湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

和歌メモ・古今和歌集(心づくしの秋)

 

 

題しらず   よみびとしらず、

 

木の間よりもりくる月の影みれば心づくしの秋は来にけり

 

古今和歌集 巻第四 秋上 184

 

 

古語の「心づくし」は、心を使い尽くす、力を出し切るという意味だという。

 

現代語だと、細やかな配慮、気配りといった意味になるけれど、古語ではそういう意味合いはないようだ。

 

 

【てきとー意訳】

 

また秋が来ちゃったよ……

 

重なり合った木の枝の隙間から漏れてきてる、あの月の光がね、もうね、ほんと、凶兆に見えてくるよね。

 

縁起でもないことを言うなって?

 

じゃあ聞くけど、いままで生きてきて、秋にいい思い出って、あった? ないでしょ?

 

失恋するのは決まって秋だし。

飽きちゃうか、飽きられちゃうかして、あとはもう、厳寒の冬を待つばかりってね。

 

そりゃ秋に芽生える恋もあるよ。

誰も彼も、人恋しくなる季節だし。

 

だからこそ、恋のともしびが消えないように、ハラハラと気を揉むことになるわけだ。ほんと、疲れるよね。

 

え?

色恋沙汰より、絢爛豪華な紅葉の景色を見逃さないほうが大事だって?

 

だとしても、結局気を揉むじゃない。あー、やだやだ。鬱陶しい。

 

まあ、嫌だっていっても、もう秋は来ちゃってるし。

 

せいぜい今年も、終わりの始まりを堪能することにしようかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

和歌メモ(古今和歌集 藤原敏行)

 

秋立つ日よめる

 

藤原敏行朝臣

 

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

 

古今和歌集第四巻 秋歌上 169

 

 

ねこたま意訳】

 

 まだクソ暑いし、景色とかバリバリ真夏なんだけど。

 

この数日かな、風が変わったっていうか、どことなく秋の気配がするんだよね。

 

葉ずれの音とか、空を吹き渡るときの音の深さとか。

 

秋がもう、すぐそこで待ってる気がする。

 

何かが変わってしまう時って、きっとこんなふうに、目に見えないうちに、どこかで変化が始まってるんだろうな。恋も、人の運命もね…

 

 

───────────

 

晩夏とか初秋とかというのも気が引けるほど、まだまだ猛烈に暑い日が続いているけれど、九月に入って数日たった頃からか、風の音が変わったことに気がついた、

 

日中の風には熱がこもっていて、涼しさを感じさせてくれないのに、夏雲が浮かぶ高い空を渡っていく風の音が、底なしの暗い宇宙にまで響いているかのように感じられて、ほんの少し怖くなる。

 

目に見えないほどの微かな兆しが、いずれ圧倒的で不可逆的な運命となって現れてくるかもしれない。

 

鋭敏な感性を持っていた古代の歌人であれば、立秋とは名ばかりの暑い日の風の音に、目には見えない変化の予兆を感じとることは容易いことだったろう。

 

それは、単に秋の訪れの気づきだけではなかったかもしれない。

 

世の中の移り変わり、人の心の移ろい。

 

あるいは、いずれ我が身にふりかかるさまざまな変化。老い、病、死…

 

 

藤原敏行朝臣が「秋来ぬと」の歌を詠んだのが、何歳ごろかは分からない。古今和歌集の成立が905年頃で、藤原敏行の没年が901年から907年の間くらいだというので、かなり晩年になってからの歌であっても収録された可能性がある。

 

なんとなく、晩年に近い頃の歌のような気がするのは、近頃の風の音に老いの先行きの暗さを感じる自分に、重ねて読んでしまうからだろうか。

 

 

 

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ねこたま日記(備忘録)

こんにちは。

 

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月曜日は外出せず、火曜日は、長女さんの車の送迎(描画セラピー)のみで、ほとんど歩かず、悲惨な歩数で終わった。

 

山梨(主に富士急ハイランド)に旅行に行っていた末っ子は、大量のお土産と一緒に月曜日の夜に帰宅。絶叫マシンを乗り倒して、喉を枯らしていた。

 

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「ええじゃないか」は、絶対マシンの名前だとか。

 

薩摩芋タルトは、一緒に行ったお友達からいただいたとのこと。

 

いずれも美味しくいただいた。

 

