湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

牛乳と夢

こんにちは。

 

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肺炎関係で学校給食が止まり、牛乳が余って大変らしいと聞いたので、業界の助けになるかどうかは分からないけど、少し多めに買って、夜など温めて飲んだりしている。多少、睡眠の入りを助けてくれるような気がする。気のせいレベルかもしれないけれども、有難い。

 

 

夢の話

 

牛乳の力を借りたせいかどうか分からないけど、明け方、長い夢を見た。

 

夢の中なのに、夢であると分かった上で事の成り行きを鑑賞しているのが奇妙だった上に、目が覚めてからも細部の記憶が抜けていない。内容をメモしてみる。

 

厄介な感染症(コロナではない何か)が蔓延しているにもかかわらず、息子の母校が学園祭を開催するというので、会場に出かけていった。

 

屋内の広場のような、ちょっとおしゃれな場所に大勢の人が集まっている。ここは息子の学校じゃないな、どこだったっけと考えてみたけれど、思いつかない。前に見た自閉症児のドキュメンタリー映画に出てきた、アメリカの特別支援学校の校舎の中に似ている気がする。

 

ステージのようなものは特になく、観客が丸くかこって出来た空間が、演じる場所になるようだった。

 

賑やかな拍手が起きたかと思うと、息子の出番がきた。息子は灰色っぽいボディスーツに、アコスティックギターを抱えて、満面の笑みを浮かべている。全身をぴったりと包むボディスーツは、現実の学園祭で、息子が未来の駅弁売りを演じた時に実際に身につけたものだったけれど、ギターを持たされたことはない。それにギターなんて息子は弾けない。

 

どうなるのだろうと思っていると、曲が始まった。演奏するのは息子だけではないようで、さまざまな楽器が曲を奏でるのに、スポットライトは息子だけにあたり、演奏者たちの姿はよく見えない。息子が自分でギターを弾いているのかどうかも、よくわからない。ただ弾けるように嬉しそうにしている姿は、息子が自信を持って注目を集めているときのそれだと分かるので、何も心配はないと思った。

 

曲は私の知らないものだった。ソロパートを歌うらしい少年が、息子のクラスメートたちに肩を抱き抱えられるようにして、スポットライトの下に連れ出されてきた。クラスメートたちも少年も、悪ふざけの最中のようにはしゃいでいる。少年の顔に見覚えがあるような気がしたけれども、咄嗟に誰だったか思い出せない。

 

見事なボーイソプラノを聞いているうちに、ああこの子は長女さんの小学校のときの同級生だったと思い出した。息子が小学一年のとき、朝の校庭の樹木の陰に隠れて待ち構え、息子にわざとボールをぶつけてよこした子どもである。それが一週間ほど続き、私も末っ子の妊娠中で足元が危なかったため、やめさせてもらうように学校に相談した。その時にその子の名前は学校側に伝えなかったので、学校側も、どの子のやったことか分からないとしながらも、相談した日以降は同じことは起こらなかった。

 

長女さんと同い年のあの子も、もう二十代半ばのはずである。息子のランドセルにボールを命中させた直後の、皮肉に笑うようでいて、どこか大人に構ってもらいたそうな表情をしていたのを、いまも覚えている。彼はどんな大人になっただろう。見かけないけど、いまも近所に住んでいるのだろうか。

 

そんなことを思っていると、いきなり場面が変わって、目の前に看護師らしい女性がいる。今度は息子と同い年の自閉症の子どものいるお母さんだった。町から引っ越して行った彼女とはもう五年以上も合っていないし、看護師でもなかったはずだと思いながら話を聞いていると、感染症の話題になった。

 

「物語の骨組みに、こういうリアルな伝染病を持ち込んだ場合には、世界全体を人体のように考える視点が必要だと思うんだけど、世界を一個体と思う視点って、神様でもないと無理なんじゃないかな」

 

これは絶対中身が本人じゃないと思った。

彼女とは息子たちが2歳の頃から付かず離れずの知り合いで、結構会話もしたけれど、記憶する限り文学の話なんぞ一度もしたことがない。ローンの組み方やフリーマーケットでの出店枠の取り方の話なら詳しく聞いたことがあるけれど、興味のないジャンルだから相槌を打って聞くばかりだった。

 

それにしても、伝染病の蔓延した社会を丸ごと一つの個体と考える視点って、ちょっと怖いなと思っていると、またガラリと景色が変わった。

 

 

見渡す限り、全くなにもない、ぼんやりと明るい空間に立っている。物がないのに距離感だけがあって、目が回るほど果てしなく広いことだけが分かる。

 

この場所には覚えがある。

前にも何度か夢で来ていて、その時には肉体がリアルに死にかけていた。

 

以前に来たときには、無限の地面に数えきれないほどの、墓石サイズの箱があったのに、今回はそれが見当たらない。

 

と思ったら、足元に一つだけ、横たえた墓石そのもののような質感と形状の箱があることに気づいた。

 

箱と言ったけれども、開けられるような蓋は見当たらない。なのに、墓石ではなく箱だとわかるのは、これが夢で、自分がそう設定しているからだろうな、などと思う。

 

それにしても長い夢だな、いつ覚めるんだろう、などと思いながら、見るともなしに箱の表面を見ていると、いつのまにか、直径20センチほどの、真っ黒な穴が空いている。ずっと視線を向けていたのに、穴の出現する瞬間を見逃している。穴は、ずっと空いていたかのようにそこにあって、私が手を突っ込んで中身を探ろうとするのを待っているようだった。

 

中身は、たぶん「くじ」だと思った。

 

これ、引いたらダメなやつじゃないかと思った。

夢だと分かっていても、墓石型の「くじ」の箱に、手を突っ込む勇気はない。

 

でも、引かないと夢が終わらないような気もした。

 

まいったな、どうしようかなと思っていると、妙に息が苦しくなって、いつのまにか目が覚めていた。朝の6時半だった。

 

 

軽い頭痛が、お昼を過ぎたいまも続いている。たぶん、明け方の無呼吸の状態がよくなかったのだろう。CPAP(無呼吸症候群のための呼吸器)をつけていても、1時間に2回ほどは、長く続く無呼吸がある。

 

無呼吸と長い夢がどう関係するのかは分からない。墓石の中の「くじ」のハズレについては、あまり考えないようにしようと思う。

 

病院の待合室で書くには長すぎる文章になった。

診察も終わって、いまは薬局での処方薬待ち。

 

終わったら、牛乳買って帰ろう。