湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ADHDのある生活(についてのだらだらした考察)

 

唐突だけど、Queenの楽曲はどれもこれも本当に完璧だと思う。

 

ボヘミアンラプソディを聴くたびに、壮絶な歴史的滅亡スペクタクルに飲み込まれたような気持ちになる。

 

Radio Ga Gaからは、どうしてだか分からないけど、文明の爛熟の果てに訪れたディストピアの気配を感じさせられて、薄ら寒い気持ちになる。

 

一曲一曲に、濃密で比類のない世界があって、甘いのに恐くて、とんでもないエネルギーに満ちあふれる物語が織り込まれている。

 

そうした楽曲は、聴く側にもそれ相応のエネルギーと精神力を求めてくるので、弱っているときに聴くと、心が曲を受け止めきれず、酷い時には蹂躙されることもある。

 

フレディ・マーキュリーという人は、どうしてこんな凄まじい曲を大量に遺すことができたのだろう。

 

演奏しているときに、自分の曲や、観客から跳ね返ってくる熱に打ち負かされることはなかったのだろうか。

 

寿命を縮めた病気とは別に、もしかしたら、曲にすべての生命エネルギーを注ぎこんだが故の、あの短命だったのかとも思わなくもない。

 

 

(_ _).。o○

 

そしてまた唐突に話が変わる。

 

私の場合、鬱が悪くなってくると、聴覚過敏がひどくなり、まず音楽を聴くのが苦しくなる。だから鬱の程度を知るために、音楽を聴くようにしている。

 

今日は息子の代理受診があったので、帰りの車のなかでQueenのCDをかけながら、楽曲の完璧さに浸っていた。

 

ジュエルズ(SHM-CD)

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曲に浸れるということは、深いイメージを喚起できるだけの精神エネルギーがまだ残存しているということでもある。

 

脳が健やかさを失えば、そうした精神活動がキツくなることは、かつての鬱悪化で何度となく体験済みだ。

 

つまり、現時点で、まだ鬱はそんなに酷くない。

私の鬱は、よく歩くことで改善することも分かっている。

 

ブログの更新をしんどいと感じる程度には状態が悪いけれど、これ以上悪化する前にしっかり歩けば、たぶん一か月ほどで、だいぶ軽くなるだろう。

 

というわけで、病院の帰りにショッピングモールに寄って、買い物がてら店内をウォーキングをすることにした。

 

横に長いお店(150メートルくらい?)なので、各階を歩き回ったただけで、3000歩以上は稼げる。

 

ランチを買うように亭主に頼まれていたのだけど、その前に息子の服を見ようと思った。

 

昨日、亭主が息子のコットンパンツを買ってきたのだけど、サイズが合わなて履くことができず、ズボンは亭主のものになった。

 

息子(25歳・身長175cm)の標準体重は、60kg。

 

この一年ほどで、90kg超→78kgと、10kg以上の減量に成功した息子だけど、まだまだ標準体重には遠い。

 

エストは減っているのに、腕周りや太ももは太いままだから、服のサイズダウンが微妙に難しい。亭主は息子のウエストだけ計測してコットンパンツを選び、太ももやお尻の太さを考慮しなかったようだ。

 

同じウエストサイズでも、カーゴパンツなら、太ももやお尻まわりがゆったりしたデザインのものが多い。大きなサイズの紳士服売り場を見回って、お手頃価格の迷彩柄のカーゴパンツを見つけたので、似合いそうな長袖シャツを合わせて購入。

 

よい買い物が出来たとホクホクしながら、食品売り場に回って、ランチ用のサンドイッチやサラダを購入。

 

ところで、ショッピングモール内で、二ヶ所以上のお店で買い物をするときに、必ず自分に言い聞かせることがある。

 

最初に買った商品を、次の買い物の精算後に起き忘れないよう、必ず荷物を確認すること。

 

特に、「次の買い物」がスーパーだったりすると、買った食材をレジ袋に詰めている間に、前の買い物のことを完全忘却して、サッカー台に置き忘れたり、カートに引っ掛けたまま帰ってしまう確率が上昇する。

 

ADHDと診断されてコンサータを服用するようになってからは、かなり物忘れの頻度が減ったけれども、それでも年に一回はやらかしている。

 

だから、今日もスーパーで買い物しているあいだずっと、息子の服を置き忘れないように意識していた。

 

レジが済んでサッカー台に向かっている間も、その意識を維持していた。レジ袋に食材が入り切らなかったら、服の入っている袋にも入れればいいと算段していたくらいだから、忘れてはいなかった。

 