火曜日は、息子(25歳・重度自閉症)がショートステイ(一泊)だったので、夜がとても静かだった。

 

今日(水曜日)は、息子の代理受診で精神科外来へ。デイケアの長女さんと一緒に車で出かけた。

 

 

(_ _).。o○

 

読書メモ。

 

伊勢物語の表現を掘り起こす  あづまくだりの起承転結」(小松英雄 著)を半分まで読んだのだけど……

 

 

面白い指摘が多いし、勉強にもなるのだけど、どうもあちこち、論証に成功していない(強弁で終わっている)ように思える。

 

先行研究や既存の注釈書、辞書などの記述の問題点を指摘する部分はとても鋭くて、共感できるのに、提示される新たな解釈の根拠が弱いというか、説明になっていないというか、詰めが甘いを通り越して詰めが全く存在していないところもあり、読んでいると頭がぐにゃぐにゃしてくるのだ。

 

あまりにぐにゃぐにゃするので、その都度亭主にいろいろ質問したところ、亭主も同じ意見のようで、ぐにゃぐにゃしている理由をスパッと説明してくれた。

 

亭主曰く、小松先生には文章論の概念がないのではないか、とのこと。

 

確かにそうかもと思った。

 

たとえば、伊勢物語の第九段の「八つ橋といふ所に至りぬ」の助動詞の「ぬ」について、その章段の文章全体の流れのなかで意味・用法をとらえれば、すっきり説明できるところを、本書では「小学館全文全訳古語辞典)に書かれている意味記述と、その辞書の用例となっている「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(古今和歌集)の「ぬる」の解釈を舌鋒鋭く批判してみせて、その批判をもって、伊勢物語の先行の解釈を否定したことになるという、不思議な論旨になっていた。

 

わざわざ古今和歌集の歌の不出来な解釈など持ってこなくても、「八つ橋という所に至りぬ」の「ぬ」は、その章段のメインとなるエピソードであるために、それまでの過去の出来事を叙述するモードから、主人公視点のリアルタイムな記述に切り替わったのだといえば、それで片付く話なのだ。

 

まあ、そういうぐにゃぐにゃする論調も含めて、面白い本ではあるので、最後まで読もうと思う。

 

(_ _).。o○

 

 

 

 

和歌メモ(彦星の撒き散らした水滴)

今回は、万葉集の七夕の雨の歌。

 

この夕降り来る雨は彦星のはや漕ぐ船の櫂の散りかも

 

(このゆうべ ふりくるあめは ひこぼしの はやこぐふねの かいのちりかも)

 

( 万葉集 巻十 2052)

 

万葉集の時代の人々は、織姫と彦星の遠距離恋愛の物語が大好きだったらしく、巻十の「秋の雑歌」に、七夕関連の歌が百首近くも掲載されている。

 

七夕伝説は、中国から輸入された物語で、初出は南北朝時代に編纂された『文選』という詩文集であるようだ。(Wikipediaの「七夕」の記事による)

 

『文選』は、奈良時代の教養人にとっては必読の書だったので、貴族たちにとって、七夕伝説は周知の物語だったはずで、それを題材とした和歌を詠むことは、もしかしたら、とても「イケてる」と認識されていたのかもしれない。

 

【怪しい意訳】

 

七夕の宵になって雨が降ってきたけど、これってもしかしたら、妻に逢いたい一心で、猛スピードでボート漕いでる彦星くんの、オールから飛び散った雫かもしれないよね。

 

僕もできるだけ早く君に会いに行くつもりだけど、あいにくの雨でさ、ちょっと遅れちゃうかも。ごめんねー。

 

 

─────────

 

上の万葉集の歌によく似たイメージの歌が、古今和歌集にある。

 

 

題しらず

 

我がうへに露ぞおくなる天の川とわたる船の櫂のしづくか

 

(わがうえに つゆぞおくなる あまのがわ とわたるふねの かいのしずくか)

 

 

古今和歌集 巻十七  863   読み人知らず

 

万葉集の歌をブラッシュアップした印象。

「彦星」と直接言わずにぼかしているところが、スマートというか、ちょっと小憎らしくスカしてるというか…。

 

 

【怪しい意訳】

 

なんか僕の服、湿っぽい気がする。

 

雨が降ってる感じでもないし、いつのまに濡れたんだろ。

 

そういえば、今日って七夕だったっけ。

 

ああそうか、なかなか会えない愛妻に会うために、必死こいて船漕いでる男が、バチャバチャと櫂のしずくを撒き散らす夜だもんね。

 

え、僕?

