湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

はだしの天使

 

「はだしの天使」という漫画を、Amazonの読み放題サービスで読み始めて、一巻目を読了。

 

重度自閉症の息子を育てる母親の、困難に満ちた日常と、周囲との葛藤が、出産の日から順を追って描かれている。

 

はだしの天使 (1) (ぶんか社コミックス)

はだしの天使 (1) (ぶんか社コミックス)

 

 

私の息子も重度自閉症だけれども、自分の育児全盛期には、こうした漫画は、とてもじゃないけど読めなかった。

それ知ってる。

全部知ってる。

だから、何?

 

としか、思えなかった。リアルがあまりにも大変なのに、フィクションの世界でまで、それを追体験する必要を感じなかったのだ。

 

それに、フィクションのなかの「自閉症児の母親」は、あまり私とは似ていないので、感情移入もできなかった。

 

私は息子の診断を聞いても、この世の終わりのように打ちひしがれたりはしなかったし、そもそも自分の中で息子の発達障害を確信した次の瞬間には、できる限りの手を打つべく、とっとと外部にアクションを起こしていたから、我が子の障害を受容するまでの葛藤みたいなものも、ほとんどなかった。

 

また、フィクションの中の母親たちは、定型発達の「きちんとした人」として描かれているけれど、私はそうではないわけで、私自身の困難さというものを、持て余すほど抱えていた。だから、物語が切々と訴えている母親の心情、とくに、子どもの問題のために、「普通の生活」が送れないとか、一般的なレールから外れる恐怖とか、世間の目が気になるとかいう類の苦しさに、あまり共感できなかった。それらは元から私の人生にあったものだから、耐性ができていたのだ。

 

 

でも、いま改めて、こういう作品を読んでみると、描かれているさまざまなエピソードに触発されて、なんとも言えない懐かしさがこみ上げてくる。

 

周囲の音には極端に敏感なのに、名前を呼んでも、話しかけても、聴こえていないかのように無反応だった息子。

 

ずーっと、積み木をいじっているばかりで、積み上げようとしないので、目の前で積んで見せたら、イラっとした顔で、瞬時に崩してしまった息子。

 

水が大好きで、水場から離れようとしなかった息子。

 

漫画のなかの男の子と同じような幼児期を送っていた息子は、極めて重い知的障害を持ちながらも、息子なりに成長し、心の深みを持った大人になった。

 

自閉症の診断が出て以来、いろんなことにぶつかり、克服できたこともあるし、できなかったこともあるけれど、いまはそのどれもが、かけがえのない息子の人生の記録だ。

 

「はだしの天使」を読みながら、そんなことを思った。

 

 

 

ところで、「はてなタグ」が実装されたらしいのだけど、iPhoneアプリでは、まだ設定できないのかしら。