湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

今日の健康観察


イマイチ。
暑さのせいもある。実際暑い。連日36度だの38度だのと、冗談じゃないレベルの暑さだ。


だけと暑さよりも、またやるべきことや考えることが多すぎて、日課がガタガタになっているのが、一番こたえている。

 

自分で思っているよりもずっと、私は生活の変化に弱い。
新しい予定が横から突っ込まれるだけで、よその次元に逃走したくなる。
カレンダー(携帯の)なんか、見たくもない。
夏休み期間はイレギュラーだらけでいやになる。


生活意識がいろいろな変化で分断されるのが、心底苦手だ。
生産性が落ちるし、体調も落ちる。
積み上げてきたものを見失って、知らない場所で迷子になったような気分になる。
なにをがんばっていたのか、どこをめざしていたのか、やる気の泉がどこにあったのか、きれいさっぱり分からなくなる。


書いて残しておかないと、ほんとにまずい。

もっともこういう脳だから、書くことに執着しつづけてきたのだろうなとも思う。


ここの日記は昨年からつけはじめたけれど、生活についての記録は二十数年間、書き続けている。
それが最近どうにも滞りがちなのが、よろしくない。

書こう。
それだけでも、日々の意識は繋がっていく。

 

村上春樹の「1Q84」を読了したことは、ここに書いただろうか(忘れてる)。

ねじまき鳥クロニクル」がキツかったので、しばらく村上春樹作品から離れていたけれど、「1Q84」はほんとうに面白かった。主人公たちは、ちゃんと相手を思い、自分を大事にできる恋愛をしていたから(途中経過はひどいものだったとはいえ)。

 

面白いと感じられたのは、受け止める私自身の変化のせいもあるのだろう。

 

それにしても、1984年は、ほんとうに遠い昔になってしまった。

 

 

 

普通の日の日記

 今日の健康観察日記

 

普通。

とくに痛いところもなければ、苦しい気分でもない。

すばらしいヾ(〃^∇^)ノ。

 

昨日、少しお腹が痛かったから、一日中無理せずに休んでいた。

それでいろいろ回復したのかも。

 

 

 アスペルガー症候群と自分

 

私はずっと、自分は自閉症圏内ではない、と思って暮らしていた。

自分の息子がガチの自閉症だから、なおさらそう思っていた。

コミュニケーションスキルはあるし(拙いけど)、人がウソついてるのも、それとなく分かるし、言葉を額面通り受け取るようなことも、そんなにない(たまにはある)。

 

でも、Twitterで、次の発言を目撃して、雷に打たれたようになった。

 

 

 

 

……これ、まさに若い頃の自分そのものだ。(´・ω・`)

 

この「ガールズトーク」は、そのまま「ママ友トーク」「PTAトーク」という形で、いまも遭遇しつづけている。

 

そして、心の底から、苦手である。(T_T)。

 

でも、数十年の時を経て、経験と学習を積んで、なんとかあたりさわりのない擬態をこしらえて、あるいは心理的光学迷彩(なんだそりゃ)を身に纏って、やりすごすことができるようになった。

 

と、自分では思っているけれども、もしかしたら、他の人の目には、いまも変わらず奇異に映っているのかもしれない。それはもう、確かめようがない。

 

世の中に順応する努力は大事だとは思う。

でも、本来の自分には合わないことに、無理やりあわせようとし続けると、確実に心身を病む。

 

もう十分に努力はしてきたと思う。

残りの人生は、できるだけ心地よい場で過ごしたいと願ってもいいのではないだろうか。

 

 

読書

オーウェルの「一九八四年」(Kindle版)を読み終わったので、「感想文」を54字以内にまとめてみた。

 

 

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「一九八四年」は、私が読んだ翻訳本の他に何種類も出ている。

訳が違うのかどうか確認したいけれど、全部を読む根性はない。あまりにも希望のない話だから。

 

 

 

水害・予防接種

 本日の健康観察日記

 

水害のニュースがつらい。
Twitterで救難信号を出している人がたくさんいる。

見ているだけで、出来ることがなにもない。


報道を見つづけていると確実に心身の調子を崩すと思ったので、今日も極力テレビを見ずにいる。

少しでも早く、救助の手が届くようにと、ただ祈る。

 

 

予防接種


末っ子の予防接種のために小児科に行ってきた。

事情があって接種しそびれたワクチンがいくつかあるのだけども…

 

知らないうちに、三種混合が、四種混合になっている。
ジフテリア破傷風、百日ぜき、ポリオ。


ポリオは、以前は口から飲む生ワクチンだったけど、あれは2012年で廃止になったそうだ。


厚生労働省のホームページに、次のような説明がある。

 


「生ワクチン」は、ポリオウイルスの病原性を弱めてつくったものです。ポリオに感染したときとほぼ同様の仕組みで強い免疫が出来ます。免疫をつける力が優れている一方で、まれにポリオにかかったときと同じ症状が出ることがあります。

 

 

この、「まれに」出る症状のために、少ないとは言いがたい人数の子どもたちが、障害を持ってしまったことが、不活性ワクチンへの切り替えの理由であるようだ。


そして、この不活性への切り替えによって、「生ポリオワクチン」を一回しか接種していない(一回だけ接種している)子どもたちが多数出現したわけで、厚生労働省のホームページに、その場合の対応が書かれている。

 

・生ワクチンを二回接種している人は、不活性ワクチンの追加接種は不要
・生ワクチンを一回だけ接種している人は、不活化ポリオワクチンを3回接種。

 

