湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記

こんにちは。

 

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(_ _).。o○

年内に、ブログの投稿数を2000にしよう、などと計画したものの、ペースが遅くてちっとも増えない。

この日記を入れて、1927本。

残り、73本。

 

今日は。11月13日。

今年の残りは、あと48日。

 

73÷48=1.52083333333

 

ええと、2日で3本書けば、足りるのかな。

(さんすう、苦手)

 

まあ、頑張ってみよう。

 

とりあえず、「ねこたま日記」(雑録)と「ぷちぷち日記」(健康観察日記)を毎日書いていれば、絶対足りる。

 

 

2000本達成したら、お正月に映画でも見よう。Kindle fireでレンタル(有料)して。

 

 

(_ _).。o○

 

教会の日曜学校で、旧約聖書の「箴言」についてのお話を聞いた。

 

いつもは自分の「新約聖書」を読みながらお話を聞くのだけど、今日は「新改訳」版を貸していただいた。

 

 

面白いので、「文語訳」「口語訳」「新改訳」の同じ箇所を読み比べてみた。

 

自から看て聰明とする勿れヱホバを畏れて惡を離れよ


これ汝の身に良藥となり汝の骨に滋潤とならん

 

文語訳 箴言 3章7-8節

 

自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。

そうすれば、あなたの身を健やかにし、あなたの骨に元気を与える。

 

口語訳 箴言 3章7-8節

 

自分を知恵のある者と考えるな。

主を恐れ、悪から遠ざかれ。

それは、あなたのからだに癒しとなり、

あなたの骨に潤いとなる。

 

新改訳 箴言 3章7-8節

 



ここの部分に目を引かれたのは、朝から関節が痛くて、つらかったからかもしれない。

 

「骨に滋潤とならん」(文語訳)

「骨に元気を与える」(口語訳)

「骨に潤いとなる」(新改訳)

 

関節の痛みが、自分の知恵を過信しているせいで「悪」との距離が近いからだとするなら、謙虚に無知を認めて速やかに遠ざかるべきだろう。

 

とはいうものの、知覚できないもの、認識しないものについては、存在を知ることが難しい。

 

闇夜にコウモリがいる可能性があって、そいつから距離を置きたいと思っても、鳴き声の超音波を聴きとる能力がなければ、どっちに遠ざかるべきか分からない。

 

私に関節痛をもたらしている「悪」……おそらくは慣れ親しんだ生活習慣の一部だろうけど……も、無音・不可視というパッシブスキルを搭載して、私の知覚から逃れているのかもしれない。

 

考えてみると、私と同い年の亭主は関節の痛みなどを抱えていない。毎日同じ家に住み、ほぼ同じものを食べているのに、一体何が違っているのか。

 

無知からの脱却の一歩として、とりあえず、亭主を観察してみよう。

 

↓新改訳2017年版の旧約聖書と新訳聖書は、現在、Kindle Unlimited(読み放題)で利用可能。

 

 



 

ねこたま日記

こんにちは。

 

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ゆうべもなかなか寝付けなかった。

 

睡眠導入剤ゾルピデム)は、1日半錠の処方で、もう何年も来ているのだけど、ちょっと足りなくなっているかもしれない。次の診察までに改善しなければ、主治医に相談しようと思う。

 

前の冬にも鬱を悪くして、抗うつ剤(ミルタザピン)を上限まで処方してもらい、その後ずっとその量のまま維持している。こちらはこれ以上増やせないから、症状が悪化すれば別の薬に切り替えることになるかもしれないけれども、ずっと副作用もなくて相性のいい薬なので、できればこのまま変えたくない。

 

なんとか鬱の沼にハマらずに、この冬を元気に乗り切るためにも、睡眠を改善したい。そのためにも、運動量を増やしたい。

 

というわけで、今日は午前中のうちに、がんばって、本屋さんの中をぐるぐる回って、3000歩を超えてみた。外を歩くのは好きじゃないのでストレスになるけど、ショッピングセンターなどの屋内なら立ち止まりやすいし、座るところも見つけやすい。

 

これを毎日続けられれば、たぶん冬を乗り越えられると思う。

 

問題は、家から外に出るときの、如何ともし難い敷居の高さだ。ひょいひょいと外出できるなら、うつ病などと診断されないだろうから、仕方がないんだけど、ここを突破しないとどうにもならない。

 

うちの中で歩くという方法もあるし、以前はやっていたけれども、それをやるとおそろしく気が滅入るようになったので、やめている。

 

うーん……

外に出るためのエサが、あるといいのだけど。

 

(_ _).。o○

 

快晴の日曜日。

朝はチーズトーストを食べて、末っ子と2人で教会の日曜学校へ。

 