そんなに必死に会いに行きたくなるような女性は、いまはいないかな…

 

ちょっと羨ましいかも、彦星くんが。

なーんてね。

 

────────

 

この「読み人知らず」の歌は、なぜか「伊勢物語」では、「むかし男」(在原業平っぽい誰か)が、あやうく死に掛けた時に口にした歌ということになっている。

 

全文を引用してみる。

 

 

むかし、男、京をいかが思ひけむ、東山に住まむと思ひ入りて、

 

住みわびぬ今はかぎりと山里に身を隠すべき宿求めてむ  

 

かくて、ものいたく病みて死に入りたりければ、おもてに水そそきなどして、生きいでて、

 

わが上に露ぞ置くなる天の河門渡る舟のかいのしづくか

 

となむ言ひて、生きいでたりける。

 

 

伊勢物語 第五十九段)

 

*東山……賀茂川を隔てた京の東側に、南北に連なっている山々。

 

*思ひ入る……悲観する。

 

*もの病みて……病状がひどく重くなって

 

 

顔に水がかかったからといって、なぜこの歌が出てくるのだろうと、二日ばかり悩んでから意訳をこしらえてみた。

 

 

【とても怪しい意訳】

 

むかし、某やべえ男が、京の都に対して何をどう悲観したのか分からないが、いきなり、

 

「私はもうダメだ! こうなったら東山に引っ越してやる!」

 

と決意して、隠棲するための家を探すアピールをしはじめた。

 

「もうね、こんなゴミみたいな世の中には、住んでられませんよ。東山あたりの山里に、私が隠れ住むのに相応しい家、ありませんかね?」

 

 なんて言ってたのだけど、引っ越し後に本格的に身体を悪くしちゃって、とうとうご臨終ってことになったんだけど。

 

ダメ元で顔に水ぶっかけたら、蘇生しちまったの。

 

もうね、驚いたのなんのって。

 

しかも、ついちょっと前までほぼ死んでたのに、いきなり歌まで詠んだのよ。 

 

「ああ、なんか顔が濡れてる……これはもしや、天の川を渡る船の、櫂のしずくか……そうか、かの彦星のように、まだまだ生きて、女の元へ突き進めということか。うむ、私は生きる!」

 

情欲イコール生きる力、なんだろうかね。

 

ほんと、やべえよね。

 

(´・ω・`)

 

 

 

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和歌メモ(雨の歌)後鳥羽院とゲリラ豪雨

 

今回は、新古今和歌集後鳥羽院の雨の歌。

 

忘らるる身を知る袖の村雨につれなく山の月は出でけり

 

(わすらるる みをしるそでの むらさめに つれなくやまの つきはいでけり)

 

 

後鳥羽院 新古今和歌集 巻第十四 恋四 1271

 

村雨……断続的に、激しく降って通り過ぎる雨。驟雨。

 

*身を知る……自分の立場をわきまえる。

 

*つれなく……平然と、冷淡に、素知らぬふりで。

 

【怪しい意訳】

 

 身の程知らずではないから、あなたの心が私にないのは、よく分かっているんです。

 

 分かっていても、忘れられてしまうことを思うと、涙が止まらないの。まるで激しい雨に打たれたみたいに、袖が乾くひまもないほどに。

 

 雨上がりに山から登る月って、なんだかあなたに似てると思う。

 

 泣き濡れる私のそばを、素知らぬふりで素通りして行く、冷淡なあなたに……

 

 

 どうかな、この歌。

 にわか雨のあとに出る月に、叶わぬ恋の切なさを重ねてみたんだけど。

 

 僕の立場だとさ、雨に降られることはあっても、人にふられることって、なかなかないから、古い歌の心からいろいろ学んで詠むわけだけど、結構いい感じだと思わない?

 

 それにしても、さっきのゲリラ豪雨、すごかったねえ。

 

 あのまま降り続けたらどうなることかと思ったけど、あっという間に晴れちゃって、いい月夜になったよ。

 

 こういう気象現象を見てるとさ、世の中のことに重ねていろいろ思っちゃうよね。

 

 いつまでも続くかと思った平家はあっさり滅びるし、天狗じゃないかとまで言われるほど化け物じみてた後白河院も、もういないじゃない。

 

 でもって、源氏? 

