湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

オウム返しを自己表出として機能させる力技

こんにちは。

 

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寒い朝、今年最後のショートステイに息子を送り出した。

 

「今日は、お泊りだよ」

 

と伝えると、

 

「おとまり! きょうは、おとまり!!」

 

と元気にオウム返しする。オウム返しだけど、その声の勢いや生き生きした表情に、お泊りが大好きだという息子の気持ちが表現されていると、私は思っている。

 

息子は自発的に言葉を話すことがほとんどできないけれど、話しかけられる言葉は、ある程度理解できるので、言葉による指示にもよく従ってくれる。

 

理解できているのに、わかっている言葉を使って自分から話さないのは、複雑な脳の問題を抱えているからだろう。

 

おそらくは自閉症者だったろうと言われているアインシュタイン博士は、9歳になるまで言葉を話せず、

 

”大人に書いてもらった言葉を読み上げる”

 

という方法で、周囲に意思を伝えていたと、伝記的な記事で読んだことがある。

 

最初にその話を読んだときには、意味がよくわからなかった。文字を読み上げるような言語能力があるに、なぜ自力で発話するとか、筆談するとかしなかったのだろうと不思議だったのだ。

 

でも息子とともに長年過ごしていて、言葉を理解する能力と、「言いたいことを話す」能力とは、ずいぶん質の異なるものらしいとわかってきた。

 

なにかを「話そう」とするとき、脳は、自分が知っている膨大な言葉のプールの中から、話したいことを伝えるのに必要な単語を選び出さなくてはならないし、それを意味の通るように並べて、さらには音声で出力する準備もしなくてはならない。

 

ひとりごとを言うだけなら、まだシンプルだけれど、自分の発語に対して誰かが言葉を返してきたら、それを聞き取って意味を把握し、状況にふさわしい応対を考える必要が出てくる。

 

適切な語句の選択、文法に即した文の構築、発声器官への司令、他人の発語の聞き取りと理解、次の発語のための準備(自分がなにを話したいのかを決めたりとか)。

 

その他には、相手の表情や身振り、声の調子などから、言外の気持ちを察する、などという作業もある。相手や自分の関係する過去のエピソードの記憶を参照して、判断しなくてはならないこともあるだろう。

 

会話をしている人の脳は、そういう質の異なる複数の作業を、とてつもないスピードで、平行して行なっているはずだ。

 

言いたいことがあっても、それに即した適切な言葉を選ぶことができなかったり、選んだ言葉を即座に声に出すことができなければ、「思ったことを口にする」ことは、とても難しくなる。

 

あるいは、言いたいことを頭の中で文の形にすることはできるのに、それを音声にして出力しようとした瞬間、もしくは声を出したとたんに、脳のメモリーから、言おうとしていた文の情報が消去されてしまうという問題があるとすれば、どんなに言いたいことがあっても、言い終えることができなくなる。

 

さらには、声に出して何かを伝えようとしているうちに、そもそも自分がなにを伝えようとしていたのかを、自分の中で見失ってしまうという事態もあり得る。

 

 

私には脳神経系の知識がないから、具体的にどんなことが脳内で起きているのかはわからない。

 

でも、息子の様子を二十年ほども観察してきて、どうもそういう性質の問題を抱えているらしいことは、察している。

 

息子の脳には、辞書アプリや、文作成アプリ、音声表示アプリ、音声聞き取りアプリなど、言葉を話すのに必要なアプリ類はだいたいインストールされている。

 

でも、それらのアプリを、複数同時に動かそうとすると、ワーキングメモリが足りなくなったり、互いに干渉しあってフリーズしてしまったりして、発語に失敗するのだろう。

 

オウム返しでは、聞き取った音声を真似するという技術は必要になるけれども、自力で単語の意味を考えて選んだり、構文したりする必要がない。

 

つまり、フリーズの原因となるようなアプリをたくさん立ち上げずに済むから、スムーズにオウム返しできるのだろう。

 

息子はそのことをよく知っている。

だから、どうしても何かを伝えたいときには、オウム返しを連射する。もしくは、長年の訓練によってスムーズに発語できるようになっている定型のセリフを、何百回でも繰り返す。

 

執拗に繰り返される定型のセリフは、息子の真意をそのまま伝えるものではない。その場ではそれしか言えないから言っているけど、本当に言いたいことは、言外にある。

 

たとえ、

 

「とーちゃん、10時、買い物!」

 

と、百万回言ったとしても、その心は、時と場合によって全く違っていると考えなくてはならない。あるときには、

 

「日曜日はみんななかなか起きてこなくて退屈だ」

 

かもしれないし、

 

「台風が来そうな感じで気圧が下がってきてるから、ちょっとイラつく」

 

なのかもしれない。

 

あるいは、

 

「たまたまつけたテレビでテロのニュースやってて気分が悪くなったから気晴らしがしたい」

 

かもしれないし、

 

「買い物にいくと、欲しくないものをねだってしまう自分が、最近ちょっとイヤになってる」

 

なのかもしれない。でももっとシンプルに、

 

「僕も、みんなと一緒に小難しい会話をしてみたいんです」

 

ということなのかもしれないのだ。

(我が家の会話はわりと小難しい)

 

息子の言う「とーちゃん、10時、買い物!」には、広大な解釈の余地がある。こちらの解釈が当たって、適切な応答や対応ができれば、息子のセリフの連射はだいたい止まる。でも、だいたい外れる。

 

解釈専用のアプリが欲しいところである。

(´・ω・`)