今日は新約聖書の「テサロニケ人への第一の手紙」の最後の章を教えていただいた。

 

だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。


いつも喜んでいなさい。

 

(テサロニケ人への第一の手紙 5章15-16節)

 

「いつも喜んでいなさい」というフレーズは、教会に通い始めて2年目くらいに教えてもらって、強く印象に残っている。

 

「喜び」というのは、願いが叶うなどして満たされた時に起きるものだろうから、基本、一時的な感情だと思う。

 

だから、「いつも喜んでいなさい」という教えは、「いつも満たされた状態であることを実感しなさい」ということにもつながるわけで、どんなに不遇な状況であっても常に神様の恵みをいただいているというような、信仰の裏打ちのない者には、とても困難な心のあり方だと思う。

 

ペテロの手紙を受け取ったマケドニアのテサロニケの人々は、おそらく厳しい迫害を受けていたはずで、普通に考えたら到底喜んでいられるような境遇ではなかったはずだ。

 

それでも彼らは喜んでいられたから、この手紙が残って、聖書に収録されたのだろう。

 

信仰に依らない場合でも、とてつもない苦境を乗り越えられる人たちは、たぶんそういう時の喜びの方法を持っているのじゃないかと思う.

 

さっき、たまたま朝刊(朝日)の一面を見ていたら、「折々のことば」に、まさにそんな事例が引かれていた。

 

行きつ戻りつして、徐々に変化が生まれれば儲けものなのだと思う。

 

真魚八重子

 

母の認知症、兄が残した借金、ゴミ屋敷の始末、夫の癌、ネットの炎上、自殺未遂と、「悪いこと」しか起こらないような日々が映画ライターを蝕む。でも、行き着くところまで行ってしまうと、回復への途は遠くとも些細な出来事が時に輝いて見えるようになったという。うろうろしても「平均的なバランスがわずかにでも前進すればそれでいい」と。『心の壊し方日記』から。

 

(2022年11月6日)

 

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途轍もなく大変そうだ。

 

けれども「些細な出来事が時に輝いて見える」喜びは、少しずつ前進するときの大きな支えになると思う。

 

冒頭は、「心の壊し方日記」という著書からの引用だという。Amazonで見てみたら、帯に、

 

サブカルと家族と鬱」

 

と書いてあった。この三つの取り合わせを見て即座に機能不全家庭の話だなと思う人は、たぶん私の世代に多いはずだ。なにしろたくさんいたから。

 

ネット炎上はTwitterで起きたようで、残滓を見かけたけれど、なんかものすごく頭の健康に良くなさそうなので、追いかけないことにした。

 

 

読んでみようか、どうしようか。

 

 

(_ _).。o○

 

この日記を入れて、記事数は1917本になる。

いまのペースだと、年内2000本到達は厳しい。

 

今日はブログをあと一回は更新したいけど、できるかな。

 

 

 

ねこたま日記

こんにちは。

 

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朝は7時半ごろに起床。

 

昨晩うっかりCPAP(無呼吸症候群の治療器…通称呼吸器)をつけ忘れて就寝したので、寝起きの頭痛がひどかった。

 

うちの自治体では還暦相当の住民に無料の歯科検診チケットが配布される。昨日それを持ってかかりつけの歯科で診察を受けてきた。問診票に既往症を記入する欄があったので、無呼吸症候群と書いておいたら(その他の持病は欄に入りきらないので省略した)、先生がものすごく食いついてきた。

 

「無呼吸症候群って、自己診断?」

「いえ、○○総合病院で検査して診断されてます」

「耳鼻科?」

「はい。最初耳鼻科で言われて、検査入院して診断が出てからは、心臓血管内科のほうの専門医に見てもらってます」

「じゃ、CPAPとかやってるの?」

「使ってます」

「あれ、どう? 寝るのに邪魔じゃない?」

「意外と気にならないですね」

「寝返りうてないんじゃないの?」

「ホースが柔らかくて長いから、普通に寝返りできますよ」

「横向いても平気なんだ」

「うつ伏せにならなければ、まず大丈夫かと」

「鼻につけるの?」

「そうです。鼻が詰まると使えないです」

「買取?レンタル?」

「レンタルですね」

「いくらくらいかかるの?」

「保険ききますけど、三ヶ月で10000円前後だったかと」

「効果あるのかな」

「あると思いますよ。診断出た時に、7年以内に死ぬ確率17%とか言われましたけど、10年超えても無事に生きてますし」

「使ったのと使わないのとで、やっぱり違う?」

「違いますね。つけ忘れて寝ちゃうと、翌朝頭痛がひどいです」

「そっか、頭痛するんだ…」

 

