湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

午前十一時の万葉集


万葉集には、「死」という言葉が詠み込まれた歌が五十首近くあるようだ。

 

四千五百首以上もある歌のなかの五十首を、多いとみるか、少ないと感じるかは、人によりけりだろうが、私は意外に少ないのだなと思った。直情的に「もう会えない! 死ぬ!」とか「苦しい! 死ぬ!」とか叫んでいる歌が、たくさんあるような気がしていたのだ。


先日いじくった「ますらを君」の歌の前にも「恋者可死(こひばしぬべみ)」なんていう物騒な歌があって、気になっていたのだけど、ざっと索引で眺めた印象では、万葉集の歌に詠まれている「死」は、現実に起こってしまった死ではなくて、「死にそう」だったり「死んだほうがマシ」だったり、「死んじまえ!」「死んでられるか」だったりすることのほうが、多いように見える。

 

つまり、死んでないのである。


こんな歌がある。

 

偽毛 似付曽為 何時従鹿 不見人恋等 人之死為 (2571)

いつはりも につきてぞする いつよりか みぬひとこふと ひとのしにせし

 

 

《ごくあっさりした意訳(誤訳)》


 こいつ、馬鹿じゃない?
 どっかで聞いたようなウソを、
 よくもまあいけしゃあしゃあと言うもんだわよ。

 

 あたしに会ったこともないくせに、

 "この恋が苦しいので、死のうと思います"

 なんて気色悪いメール、寄越しやがって。

 

 そんなに死にたけりゃ、勝手に死んでみろっつーの。
 こんなんで死んだやつの話なんて、聞いたことないって。


 ああもう放置!  削除!  着信拒否!

 

 


ごもっともな意見である。
 

こともあろうに、恋しい相手の死を願った歌まである。

 

 

 

惠得 吾念妹者 早裳死耶 雖生 吾應依 人云名國  (2355)

 

うつくしと わがもういもは はやもしなぬか いけりとも われによるべしと ひとのいはなくに

 

 

 

一読して、「新世紀エヴァンゲリオン」の碇シンジのモノローグ「みんな、死んじゃえ」を思い出したんだけど、それはまあ、どうでもいい。

 

どんなに恋しても、自分を分かってくれない相手。

傷つくようなことを言ってよこす他人。

 

恋焦がれながらも、どうすることもできずに「死ね」という言葉をぶつけてしまうしかない、身勝手な幼さ。心の昏さ。

 

 

  《行き過ぎた意訳》

 

 思い出せないぐらい前から、
 僕は君だけを思ってきた。
 心のすべてを、注いできた。
 君のすべては僕のものだと信じていた。

 なのに、君の目は、僕を見ていないという。
 心に僕は居ないという。

 「アイツとだけは、死んだって、絶対にイヤ」

 そう言っていたと。

 それなら、君なんか、死んじゃえ。

 生きてたって、僕を思ってくれないのなら、
 僕を分かってくれないのなら、

 早く、死んじゃえ。

 君も、僕も、みんな、死んじゃえ。

 ・・・・・・

 

 

だけど、碇くんのような人は、意外となかなか死なないものだ。

 

本当に死んだ人を歌に詠むときには、「死」という言葉をつかわずに、別の言葉で表現することが多いという。


 

 

腐女子の万葉集シリーズ



(2005年05月20日) 

 

※過去日記を転載しています。

※他ブログに同内容の記事を掲載していましたが、今後、こちらにまとめていく予定です。

 

 

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