湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

また備忘録

今日の健康観察日記

 

睡眠導入剤の増量に、まだ身体がついてきていない。寝つきは良くなったけど、寝起きが少しつらい。

 

それと、お腹の調子がずっとイマイチ。食欲を感じない。食べ始めれば、お腹が空いていたんんだなと気づくけど、きっかけがないと、食べる気が起きない。水分補給も忘れてて、自宅内で脱水しかけてる。

 

 

 

大きな声で話しかけてくれるタイプのリマインダーがほしい。スマートスピーカーは、どんなもんだろうか。

 

 

 

 

映画

 

「ねこあつめの家」という映画を、Amazonビデオで見た。

 

ねこあつめの家(通常版) [DVD]
 

 

 

スランプで廃業寸前の小説家が、迫り来る締め切りと、頓挫しかけている恋愛小説にゾンビを出せと強要してくる編集者と、ネットの酷評から逃避するために、縁もゆかりもない田舎の一軒家に、突然引っ越してしまう。

 

スマホゲームの「ねこあつめ」をやったことがあるので(ねこコンプリート前に挫折した。小説家は出てこない…)、田舎の一軒家がどうなっていくかはだいたい予想がついたけれども、どん詰まりの小説家の人生と、書きたくもないゾンビを登場させた小説がどうなるのかは分からないので、結構ハラハラしながら見続けた。

 

 

ねこのあつまる家で失業した小説家は、ねこに魅せられてどっぷり浸かった暮らしをするうちに、他者との関わり方や自分らしい在り方を見つけ出していき、おそらくは傑作と評価されることになる新作を書き上げて、映画は終わる。

 

物語自体はすごくシンプルで、主人公が小説家になった経緯などはほとんどかたられない。でも映画の中にでてくる主人公の奇妙な暮らしの様子から、なんとなく察しがつくようになっている。

 

主人公の元の自宅も、田舎の借家も、驚くほど物が少ない。机や椅子、本棚やタンスといった、いわゆる家具が見当たらない。本もない。布団やベッドがあるのかどうかわからない。とにかく生活感がない。引っ越しの荷物は、ほとんどダンボール二箱ほどだったようだ。

 

普段着には強いこだわりがあるのか、妙にコントラストの強いシャツと半ズボンを愛用している。おしゃれだけど、なんだか幼児服みたいにも見える。

 

食事に全く興味がなくて、普段はエナジードリンクばかり飲んでいる。人付き合いも極端に苦手らしい。対人スキルが恐ろしく低い。友人どころか、親や親類の気配もない。

 

たぶん、小説家以外の職業には、たどり着けなかったのだろう。それにしても、彼がどんな小説を書いたのか、ねこたちとのその後の人生はどうなっていったのか、興味深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

備忘録

今日の健康観察

 

少しづつ疲労回復している。

 

先週末の精神科の診察の時、睡眠導入剤の量を増やしていただいたのだが、そのおかげか、睡眠の質が良くなりつつある。

 

末っ子の夏休みが終われば、またお弁当作りがはじまる。それまでには朝から動けるようになっておかないと。

 

 

そういえば、東京オリンピックのためにサマータイム導入なんて話があるようだが、何としても勘弁してもらいたい。年二回、突然2時間も時間がずれるなんてことになったら、私のようなものは、とても身体がついていかない。そういう人は、少なくないと思うのだが。

 

 

 

ゲーム

 

「誰ゾ彼ホテル」というアプリゲームに、ちょっとハマっている。自分が死んだか生きているのか分からない人々が集まってくる、あの世とこの世の境目にあるレトロなホテルの物語。主人公は、通り魔の被害者らしい女子高生だけど、事件に巻き込まれたあたりの詳しい記憶をうしなっていて、あの世にもこの世にも行けないまま、ホテルの従業員として働いている。

 

どこか飄々とした主人公の目線で、毎日少しずつ謎解きをしながら、レトロなイメージゲーム世界を楽しんでいたら、しばらく前に読んだ漫画「うせもの宿」を思い出したので、再読。

 

 

 

うせもの宿 1 (フラワーコミックスアルファ)

うせもの宿 1 (フラワーコミックスアルファ)

