湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

博士と彼女のセオリー

壊れたiPhoneの代替品が、夕方になって届いた。

設定作業しなくてはならないのだけど、目がしょぼしょぼするので、書きかけのブログ記事をいじくったりして、先延ばしにしている。

 

映画

 

昨日見た映画「オブリビオン」が、意外と自分のツボだったようで、今日も泣きぬれながら見返していた。何度も見ていると、初見で違和感を覚えた箇所に、別の見方ができるようになってくるのが面白い。

 

オリジナルのジャック(トム・クルーズ)は、ジュリアに向かって、すべての記憶が失われて、誰も二人のことを覚えていない時がきたとしても、二人が愛し合った事実は変わらない、みたいなことを話していた。ジュリアは、オリジナルの夫と、地球で再会したクローンの夫、その他何千人ものクローンの夫を失うけれども、二人が確かに愛し合ったという事実が、最終的に、あの最低な宇宙人から地球と人類を守りきったのだから、その死は損失ではなく、はかりしれない命の実りをもたらしたことになる。そう思ったところで、ジュリアの悲しみが癒えるものでもないだろうけど。

 

映画に出てくる、古代ローマの詩人ホラティウスの詩も、印象深かった。

人は必ずいつか死ぬもので、その死に方が大事なのだ、というような内容だったか。

読んでみたいけれど、うちにはホラティウスの本はたぶんない。講談社学術文庫kindle版が出ているようなので、メモ。

 

 

書簡詩 (講談社学術文庫)

書簡詩 (講談社学術文庫)

 

 

そのあと、Amazonプライム・ビデオで、映画「博士と彼女のセオリー」を観た。

オブリビオン」とは全く経路の違う作品だけど、ホーキング博士の伝記的な映画だから、一応、宇宙つながりではある。それと、妻が夫を失う物語だというところでも、つながっている。

 

博士と彼女のセオリー (字幕版)
 

 

ホーキング博士というと、車椅子に乗って、機械音声で話す姿しか知らなかったから、冒頭、自転車で猛ダッシュする姿が出てきて、軽く驚いた。

 

亡くなったのは、去年だったか。

 

物理や数学は鼻水が出るほど苦手だから、博士の業績など、到底理解が及ばない。

 

でも、映画の中で語られるブラックホールと数式のイメージは、とても情緒的で、ホーキング博士の個人史とも響き合うように描かれていたので、なんだか私にも「わかる」ような気がした。(もちろん気がしたたけだけど)

 

気持ちの明るくなる映画ではない。

ホーキング博士筋萎縮性側索硬化症(ALS)のために暗いのではなく、博士の結婚生活が、夫婦双方にかかってくる重すぎる負担のために、先細りとなっていく経緯が、どうにも切ないのだ。

 

ホーキング博士は、ただ生き続けるだけでも大変な戦いなのに、世界的に注目される研究者として、仕事をしていかなくてはならない。けれども、プライドのためなのか、介護者を自宅に入れることを、頑なに拒み続けていた。その負担は、すべて、妻であるジェーン一人の肩にのしかかってくる。

 

ジェーンは、まだ幼い三人の子どもの育児と、夫の介護、そして自分自身の研究を、全て一人で背負っていかなくてはならず、さらに親類の横やりなども色々あって、しだいに心の余裕を失って荒んでいく。

 

それぞれが懸命に暮らしていても、家族の間の溝が徐々に深まり、共有できない孤独が膨らんでいくというのは、きっとどの時代の、どの国にもあることだろう。

 

ホーキング博士の病状が深刻になって、ジェーン一人ではどうにも回らなくなったところで、ようやく外からの介助の手が入る。

 

けれども、待望の人手は家庭を救わず、むしろそれが引き金となって、夫婦の亀裂は決定的なものとなる。

 

ジェーンの「友人」として、ホーキング博士の介護や、二人の子どもたちの世話をしにくるようになったジョナサンは、妻を白血病で失ったばかりのオルガン奏者だった。彼は自分の生活の虚無感を埋めるために、ホーキング一家に深くかかわるうちに、しだいにジェーンとの関係を深め、周囲の人々に不貞を疑われるほどになってしまう。

 

けれども、ホーキング博士は、なぜかその関係を容認し、むしろジェーンとジョナサンとの仲を取り持とうとさえする。そういう振る舞いをするホーキング博士の心のうちは、恐ろしく複雑なものだったろう。

 

その後、腕のいい介護士としてやってきたエレイン・メイソンという、いかにも押しの強そうな女性が、妻であるジェーンを、博士の介助からじわじわと締め出していき、やがて、博士と親密な間柄になっていく。

 

博士がジェーンではなくエレインを伴ってアメリカに渡ると決めたことで、ジェーンとの結婚生活は終わりを迎える。

 

博士が自分の介護を最優先してくれるエレインを選び、ジェーンが五体満足なジョナサンと結ばれれば、それぞれの人生がうまくいく。そうホーキング博士は考えたようだった。

 

そして、それは仕方がない成り行きだったのだと思う。彼らの夫婦関係は、彼らだけの努力ではどうにもならないところまで追い込まれていたし、周囲の人々は、博士の生活や研究の支援はしても、ジェーンとの夫婦関係を支えようとはしなかったようだから。

 

映画では、ジェーンと別れたあとのホーキング博士の暮らしについて、何も語られないけれど、現実には、あまりうまくいってはいなかったようだ。ウィキの記事には、ホーキング博士は、1991年にジェーンと離婚し、1995年にエレインと再婚するものの、2011年にエレインと離婚したと書かれている。

 

 

映画のなかのエレイン女史は、なんだか最初から、略奪婚をもくろんで入り込んだようにも見えて、どうにもいけ好かない女性である。世間の人々もそう感じていたようで、検索すると、彼女についてのろくでもない記事がいろいろ出てくる。

 

中でもギョッとするのが、博士への身体的虐待疑惑で、警察に届けられたりもしていたらしい。もっともホーキング博士自身が虐待を否定しているとのことで、事件にはならなかったようだから、事実関係は分からない。

 

 

ホーキング博士とジェーンの夫婦生活については、ジェーン・ホーキング「無限の宇宙 ホーキング博士と私の旅」という著作で、より詳しく書かれているらしい。そのうち読んでみたい。

 

無限の宇宙 ホーキング博士とわたしの旅

無限の宇宙 ホーキング博士とわたしの旅