湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

今日のテキスト(4)古今和歌集

 

ほととぎす なくやさ月の あやめぐさ あやめもしらぬ こひもするかな

 

読人しらず

 

古今和歌集 巻第十一 恋歌一 469

 

【なんとなく意訳】

 

ホトトギスの鳴く五月。

咲き乱れるあやめの花。

そんな季節に、私は、文目(あやめ)を見失うほどの狂おしい恋をしてしまった。

 

※あやめ(文目)……模様。物の形。筋道、分別。

 

岩波古典文学大系(旧大系)の「古今和歌集」の、この歌の頭注に、よく分からないことが書いてある。

 

ほととぎすなくや----「さ月」にかかる連体修飾語の終りに詠嘆の「や」を添えた言い方。

 

さ月のあやめぐさ----五月五日の節句に用いる菖蒲(しょうぶ)。時期におくれて役に立たないもののたとえに「六日のあやめ」というのもそれである。初句からここまでは、同音の関係で次句の「あやめ」を出す序詞。ただし、こういう序は、五月五日に送る歌に用いなければ役に立たないであろう。

 

やたらと「役に立たない」ことを強調しているけれど、この歌が五月五日に詠まれたものでないとは書かれていない。なので、長々しい序詞に「役に立たない」の意味が暗示されているのかどうかも、分からない。

 

なんだろう。

注釈を書いた人は、恋に溺れている人に恨みでもあるんだろうか。

 

恋愛沙汰で使い物にならなくなった仕事仲間でもいたんだろうかと、勘ぐりたくなる。

 

この頭注自体が、なんだか私情にかられて「文目」を踏み外しているようにも思うんだけど、違うんだろうか。

 

 

 

 

 

 


追記。

亭主に聞いたら、「六日の菖蒲」は枕草子あたりに事例があるとか。そのうち探してみよう。

カード歌会「ゴーシチゴーシチシチ」

 

「57577」というカードゲームを入手した。

 

言葉の書かれたカードを組み合わせて短歌を作り、出来の良さを競い合うゲーム。

 

製造元の幻冬舎(だったのか…)の説明動画がYouTubeにあったので、リンクを貼り付けておく。

 

『57577 ゴーシチゴーシチシチ』紹介動画 - YouTube

 

さっそく家族で歌会を開催した。

 

亭主

逆襲の 世界征服 ラブチャンス どこかの星へ 転生したら

 

柄にもなくラノベ風味の歌になっていて笑った。

 

長女さん

犯人は パジャマ姿の 雪まみれ 黄昏時に 光りはじめる

 

事件のクライマックス直前の光景のような、妙な緊迫感のある歌だ。

 

末っ子

いとエモし 二匹のネコが こっそりと じっと手を見る 恋のミラク

 

状況はよくわからないけど、甘酸っぱさではダントツの歌だったと思う。

 

ねこたま

もふもふな 幽霊たちが 放課後に ドキドキしちゃう 夏のはじまり

 

結果、末っ子が二票を獲得して優勝。

 

亭主は「わしのが1番みやびなのに、なんで点がはいらんのだ」と物言いをつけていたけど、無視。

 

 

歌会二回目。

 

ねこたま

目が合えば どこかの星へ ふりそそぐ ムーンウォークで 筋肉に聞け!

 

カードの獲得合戦に負けて、いまいち締まらない出来になった。「ヤッホホゴリラ」を取れなかったのは痛かった。

 

亭主

ぼくたちは タイムマシンで 遅刻して パジャマ姿の 君と出会った

 

またしても、柄にもないラノベ風味になっている。本当は好きなんだろうか。

 

長女さん

でも私、オーラをまとい 待ち合わせ バトル開始だ!! ヤッホホゴリラ

 

「でも私」と、はにかみながら歌い始めつつ、正体が実は「ヤッホホゴリラ」だったというところにパンチを感じた。

 

末っ子

どっかーん! 角を曲がれば 伝説の 小野妹子と 秋の夕暮れ

 

身も蓋もない破壊音ではじまりながら、歴史的侘び寂びで強引にまとめている。

 

結果、末っ子が優勝。

 

 

面白かった。また遊ぼう。

 

 

万葉集メモ 大伴家持の初春の歌

ふと、万葉集を最後の方から読んでみようと思い立って、読み始めた。

 