 

 

「誰ソ彼ホテル」と違って、こちらの物語の「宿」には、死者しかやってこないのだけど、自分が死んだことに気づいていなかったり、大切な思いを見失って、旅立てずにいたりする。

 

そういえば、この「宿」も、レトロな作りの建物だった。

 

 

死後の世界として共有されやすいイメージが、過去の時代のものになりがちなのは、死者を過去の存在と考えるからだろうか。生きている人間にとって、死後は未来のはずなのに、近未来的死後の世界って、あまり想定されない気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八月が終わりそうだ

今日の健康観察

 

夏バテ中。

たいして動いてもいないのに(運転はした)。

あーこりゃ無理っていうくらい疲れているので、今日はあまり動かないようにして休んでいる。

 

「この程度の疲れで」とは、思わないことにした。体力的にも健康レベルも、以前とは違う。それに私は、よほどヤバイレベルまで体力が落ちていても、自分ではなかなか気づかない。

 

無理しない。

でないとたぶんあっさり死ぬ。

 

 

読書

 

 

漫画「セトウツミ」の最終巻を読んだ。

途中数巻飛ばして、最終巻を読んだのは、途中がつまらないからでは決してなくて、いったいこの語られていないことがとてつもなく多い物語のラストをどうするのか、猛烈にに気になって、仕方がなかったからだ。

 

セトウツミ 8 (少年チャンピオン・コミックス)

セトウツミ 8 (少年チャンピオン・コミックス)

 

 


ウツミの側の語られていない事情については、ある程度想像した路線ではあったものの、ラストは想像をあっさり超えていた。

 

 

ギフテッド(天才児)であることと共に、なんらかの症例名を医療機関でかぶせられた子供を受け入れられず、存在そのものを無視して暮らす、異様な両親。徹底的なネグレクトの続くなか、姉の支援によってかろうじて生活を維持しながら、完全犯罪による両親の殺害を密かに計画する子供。その決行日こそが、河原で続けられてきた長い長い無駄話で紡がれてきた、断ち難い関係すべてによってもたらされる救済の日でもあった……なんていう展開を迎えることを、最初の数巻を読んだだけでは想像もできなかった。

 

 

すごい作品だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八月になっている

今日の健康観察日記

 

夏バテしたらしい。

動くと気持ち悪いので、昼間に買い物に出たとき以外、ほぼ半日横になっていた。

 

へんな不安感というか、焦燥感がずっとあって、なかなか気が紛れない。

 

聴覚過敏も、ひどくなっている。

 

ラクをさせてもらっているし、そんなに嫌なことなんかないはずなのに。

 

 

落ち着くまで、静かにしていよう。

 

 

読書

 

読みかけの本のメモ。

 

みんなちがって、みんなダメ

みんなちがって、みんなダメ

 

 

うーん、そうかと思う部分もあれば、気持ちがざわつく部分もある。いろいろ考えていて、なかなか読み終わらない。

 

神様を信じるということ、そのことを前提とした多くの教え、決まり、信徒の組織、人の社会の権力や社会制度(主に民主主義)との関係、基本的人権をどう考えるか……など。

 

イスラム教の神も、キリスト教ユダヤ教の神も、もともと同じ神だというのを知ったのは、大人になってだいぶ経ってからのことだ。

 

 

君たちはどう生きるか」は未読。

 

 

 

お昼の日記

今朝の健康観察日記

 


二日つづけて、寝起きがつらい。
だるい。
何かしようとしても、うごくのが億劫で、やる気が出ない。
座って本を読むのも、何かを書くのも、楽しくない。


頭の動きもよくない。
勘違いや、うっかりミスばかりしている。


要するに身体も脳も疲労しているのだろうと推測。
たいしたこともしていないのに、なんでこんなに疲れるのだろうと思ったけど、よく考えると、結構いろんなことをしていた。本を大量に読み、調べ物をし、車の運転も長時間した。

そりゃ疲れるわ。(´・ω・`)


鬱なんぞが再発したらイヤなので、無理せず休養することにした。

 

 

二年目

 

あの相模原のやまゆり園の凄惨な事件から、昨日で二年になる。

 

