一応誕生日なので、晩ご飯に好物のお刺身など食べたいなと思ったけど、買い物に出る気がしなかった。
雨だし、体はだるいし、めまいはするし、何をする気力もない。
でも、子どもたちも私の誕生日に便乗してお刺身やケーキを食べる気満々の様子なので、なんとか頑張って外にでよう……と思いながら、くすぶること3時間。
電話が鳴った。
本屋さんからだった。
「ご注文の告白が届きました」
奇妙なセリフだけど、たしかに私は告白を注文した。
Amazonプライムを解約して、宅配に送料がかかるようになったので、紙の本は、書店に注文して、引き取りに行くようにしている。もっとも、読書はもっぱら電子本になってしまったから、頻度は少ない。
三年ほど前、外出中にパニック発作を起こして以来、外出が苦手になり、体調のよくない日も多いから、自分からどこかに出かけるということは、ほとんどなくなった。
書店に寄るのは、教会の日曜礼拝の帰りである。日曜礼拝といっても、私が通っているのは、教会学校とも言われる子ども礼拝で、ミッションスクールに在学中の末っ子の付き添いである。
だけど一緒に毎週通っているうちに、聖書のお話を聞くのが好きになり、自分でも日常的に聖書やキリスト教関連書をあれやこれやと拾い読むようになって、いまその方面の蔵書がじわじわと増えつつある。
アウグスティヌスの「告白」も、キリスト教関連書に引用されていたのをみて、どうしても読んでみたくて注文した。とりあえず上巻を読み終えたら、下巻も発注しようと思っている。
で、楽しみにしていた本が届いたのが嬉しくて、やっと、立ち上がって出かける意欲が湧いた。本屋さんはショッピングモールのなかにある。本を引き取ってから、スーパーでお刺身を買えば、一石二鳥。
めまいがおさまったのを確認して、家を出たのは午後2時過ぎくらいだったろうか。
車で5分ほど走って、ショッピングモールの駐車場に車を入れたところで、情けないことに、既に疲労。車の中でしばらく休んでから、本屋さんに行ったのだけど、「告白」を引き取ってレジで支払いをして、駐車料金を無料にする手続きのために駐車券を出そうとしたら、入れたはずのバッグのなかに見当たらない。車の中で落としたのかもしれないと思って、駐車場まで戻ったけれども、見つからない。
軽く絶望したものの、もしやと思って、もう一度バッグの中を見てみたら、手品のように、駐車券はそこにあった。脱力と同時に一気に疲労感が増した。
お刺身を諦めて帰りたかったけど、なんとか立ち上がって、再び店内に戻り、スーパーで買い物開始。
テキパキと買い回る体力はないものの、息子のお迎え時間があるので、ゆっくりもしていられない。時間を確認しようと思ってiPhoneを開いたとたん、電池が切れて画面が真っ黒に。充電池は持ってきていたので、すぐさま繋ごうと思ったら、何をどうしても、端子がiPhoneの穴に入らない。よくよく見たら、端子の形がカマボコ型で、iPhoneの四角い穴とは形が違う。充電池とパソコンをつなぐためのコードを、間違ってもってきていたのだ。そりゃ繋がるはずがない。
お刺身を何種類か買って、ついでにオヤツもいろいろ買って、駐車券の無料手続きも無事に済ませて、車に戻り、バッグを開けたら、充電池とiPhoneをつなぐコードが、手品のようにそこにあった。
バッグがおかしいのか。
それとも私がおかしいのか。
間違いなく私だろう。
ランドセルを背負っていた頃から、ずっとこんな調子なのだから。
疲れたけど、お刺身は美味しかった。
まぐろ、はまち、鰹のタタキ。ネギトロ。
スモークサーモンが安かったから、マリネなんかも作って、いっぱい食べた。
DHAたっぷりの晩ご飯だったから、明日にはきっと脳が元気になるだろうと、淡く期待している。
食後の読書は、「幼女戦記」の最新刊。
「告白」はお風呂上がりに読もう。