おはようございます。
今朝の画像は、「ねこばさみ」と、メモ帳。
どちらも、障害者の就労施設で制作され、販売されているものだ。
昨日息子(22歳・重度自閉症)を連れていった歯科のビルに、そういうグッズを販売しているお店が入っているので、通院のたびに買い物を楽しんでいる。こういう日用品やファンシーグッズのほか、パンやクッキー、漬物なども販売している。
「ねこはさみ」は、猫の前足部分が洗濯ばさみみたいになっていて、メモなどを挟んでおくことができる。
一目見て気に入って購入し、息子に見せたら、
「ねずみ!」
と言った。息子としては、色的に、ねこではなくて、ねずみだったらしい。
( _ _ ).。o○
昨日の歯科の往復の車中で、息子といろいろ「会話」をした。
まず、行きの車のなかで、こんなことを、ゆっくりと話しかけてみた。
「自分が心のなかで思っていること、しゃべってみたいと思わない? 言いたいことがあるとき、自分からことばで伝えられると、便利なことも多いと思う。重い自閉症の人のなかには、パソコンやペンを使って、文字で書いて『会話』する人もいるけど、いろいろ言葉がでやすくなるように工夫して、口で話せるようになっている人もいるよね」
それから、こう聞いてみた。
「口でことばを話すのと、文字で書いて話すのと、どっちがいい?」
息子はかなり考えてから、こう言った。
「くち」
何回か、質問の形を変えて、聞きなおしてみたけど、やっぱり答えは同じだった。
「くち」
エコラリアの可能性はある。
私の長い発話のなかから、耳になじんだ単語を切り取って、たまたまそれを口に出しただけかもしれない。それを確かめる方法はない。
けれどもここでは、とりあえず「くちで、会話したい」という息子の意志があるものとして、話をつづけた。
「わかった。じゃあさ、自分が思うように言葉を選んで、口で話すのに、何か手助けは必要かな。いつも、言いたい言葉が口から出てこなかったり、言うつもりのない言葉を言ってしまったりしてるよね。それだと、いろいろ困るだろうから、言いたい言葉を言えるように、何か工夫できるといいんだけど、どうだろう。自分で何か、方法を思いつけるかな」
こんなふうに話しかけているあいだ、息子は、常同行動的な奇声を一切出さなかった。普段、車に乗っている間は、ずっととまらない、ハミングとも機械音ともつかない、奇妙な音声が、全くでないのだ。私の話を理解しているかどうかは分からないけれども、かなり集中して、聞いているのたと感じられた。
いろいろと言葉を変えながら、「スムーズに言葉を出せるように、手助けする方法はないか」と問いかけつづけていたら、息子は、
「ごめんなさい」
と言った。
言われていることが分からず、何かを責められていると感じたのかもしれないし、言葉をスムーズに出すための支援を思いつかなかったのかもしれない。
実際、これまでの年月、こちらが思いつくかぎりの方法を試してきて、うまくいかなかったのだから、息子としても、答えに窮するところかもしれない。
行きの車のなかは、こんな感じだった。
で、歯科検診後の帰りの車では、もう少し雑談っぽい会話をしてみた。
「ねえ、学校時代の担任の先生の名前、憶えてる? 誰か名前行ってみて」
「K先生」
即答だった。
K先生は、特別支援学校の、高等部三年の時の担任の先生だ。
もう五年もたつのに、しっかり覚えていた。(実は私は忘れていた)
「じゃあ、おねえちゃんの名前は?」
これも即答。
「妹の名前は?」
即答。
「おとーさんの名前は?」
これは、間違えた。姉である長女さんの名前が出てきたので、何度か修正して、練習した。たぶん、知らなかったのだと思う。私の名前も同様だったので、あらためて、きちんと教えた。
ちなみに、姉妹の名前を聞かれて答えるということは、少し前までは、できなかったことである。練習していたわけでもないのに、いつのまにか、こたえられるようになっていたことに、驚いた。
息子は昔から、「何かがいきなりできるようになる」ことが多かった。
地道に練習して、スモールステップでスキルが向上することを期待して、長いこと療育を続けてきたけれども、実際には、いくら練習してもちっとも身につかないことのほうが多かった。
それで親のほうがが諦めて練習をやめてしまっても、半年から数年たってから、いきなりできるようになっていたりする。
息子はおそらく、自噴が克服したいことや、身につけたいと願っているスキルについて、一人でイメージトレーニングしているのではないかと思う。
wiiスポーツリゾートでプロペラ機を自在に操れるようになったときには、半年ほど、ずっと姉と妹のプレイする姿をかぶりつきで眺めていた。
iPadでマインクラフトを使えるようにるには、一年以上の観察と、試行錯誤が必要だた。最初のころは、ワールドを無限にこしらえて、クラッシユさせたり、ゾンビなどにマイキャラを倒されてしまって、憤慨していることもあった。朝起きたら、私の枕元に、
「死んでしまった」
という画面表示のiPadが備えられていることが何度もあって、閉口したものだ。
いまではそんなことは、全くなくなった。最近では、自力でゾンビなどを倒したり、ニワトリを養殖したりして遊んでいるようだ。それらは、誰かに教えられて覚えたのではなく、全部息子が自力でさぐりあてて身につけたスキルである。
BGM
iTunesにジョン・レノンのニューアルバムが表示されたので、それを聞いている。
ジョン・レノンがそんなに好きだったわけではない。
それでも印象に残っている曲はいくつもある。
Come Togetherとか。Happy Xmasとか。
Happy Xmasを聞くと、ほぼ自動的に1980年の十二月の記憶がよみがえる。
共通一次試験(のちのセンター試験)の一か月前に、クラスで唯一普通に会話のできた女の子と、ジョン・レノンの死について語ったこととか。
「ゆうべは彼の曲ばっかり聞いていたわ」
私がどう答えたかは覚えていない。
ただ、私がその子と話をしていると、妙な横やりが入ることがあって、このときもそれが起きたと記憶している。会話の途中なのに、わざとその子を呼びつけて、私を孤立させようとするクラスメートがいたのだ。私が歩いていると、足をひっかけてころばそうとするクラスメートもいた。ようするに、クラスで村八分を食らいかけていたのだけど、私の話し相手がそれに応じることはなかった。たぶん、ビートルズやジョン・レノンの話ができるのが、クラスで私くらいだったからだろう。
高校卒業と同時に、当時のクラスメートとは交流が途絶えた。
いまごろみんな、それぞれにアラ還の人生を謳歌していることだろう。
皆穏やかに、幸せであればいいと思う。
War is over.