犯人の顔を思い出すのも胸くそ悪いので、関連記事は見ないことにしようと思っていたけれども、どうしても目に入ってくる。

 

事件後にさまざまに発言をされていた、最首悟さんという方が、犯人から手紙をもらい、返事を書いたり面会に行ったりされているという。その記事を読んだ。

 

 

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 事件直後から「障害者は不幸を作ることしかできない」「人の心を失った“心失者”は安楽死させるべき」などと自らを正当化する主張を続ける植松被告。丁寧な言葉遣いでつづられた文面とは裏腹に、不幸を生み出す重度障害者をなぜ育てているのかと問い詰めるような内容だった。

 

「不幸を作ることしかできない心失者」を生かしておくのは、社会的悪であるという、犯人の強固な信念は、いまだにゆらいでいないらしい。

 

ただ、犯人に、その正義とするところを社会に認めさせるために、自らの命をかける(死ぬ)覚悟があったとは、到底思えない。この人は、自分の命をかけて、犯行を行ったわけではないのだなと、この記事で改めて確認した。

 

それは言い換えれば、自分の思想が世の中に認められるか、あるいは大多数の民意としてあっさりと成立するものと考えて、おそらく死刑などにはならないだろうと信じているということでもあるのだろう。

 

 

私も、最首さんと同じ、重度障害者の親という立場である。

だからこそ、あの事件に心底おびえたし、憤った。身体まで壊した。

 

けれども、もしも犯人から手紙が来たとしたら……

私もおそらく、返事を書くだろうと思う。

絶対的な相互理解の不可能性を目の当たりにしたとしても、それでも、言葉を綴るだろう。

 

だって犯人は、日本国内に住むすべての重度障害者の家族に向かって、「考えを改めろ(障害者を育てるな)」と迫りながら、その思想の正当性を社会に浸透させようとしているのだ。

 

そして、犯人に全面的に賛同しないまでも、考え方に「一理ある」とする人が、少なからずいることも、明らかになっている。増えているというよりも、そういう人たちは、もともと「いる」のだ。

 

障害をや難病を持って生まれた子供を見て、「ああいう子は早く死んであげたほうが親にとって幸せ」などと、穏やかにいう大人は、昔はいくらでもいた。そう言っていた人たちは、別に殺人嗜癖があるわけでもなければ常軌を逸した人物もでもない。「普通のおじさん、おばさんたちだ。それが常識だった時代が、かつて、確かにあった。

 

そして、いまもそれは、そんなに変わっていないのかもしれない。

直接的に死を与えるようなことを口にすることをはばかるというマナーが浸透しただけで。

 

そのかわり、そういう過去の「常識」は、よりマイルドに見える表現方法をとって、社会に負担を掛ける個人の存在に、疑義を申し立てるようになっているのかもしれない。

 

たとえば「生産性(子供を作るかどうか)」で社会的価値が計られ、税金による支援の度合いを左右することをよしとする意見を、国会議員が堂々と執筆し、雑誌がそれを掲載する。

 

当然のように記事は反発と炎上を引き起こすわけだけれども、その議員の真意はどうであれ、「生産性」が下がることを国の危機と捉え、そうした見方に「一理ある」とする人も、少なからずいることが、浮かび上がってくる。

 

 

business.nikkeibp.co.jp

 

 

上の小田嶋隆氏のコラムの、最後のところを引用させていただく。

 

 

 

 結論を述べる。

 杉田議員の主張は、言葉の使い方こそ無神経ではあるものの、日本の「民意」を代表する言説のひとつだ。
 だからこそ、私は、絶望している。

 念のために説明しておく。
 私は、彼女の言葉の使い方の無神経さに絶望しているのではない。
 むしろ、彼女の無神経さにはシンパシーに近い感情を抱いていると言っても良い。

 私が絶望しているのは、彼女の主張が代表的な民意であるような国で自分が暮らしている、そのことに対してだ。

 

 

 

共感するが、絶望にとどまっていても、しかたがない。

 

しかし、「生産性」を正義とするトンチキな思想に、大切な家族の居場所ややすらぎが圧迫されつづけることについて、どんな言葉で「返事」を書けば有効であるのか、思いつかないのであった。