中に内田百閒について書かれた短い随筆があって、それがおもしろかった。
小動物を相手にすると、そういう、人間の幼児以来の性質が、たちまち現れるのである。泣き虫の人、好奇心の強い人、冷淡な人、残酷な人、それぞれの人の本質が小動物の前に露呈する。そのうちで、泣き虫の、ただし思いきり自分勝手な人が内田百けんのような文学者になり、好奇心の強い人が博物学者になる。その他の人が何になるか、それはここには述べない。
この本を読むずっと前の子どもの頃から、小動物に対する反応をもってヒトのタイプを見分けるよすがとしてきた。
とくに、これから長くつき合うことになるかもしれない人が、たまたま目の前に現れた猫や羽虫、ゴキブリやダンゴムシなどに対してどんな振る舞いをするかは、見て見ぬふりをしつつ、しっかり観察するようにしている。
どんな反応が合否をわけるかは微妙なところなので詳しくはここにはかかないけれど、全く反応しない人と全く感情的に反応するだけの人とは、たぶん一緒には暮らせないし、その他のつき合いでも少し距離を置くようにする可能性が高い。
内田百閒と博物学者はそのどちらでもない。
けれどやっぱり一緒に暮らすのは大変だろうと、「考えるごきぶり」を読んで思った。
内田百閒は自分勝手に動物をたくさん集めて貧乏になるし、博物学者は収集物の重量で家をつぶしそうである。
どちらの家族も相当の覚悟がいりそうである。
けれど、そういう人が世の中から一人もいなくなったなら、ずいぶんつまらないことだろう。
(1996年1月20日)