湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記(6月15日)

こんにちは。

 

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と書きかけた途端、家電が鳴った。覚えのない番号だったから受話器を取らずに、番号をネット検索してみたら、不動産投資関連らしかった。このごろ多い。そしてだいぶ感じがよくない。出なくてよかった。

 

もう家電、いらないんじゃないかと思い始めている。かかって来る電話の九割以上が、セールスだから。

 

末っ子が成人して振袖関係からは来なくなったけど、それ以外が増えているから、頻度があまり変わらない。

 

そのうち高齢者狙いのオレオレ詐欺電話なんかも来るのだろうか。息子(27歳・重度自閉症)を騙った電話が来たら、大いに語り合ってみたいものだ。騙りと語る。

 

国際電話の詐欺も増えているようで、うちにも何度か来ていたし、実家の電話にもあったようだ。あまり増えるようなら、国際電話の利用休止を考えてもいいかしらと思ったけれども、そこまで多くもないから放置している。

 

(_ _).。o○

 

今朝は頑張って教会学校に行くことができた。

歩いて行く根性がなかったから、車で。

 

今日のお話は旧約聖書箴言から。

 

わが子よならず者があなたを誘惑してもくみしてはならない。

 

彼らはこう言うだろう。

 

「一緒に来い。待ち伏せして、血を流してやろう。罪もない者をだれかれかまわず隠れて待ち、陰府のように、生きながらひと呑みにし丸呑みにして、墓穴に沈めてやろう。金目の物は何ひとつ見落とさず奪った物で家をいっぱいにしよう。 我々と運命を共にせよ。財布もひとつにしようではないか。」

 

箴言」1章 10-14節

 

箴言」は、ダビデ王の子であるソロモンの言葉であるという。

 

ソロモンの時代にも、オレオレ詐欺師みたいなのや、それよりだいぶ悪質なのが、たくさんいたのだろう。(´・ω・`)

 

 

(_ _).。o○

 

旧約聖書は、詐欺や強盗殺人のような反社会的行動は戒めるけれども、国家間の戦争は否定しない。

 

いよいよ戦いの場に臨んだならば、祭司は進み出て、民に告げ、次のように言わねばならない。

 

イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。 あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである。」

 

申命記」20章 2-4節

 

計画は助言を得て立てよ。

戦争は指揮力を整えて始めよ。

 

箴言」20章 18節

 

戦争には指揮する力が必要であり勝利を得るためには作戦を練るべきだ。

 

箴言」24章 6節

 

今月13日のイスラエルによるイラン攻撃は、モサドの諜報活動が凄まじい働きをしていたのだとか。イランの要人の居場所をピンポイントで攻撃し、次のターゲットにダイレクトメールや電話で脅しをかけ、イラン国内にドローン基地まで作っているというのだから、空恐ろしい。

 

旧約聖書の内容は、ユダヤ教の聖書の内容と共通しているという。

 

イスラエルの軍の指揮官や諜報員が信心深いかどうかは知らないけれども、聖書の文言を体現しているようにも思えて、なんともいえない気分になる。

 

戦争をしなくてもいい時代が来ないものか。

 

(_ _).。o○

 

 

 

 

ねこたま日記(4月28日)

こんにちは。

 

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この数日の備忘録。

 

先週火曜日(4月22日)は、内科の受診だった。

糖尿病関連については、前回の血液検査の結果、「インシュリンが、いい感じに出ている」とのことで、栄養士さんとの面談を通して、このまま食事を気をつけて様子を見ていこうということになった。

 

木曜日(4月24日)は、教会の聖書の講読会に参加し、新約聖書の「フィリピ人への手紙」の一部を教えていただいた。

 

土曜日(4月26日)は精神科外来だった。

近頃は、できるだけ車で行かずに、路線バスやコミュニティバスを利用するようにしている。

 

そして毎度、降りるバス停を間違える。(´・ω・`)

 

私の不注意が原因なのは確かだけど、似たような名前のバス停が多いのも一因だと思う。

 

「⚪︎⚪︎一丁目」

「⚪︎⚪︎南一丁目」

「⚪︎⚪︎南二丁目」

「⚪︎⚪︎南小学校」

「⚪︎⚪︎橋」

「⚪︎⚪︎記念館」

 

