ここのところ、どうにも睡眠導入剤の効き目がよくない。
以前なら、飲んで小一時間で自然な眠気が来ていたのに、それが来なくなっている。
眠れないと、翌日以降が地獄になる。きちんと寝てこその療養だ。
というわけで、コロナ入院で途絶えていた就寝前の末っ子の音読習慣を再開してもらった。
一昨日の夜は、アンリ・ベルグソンの「意識に直接与えられたものについての試論」の冒頭を読んでもらった。行間に挿入される末っ子のツッコミに爆笑しているうちに眠くなり、あっさり寝付いてしまった。
昨晩読んでもらったのは、ニール・スミスの「ことばから心をみる―言語学をめぐる二十話」という本。
本文中に、言語学者らしいちょっとした仕掛けがあった。
また、読者はいま読み始めたこのセンテンスを以前に読んだり聞いたりしたことはまったくないはずだが、それにもかかわずこのセンテンスには変などこかところがあるとただちに気づく。
(ニール・スミス「ことばから心をみる」3ページ)
末っ子の読み間違えかと思って問いただしたら、「ほんとにそう書いてあるんだ!」というので見せてもらったら、ほんとだった。で、ふと聞いてみた。
「その本、出版社どこ?」
「ガンナミ書店だ」
もうじき還暦を迎える勢いの私であるが、これまでの人生で岩波書店を「ガンナミ書店」と読んだ人間には一度もお目にかかったことがない。
寝たまま笑いに崩れ落ちて、そのままぐっすり朝まで眠れた。
なんというか、もの悲しい記事を読んだ。
「女性がたくさん入っている会議は時間かかる」森喜朗氏
問題となった森喜朗さんの発言を引用してみる。
森会長の女性理事についての発言は以下の通り。
これはテレビがあるからやりにくいんだが。女性理事を選ぶというのは、日本は文科省がうるさくいうんですよね。
だけど、女性がたくさん入っている理事会は、理事会の会議は時間がかかります。これは、ラグビー協会、今までの倍時間がかかる。女性がなんと10人くらいいるのか? 5人いるのか? 女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです。
結局、あんまりいうと、新聞に書かれますけど、悪口言った、とかなりますけど、女性を必ずしも数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制をしていかないとなかなか終わらないで困るといっておられた。だれが言ったとは言わないが。そんなこともあります。
私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ? 7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。みんな競技団体からのご出身であり、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですから、お話もシュッとして、的を射た、そういう我々は非常に役立っておりますが。次は女性を選ぼうと、そういうわけであります。
「あんまりいうと、新聞に書かれますけど」と、そのまま新聞に書かれてしまうのは、狙ってボケてみせたのだろうか。なかなかできることではない。
コロナストレスで正義のタコ殴りを許されるようなサンドバッグが求められているご時世で、身を挺してサンドバッグになろうとするのだから、ある意味、救国の志士のような扱いがふさわしいのではなかろうか。
もの悲しすぎて、批判する気が全く起きない。
あと数年で、こうしたご老人の発言を目にすることもなくなるだろう。
「女こどものすることではない」「女の浅知恵」などの昭和以前の慣用表現とともに、静かにお見送りをしたいと思う。
それはともかく、女性がたくさん入っている会議は時間がかかるというのは、どうなんだろうと思う。
うちの亭主が教授会が毎度長いとボヤいているけど、女性の先生は少ないと聞いている。そして、話し出すと長くなるのは男の先生だそうだ。
そして、学校行事に参加するたびに思うのは、「男の先生の話が長い」ということだ。校長先生とか、教頭先生とか、まだ男性が多いから……。