湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「ちゅう」

公文の先生との面接の時間があったので、ひさしぶりに子供たちを教室へ連れてでかけた。ここしばらく、私だけが通って、教材のやりとりをしていたのである。

 

公文式では、自閉症字を中心とした知的ハンディのある子供たちの教育に、とても力をいれつつあるそうだ。定期的に障害児教育に関する報告書を出版し、親をまじえた研究会も頻繁に開かれているという。先生のお話では、障害児のための通園施設によっては、公文式の方法を取り入れて、地道に効果を上げているところもいくつかあるのだという。


私は、息子の施設の先生方が、外部の療育を受けることを喜ばないことと、息子が今も公文式をやっていることは施設には内緒にしていることを話した。一度、話題に出したことはあるのだが、「どうせ、できっこないでしょう」とあからさまに言われたので、それ以来黙っているのだ。

 

それから、施設に三年通った子供たちが、ほとんど言葉を獲得できないまま、特殊学級養護学校に進学しているらしいという実情についても話した。息子が片言を話しても、聞きとって一緒に喜んでくれる施設ではないことも話した。

 

公文の先生は、息子の状況をとても悲しんでくれ、私を公文の障害児教育の研究会に誘ってくれることを約束した。そこでは、なんとしても我が子の人生を明るくしてやりたいと心に決めている親たちが、真剣に方法を模索し、報告しているという。

 

息子のこのごろの流行は、両手で私の首にだきついて、「ちゅう」をすることである。

 

「ちゅう」は、ほとんどの場合、まともにくちびるをめがけてやってくる。私が言葉をはなすとき、息子はいつもじーっと私の唇を見つめていたから、唇につよい愛着ができてしまったのだと思う。

 

この「ちゅう」は、私のほかは父親にしかやらない。施設の先生方には全くしていないという。それは、息子が、施設の先生方の言葉に何も注意を払っていないということの証拠でもある。息子は、施設に丸一日いて、何も言葉を受けとっていないのだ。

もっと息子に、言葉を与えたい。

 

(2001年6月30日)

※過去日記を転載しています。