今日はゆっくり過ごそうと思っていたのに、昨夜遅く、ふとカレンダーを確認したら、早朝から息子の歯科治療と予定が書き込まれていた。
息子の診察券を引っ張り出してみると、たしかに今日の日付が書いてある。
予約があるなら、行かなくちゃいけない。
息子を車に乗せて、片道四十分ほどかかる、障害者専門の歯医者さんへ。
で、受付で、書き込まれた日付が間違っていたことが発覚。
予約を入れたとき、診察日が二転三転したために、変更前の日にちが消されずに残ってしまったのだ。
いちおう病院側のミスということになるんだろうけども、私も、
「あ、変更ですね。了解です。帰ったら書き換えておきますー」
なんて、安請け合いしたような記憶が、なきにしもあらず。
え、治療ないの、なんで? という表情の息子を連れて、来た道を戻り、介護施設に送り届けた。
帰宅したらお昼。
やれやれ。
ゆうべあまり眠れていなかったので、少しても仮眠をとろうと思ったのに、なんだかんだで横にもなれず、夜になってしまった。
これを書いているヒマがあったら、とっとと寝ればいいと思うんだけど、あと一時間で末っ子の塾が終わるので、それまでなんとか持ちこたえていようと
( _ _ ).。o○
ふと、ファミコン版のウィザードリィのBGMが聞きたくなって、探してみたら、YouTubeにあった。
遊んだのが何年ごろの話だったのか、もはや思い出せなくなっている。
ファミコン版のウィザードリィが出たのが、1987年だというから、そのくらいの時期なのだろう。
しかも、覚えているのがオープニングの曲だけだ。たぶん、クリアはしていない。ゲームは大好きだったけれど、そのころは、ウィザードリィをやりこむような余裕はなかった。
オープニングのBGMを流しながら、ひたすらレポートを書いたり、バイト先の予備校の模試の採点をしていたのだと思う。
もう一つ、BGMがわりにつかっていたソフトがある。
マイトアンドマジック ファミコン Might and Magic
マイトアンドマジック ファミコン Might and Magic
オープニングになっている、パッヘルベルのカノンがエンドレスで聴きたくて、ずーっと流し続けていた。
エンドレスで曲が聞きたかったらCDでも買って流せばいいと思われるかもしれないけど、当時のCDプレイヤーは、学生がおいそれとバイト代で買えるような金額じゃなかった。もちろんインターネットもYouTubeも存在していない頃である。
このごろは、YouTubeのBGMライブを流しながら調べものをしたりしているけれど、ライブチャンネルにチャット窓があるとというのに気づいて、開いてみたら、見知らぬ人々同士の政治思想信条その他の対立に起因する罵りあいの真っ最中だったので、そっと閉じた。もったいないことだ。湯水のように曲を聞くことのできる贅沢をしながら、うんこの投げ合いなんかしなくたっていいだろうに。(´・ω・`)
( _ _ ).。o○
そのうち絶対手に取って読みたい本。
それから、Twitterで存在が知られて重版が決まったという、こちらの本も。
はやく読みたい。
ものを知らないので、記紀や源氏物語などを読んでいても、描写されている姿がボンヤリとしかわからなくて、ほんとにもどかしいのである。
( _ _ ).。o○
もう限界くらい眠いけど、AIでよみがえって新作を歌う美空ひばりのNスぺを見ていたら、うっかり泣けてしまった。
NHKスペシャル「AIでよみがえる美空ひばり」 2019年9月29日
実現されたAIの映像と音声に向けられた技術と情熱とは、すばらしいと思う。
けれども、語りのところにきて、ああ、この方は、死んでいる方だ、いま自分は、この世のものではないものを見ていると、ものすごく感じた。
亡くなった芸術家を、AIで再現することの問題については、この番組のなかでも語られている。
いつの日か、すでに亡くなったアーティストの「新作」が、無限に生み出される時代が来てしまうかもしれない。それこそ、湯水のように。そのとき、それを鑑賞する人々は、このAI美空ひばりに涙したファンのように、深い感動を得るだろうか。
かけがえのないものという感覚をうしなってしまうことにならなければいいけど。
すばらしい楽曲を流すYouTubeライブのチャットでうんこみたいな言葉を投げ合う人たちみたいに。