けれども、食材がスーパーのレジ袋にきっちり収まった瞬間に、私の脳内の短期記憶領域から、息子の服のデータが綺麗さっぱり消去された……らしい。

 

帰宅して、ランチに買ったサンドイッチやサラダをダイニングテーブルに並べようとした瞬間、息子の服を買った記憶が蘇り、家に持ち帰っていないことに気がついた。

 

即座に家を飛び出して、車の座席を確認したけれども、見つからない。

 

スーパーでの記憶を再生して、サッカー台かカートに忘れた可能性が高いと分かったので、車でショッピングモールに戻り、サービスカウンターに問い合わせたら、ちゃんと確保されていた。

 

結婚後、このパターンの置き忘れを何十回となくやらかしているけれども、買ったものを取り戻せなかったことは、ほぼない。親切などなたかが見つけて、届けてくださっているのだ。

 

日本で暮らす人々の善良さを、私は自分のやらかしのたびに、実証していることになる。

 

それはそれとして。(´・ω・`)

 

置き忘れる可能性が高いと分かっていて、直近までしっかり用心していても、自分で予測した通りに置き忘れるのが、私のADHD特性だ。

 

上に書いたように、短期記憶の保持不全が、置き忘れの原因だと思われる。

 

ADHDの脳では、ワーキングメモリと呼ばれる部位の働きに問題があるという。

 

精神科で処方されているコンサータメチルフェニデート)は、神経伝達物質であるノルアドレナリンドーパミンを効率よく働かせる作用があり、それによってワーキングメモリの不具合の改善が期待されるのだそうだ。

 

けれども、コンサータを服用したからといって、全くやらかさなくなるわけではない。

 

全体的に見れば、やらかしの頻度は確かに減る。

けれども、精神的に負荷がかかった状態で行動すると、薬ではカバーしきれないらしく、容赦なくやらかしてしまう。

 

日常的にストレスのかかる状況に置かれた時。

そして、うつ病が悪化した時。

 

私の場合、それらの負荷によってコンサータは効力を失い、やらかしが横行する。

 

(_ _).。o○

 

車で取りに戻るような置き忘れは年に一回程度で済んでいるけど、たった1分前に手に持っていたはずの物を見失うことなら、一日に何度もある。カバンに入れたはずの本が、なぜか机の上に残っていたり、枕元に置いたはずの本が、カバンの中にあるというレベルのことなら、それこそ毎時間起きている。

 

先月、末っ子の受験ラッシュが終わったあたりから、それが激増している。

 

だから最近のADHD症状悪化の原因は、歩く頻度が激減したことからくる、うつ病の悪化によるものだと見当がつく。

 

つまり、やらかしも鬱も、歩けばおさまる。

歩けばいい。歩けば解決。

 

歩こう。

 

 

心の底から億劫だけど。(´・ω・`)

 

 

(_ _).。o○

 

最近に限らず、私にとって、生活するということは、この制御不能な混乱に耐え続けるということでもある。

 

幼い頃からそうだったけど、一番酷かったのは、大学時代だったと思う。いろいろ思い出してみると、いまよりはるかに酷かった。

 

ほとんど同じ教室内で過ごす高校までのシンプルな学校生活とは異なり、大学では講義ごとに教室の移動がある。昼食も学内の大きな食堂の喧騒のなかでとるしかない。

 

つまり、物を置き忘れるデッドゾーンに、一日に何度も突入しなくてはならないということになる。

 

今思い出しても、大学の最初の二年ほどは、通うだけでヘトヘトにくたびれていた。

 

通学の路線バスから大学前で降りるのもつらくて、そのまま乗り過ごしてしまいたいと、何度思ったか分からない。

 

その後、バスの乗り降りを間違えないように気を張るストレスや、運賃を間違えないよう気を配るストレスにも耐えられなくなり、徒歩で通うようになったりもした。

 

問題は置き忘れだけではなかった。

 

講義のたびに変わる教室の位置をどうしても覚えられず、迷子になることも頻繁にあった。

 

時間割を覚えるのも、予定された時間に合わせて動くのも、苦手だった。

 

大学には10年通ったけれども、10年かけて脳内に構築したキャンパスマップは、現実のものとはだいぶズレていたらしい。

 

3年前に、お世話になった教授の最終講義を聴講するために、数十年ぶりに大学に行ったのだけど、忘れるはずのない文学部の大講義室がどこにあるのか全く分からず、心底途方に暮れた。長女さんと末っ子に同行してもらっていなかったら、最終講義に間に合わなかったかもしれない。

 

こうした私のADHD特性が、子どもたちに濃厚に遺伝しなかったことは、大いなる幸いだと思っている。

 