 

ぜんぜん知らなかった。

医療関係の情報は、意識して集めるようにしないといけないなと、改めて思った。

 

 

 

土曜の日記

今日の健康観察日記

 

はなはだだるい。

昨日の外出(末っ子の学校行事)で疲労困憊。

あまりにも疲れると脳がうまくコントロールできなくなって、ろくでもないことばかり考えるというのを確認した。


人に会うだけでくたびれ果ててしまう体質なのは、もうどうしようもない。
自分の居場所にきちんと戻って、休養しなくてはならない。

PC前に座って、音楽を聴いたり、ちらちらと活字を読んだりし、お友達とチャットしたりしながら、少しづつ自分を取り戻していく。

 

読書


オーウェルの「一九八四年」の続き。あとちょっとで半分というところ。

徹底した管理社会が薄気味悪くて、暗くてどうしようもない。それでも途中で投げる気にならない。

 

 

 

一九八四年

一九八四年

 

 

 

作者のジョージ・オーウェルがどんな人だったのか気になって、ウィキを読んでみた。

1950年に、46歳で亡くなっている。結核だったそうだ。

イギリス植民地時代のインドに生まれ、1歳のときに母親と一緒にイギリスに帰国。
父親はインドの高等文官であり、かつアヘンの栽培と販売を手がけていて、イギリスで妻子と暮らす時間は短かったらしい。

大人になったオーウェルは、ミャンマーで警官になったけれど、帝国主義の片棒を担ぐ仕事に嫌気がさして帰国。

 

その後、ロンドンの浮浪者にまじって暮らしながら最底辺の人々のルポ作品を書こうとしたり、田舎で養鶏業を営んだりしていたけれど、1936年にスペイン内戦の取材に行って「圧倒的な革命的な状況」に感銘し、ファシズム的なフランコ総統に対抗するマルクス主義統一労働者党の兵士として戦闘に参加したものの負傷。ソ連の援助を受けた共産党軍のスターリニストの欺瞞に対しては義憤にかられ、結局そのスターリニストによる弾圧に追われるようにしてフランスに帰還…と書いてある。


なんともややこしい人だけど、帝国主義的、全体主義的なものやレイシズムに対して強烈なアレルギーのある人であるということだけは、分かった気がする。

 

小説「一九八四年」が完成したのは1949年、オーウェルが亡くなる前年である。
真っ黒なディストピアの物語を綴るのは、どう考えても身体にいいとは思えない。執筆が命を削った部分もあるのではないかと想像する。


結核というと、三浦綾子の小説「氷点」を思い出す。
あの物語の開始時の時代設定は昭和二十一年、1946年である。作中で、ヒロイン陽子の継母である夏枝の愛人にして、諸々の不幸の元凶だった村井という人物が結核を発症して喀血し、死と隣り合わせと言われるほどの病状となったけれども、数年の療養生活で助かっている(そしてますます不幸な人間を増やすことになったのだけども)。作者の三浦綾子も、1946年に結核を発病しているので、小説のエピソードは実体験に取材したものだろうと想像する。


オーウェルは、三浦綾子よりも数年後の発症だったけれども、早い時期に有効な治療を受けられなかったのだろうか。

 

 

 

 

 


報道


あのカルト宗教の教祖だった人の死刑が執行され、他の死刑囚も今日のうちに執行されるらしい、というのをTwitterのニュースで見かけた。

テレビでは、死刑が各地で次々に執行されていくのを、次はどこかと騒ぎ知らせているとか。


きっと今日は同じ報道が何度も何度も繰り返されることだろう。
どんな理由であっても、人の死の話をエンドレスで聞かされるのはキツい。
今日はテレビを見ないことにした。


といっても、もともとテレビをほとんど見ないのだけども。(´・ω・`)


今読んでいる途中のジョージ・オーウェルの「一九八四年」の世界では、政治犯公開処刑が最大の娯楽となっていて、大人も子供もそれを見物に行くことを大いに喜んでいた。


世の中が、日記すら自由に書けない「一九八四年」の世界に近づいているとは思わないけども、慣れるべきでないことには、できる限り慣れないようにしておきたい。

 

 

 

風の強い日の日記


今日の健康観察日記


非常にだるい。
今日は末っ子のお弁当のない日だったので、朝ご飯を作って息子の出かける支度をしたあと、軽く二度寝した。それで少しマシにはなったけど、まだだるい。


なんだろう。天気のせいか。外はものすごい強風。雨も降ってきた。

本の読み過ぎかもしれない。

 

読書


昨日はチェーホフの「桜の園」を読んだ。青空文庫Kindle版。無料。
読むのは実ははじめて。

 

 

桜の園

桜の園

 

 

 

村上春樹1Q84に、チェーホフサハリン島を朗読するシーンが出てきたので、読んでみたくなったのだけど、「サハリン島」はKindle化されていなかった。それで、「桜の園」を読むことにしたのだった。

 

で、感想は・・・

 

 

 

あらすじだけにしてしまうと、没落貴族の一家が、人間まるごと大量の粗大ゴミになっていくだけという、どうしようもない物語だけど、チェーホフがその人物たちのセリフにこめた思想や感情の深さは、がさつな私にも少しは伝わってきた。この作品を書いた翌年に、チェーホフ結核で亡くなったのだとか。

 

 

吉田秋生の「桜の園」のほうは、ずいぶん前に読んだ。
こちらの物語は、あまり心に残らなかった。映画になったのは知ってる。そのうち見てみようかと思う。