読んだらメモを取らないと忘れてしまうので、順番に書いてみることにした。

 

というわけで、今日は万葉集岩波文庫版)の最後に載っている、天平宝字三年(759年)の正月に、大伴家持が詠んだ歌について、メモ書きする。

 

三年の春正月一日、因幡国国庁に於いて、饗を国郡の司らに賜ひて宴せし歌一首

 

新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事

 

(あたらしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと)

 

右の一首は守大伴家持の作りしものなり。

 

萬葉集巻第二十  4516)

 

 

因幡国」の「国庁」は、鳥取県鳥取市国府町にあったのだそうだ。

 

「国庁」は、国司が政務を行った役所のこと。

家持は、この歌を詠んだ前年に、因幡守(国司)に任命されて赴任してきていた。

 

年が改まったので、元日の公式行事として、部下たちや、地元の郡司たちを集めて宴会を開いた。これはその時の歌だという。

 

岩波文庫版では、次のような現代語訳を載せている。

 

新しい歳の初めの正月の今日降る雪のように、ますます重なってくれ、良いことが。

 

まるっきり、仕事始めの日の偉い人のスピーチの締めの言葉みたいだ。

 

実際そういう意味合いの歌ではあったのだろう。

 

新年の降雪は、古代人にとっては豊年の瑞祥だったのだそうで、古くは雄略天皇舒明天皇にも、そのような意図の歌があるのだという。

 

家持も、そういう伝統を意識して「今日降る雪のいやしけ吉事」と詠ったのだろう。

 

だけどこの歌、どうもちょっと変だと思う。

 

「新しき年の初め」「初春」「今日」。

 

家持は、なんでこんなにヤケクソみたいに季節や日時に関連する言葉を詰め込んだのか。

 

この歌を読んで思い出した歌がある。

 

柿本人麻呂の「あしひきの」の歌。

 

あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む(柿本人麻呂

 

 

【くだくだしさを踏まえたインチキ意訳】

 

足引きずってだらだらと山登りする時の、終わりの見えないうんざり感。

 

そんな山で、しっぽがだらだら長い山鳥に出くわして、「チッ!」とか鳴かれた時の、意味不明なげんなり感。

 

彼女と寝れば腹立つほど短いくせに、一人で寝るとクソ長い夜。

 

あーあ。

することないし。なんか腹減ってきた。

 

あのムカつく山鳥、こんど見かけたら、絶対焼き鳥にしてやる。

 

 

柿本人麻呂は、長いものを歌の中に積み上げながら、長々しい夜のうんざり感を盛り上げ、一人寝の侘しさを強調していた。

 

家持も、もしかしたら降りしきる元日の雪に思うところがあったのじゃなかろうか。

 

【勝手な想像でひねり出した意訳】

 

えー、新年明けましておめでとうございます。昨年赴任いたしました、国司大伴家持です。

 

本日は、この雪深いなかを、因幡の国の行政官の皆様にお集まりいただき、感謝の念に堪えません。

 

いやほんと、こんなドカ雪の日に宴会で役所に召集とか、マジ勘弁しろよと思った方々も、きっといらっしゃることでしょう。私もです。

 

でもこれ、法律で決まってる行事なんですよね。元日に国庁に向かって朝拝しろって。

 

で、皆さんに挨拶してもらってから、宴会でご馳走食べて盛り上がるまでが、恐れ多くも帝の思し召しなわけで、勝手に延期とかしちゃうと、私も皆さんも立場的にヤバいわけですよ、いろいろと。

  

でもって、今日って立春でしょ?

どこが春だよって言いたいくらい雪降ってますけどね。

 

元日で、しかも立春

 

二重にめでたい日にぶち当たった公式行事を延期したなんてことが中央にバレて、しかも米が不作だったりした日には、首が何個飛ぶかわかったもんじゃないですから。

 

しっかし、よく降るよね。

馬も埋まる勢いだな。

 

あー、これ、今日集まった全員、帰宅困難なんじゃない?

 

まあ酒も食べ物もたくさんあるから、なんとかなるかな。

 

新年早々国庁に泊まり込みとか、笑うしかないよね。もうここで埋まっちゃおうか。真っ白に後腐れなく。うん、冗談だけど。

 

まあ豪雪の年はたいてい豊年だっていいますし、こいつぁ春から縁起がいいわいって思っときゃいいんでしょうね。

 

てなわけで、皆さん、雪とか都のこととか気にせずに、大いに飲んで食べましょう!