自閉圏の長女さん(26歳)は忘れ物とはほぼ無縁。そして、幼い頃から、私が失くしたものを見つけてくれる名人でもある。

 

重度自閉症の息子(25歳)は、私の置き忘れにいち早く気づいて、持たせてくれる。ほんとうによく出来た孝行息子だと思う。

 

小学校時代にADHDと診断された末っ子は、独自の工夫で忘れ物や不注意を克服した。コンサータを服用しなくても、生活に困難がなくなっているので、成長とともにワーキングメモリ等の不具合が改善したのだろうと思っている。

 

 

(_ _).。o○

 

話が最初に戻る。

 

フレディ・マーキュリーの伝記的映画「ボヘミアンラプソディ」を観たとき、彼の人生の端々に、ADHD特性の片鱗を感じた。というか、自分に近い何かを感じて、むずむずした。

 

映画の中のフレディ・マーキュリーは、彼の実人生を元に生み出された創作物なのだから、本当にADHDだったかどうかは分からないし、映画だけでそういう判断をすべきでもない、とは思う。

 

でも、一度持ってしまった親近感を消去するのは難しい。

 

思えば、生まれて初めてQueenの曲を聴いたときに感じたのは、破壊力と、落ち着きのなさと、説明し難い親近感だった。

 

高校の昼休みに放送部が流した「Bicycle Lace」だったのだけども、静かに歌い上げている最中に絶叫みたいな声が瞬間的に何度も混じったり、一曲のなかで、長調短調になったかと思った途端に長調に戻ったり、曲の雰囲気が何度も目まぐるしく切り替わったり、果てしなく落ち着かない曲だった。

 

その極端な落ち着かなさは、モーツァルトの楽曲にも通じるものがあるんじゃないかと思う。

 

よく、自律神経が落ち着くCDと称して、モーツァルトの曲をたくさん収録したものがあるけれども、私はモーツァルトの曲ほど、落ち着きのないクラシック曲はないんじゃないかと思っている。

 

少なくとも私はモーツァルトを聞いても全く落ち着かない。

 

有名な「フィガロの結婚」の序曲だって、しめやかに始まった途端、ドジャーンと驚かされる。あれで気持ちが落ち着く人などいないと断言する。熟睡してても飛び起きるレベルでやかましいし、忙しない。

 

(落ち着きたいなら、うちの息子のようにバッハを聴くべきだと思う。あるいはエリック・サティを)

 

(そういえば、モーツァルトADHDで、バッハとサティは自閉症だという説がある)

 

 

落ち着かなさと、破壊力。

なにがなんでも頻繁に炸裂せずにはいられない、エネルギー。

助走から全力疾走。

 

日常が混乱の坩堝だった私の脳が、Queenの曲にこの上なく共鳴したのは、自然なことだったと思う。

 

 

そういえば、Queenの「ボヘミアンラプソディ」を聴いたエルトン・ジョンが「正気か?」と酷評したという話があるようだけど、私の脳内では、フレディ・マーキュリーエルトン・ジョン(と橋本治)は、近い位置の存在として分類されている。色々な意味で。

 

 

(_ _).。o○

 

今日は久しぶりに5000歩以上歩いた。

息子の服をショッピングモールに置き忘れて取りに戻ったおかげでもある。

 

明日も歩こう。

 

 

 

 

  

ねこたま日記

こんにちは。

 

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今日は快晴だけど寒い。

 

午前中、亭主とショッピングモールに出かけた。

亭主が買い物をしている間に、私はマイナンバーカード申請のための証明写真を撮ってきた。

 

証明写真の撮影なんて何年ぶりか分からない。

おそるおそるカーテンを開けて箱の中に入ったののだけど、機械の案内に従ってボタンをポチポチ押していたら簡単に終わった。

 

何日が前に撮った亭主が、

 

「画面表示が全部ロシア語で訳わからんかった」

 

と言っていたけど、もちろんそんなことはなかった。むしろどうやったらロシア語になるのかわからない。🪆

 

(_ _).。o○

 

亭主は昨日から冬休み。

長女さんは就労支援。 

息子は介護施設通所。

 

末っ子は今日が終業式。夜は塾のクリスマスパーティだそうで、明日から冬休みに入り、冬季講習も始まるようだ。共通テストまで、一ヶ月を切ってしまった。どうなることやら。😱

 

私は今日は特に予定がないけど、明日は通院がある。忘れずに行かないと。

 

(_ _).。o○

 

Twitterで、「ギフテッド」がトレンドに入っていたので、何事かと思ってニュースを探してみたら、文科省がギフテッド支援のための予算を計上したらしい。

 

