはしゃいで笑っている。

 

どうしようもなく血生臭くて救いのない状況なのに、やけにハートフルで、ちょっとほのぼのした空気まで流れているのが異様だけど面白くて、なんというか、脚本家さんの凄みというか、鬼畜さをしみじみと感じた。

 


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毎度お楽しみの食レポ・歴メシコーナーは、今回もネタがない。
食べ物、全く出てこなかった。

 

あ、義経の首は美酒に漬けられて首桶に入れられたらしいけど、さすがにそれは「食べ物」ネタとして扱いたくない。

 

吾妻鏡」を見ると、前回の文治元年から今回の文治五年の間に、頼朝が西行と面会して熱心に話を聞いたり、頼朝の長男の万寿様(頼家)が生まれて初めて鎧を身に着け、三浦義澄や和田義盛畠山重忠たちに助けられて馬に乗ったりというイベントがあったようなのに、ドラマでは全部すっ飛ばされていた。


それらのシーンがあれば、食事を見ることもできただろうに。残念だ。