などという会話をしたのに、つけ忘れて寝て頭痛に襲われたのだから、間抜けとしか言いようがない。

 

ちなみに歯科検診では、自分の歯が26本残っているものの、歯間に小さな虫歯が幾つもあるということで、日々のデンタルフロス使用をおススメされた上で、がっつり治療されることになった。

 

(_ _).。o○

 

午前中は教会の日曜学校へ、末っ子と一緒に出かけた。今日は「テサロニケ人への第一の手紙」の第1章について教えていただいた。

 

そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり、

 

(テサロニケ人への第一の手紙 1-6)

 

テサロニケは、マケドニアのカッサンドロス王の妻であるテッサロニカ(アレクサンダー大王の異母妹)の名にちなんで命名されたという。

 

現在ではテッサロニキと呼ばれているギリシャの港町で、聖書の時代にはローマ帝国の大商業都市として栄えていたようだ。

 

「テサロニケ人への第一の手紙」に書かれている「多くの患難」というのは、現地のユダヤ人たちによる迫害だったらしい。世界史に疎いので、状況がよく分からないのだけど、当時のテサロニケには、流通や貿易などの関係でユダヤの人たちがたくさん居たのかもしれない。

 

少し調べてみたら、バビロン捕囚後に地中海各地に離散したユダヤ人は、ディアスポラと呼ばれていて、各地にユダヤ人のコミュニティを作って、会堂で礼拝を行うなどしていたらしい。「テサロニケ人への第一の手紙」を書いたパウロは、そのユダヤ人コミュニティのネットワークを使って、伝道旅行をして、驚くほどの勢いで信仰者を増やすという成果をあげていたようだけれども、コミュニティに属するユダヤ人の中には、十字架にかけられたイエスを救世主とするパウロたちに反感を抱く人たちも少なくなかったのだろう。

 

コミュニティ内の変化を嫌う人にとっては、大勢の民衆を巻き込んで社会のあり方を変えかねないキリスト教をもたらしたパウロたちが、疫病のように思えたのではないかと思う。

 

現代では、特定の思想や信仰がいきなり世界的規模で広がって、社会に変化をもたらすような状況というのは、なかなか起きにくくなっていると思う。

 

一方で、新型コロナのような伝染病は、ひとたび起こってしまうと、2000年前のキリスト教よりもすごい勢いで全世界に蔓延し、ほんの数年で、世の中のあり方を少なからず変えてしまう存在になっている。

 

社会に変革をもたらすという思想や信仰の役割が、根こそぎウィルスに取って変わられたのかと思うと、なんとも微妙な気持ちになるというか……おかしな時代に居合わせたなあという気がしてくる。

 

そういえば、パウロの伝道の足跡を追った本を読みかけていたのを思い出した。

 

森本哲郎「神の旅人 聖パウロの道を行く」

 

Kindle本で購入していたので、読みかけたページを確認したら、まだダマスクスだった。

 

マケドニアどころか、地中海にすら出ていない。せっかくだから、もう少し進んでおこう。

 

(_ _).。o○

 

お昼は天ぷらそば。亭主作。美味しかった。

夜はカレーの予定。

 

今日のテキスト(1)福音書

なんとなく読んだ本からの引用と、メモ書き。

 

すると主の御使が現れて、香壇の右に立った。ザカリヤはこれを見て、おじ惑い、恐怖の念に襲われた。そこで御使が彼に言った、

「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。

 

ルカによる福音書 第1章 11-13節)

 

バプテスマのヨハネの父ザカリヤは、祭司として神殿で香を焚いていたときに、天使ガブリエルが突然現れたのでびっくり仰天。

 

しかも、夫婦そろって高齢なのに「もうすぐ子どもが産まれるからヨハネって名づけなさい」などと言われたものだから、思わず天使に「ありえないでしょ!?」と突っ込んでしまい、そのせいで息子が産まれるまで喋れなくされてしまう(パントマイムと筆談はできた)。

 

この記事を初めて読んだころの私のように、信仰と縁の薄い読者ならば、ザカリヤは、軽い脳梗塞かなにかのために、言語障害を引き起こし、天使の幻影を見たのかもしれないと思うのじゃなかろうか。

 

(↓3年前の日記に、似たようなことを書いているのを発見した)

聖書のなかの言語障害 - 湯飲みの横に防水機能のない日記

 

けれども、たとえ病気が直接の原因だったとしても、息子ヨハネが生まれた途端に言語能力を取り戻したのだとすれば、それは十分に奇跡的だと思う。

 

その後天使ガブリエルは未婚のマリアに受胎告知している。神の使いとはいえ、ものすごい無茶振りだ。

 