突出した才能を持つ「ギフテッド」支援に予算8000万円計上も額の少なさに「何ができるの?」「桁が2つ違う」(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース

 

 文部科学省が、欧米などで「ギフテッド」と呼ばれる特異な才能を持つ子どもを支援するため、2023年度予算で8000万円を計上する、と12月22日の「読売新聞」が報じている。

(中略)

 

 ただし、この8000万円という予算は、教育委員会や大学に授業づくりの検討を委託するものであり、本格的に全国で展開されるのはまだ先になりそうだ。

 

「ギフテッド」とは、Gift=贈り物を語源とし、生まれつき突出した才能を授かった人のこと。「並外れた集中力」や「深く激しい感情」などの特徴があり、知的能力の発達が年齢相応でないことも多く、普通の学校の授業が簡単すぎて興味が持てず、不登校になるケースもある。

 

「テスラ」「スペースX」などを率い、Twitterを買収したことでも話題になったイーロン・マスクは2021年、自らがアスペルガー症候群自閉スペクトラム症)だと明かしており、「ギフテッド」のひとりとされている。

 

 アメリカでは飛び級など、「ギフテッド」に対する教育プログラムが用意されており、フェイスブック(現メタ)創業者のマーク・ザッカーバーグも、そのプログラムの卒業生である。

 

どのような形の支援になるのか分からないけど、まず現場の先生方の正確な理解を促す方向でお願いしたいものだと思う。

 

就学後にADHDと診断されていた末っ子が、小学四年でギフテッドであると分かったとき、それを学校に報告すべきかどうか、かなり考えた。

 

当時の末っ子はクラスになかなか適応できず、宿題や書類などの提出も自力では難しかったため、私が毎日学校に届けていた。宿題については、泣き叫んで全く手をつけられないことも多かったため、担任の先生に障害特性を相談の上、提出を保留してもらうことも多かった。もちろん成績もふるわかなった。

 

そういう状況で、IQの数値を添えてギフテッドだと告げたところで、学校側も困惑するだけだろうと思ったのだ。

 

けれども、高学年になったとき、このまま公立中学に進学しても不登校になる未来しか見えなかったので、末っ子のような子にも対応してくれそうな私立中学の受験を考え始め、当時の担任の先生に、初めてギフテッドの件を報告してアドバイスを求めたのだけど……

 

理解は全くされなかった。(´・ω・`)

 

いまでも、面談中の担任の先生の、

 

『はあ? なに言ってんだ、このバカ親』

 

という侮蔑の表情を、まざまざと思い出すことができる。

 

まあそりゃ、宿題はほぼすっぽかし、授業もろくに聞いている様子がなく、テストをすればろくにできず(漢字の書き取りなど酷い有様だった)、机の中は教室のゴミ箱より汚らしく、癇癪もちで、クラスメートとの交流もほぼないような児童のIQが140ありますと母親に言われても、信じられないのは無理もない。

 

ただ、私立受験については、担任の先生も賛成してくれた。地元中学は不登校やいじめの多いことで知られているようなところだったので、末っ子のように周囲に馴染めないタイプの子は出来ることなら避けたほうがいいというご意見だった。それについては私も同意見だったので、ありがたく拝聴した。

 

ギフテッドは、いわゆる秀才や、「よく出来る子」とは、全く違うものだと思う。

 

むしろ学校のような集団生活では、末っ子のように、うまくいかない問題を複数抱えて困り果てて、周囲に魯鈍な子どもだと思われている場合も少なくないと思われる。

 

幸いにして、受験で進学した中学も高校も発達障害やギフテッド教育的なことに理解のあるところだったことと、末っ子と似たり寄ったりの「変わり者」でない生徒のほうが少ないような環境だったため、末っ子は不登校になることもなく、話の合う友人たちにも恵まれ、成績は、好きな教科以外はそれほど振るわなかったものの、のびのびと学校生活を楽しむことができたようだ。

 

ちなみに、末っ子にとって嫌なことの多かったと思われる小学校の記憶は、脳内でデリートされつつあるらしい。

 

文科省のテコ入れで、ギフテッドの子どもたちへの対応がどこまで改善されるかは分からないけれども、現場の先生がたの理解が進んでくれば、誤解されて苦しむ子は減るかもしれない。そうであってほしいと願う。

 

 

 

ねこたま日記(この10年)

こんにちは。

 

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今日はちょっと体調がよく、身体が軽い。

とはいうものの、無理せず、ゆっくり動いている。

 

あと数日で年齢の十の位が一つ上がる。

とくに感慨もないけれども、この10年で何をやっていたのかを咄嗟に想起できないことに呆然とする。

 