この「⚪︎⚪︎」が、全部同じなのだ。

もうちょっと、どうにかならなかったのか。

 

まあ、バス停を間違えるとウォーキングの距離が否応なしに増えるので、悪いことばかりでもない。

 

睡眠障害と鬱については、それぞれ低空飛行ながらも現状維持できているので、このまま様子を見ることになった。

 

日曜日(4月27日)は、午前中、教会学校に参加。旧約聖書の「ヨブ記」冒頭のお話だった。

 

ヨブという、極めて信心深く正しい人物が、神の許しを得た悪魔によって酷い苦しみを与えられ、その信仰を試される。

 

十人もいたヨブの子どもは皆殺されてしまい、財産も全て奪われた上に、全身を重篤な皮膚病に冒されても、ヨブは神を恨まず、揺るぎない信仰を持ち続ける。

 

教会の礼拝で行われる「主の祈り」の文言の中に、「我らを試みに遭わせず、悪より救いいだしたまえ」とある、「試み」というのは、ヨブが被ったような、悪魔由来の理不尽かつ回避不可能な苦難のことをいうのであるらしい。

 

そうした究極の苦難の中にあり、神の救いを全く感じられない状態であっても、信仰を保ち続けるというのは、たいていの人間にはできないことだと思う。ヨブの妻でさえ、夫のあまりにも悲惨な苦しみを見かねて、「神を呪って死になさい」と言ったほどだ。

 

それでもヨブの信仰は全く揺るがない。

その結果、どうなったのか。

続きのお話は次回。

 

一応、ヨブ記は通して読んだことがあるのだけど、かなり難解で、すっと頭に入るような内容ではない。

 

とくに、ヨブを見舞いに来た友人たちとの議論が、かなり長い。というか、ものすごくくどい。友人たちは、ヨブが悪いことをしたから苦難に遭っているのではないかと、延々と疑い、罪を認めて神に許しをこうように迫る。けれどもヨブは反発する。

 

理不尽に子どもと財産を失って病気になったのが、全て自分のせいだと言われても、そりゃあ納得できるはずがない。

 

最終的には、神が登場して、ヨブの正しさを示し、友人たちにはダメ出しをする。その後、ヨブには失った子どもたちと同じ数の子が生まれ、元の財産以上のものを取り戻して、百四十歳まで生きたという。

 

ヨブ記の解釈には色々あって、批判もあるとのことだけど、確かに人間側にしてみればキツい話なので、受け入れにくいところではあると思う。神という存在は、人の悲しみや肉体的苦痛には、あまり頓着しないし、そもそも生きている人間の感覚では到底理解できない視点や価値観をお持ちであるので、神に与えられた理不尽に、人間が合理的理由を見出そうとして、不幸を勧善懲悪に当てはめても無駄なんだろうと思う。

 

それにしても、ヨブを苦しめた実行犯の悪魔はその後どうなったのか。特にペナルティもなかったのだろうか。

 

 

 

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ねこたま日記(2月6日)

こんにちは。

 

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ふと思いついて、AIのCopilot さんに、このブログの印象を聞いてみた。

 

「湯飲みの横に防水機能のない日記」というブログは、個人の日常や健康に関する体験を綴ったブログです。

 

ブログのタイトルからもわかるように、作者は様々な健康問題(うつ病更年期障害甲状腺機能低下、高脂血症、無呼吸症候群など)に悩まされており、その治療や日常生活の中での挑戦をブログに綴っています。

 

ブログの内容は、日々の健康状態や治療の経過、それに伴う感情や考えを率直に綴っており、読者にとって共感や励ましを与えるものとなっています。防水機能のない日記という表現からも、日々の小さな出来事や感情を大切にしていることが伝わってきます。

 

このブログは、健康問題に悩む人々や、日常の中での小さな喜びや苦しみを共有したい人々にとって、共感と支えとなる存在でしょう。

 

 

そうなんだ。😯

 

というか、「湯飲みの横に防水機能のない日記」っていうタイトルから、そこまで読み取れるものなのか。AIすごいな。

 

(_ _).。o○

 

