湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ラノベとかまとまりのない懐古とか

こんばんは。

 

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小説家になろう」アプリで、「神達に拾われた男」(Roy著)という作品にハマってしまい、例によって掲載されている全文を一気読みしたものの、猛烈に気になるところで「つづく」となって、悶え苦しんでいる。

 

小説は7巻まで出版されているようで、コミックもだいぶ出ているようだ。

神達に拾われた男 7 (HJ NOVELS)

神達に拾われた男 7 (HJ NOVELS)

  • 作者:Roy
  • 発売日: 2019/08/24
  • メディア: 単行本
 

 

突然死した仕事人間の独身男が、神の思惑で異世界の子どもに生まれ変わり、身に備わった異能を発揮して大人たちと渡り合って生きていく……

 

そこだけ取り上げると「幼女戦記」(カルロ=ゼン著)みたいだけど、神々の性質や主人公の抱える問題の性質、異世界で選んだ生き方の方向性がだいぶ違っているので、かぶっている感じは全くない。(あ、神々の理不尽さは多少似てるけど)

 

主人公は、現代日本での人生では、幼少期から不条理と言っていいほどの戦闘訓練を施されて育ち、大人になってからはブラック企業社畜として使い潰されるまで働き続けて、過労のせいで病死している。

 

生まれてから中年になって死ぬ瞬間まで、主人公は誰からも守られることがなく、弱い時には弱さのために、強くなってからはその異常な強さのために、他者に差別され虐げられ続けるという、理不尽すぎる人生を送った。

 

そんな主人公が、宇宙規模の資源事情で、異世界の神々に魂を拾われて、異世界に転移させられることになる。どうやら文明を持つ惑星ごとに、そこを支配管理する神々が存在するらしく、地球で死んだ人間の魂を転移させることで、異世界で枯渇しかけている資源を地球から運び込むことができるらしい。

 

その見返りとして、異世界の神々は主人公に、自分の好きなように生きる権利を保証する。

 

そこで主人公は、他者に虐げられ続けた過酷な前世とは正反対の生き方を選ぶのだけれど、異世界での暮らしも半端なく過酷である上に、気がつけば多くのしがらみのなかで、前世同様のワーカホリックに陥ってしまう。

 

それでも、親や上司に虐待搾取されていた頃と違って、新しい人生では頑張れば頑張るほど成果が上がり、人々にも喜んでもらえる暮らしであるため、主人公としては幸せを感じるほどだったのだけど、かつて徹底的に虐げられたことで歪んでしまった魂には、弱肉強食の法則の中で生きる最弱者としての、絶対的な他者不信が刻みつけられているため、どんなに信頼できる仕事仲間であっても心に壁を作って距離をおき、他人と深い関わりを結ぶことをしない。幼少の身でありながら多くの人に愛され、信頼される事業主になっても、中身は孤独な社畜と変わらない。

 

そういう主人公の視点で語られる物語なので、とにかくモノローグ的な部分が多い。それも感情の吐露ではなく、一人っきりでただ黙々と休みなく働き、戦うシーンが続く。

 

異世界の魔獣を捉え、観察研究し、繁殖させて進化した個体を生み出し、それらを使役して新たな産業や戦力を開発し、事業を起こして資金を稼ぎ、自分の戦闘能力を上げ、さらに新たな研究開発を行い……

 

ひたすらレベル上げのためにクエストをこなすRPGのような物語なのに、飽きることなく読まされてしまうのは、読む側の心のどこかに、そういうレベルアップへの願望があるからかもしれない。何十年か前に、生まれて初めてドラクエやFFをプレイした時の気持ちを思い出しながら読んだ。

 

で、ようやくその主人公の魂の深淵にある、虐げられる強者、弱肉強食の法則に囚われる最弱者という、呪いのような世界観に、宿命のメスが入りそうなところで、最新話が終わっているので、続きがアップされるのが待ちきれずに悶え苦しんでいるわけである。

 

製品版はどこまで話が進んでるんだろう。

 

(;_;)

 

(_ _).。o○

 

 

昨日書いている途中にパソコンの強制再起動を食らって消えた長文を、途中まで復元したものの、力尽きて放置。

 

ボツにしようかとも思ったけど、せっかく書いたから、尻切れだけど、あげておこう。

 

 

……

 

今朝の体調は、微妙。

夜はよく眠れたし、とくに、どこといって痛いところも具合の悪いところもない。

ただ、座っているだけで、息が切れる。

すぐに横になりたくなる。

 

