湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

映画「天使にショパンの歌声を」

風邪の連撃のせいで、今日も横になっている。

いい加減寝ているのにも飽きたけど、動くと具合が悪くなるから、おとなしくしているしかない。

 

で、先日見た「天使たちのビッチ・ナイト」の怪しい余韻を消してくれるような映画がないかと思って探してみたら、なんだか既視感のあるタイトルの作品があったので、鑑賞。

 

 

「天使にショパンの歌声を」という邦題を考えた人は、たぶん「天使にラブソングを」に似せることで、二匹目のドジョウを狙ったんだろうと思う。

 

実際、廃校にされそうな音楽学校存続のために、シスターが生徒たちと共にコンクール入賞目指して頑張るという、あらすじの一部分だけを引っ張ってくると、「天使にラブソングを」の二番煎じのように思われてしまいそうだ。

 

でも元々のタイトルは「オーギュスティーヌのパッション(受難)」であり、物語のテーマも「天使にラブソングを」とは全く違っている。

 

だって、学校、存続しないのだ。(´・ω・`)

 

カナダのケベック州で、厳格なカトリック精神の元、寄宿制の音楽学校を運営するマザー・オーギュスティーヌは、生徒たちに豊かな音楽教育を施し、実績もあげていたけれど、教会の上層部は、金食い虫の音楽学校と、独立心旺盛なオーギュスティーヌを目の敵にして、なんとか廃校に追い込もうと画策。

 

実際、1960年代のカナダで起きた、公教育からカトリックの影響を取り除こうとする政治的な動きのために、カトリックの学校は公立校に押されて、経営困難に陥っていた。

 

教会の動きを知ったオーギュスティーヌは、記者会見を開き、自分たちの学校の美点を訴えて、署名運動を開始。世論はいい感じに学校擁護に動きそうになるけれども、教会上層部は先手を打って、学校をさっさと売却してしまう。

 

でもオーギュスティーヌのパッション(受難)は、育ててきた学校を失うことだけではなかった。

 

廃校直前に、オーギュスティーヌは、アリスという少女を転校生として迎え入れる。アリスの父親は放浪癖のある音楽家で、母親はアリスの学費を稼ぐために遠くに働きに行くのだという。

 

教師たちにはオーギュスティーヌの「姪」として紹介されたアリスは、大人びて美しい容姿とピアノの才能に恵まれていたけれど、反骨精神が旺盛すぎて、男女交際や夜遊び、教師批判、授業の指導中にクラシック曲をジャズにアレンジして演奏するなど、教師であるシスターの反感を買うような行為を繰り返す。

 

オーギュスティーヌは、グレかけてはいても心根の優しいアリスが、ちゃんと納得できるような深い心情のこもった叱責で、成長を導いていく。

 

やがて、アリスの母親が重い病気で余命幾ばくもないことがわかる。死の直前、オーギュスティーヌは、アリスの母親に、「あなたの娘として、アリスを守り続ける」と約束し、学校を潰した教会を去る。たぶん一般人に戻って、アリスを引き取ったのだろう。

 

あなたの娘として、などということをわざわざ口にするのだから、アリスの実の母親は別にいるということになるのだろう。

 

それが誰であるのかは、映画の中では明確にされない(私が見逃しているだけかも…)けど、おそらくは、オーギュスティーヌ自身なのだろう。

 

オーギュスティーヌには、隠された過去がある。

悪夢として訪れる、出産もしくは堕胎のような記憶。

 

そして、アリスとの会話のなかでは、不純異性交遊による妊娠の経験があることが、ほのめかされている。

 

もしもオーギュスティーヌがアリスの母親なのだとしたら、どんな経緯で出産後に我が子を手放し、修道院に入ることになったのか。放浪癖のある音楽家だというアリスの父親と、アリスをオーギュスティーヌの学校に預けにきた母親との関係は、一体どうなっているのか。

 

カトリックの強い国の事情に疎いので、わからない部分は残ったけれどと、美しい、いい映画だったと思う。

 

(_ _).。o○

 

そういえば、映画を見た後に朝刊をチラ見していて、ローマ教皇が来日していることを知った。この時期に、なぜ日本にと、ちょっと思った。バチカンからこちらを眺めると、パッション(受難)の気配でも見えるのだろうか。