ほんとうに不思議なのだけど、コロナ陽性の記事を書いてからずっと、ここのブログのアクセス数は、以前の4〜5倍をキープしている。もとの数字がとても少ないから、4倍にしてもそんなに大きな数ではないけど、小心なので、アクセス数を見るたびにギョッとしている。
ご飯と体調の記録がほとんどの、つまらない日記だと思うのに。(´・ω・`)
もしかすると、新型コロナ肺炎の後遺症について、興味を持っておられる方が情報を探して、ここにたどり着かれているのだろうか。
そうだとするなら、これからも、きちんと日々の経過を書き残しておけば、どなたかの目安になることもあるのかもしれない。
私にはいくつかの基礎疾患があり、肺炎にはなったものの、ICUでお世話になるほどの重度には至らずに、二週間で退院することができた。
けれども、発症後30日が経ったいまも、体の不調が続き、まともに日常生活を送ることができずにいる。
私は外に仕事を持っていないし、世話をしてくれる家族もいるから、十分に養生することが出来ているけれども、同じような予後の状態を抱えながら、仕事や学業に戻らなければらならない方々は、とんでもなく大変だろうと想像する。
まず、自宅から最寄り駅まで歩き、電車に乗って数十分立っているということが、今の時点では不可能だ。確実に途中で倒れる。
職場や学校にたどり着けたとしても、おそらく何もできないと思う。
座っていられるのが、せいぜい30分程度で、しかも注意力や集中力が全く維持できないのだ。
いくら私がもともと間抜けであったとしても、散々注意された直後にカップ麺を作り損なうほどではなかった(と思うけど、家族には異論があるかもしれない)。
どんなお仕事でも、こんな体調を抱えての職場復帰は、とんでもなく大変だと思う。
基礎疾患(無呼吸症候群・バセドウ病の治療による甲状腺機能低下・高脂血症・高血圧)のあるアラ還のコロナ患者が、どれくらいの期間で、どの程度回復するのか。
世の中の役に立つかどうかはわからないけど、引き続き自己観察を続けようと思う。
昨日の夜
晩ご飯。
おでん。りんご。仙台の笹かまぼこ。大根の千切り(ちょい太め)。亭主作。
笹かまぼこは、私の実家から届いたもの。大変美味しい。食卓に出された分は、息子と娘たちがあっという間に平らげたとのこと。
夜、息子が平原綾香の「ジュピター」を口ずさんでいるのを聞いた。
ジュピターのCDを買って、家でよく聞いていたのは、息子がまだ幼児の頃だったと思う。
息子の記憶力は本当に不思議で、もしかしたら過去に見聞きしたことはほとんど覚えているのじゃないかと感じることもあるほどだけど、その記憶を自由に取り出せるわけではなさそうなことも察せられる。
過剰な記憶力と、不随意に起きるフラッシュバック。
知能の高い自閉症の人も、それでずいぶん苦しめられることがあると聞く。私にも多少その傾向があり、抑鬱が重いときほど、嫌な記憶に追い打ちをかけられることが多いので、記憶にまつわる苦しさについては、ある程度想像がつく。
息子の脳に蘇る記憶が、好きな音楽や楽しい記憶ばかりであることを、祈らずにはいられない。
おでんの消化が良すぎて、夜9時過ぎにはお腹が空いてしまったので、末っ子がコンビニで買ってきてくれた、カップ焼きそばとチーズをお夜食にした。
カップ焼きそば(ペヤング)なんて食べたのは、数年ぶりだったので、作り方を間違えるなと亭主にだいぶ念を押されたのだけど、言われるそばから蓋の開け方を間違えた。
かやくその他を取り出すときと、お湯を捨てるときでは、開ける場所が違っていたのに、最初からお湯の捨て口側を開けてしまったために、湯と一緒に麺を捨てそうになったのだ。
注意力が落ちていることを、しっかり自覚しなくては。車の運転は、当分休もう。
(´・ω・`)
その後、早めに就寝。
朝
左目にとんでもない痛みを感じて、明け方に目が覚めた。
CPAPの風がマスクから少し漏れて、目に当たっていたために、眼球が乾燥して傷が出来ていたのだと思う。
アイマスクをすれば防げるのだけど、ここしばらく被害がなかったので忘れていた。
アイマスク、作ろうかな。
朝ご飯には、昨日の残りのおでんと、トースト、りんごをいただいた。
今朝は目は痛かったものの、頭痛はなく、倦怠感もそれほどでもない。
少し動けそうな気がしたので、流しに溜まっていた洗い物を片付けてみたけど、すぐに動悸がして咳が出始めたので、5分ほどで撤退。