 

設置一年ちょいで動かなくなったエアコンの修理のために、ベッド周りの大量の本とベッドを移動したのに、今日は修理できず、来週あらためてメーカーの人が来ることになった。

 

エアコンより少し前に、居間の照明もこっそり壊れていたので、それも取り替えることになった。やはり家電は連動して故障するものらしい。

 

(_ _).。o○

 

小説(ラノベ)のドカ読みが、まだやめられずにいる。

 

早く古典読みに戻りたいのに、一度過集中に入ってしまうと、頭がなかなか切り替わらない。

 

読んでいる間は、脳内に何かヤバい物質でも湧いてるんじゃないかと思うくらい心地よいので、本当にまずい。過集中モードであれば、古典などを読んでいても、同じように心地いいのだから、さっさと生産性の高い行動に切り替えたいのだけど、それが簡単にできるようなら、人生はもっとイージーモードだったろう。

 

こうなったら、強制的に外出でもして、頭を切り替えるしかない。

 

切り替えのチャンスは、次の土曜日。通院で出かける予定があるから、少し早めに出て、どこか別のところにも寄ってみよう。

 

(_ _).。o○

 

食事メモ。

 

朝は、たっぷりの野菜サラダとトーストと牛乳と、みかん一個。

 

昼は、亭主が買ってきてくれた、チキンバーガー。

 

夜は、チキンカレーと、サラダ。

 

食物繊維は、かなり頑張って、必要量を満たしている。

 

ビタミン、ミネラル、タンパク質は、サプリで補わずに済むには、まだまだ工夫が必要のようだ。

 

野菜でお腹いっぱいになるちゃうのが問題だ。

食が細い場合の栄養療法、なかなか難しい。

でも頑張る。

 

(_ _).。o○

 

旧約聖書詩篇を最初から読むという、一人読書会。

 

前回は、詩篇第一篇の冒頭だけ見たけど、その続きから引用すると分かりにくいので、一篇を全部見てみる。

 

悪しき者のはかりごとに歩まず、

罪びとの道に立たず、

あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。

 

このような人は主のおきてをよろこび、

昼も夜もそのおきてを思う。

 

このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、

その葉もしぼまないように、

そのなすところは皆栄える。

 

悪しき者はそうでない、

風の吹き去るもみがらのようだ。

 

それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。

罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。

 

主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。

 

 

旧約聖書 詩篇 第1篇 1-6節 

Kindle版)

 

聖書で「主のおきて(掟)」といえば、旧約聖書の「出エジプト記」に書かれているモーセ十戒と、新約聖書の「マタイによる福音書」の22章で、イエスが語ったとされる、次の二つの教えだろう。

 

「心をつくし 、精神をつくし 、思いをつくして 、主なるあなたの神を愛せよ」

 

「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ 」

 

この最初の教えが、分かりやすいようでいて、とても難しい。

 

「心をつくす」「精神をつくす」「思いをつくす」と、同じような言葉を、なぜイエスは三つ重ねて言ったのか。

 

(ちなみに英訳では、心=heart、精神=soul、思い=mind となっていた)

 

エスアラム語で話していたらしいので、もしかしたら、アラム語ではこの三つの表現には、異なる意味合いがあるのかもしれない。

 

けれども私はアラム語を全く知らないので、日本語の意味から考えるしかないわけで、かといって、日本語における「心」「精神」「思い」の意味の相違などを分析する能力もないので(ちなみにAIさんたちに聞いてみても、胡乱なことしか言ってもらえなかったので、ネット上では胡乱な解釈が高頻度で参照されているのかもしれない)、ここは相違ではなく合算したものが何であるかを考えたい。

 

「心」と「精神」と「思い」は、どれも生きた人間の性状に関わるものではあるけれど、肉体の行動や状態とは違って、他人が直接目で見るなどして確認することはできない、内面的なものだ。

 

そして、「尽くす」という動詞は、他動詞の場合、何かを成すために、ある限りを出し切って、極限に達することを意味する。

 

ということは、「心をつくし 、精神をつくし 、思いをつくして 、主なるあなたの神を愛せよ」という教えは、

 