 

ドカ雪と同じくらい、世の中にいい事がいっぱいありますように!

 

 

いい事は、あまりなかったかもしれない。

 

歌を詠んだ759年前後の出来事を拾ってみた。

 

 

756年、橘諸兄、失脚。翌年死去。

 

757年、橘奈良麻呂(諸兄の息子)の乱。奈良麻呂は拷問死したらしい。家持は無関係とされたけど、大伴の一族の者が多数処罰された。

 

758年 大伴家持因幡守に任ぜられる。

 

759年 家持、元日に国庁で万葉集の最後の歌を詠む。

 

760年、藤原仲麻呂太政大臣になる。

 

762年、家持、都に戻る。

 

763年、藤原宿奈麻呂・石上宅嗣・佐伯今毛人、家持の4人で企てた、藤原仲麻呂暗殺計画が露見。

 

764年、家持、報復人事として薩摩守に任ぜられる。

 

……

 

 

どう考えても、この時期の家持が心穏やかに暮らせたとは思えない。

 

家持の最後の歌が、万葉集の最後に掲載された理由は分からないけれども、いろいろな人の思いや事情が絡んでいるのだろう。

 

 

昨夜の音読「万葉集の美と心」と好きすぎて死ぬ歌

末っ子に、「万葉集の美と心」(青木生子著)の最初のところを読んでもらった。

 

 

 

万葉集には「死」を読んだ恋歌が40首以上あるそうで、次の四つに分類できるという。

 

A  好き過ぎて死にそう(瀕死)

B 好きすぎてキツいから死んだ方がマシ(破滅願望)

C 死にそうだけど逢いたいから死なない(不死身)

D 好きだって死んでもバレたくない(死んデレ?)

 

(長いのを書き写すのが大変だから分類項目の言葉は砕けた言葉に変えた)

 

 

万葉集の「好きすぎて死にそうな歌」はもっと数がありそうに思ったけど、挽歌の印象が強いからか。

 

 

好きすぎて死ぬ。

近年の恋愛系創作物では、あまり見かけない状況のような気がする。

 

演歌や歌謡曲ならありそうなのだけど、私が真っ先に思い出すのは「アカシアの雨がやむとき」(1960年)だから、近年の作品とは言い難い。

 

アカシアの雨がやむとき 西田佐知子 - YouTube

 

 

それで、歌詞サイトで「恋 死」で検索をかけてみたら、500ほどの楽曲がヒットした。

 

古い歌が多いのかと思ったら、そうでもないようだ。

 

たとえばAKB48の「失恋、ありがとう」。

(作詞 秋元康 作曲村上遼)

 

【MV full】失恋、ありがとう / AKB48 57th Single【公式】 - YouTube

 

息をするのも苦痛で、生きるの死ぬのと騒いでいたという歌詞は、万葉集の「恋死」以来の伝統を引き継いでいると言えそうだけど、彼女たちはパキパキとキレよく踊りながら、「失恋ありがとう」と明るく歌い上げている。

 

お化粧もオシャレもばっちり決めていて、涙のあともなく、未来の恋を既に射程に入れている。最期のほうでは「失恋馬鹿野郎」と、未練共々罵っている。

 

ちっとも死にそうじゃない。

ここまで割り切るのに苦しかったんだろうなというのは察せられるけど、終わった恋に見切りをつせて、元気に生きて行けそうだ。

 

死にそうじゃないけどSAN値がかなり危なそうな新しい歌も見つけた。

 

「ラヴ 絶好調DEATH」(2021年)

(作詞、作曲 笛田サオリ)

 

さめざめ - ラヴ!!絶好調DEATH - YouTube

 

 

だいぶ怖い。

 

女の子っぽい雰囲気だけど、連呼する言葉は、「イキたい やりたい いれたい」って、相手の彼氏、引きそうなんだけど、大丈夫なのか。

 

もしかしたら、既にドン引きされて跡形もないから、妄想懊悩が「絶好調DEATH」なんだろうか。

 

上のAKB48の歌を注いで薄めたくなる。

 

でないとこの人、生霊とかになって彼氏に取り憑きそうだ。

 