超高齢出産と処女受胎。

神様は、なんでわざわざこんな人体の限界突破に等しい離れ業をかましたのだろう。

 

だけど考えてみたら、2000年後の現代の医療技術によって、どちらの「奇跡」も人為的に可能になっている。ザカリヤのような言語障害からの回復も、発症後の適切な治療があれば、不可能なことではなくなっている。厳密な日時指定は厳しいだろうけど。

 

神様が、時空を超えてすべての事象を把握して操作できる存在なのだとすれば、未来に確立する技術を奇跡として引き起こすことなど、きっと簡単なことだろう。

 

そんな視点で読むと、聖書は別の意味で未来を予言する要素に満ちているようにも思えてくる。そんな読み方をクリスチャンの方々はしないのだろうけど。

 

他にも聖書のなかで「奇跡」とされて、現在では人為的に可能になっている技がいろいろとあるはずなので、また探してみようかと思う。

 

 

(_ _).。o○

 

教会の日曜学校では、聖書に書いてあることを真実として、書かれている御ことばを記憶に蓄えていって、生きる支えとすることを教えてもらっている。

 

昔からことばフェチ気味の私にとって、それは

わりと慣れた思考活動なので、違和感を覚えることばなかった。

 

聖書に限らず、すべてのテキストは、テキストという形で存在している現実だと私は思っている。テキストを読むことで、読む私に関わる現実も動く。内容の真偽の問題とは次元の違う価値や力が、テキストにはある、と思う。

 

(_ _).。o○

 

さて、このシリーズは何回続くかな。

 

参考にした本。

 

フェデリコ・バルバロ「聖書」(講談社)。亭主が学生のころに買った本。

 

小助川次雄「日々の祝福」(いのちのことば社)。教会の牧師先生から長らくお借りしていたけど、先日Amazonで中古本を自分でも購入。94円だった…。

 

 

口語聖書(日本聖書教会)。毎週日曜学校に持っていってる。

 



 

 

ねこたま昼日記

こんにちは。

 

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(_ _).。o○

 

遅くなったけど、今日のぷちぷち(ToDo)項目。

 

不調気味なので、今日も5個にしておく。

 

1.ウォーキングの目標は、7000歩。

 

2.何か本を読む。(できれば引用もする)

 

3.趣味関係の所持品の整理整頓。(楽しいことを忘れないために)

 

4.古典か歴史に触れる。(そしてネガティブな思考を脳から駆逐する)

 

5.処方薬とサプリをちゃんと飲む。

 

 

こんなところか。

 

 

(_ _).。o○

 

今朝は七時過ぎに息子に起こされたけど、どうにも身体がつらくて、8時50分ごろまで布団に閉じこもっていた。

 

教会学校があるので、なんとか起き出して、末っ子と一緒に出かけた。

 

今日習ったのは、イエスがロバの子に乗ってエルサレムに入るところ。

 

 

そこで、弟子たちは、そのろばの子をイエスのところに引いてきて、自分たちの上着をそれに投げかけると、イエスはその上にお乗りになった。

 

(マルコによる福音書 11章7節

 

ロバにはあまり会ったことがないけど、ネットで写真を見ると、ほんわかして愛らしい印象の動物だ。

 

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(↑pixabayでお借りしたフリー写真)

 

ちょっとウサギっぽい。

Wikipediaを見たら、「別名、兎馬」とあった。

 

日本には599年(大化の改新の46年前)に百済からもたらされたと「日本書紀」にあるそうだけど、積極的に飼育されることはなく、現在でも全国で200頭ほどしかいない可能性があるのだとか。

 

いろんな物語の中では、愚鈍な存在として扱われることが多いようだけど、本当は記憶力がよくて賢い生き物だという。風評被害が悲しい。

 

(_ _).。o○

 

お昼ご飯は、亭主が作ってくれたベーコンとしめじのパスタ。美味しかった。

 

 

亭主が蒸しパンを買ってきた。

 

「これに昨夜のカスタードクリームをはさんだら、ほぼ『萩の月』やろ?」

 

というので、やってみた。

確かに似ていた。

 

インチキカスタードじゃなくて、もっと本気出して作ったクリームなら、もっと「萩の月」に接近すると思う。

 

萩の月モドキは息子には大好評だったけど、長女さんには、

 

「ちとクリームが強すぎる」

 

と言われ、末っ子に至っては、

 

「口に入った途端にSAN値チェックが発動した」

 

などと言われた。

 

ちなみに息子はカスタードクリーム(もどき)を食べながら、

 

「プリン、プリン!」

 

と連呼していた。確かにカラメルソースでもかければ、プディングを僭称できそうな弾力があった。

 

次はもっとおいしく(普通に)作ろう。