#新聞花壇
数日ぶりの外出。
行き先は、セブンイレブン。
多少ふらつくけど、どうしてもプリント入手したい短歌の冊子があったから、頑張って出かけた(徒歩三分)。
プリントしたのは、こちら。
【お知らせ】
— かっしー (@cassy_yu) 2018年1月31日
久哲さん、安西大樹さんと新聞花壇の会を発足し、ネットプリント「新聞花壇」を配信します。
昨年の新聞歌壇入選歌からの自選と新作もあります。ゲストには、山上秋恵さんをお迎えしました。どうぞよろしくお願いいたします。#新聞花壇 pic.twitter.com/BvsY3V2KFz
ひさしぶりのワクワク感。
いつもTwitterの画面だけで拝見している歌詠みの方々の言葉を、手にとってじっくり味わった。
目を悪くしてしまってから、電子媒体ばかりの読書になっていたけど、やっぱり紙で手元に置きたいなと思うのは、個人的に親しみを感じる方々の作品だからということもあるかもしれない。紙がうれしい。
拝見後、拙い感想をツイートした。
ほんとうは、ネットに短歌の感想を書くのは怖い。
どんなに言葉を選んでも、詠んだ方の心に不要な傷を残してしまいそうな気がする。一番怖いのは、歌を詠む意欲を少しでも削いでしまうこと。そのぐらい、短歌というものには、俳句や散文とは質の違った、繊細な面があるように思う。
怖がっていても進歩がない。感想を書く練習もしないとだ。
短歌を始めて、もう二十年以上になるけれど、詠むよりも、読むほうが多かった。
今年は両方がんばろう。
言葉
短歌の繊細さ、ということを考えていて、「フラジール(fragile)」という英単語をふと思い出した。
英語のなかでの語感は分からないけれど、「ダンサーインザダーク」で主演した、ビョークについて書かれたネット記事で、彼女のことを「フラジールな人」と評していたのを読んだ記憶があって、それがとても印象的だったために、「フラジール」というと、ビョークのことを連想する脳の回路が出来ているのだけど、その回路の近いところに短歌があるような気がしたのだ。
繊細だけど、ただ壊れやすくて脆いだけではないもの。
うかつに、不用意に触ることで変えてしまいたくないもの。
そんな感じ。
でも、いまその記事を探してみても、なぜか見つからない。消えてしまったのか、私の記憶違いだったか。
Dancer in the Dark : Bjork - I've seen it all (HQ)
そういえば、「ダンサーインザダーク」は、ラストの死刑執行のシーンだけは、どうしても、見ることができなかった。こちらの心が壊れそうだから。私の心はがさつなのに強度が足りなくて、わりと脆い。