 頼朝は、あの大天狗の後白河院とやり合うくらいだから、まあしぶとかったけど、意外と早死にしちゃったし、二代目の子も、なんか危なっかしいよねー。

 

 僕としてはさ、ゲリラ豪雨みたいに世の中が騒がしくなることがあっても、しれーっと登ってくる満月みたいでありたいよね。

 

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 後鳥羽院がこの歌を詠んだのは、1202年だという。

 

 後白河法皇崩御したあと、後鳥羽院と対立していた九条兼実は、源頼朝頼朝に見切りをつけられるなどして失脚し、1202年に出家している。

 

 その頼朝も亡くなり(1199年)、跡を継いだ頼家が征夷大将軍に宣下されたのも、1202年だった。

 

 上の歌を詠んだころの後鳥羽院は、「忘らるる身」であるどころか、目の上のたんこぶが消えて、絶好調だったと思われる。

 

 新古今和歌集の編纂が始まったのも、この頃で、後鳥羽院は選者として積極的に関わっていたらしい。

 

 けれども1221年、承久の乱北条義時に負けた後鳥羽院は、隠岐島に流されて、そこで19年暮らし、都に戻されることのないまま一生を終えることになる。

 

(「鎌倉殿の13人」で、文覚に頭を齧られていたシーンが懐かしい。悲劇的な展開だったのに、最後まで笑わせてくれた歌舞伎役者の方々は、すごいと思う。それだけに、最近起きてしまった事件は本当に残念だった…)

 

 

 

 「忘らるる身を知る」は、むしろ隠岐島に流されてからの後鳥羽院の境遇にしっくりきそうではあるけれど、流されたからといって意気消沈したわけではなかったようで、「新古今和歌集」をブラッシュアップする作業を熱心に行っていたという。

 

 「忘らるる身」「身を知る雨」を詠んだ先行歌は、いくつもあるようだ。

 

忘らるる身をうつせみの唐衣かへすはつらき心なりけり

 

(わすらるる みをうつせみの からごろも かえすはつらき こころなりけり)

 

拾遺和歌集 804  源宗城

 

【意訳】

あなたに忘れられてしまった我が身を憂鬱に思う、この私に、まるで私の心のように虚しく空っぽな着物を返してよこすあなたこそ、冷淡な心の持ち主だと思いますよ。

 

(捨てた女性の家に残していた衣装を、恨み言つきで返されたので、その返事として詠んで送った歌)

 

忘らるる身をしる雨はふらねども袖ばかりこそかわかざりけれ

 

(わすらるる みをしるあめは ふらねども そでばかりこそ かわかざりけれ)

 

拾遺和歌集 よみびとしらず 704

 

 

【意訳】

 

あなたに忘れられる程度の我が身を思い知させる雨は、いまは降っておりませんけれども、涙が止まらないので、袖が乾くことがありません。

 

(雨が降ったから会いに行けないと連絡してきた男に送った歌。ちなみに雨はすぐ止んだらしい)

 

 

かずかずに思ひ思はずとひがたみ身を知る雨はふりぞまされる

 

(かずかずに おもいおもわず といがたみ みをしるあめは ふりぞまされる)

 

古今和歌集 在原業平  705

 

【意訳】

 

あたしのことが好きなの?

それともたいして好きじゃないの?

 

どっちなのよって、猛烈に問い詰めたかったんだけど、そんなこと怖くて出来ないじゃない。

 

でも、この雨のおかげであなたの気持ちがはっきり分かったわ。

 

あなたにとって、私は、雨が降ったくらいで、会うのが億劫になる程度の女だったのね…

 

雨が強く降ればふるほど、自分の惨めさを思い知らされるみたいで、涙がとまりそうにないわ…

 

藤原敏行が、業平の妻の妹と付き合っていて、「これから会いに行くつもりだけど、雨が降ってるから、出かけるタイミングを決めかねてて…」という優柔不断な手紙を送って寄越したので、業平が義妹の代わりに歌で脅迫したらしい)

 

 

 後鳥羽院の歌は、こうした先行歌を踏まえて詠まれたものだろうけれども、そこにどの程度、真情がこもっていたのかは、想像するしかない。

 

 

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