ウルトラの一族よりは長持ちしたので、よしとする。
計測。
体温 36.0度
血圧 156-80
脈 86
血圧が高い。洗い物の後だからか。
最初に測ったときには176-80だったので、まずいと思って、少し静かに座って時間を置いてから測り直したのだけど、やっぱり高い。
しばらくおやすみしていたヒハツを飲むことにした。
その後、お昼まで横になって過ごした。
昼
ランチ。
粉物づくしな感じ。たこ焼き(冷凍)と、お好み焼き(亭主作)。
みかんもついた。
おやつ。
柏餅の、葉っぱのついてない感じのお餅。
甘さ控え目で、美味しかった。
食後のお薬を飲んでからは、また横になって、ラノベを読んだり、ゲームアプリしたりしながら、座って裁縫ができる程度の体力が溜まるのを待った。
繕い物と動画鑑賞
午後3時ごろになって、座れる程度の体力があると感じたので、裁縫箱と端切れを持ってきて、息子のズボンの修繕の続きを再開。
なにかBGMが欲しくなったので、お友だちに勧められた、1987年のメリークリスマスショーという番組の動画を鑑賞しはじめたら、これが楽しすぎて、裁縫が進まない。
1987 Merry X’mas Show 松任谷由実 桑田佳祐 - YouTube
桑田佳祐、明石家さんま、松任谷由実、小泉今日子、米米クラブ、中村雅俊、アン・ルイス……
出演している全ての人々が、あまりにも若くて魅力的なことに驚く。
1987年というと、昭和62年だ。
私はまだ学生で、その年のクリスマスといえば、必死で修士論文を書いていたはずだけど、どんな風に過ごしていたのかは、もはやほとんど覚えていない。
当時テレビは持っていたけど、ファミコンのディスプレイとして使うだけで、テレビ番組は一切見なかったから、この番組ももちろん見ていない。
でもサザンオールスターズと桑田バンドのCDは、論文の下書きに煩悶しながら毎日ずっと聞いていたし、松任谷由実や、アン・ルイス、米米クラブも好きだった。
明石家さんまはそんなに好きではなかったけれども(好きになるほど出演番組を見る機会がなかったのだ)、いまこうして若い頃の様子を見ると、実にみずみずしくて魅力的な芸人さんだったんだなと思う。
曲も楽しい。昭和の古い歌謡曲と洋楽を合体させて、二曲を一緒に歌っている。懐かしいのに新しくて、しかも悉く還暦越えしているミュージシャンが若返って歌っている。
時間酔いのような不思議な感覚を味わいながら楽しんでいたら、いきなり頭を現代に引きずり戻す映像が目に飛び込んだ。
33年前のCMである。
そういう車、たしかにあった。(´・ω・`)
…………
若い桑田佳祐の声を聞いているうちに、少しずつ、1987年クリスマスごろの記憶が蘇ってきた。
修論がうまく進まなくなると、一人暮らしのアパートの床に座り込んで、ひたすらソリティアに逃避していたこととか。
亭主の下宿先にクリスマスケーキを持って行って一緒に食べたのは、この年だったような。
ドラゴンクエスト2(1987年発売)も、だいぶやり込んでいたっけ。
勉強をサボったロクでもない記憶ばかり浮かんでくる。(´・ω・`)
そのほとんどが、どこにも書き留めず、誰とも共有していない記憶だから(亭主はきっと忘れている)、私の人生が終わってしまえばこの世がら消滅する情報だ。
散華したって少しも惜しくないような記憶だけれども、あの1987年の歌を聞いていたら、あんなしょうもない若い頃の積み重ねにも、かけがえのない何かがあるような気がしてくる。
きっと、何かはあったのだろう。
そういえば、10代のころに何かで占ってもらって(西洋占星術だと思う)、「あなたの人生の意味は、晩年に明らかになるでしょう」と言われたことがあった。晩年に人生の意味が分かったって意味ないじゃんと、当時は思ったものだけど、晩年がそう遠くもない今になってみると、晩年にしか分からないことは確かにあるのだろうと感じる。
つい先日にも、最晩年にうっかりニアミスしたような気がするけれども、無事この世に着陸できて以来、自分の人生や生活に対する考え方が、じわりと変化しつつあるのを感じている。
とはいうものの、何かしようにも動ける状態ではないから、しばらくはこのままである。
夜
晩ご飯。
肉じゃが、笹かまぼこ、アボカド、味噌汁、なめこの大根おろし和え、りんご、ごはん。亭主作。
肉じゃが絶品だった。
他も美味しかった。満足。
さて、少し休んだら、お風呂にはいって、動画の続きを見よう。