お気に入り本棚の九冊目。
内田百閒「百鬼園随筆」(新潮文庫)
奥付に「平成十四年五月一日 発行」とある。
平成14年は、西暦2002年。いまからちょうど20年前になる。この本は、たぶんその年に書店で買ったのだと思う。
読んだ記憶は、微かにある。たぶん読了はしていない。
目次を見て、20年前の私がおそらく真っ先に読んだと思われる作品のページを開いたら、案の定、白い付箋が挟まっていた。
風呂敷
本を読むのが段段面倒くさくなったから、なるべく読まないようにする。読書と云う事を、大変立派な事のように考えていたけれど、一字ずつ字を拾って、行を追って、頁をめくって行くのは、他人のおしゃべりを、自分の目で聞いているようなもので、うるさい。目はそんなものを見るための物ではなさそうな気がする。
内田百閒「百鬼園随筆」風呂敷の冒頭
このあと、貧乏のために蔵書を売り払い、ドイツ語の教師なのに辞書まで手放した話が続く。
その後、読むことだけじゃなく、書くことまで、身も蓋もなく否定される。
人の書いたものを読まない様にして、自分が人に読ませる原稿を書いているなども、因果な話である。人間の手は、字を書くのに使うものではなさそうな気がする。
20年前の私の心に、こういう読み書きへの否定が響いたとは思わない。難病児と障害児の療育に追われていたとはいえ、まだまだ力任せになんでもやってしまえるほど若かったから、読むのでも書くのでも、それ以外のことでも、その時にやりたいと感じたことなら、やれるだけやったらいいと思っていた。そうやって頑張れば、不完全で足りないところだらけの自分が多少はマシになるかもしれないとも思っていた。分不相応な高い山でも足をかけて登っていればそれなりの高みに至れるかもしれない、という具合に。
けれどもそうやって、湯水のように自分の活力を消費し続け、消耗し尽くした先に何が待っているのか、全く考えないわけでもなかった。
このまま行けば、擦り切れて終わるかもしれないということは、薄々感じてはいたと思う。だから、内田百閒の本など買って、「風呂敷」の冒頭に付箋を挟んだりもしたのだろう。
「風呂敷」という随筆は、内田百閒が、自分の残りの人生に必要のないもの全てを、思い切りよく切り捨てたことが書かれている。
余計なものを読むのをやめ、書くのもほとんどやめ、人に気を遣ってやりたくないことをするのもやめ、意識して物を手元に残すこともやめる。
けれども、用事を書き留めた紙切れや請求書などを無秩序に詰め込んだカバンや風呂敷が、いくつも溜まっている。百鬼園先生は、物を捨てられない人らしい。
私が悪い事をして、検事が家宅捜索をする様になると、嘸かし手数を煩わす事だろうと、あらかじめ恐縮に耐えない。
それでも捨てない。捨てる手間さえ放擲したのだ。
先ずそっとして置いて、天変地妖で消え失せるのを待つか、若し包みのほうで頑張るなら、私のほうで、もろもろの包みを残して昇天するばかりである。
断捨離せずに「逝き逃げ」する宣言で、この随筆は終わる。
知識にも、知的生産にも、物を持つことにも執着しない人は、それらを捨てる行為にすら固執せず、全てをあっさりいなしてしまうのだ。
そして自然に、自分らしく在る。
なんというか、天晴だと思う。
単に(私と同じで)ズボラなADHDだったんじゃないか、などということは(たとえ内心うっすら思っていても)言わない。
蛇足だけど、この本には付箋のほかにネット古書店で購入した代金をセブンイレブンで支払ったらしいレシートも挟まっていた。
2002年6月4日 5924円
年間千冊超と云うペースで本を読み倒した挙句、網膜剥離をやらかすのは、この5年ほど後になる。
今だから言う。アホだった。