今回は、新古今和歌集の後鳥羽院の雨の歌。
忘らるる身を知る袖の村雨につれなく山の月は出でけり
(わすらるる みをしるそでの むらさめに つれなくやまの つきはいでけり)
後鳥羽院 新古今和歌集 巻第十四 恋四 1271
*村雨……断続的に、激しく降って通り過ぎる雨。驟雨。
*身を知る……自分の立場をわきまえる。
*つれなく……平然と、冷淡に、素知らぬふりで。
【怪しい意訳】
身の程知らずではないから、あなたの心が私にないのは、よく分かっているんです。
分かっていても、忘れられてしまうことを思うと、涙が止まらないの。まるで激しい雨に打たれたみたいに、袖が乾くひまもないほどに。
雨上がりに山から登る月って、なんだかあなたに似てると思う。
泣き濡れる私のそばを、素知らぬふりで素通りして行く、冷淡なあなたに……
どうかな、この歌。
にわか雨のあとに出る月に、叶わぬ恋の切なさを重ねてみたんだけど。
僕の立場だとさ、雨に降られることはあっても、人にふられることって、なかなかないから、古い歌の心からいろいろ学んで詠むわけだけど、結構いい感じだと思わない?
それにしても、さっきのゲリラ豪雨、すごかったねえ。
あのまま降り続けたらどうなることかと思ったけど、あっという間に晴れちゃって、いい月夜になったよ。
こういう気象現象を見てるとさ、世の中のことに重ねていろいろ思っちゃうよね。
いつまでも続くかと思った平家はあっさり滅びるし、天狗じゃないかとまで言われるほど化け物じみてた後白河院も、もういないじゃない。
でもって、源氏?
頼朝は、あの大天狗の後白河院とやり合うくらいだから、まあしぶとかったけど、意外と早死にしちゃったし、二代目の子も、なんか危なっかしいよねー。
僕としてはさ、ゲリラ豪雨みたいに世の中が騒がしくなることがあっても、しれーっと登ってくる満月みたいでありたいよね。
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後鳥羽院がこの歌を詠んだのは、1202年だという。
後白河法皇が崩御したあと、後鳥羽院と対立していた九条兼実は、源頼朝頼朝に見切りをつけられるなどして失脚し、1202年に出家している。
その頼朝も亡くなり(1199年)、跡を継いだ頼家が征夷大将軍に宣下されたのも、1202年だった。
上の歌を詠んだころの後鳥羽院は、「忘らるる身」であるどころか、目の上のたんこぶが消えて、絶好調だったと思われる。
新古今和歌集の編纂が始まったのも、この頃で、後鳥羽院は選者として積極的に関わっていたらしい。
けれども1221年、承久の乱で北条義時に負けた後鳥羽院は、隠岐島に流されて、そこで19年暮らし、都に戻されることのないまま一生を終えることになる。
(「鎌倉殿の13人」で、文覚に頭を齧られていたシーンが懐かしい。悲劇的な展開だったのに、最後まで笑わせてくれた歌舞伎役者の方々は、すごいと思う。それだけに、最近起きてしまった事件は本当に残念だった…)
「忘らるる身を知る」は、むしろ隠岐島に流されてからの後鳥羽院の境遇にしっくりきそうではあるけれど、流されたからといって意気消沈したわけではなかったようで、「新古今和歌集」をブラッシュアップする作業を熱心に行っていたという。
「忘らるる身」「身を知る雨」を詠んだ先行歌は、いくつもあるようだ。
忘らるる身をうつせみの唐衣かへすはつらき心なりけり
(わすらるる みをうつせみの からごろも かえすはつらき こころなりけり)
拾遺和歌集 804 源宗城
【意訳】
あなたに忘れられてしまった我が身を憂鬱に思う、この私に、まるで私の心のように虚しく空っぽな着物を返してよこすあなたこそ、冷淡な心の持ち主だと思いますよ。
(捨てた女性の家に残していた衣装を、恨み言つきで返されたので、その返事として詠んで送った歌)
忘らるる身をしる雨はふらねども袖ばかりこそかわかざりけれ
(わすらるる みをしるあめは ふらねども そでばかりこそ かわかざりけれ)
後拾遺和歌集 よみびとしらず 704
【意訳】
あなたに忘れられる程度の我が身を思い知させる雨は、いまは降っておりませんけれども、涙が止まらないので、袖が乾くことがありません。
(雨が降ったから会いに行けないと連絡してきた男に送った歌。ちなみに雨はすぐ止んだらしい)
かずかずに思ひ思はずとひがたみ身を知る雨はふりぞまされる
(かずかずに おもいおもわず といがたみ みをしるあめは ふりぞまされる)
古今和歌集 在原業平 705
【意訳】
あたしのことが好きなの?
それともたいして好きじゃないの?
どっちなのよって、猛烈に問い詰めたかったんだけど、そんなこと怖くて出来ないじゃない。
でも、この雨のおかげであなたの気持ちがはっきり分かったわ。
あなたにとって、私は、雨が降ったくらいで、会うのが億劫になる程度の女だったのね…
雨が強く降ればふるほど、自分の惨めさを思い知らされるみたいで、涙がとまりそうにないわ…
(藤原敏行が、業平の妻の妹と付き合っていて、「これから会いに行くつもりだけど、雨が降ってるから、出かけるタイミングを決めかねてて…」という優柔不断な手紙を送って寄越したので、業平が義妹の代わりに歌で脅迫したらしい)
後鳥羽院の歌は、こうした先行歌を踏まえて詠まれたものだろうけれども、そこにどの程度、真情がこもっていたのかは、想像するしかない。
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