六条御息所が生霊になって出てきて詠んだ歌と、ちょい印象が重なる。

 

嘆きわび空に乱るるわが魂(たま)を結びとどめよしたがひのつま

 

源氏物語」葵

 

例によってインチキ意訳を試みる。

 

あああああ貴方貴方貴方貴方貴方あああっ

アナタのところに行きたすぎてイキたすぎてアタクシもう逝ってしまいそうですのよお願いですからアタクシのところへきてぎゅーーっとしてくださいませこの下着の裾をぎゅーーっと貴方貴方貴方あああああっ

 

 

上に上げた万葉集の「恋死」4分類には当てはまらないけど、こういうのも、たぶん日本の「恋死」歌の伝統なんだろう。

 

 

またいろいろ探してみよう。

 

 

 

 

七草とボケ防止……

どうも近頃記憶が怪しい。


ケアマネさんとの待ち合わせ時間を間違えて、一時間も早く待ち合わせ場所に行ってしまったり(同行した長女さんと一時間歩き回って時間をつぶした)。


内科の予約日を一日間違えて病院に行っちゃったり(予約を取り直した)。


今朝は、エプロンの蝶結びをしようとして、とっさに手が動かず、愕然とした。


動作記憶まで怪しくなっているのは、かなりまずい。

一番恐ろしいのは、運転中にそれが起きることだ。事故まっしぐらなイメージしか湧いてこない。

 

積極的に運動しよう。


そして、記憶力もガンガン使おう。

 

というわけで、一日ひとつ、何かを覚えることにした。

 

昨日はいわゆる「七草」を復習した。


食べることのできる「春の七草」は、ちゃんと覚えていたけれど、通常食用とはしない「秋の七草」が、全く出てこない。

 

山上憶良の歌を調べなおして、一日中、暇さえあれば唱えていた。

 

はぎのはな~
おばなくずばな 
なでしこのはな~
おみなえし~
またふじばかま~
あさがおのはな~


読み上げてしてちょっとゴロが悪い感じがするのは、五七七五七七の旋頭歌の形式だからだ。

 

山上憶良の、秋の野の花を詠みし歌二首

 

秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花

 

萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花

 

(「万葉集」巻二 1637、1638)

 

 

朝顔秋の七草とすることには違和感を覚えるけれども、似た形の桔梗や木槿(むくげ)だったのではないかという説もあるとのこと。

 

ふむふむ、覚えた。
と自信を持って昨夜は就寝。


ところが一夜明けたらどうしても一つだけ花が出てこなくなっていた。



尾花(ススキ)
葛花
撫子
藤袴
朝顔


あと一つ、なんだったか……。


介護施設に行く息子を送迎バスに乗せたあと、近所をぐるぐる歩き回って歩数を稼ぎながらうんうん唸って思い出そうとしたけれども、どうしても出てこない。


帰宅して亭主に聞いて、抜けたのが女郎花だと判明。

 

食に結びつかないと、どうにも記憶しにくいので、無理やり結び付けることにした。

 


ハギ……萩といえば仙台銘菓「萩の月」。私の大好物。根が漢方に用いられ、のぼせなどに効果があるとか。


ススキ(尾花)……天ぷらにして食べられるらしい。


クズ……肥大した根っこが葛粉の材料。葛餅も葛湯も大好物。春先の若いつるの先端部も食用になるらしい。


ナデシコ……利尿などの薬効があるらしいけれど、昔は種子を妊娠中絶薬に使っていたそうで、妊婦には禁忌とのこと。花は甘いらしい。


オミナエシ……乾燥させると醤油の腐ったにおいがするらしい。根が漢方に用いられ、産後の肥立ち、利尿、解毒などに効くとか。


フジバカマ……漢方に用いられ、利尿などに効果があるとか。

 

キキョウ……根を生薬として利用するらしい。漢方でも咳や啖を抑えるために処方されるのだとか。食用にもなり、根は漬物、若芽や花は天ぷらでおいしくいただけるとか。

 

 

料理になるものは記憶できそうな気がするけど、漢方だけのものは明日にはまた忘れる予感がする。

 

 

↓大好物の仙台銘菓「萩の月」。物産展で見かけるとつい買ってしまう。

 

山上憶良の七草の歌が載っている「万葉集(二)」(岩波文庫)