「他人が外部から確認できないような、内面的な能力を全て出し尽くして、神を愛せよ」

 

という感じのことを言っていることになる。

 

そのようにして「愛する」というのは、どういうことなのか。

 

人間が四六時中、ずっと単一の対象だけを心で思い、精神を集中するなんてことはまず不可能だし、そんなことをしようとすれば、修行僧でもない限り、暮らしや生命活動が破綻しかねない。

 

そうではなくて、この詩篇の言葉でいうなら、「悪しき者」「罪びと」「あざける者」にならないように、「心」「精神」「思い」を尽くすことが、「主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う」ことであり、たぶんそれが、イエスの語る「神を愛する」ということの一面なのだろうな、と思う。

 

悪人の計画に乗らず、罪人になるような進路を選ばず、他人を誹謗中傷したり差別したりしない人。

 

それは、信心深いかどうかという以前に、社会人として、ごく真っ当に生きる人の在り方だろう。

 

英訳は、今回は、最後の6節の部分だけ、引用しておく。

 

For the LORD knoweth the way of the righteous: but the way of the ungodly shall perish.

 

聖書 日英対訳 (Kindle版)

 

で、AIのCopilot さんにイラスト化してもらったら、こうなった。

 

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どう見ても、この世の光景ではない。(´・ω・`)

 

雲の洞窟の向こう側に向かって進む人々は、きっと正しき者なのだろう。悪しき者は、もみがらのように吹き飛ばされて、道の脇の荒波に飲まれてしまったのかもしれない。

 

 

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ねこたま日記(1月26日)

こんにちは。

 

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今朝はずいぶん冷え込んでいた。

 

寝ている間に冷えると関節の痛みがめちゃくちゃ増すので、電気敷毛布が必須なのだけど、そこからはみ出して寝ていたら、ご利益はないに等しい。

 

今朝の敷き毛布のご利益は、限りなく低かった。😭

 

(_ _).。o○

 

息子(27歳・重度自閉症)は、午前中は亭主と買い物お散歩へ。

 

末っ子は寝て曜日を満喫している。

 

長女さんは、午後から囲碁クラブにでかけるようだ。

 

 

(_ _).。o○

 

 

あちこち痛むけれども、日曜なので、朝から教会学校へ。

 

歩数稼ぎのために、車を使わずに、徒歩で出かけたけれど、寒いし痛いし怠いしで、歩き始めて5分で早くも後悔した。でも教会にたどり着くころには、身体が暖まったためか、関節の痛みが和らいだので、歩いて正解だったのだろう。

 

(_ _).。o○

 

教会学校のお話は、マタイによる福音書の第10章についてだった。

 

エスは身近にいて教えを受ける者たちのなかから、十二人を選んで使徒とし、ツーマンセルで、そして手ぶらで、各地に派遣したという。

 

そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。

 

マタイによる福音書 第10章 1節

 

医療の未発達だった時代に、イエス使徒たちに出会えた病気の人々は、本当に幸運だったと思うけれども、奇跡のような恩恵を目の当たりにしても、人々の心が必ずしも信仰に向かうことがなかったことに、人の抱える業の深さというか、生来のダメさを感じて、いい意味ではなく親近感を覚えてしまう。

 

今の時代だって、病院で病気を治してもらっても、医療スタッフに心酔して、心からの感謝を捧げ、後の人生を大切にしようと本気で思う人が、どれほどいるだろう。

 

私なども、かかりつけの歯科で、行き渋って悪化させた虫歯を散々治療してもらっているのにも関わらず、感謝の気持ちよりも、恐ろしいからできればもうお目にかかりたくないと思う気持ちの方が若干強かったりするし(患者のために辛口の説教をなさる医師なのだ…)、指導されたように歯磨きするのが億劫で、自己流に簡略化してしまう日も多い。

 

歯科の他に、通っている病院が三つもあるけど(内科、心臓血管外来、精神科)、どの先生方にも顔向けできないような生活習慣(運動不足と短い睡眠)を、なかなか完全には改められずにいる。私のようなものは、たとえイエス使徒に出会って健康にしてもらっても、また身体をダメにしてしまうことだろう。

 