それではダメだと思うので、今日はとにかく起きていようと決めて、ひさびさにパソコンの電源を入れた。私のパソコンはデスクトップだから、寝たままではいじれない。

 

目のカスミがひどいので、調べものはできそうにない。

できることといえば、ブログを書くことくらいだから、今日は書いて過ごそうと思う。

 

 

先日、机まわりを片づけたら、大学院の修士課程のときの受験票が出てきた。

 

昭和60年度◯◯大学大学院 文学研究科博士課程前期(修士)……の入学試験と書いてあって、その下には、小汚い字で「第一外国語 英語 第二外国語 古文解釈」とある。受験の選択科目を自分で記入する仕様だった。

 

右横に当時の私の証明写真が張り付けてある。

 

22歳の自分をまじまじと観察して、いまこの若者が現実に目の前にいたら、どんな人物評が脳内に浮かぶだろうかと考えてみた。

 

ショートカットにしたのを半年ほど放置して、ぼさぼさに肩までのびかけている髪の毛。化粧っ毛のない顔。安物のセーターのなかに、これまた安物の丸襟ブラウスを、どうでもよさそうに着ている。女性らしさは全くない。顔の造りは若いころの木村拓哉系から美形要素を完全に差っ引いてアホにした感じといえば近いか。長身だったため、ジーンズにスタジャン姿で歩き回っていると、よく性別を間違えられた。

 

二重まぶたの下にある目は、若干の機知と生半可な意志の力、怖いもの知らずではあるもののとくに勇気があるわけでもない、要するに考え無しの曖昧な視線をこちらに向けて送っている。

 

正面にあるカメラの向こうで自分の視線を受け止めているのが、36年後の自分であるとは、夢にも思っていない顔だ。それはまあ、誰だってそうだろうけど、自虐でもなんでもなく、こいつは使えないやつだと思う。実際そうだったし。

 

入試の面接のときに、「落ちたらどうしますか」と聞かれたので、正直に「留年します」と答えたところ、指導担当にして面接官でもあった先生が目の前でパニックになった。私の面接が済んだあと、廊下を蛇行しながら「ああああショックだー、ショックだー」とぼやいていたと、当時の研究室助手だった先輩から聞いた。

 

「なんか先生、おかしいことになってたけど……あれ、あんただったの?」

 

「落ちたらどうしますか」の質問のくる前に、「女子が」「あたら若い時代を無駄に」「婚期を逃すことについてご両親は」云々と、進学を考え直させようとする説教をさんざん聞かされていた。私以外の女性の事件者も、だいたいそれを食らっていたと聞いている。昭和の終わりごろというのは、まだそういう時代だった。

 

 結局、この年の入試に、私は落ちた。

大学の事務室前で不合格発表を確認したあと、指導担当の先生の研究室に挨拶に行くと、

 

「君は英語の試験は受験者内でトップだったんですよ。あやうく合格するところでしたねえ」

 

と、実に正直な感想をいただいた。

昔のことだから正確にセリフを記憶しているわけではない。「あやうく」は、もしかすると「うっかり」だったかもしれない。どちらにせよ同じような意味ではあるが。

 

専門分野の試験の得点であれば、その学科の先生の手心の入る余地がある。

けれども、英語など、専門分野ではない先生が出題採点する科目だと、それができない。私の専門科目の点数は、わざわざ意図的に低く抑えるまでもなく十分に悪かったはずだが、その悪い分を英語の得点でカバーしかけたために、「あやうく(うっかり)合格」しかねなかったのだと、我が愛すべき指導教官は、それこそうっかり口をすべらせてしまったわけである。

 

近年、どこぞの医学部が入試採点で男子受験生を優遇していることが発覚して騒ぎになっていたけれども、医学部に限らず、それよりずっと以前から、大学院の入試で得点操作があることは、わりと周知の事実、暗黙の了解だったんじゃないかと思う。昔の大学の研究室というのは、職人の徒弟制度に近い面があって、大学院の入試も、成績で一律に合否が決まるというよりも、先生が弟子の適性を慎重に考えて選ぶという意味合いが強かったはずで、受験生側もそのことは納得していたと思う。がんばって高得点をとれば合格できるというようなものでないことは、私のようなダメ学生でも、きちんと理解していた。

 

自分に学問的な見どころなど「いまはまだ」ないことは、自分自身、よく理解していた。しかも女性という大ハンデ(当時)付きである。それでのうのうと受験するのだから、当時としては常識感覚が異常だったことは間違いない。そういうところは36年たった今でもあまり変わらないけれども、そのころの自分を思い返すと、うっすら冷や汗が出る程度には「成長」した。