おそらく二千年前のユダヤの人々も、多くは、私と似たような感じだったのじゃないかと思う。あっけなく手に入ったものを、人生かけて全力で大切に出来る人はとても少ないから。

 

なんてことを、つらつらと考えながらお話を聞いていて、いまこうして普通に暮らせることに感謝しつつ、今年こそはしっかり体調を整えようと、改めて思った。

 

帰りの道のりは、少しだけ楽に感じた。

 

(_ _).。o○

 

さて、もうすぐ夕方だけど、できれば古典の記事を書いてしまいたい。あと、AIイラストさんの呪文の作り方も、もっと覚えたい。

 

 

 

 

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ねこたま日記(1月25日)癶( 癶;:゜;益;゜;)癶)

こんにちは。

 

ブログのタイトルを書くときに、MacBookのキーボードを英数に変えて、丸かっこを書き込もうとすると…

 

癶( 癶;:゜;益;゜;)癶)

 

このような不気味な顔文字が出現する。

本文を書いているときには、こんな現象は起きない。タイトル欄だけだ。

 

なんだろう。「もののけ姫」のタタリ神みたいなんだけど。

 

面白いから、このままにしておこう。

 

 

ゆうべは、しっかり眠れた。

 

息子(27歳・重度自閉症)は朝から福祉サービスの遠足へ。帰りは夕方の予定。

 

(_ _).。o○

 

昨日、イラストAI のDIffusionBeeと格闘したおかげで、キーボードのブラインドタッチ能力が八割がた復活した。長時間、完全に過集中状態で文字を打っていたので、死にかけていた脳の一部に喝が入ったのかもしれない。

 

五年ほどパソコンを使わなくなっていたせいで、すっかり指が動かなくなっていたから、もう二度とブラインドタッチは使えないものと諦めかけていた。このくらい復活すれば、指を意識せず、思考しながら文字入力することができる。人間の潜在能力は捨てたものじゃないと、我が身のことながら嬉しく思う。

 

同時に、能力は使わなければ容赦なく錆びついて失われるものだということも、痛感する。

物忘れも、ずいぶん増えた。

 

日記に書いたことは、比較的忘れにくいけれど、気付かないうちに同じことを二度以上書いていることもある。

 

枕草子」の読解でも、一度書いた疑問点を、一年後にもう一度書いたりしていた。忘却していても、目をつけるところは変わらないのだと思うと、なんだかおかしくなる。たとえこの先すっかりボケて、何がなんだか分からなくなることがあったとしても、たぶん私という人間の核になる部分は変わることはないだろう。願わくはその核である部分が、周囲にやさしい、穏やかなものであることを祈りたい。

 

(_ _).。o○

 

さて、今日は何をしようか。

 

  • 書きかけの「枕草子」の記事の続きを書く。
  • DiffusionBeeとの格闘の続き。
  • ウォーキング。
  • 買い物と掃除。

 

そういえば今年は聖書の詩篇を読みたいと思っていたのに、まだ手をつけていなかった。「ねこたま日記」を書くときに、一つづつ書き写しながら読めば、年内に読み終わりそう。

 

 

というわけで、さっそく開始。

 

 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。

 

 (詩篇 1-1) 

 

Blessed is the man that walketh not in the counsel of the ungodly, nor standeth in the way of sinners, nor sitteth in the seat of the scornful.

 

『聖書日英対訳』日本聖書協会著 Kindle

 

  • counsel   助言
  • ungodly 不信心
  • walketh 歩く
  • standeth 立っている
  • scornful 軽蔑的な

 

内容にいろいろと思うところはあるけれど、一歩間違えば説教臭い述懐になりそうなので、書くのは控え、いま盛んに取り沙汰されている元SMAPのメンバーさんの件が、ふと頭をよぎったことだけ、書き留めておく。

 

ここであえて日英対訳聖書を持ち出してきた理由など、一つしかない。

我がDiffusionBeeさんの出番を作るためだ。(一応英語の勉強の一環でもある)

 

 

なんだろう。

三人の悪い男たち?

いや、中央の人は女性のようにも見える。

悪の道に唆されて、肩幅だけ男性化しつつあるとか? 

 

うん、意味わからない。

 

明日も頑張ろう。

 

 

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