 

当時の自分に僅かでも取り柄があるとすれば、その考えなしで非常識であるがゆえの「諦めなさ」だったのだろうとも思う。某バスケ漫画の監督が「諦めたら、そこで試合終了だよ」という名言を残しているけど、三十代になってその漫画を読んで、なんでそんな当たり前のことを、こんな能力の高い子どもが大人に言われてるんだろうと、不思議に思ったものだ。

 

不合格後、宣言通りに卒論を取り下げる手続きをして(よく覚えていないけれど結構面倒だった気がする)、留年することを選んだ。卒論取り下げは留年のための方便ではあったけれども、自分でも内容が全く気に入っていなかったから、最初から全部書き直すつもりだった。(書き直して三倍の長さにした)

 

留年中、いまの時代だったらアカハラパワハラと言われそうな仕打ちを指導教官から受けた。それらが自分の決めた進路を覆そうとする、意図的な攻撃であることが分かる程度には人並みに神経があったけれども、なにしろバカだったので、被弾したことによる心の痛みや、将来に立ち込める暗雲や不安に対しては、ほぼ無感覚だったと思う。

 

いろいろ思い出しながら、あらためて、受験票の自分の写真を眺めてみる。

学問的な才能を微塵も感じさせない、残念なお花畑気味の頭脳が垣間見える、箸にも棒にもひっかかりそうにない、不出来な女子学生。社交面のスキルや気働きなどのいわゆる女性らしい能力にたけていれば使い道もあるだろうが、そういうものも皆無。

 

私が指導担当でも、こんな不発弾みたいなのが進学志望といってきたなら、おそらく全力で進学阻止に回ったことだろう。

 

指導担当の先生の繰り出すアカハラパワハラは、当時の私でも本心からのものではないことは感覚的に分かったから、これは一種の試金石であると理解した。それでも当然、腹が立ったし、悔し涙も流した。腹が立てば当然「やりかえす」ことを考える。言語研究系の専門分野だったため、研究発表には様々な用例、作例を使うことになる。指導担当の先生の前歯が抜けたなどという情報が流れると、その週の研究発表者のレジュメには、抜歯に関連した用例がしつこいほど並ぶ。当然先生からも報復がくる。講義で質問があって挙手しても、いつまでも指名されない。そんなことが続いてムカつくし退屈だしで、最前列の席で大あくびをしたのちに挙手したら、「あくびしてる人もいることだし、今日は早く終わりましょう」といって、やっぱり発言をさせてもらえない。頭にきて、講義のあとに研究室に戻って「あのハゲオヤジ、当てやがらない」などと憤懣を述べたてていたら、周囲の学生が「後ろ後ろ!」と慌てだしたので、振り返ったら、ご本人がにたーっと笑っていたり。あんな底意地の悪そうな微笑みを、後にも先にも見たことがない。

 

修士論文には図解と称してハゲオヤジ二人が会話する絵を入れて、口頭試問で他の学科の先生にそれを(その絵だけを)褒め称えられ、モデルとなった当の先生には実に寒い顔をされた。

 

博士課程の入試も一度落ちた。

落ちたあと、東京で学会があるからあなた研究発表しませんかと先生に言われたので、二つ返事で「やります」と返答したら、先生のほうは、まさかやると言うとは思っていなかったらしく、今度は全力で辞退を促してきたので、頭にきて強引に応募したところ、審査に通ってしまい、結局発表することになった。先生はおそらく頭を抱えたと思うけれども、それでも不肖の弟子のために学会の懇親会で色んな先生がたに引き合わせて、発表当日は会場で見届けてくださった。おそらくは討ち死にしたら骨を拾う覚悟で来てくださっていたのだろうと、後になって気づいた。

 

その翌年、二度目の博士課程後期試験に合格してからは、ほとんど最上級生の立場だったため、授業のガイダンス的な仕事など、いろんなお手伝いもした。なにをやっても褒められることはなかったけれども、先生に褒められることを私はそもそも求めていなかったし(そんなものを求めているなら修士論文にハゲオヤジの絵など描かない)、先生そっちのけで自分のやりたいことだけやっていた。それにもかかわらず、存在は認めてもらっていると感じていた。

 

思えば、あんな馬鹿学生にはもったいない、ありがたい恩師である。

四十年ちかくたった今、そう思う。

 

ハゲオヤジの絵、もっと上手に描けばよかった。