ほんと、何やっていたんだろう。(´・ω・`)

 

 

10年前というと、長女さんは高校一年で、息子は特別支援学校の中等部三年だったはず。で、末っ子は小学2年。

 

うん。

大変だった。

 

長女さんは持病(小児慢性特定疾患の一つ)と、強い抑鬱…いまなら発達障害による不適応だったと分かる…のために、地元の中学を完全不登校のまま卒業し、通信制高校とそのサポート校の両方に進学している。中学三年間は長女さんより私のほうが頻繁に登校し、そして、揉めた。あまり思い出したくないけれども、当時、病気のための不登校に対する学校側の理解は、ミジンコよりもちいさく、なんとか教室と自宅の長女さんとを繋げたいと願って連絡帳を持って通っていた私は、忙しい担任や学年主任の先生方に、ただただ持て余されていた。

 

あの頃、義務教育の現場に今のようなネット環境があれば、長女さんは不登校にならずに済んだかもしれない。同じような境遇の生徒たちの何割かは、おそらく救われていただろう。その意味で、新型コロナ禍のもたらした影響は、決してマイナスのものばかりではないと思う。

 

息子は地元の小学生の特別支援学級から支援学校へ転入し、そこで高等部まで通った。息子にとって、支援学校の6年間は幸せな体験だったらしく、いまでも卒業アルバムを懐かしそうに眺めていることがある。

 

けれども私にとっては、親のお付き合いやPTAでストレスを溜め込む日々でもあった。子どもが3人もいると、PTA役員の回ってくる回数も否応なしに増えてしまう。結局3人分で7回役員をやった。そのうち一年は小学校と支援学校の執行部役員の兼任だった。執行部などに立候補するつもりなどなかったのに、通常の役員希望のプリントと間違えて記入してしまった立候補用紙をうっかり捨て忘れていたら、息子が見つけて、勝手に提出してしまったのだ。提出物は連絡袋に入れて登校するということを几帳面に身につけていたためだけれども、学校から電話が来て「希望の役職が未加入ですが、副会長でいいですか?」と聞かれたときは、全く意味が分からず、ただただ困惑したものだった。まあ、いまとなっては笑い話だけれども、あの日々は本気でキツかったし、のちのうつ病発症の一因でもあったと思う。人間、全く向いていないことからは全力で逃げるべきだと学習した。

 

末っ子の小学校時代は、まさにカオスの一言だった。2歳になる前にひらがなを読んでみせて親を驚愕させた末っ子だけれども、隣の席の男の子とトラブルを起こして小学校入学1週間で登校拒否をかまし、担任の先生と深く深く相談することになった。

 

宿題は全面拒絶。

とくに国語の文字の練習、漢字の書き取りを死ぬほど嫌がり、手を持ってやっても書こうとしなかった。算数は足し算で絶叫、くりあがりのあるレベルになると、号泣して拒絶するのでどうにもならず、担任に事情を話して宿題を免除してもらったりもした。

 

忘れ物、紛失物は日常茶飯事で、毎日鉛筆や消しゴムを無くして帰ってくるのにはほとほと困った。ときには衣類やランドセルを忘れてくることさえあった。そのあたりは私の幼少期と似ていたのだけど、私は筆箱の中身が3日で入れ替わるほどではなかったし、ランドセルを忘れて下校したこともない。これは、ただごとではないと思って頭を抱えた。

 

担任の先生に、末っ子が教室では全く声を出さず、無表情で過ごしていると聞き、自宅での大癇癪炸裂の暴風っぷりとの落差に眩暈がした。

 

勉強の拒否については何らかの学習障害ではないかと疑って、息子が通っていた療育教室に相談し、発達障害児としてお世話になることになったものの、小学三年になっても全く改善せず、私は担任の先生との「お話し合い」に通う日が続いた。提出物も自力では出せないため、連絡帳なども含めて、毎日直接職員室に届けに行った。行動療法的アプローチは、末っ子にはほとんど効果がなかった。

 

その後、療育教室の先生の勧めで、大きな病院の発達障害外来を受診し、ADHDという診断をもらい、漢方薬などを処方してもらったのだけど、味覚過敏気味の末っ子を服用を拒絶。

 

ところが処方をコンサータに切り替えた途端、末っ子は激変した。宿題を普通に片付けるようになり、テコでもやろうとしなかった漢字学習をあっさり克服。他の教科でも困ることはなくなった。コンサータが奏功している状態で知能テストを受けたところ、IQ140。ギフテッドだと言われた。特に言語系の能力が高いという。

 

ギフテッドについて、ほとんど何も知らなかったので、ネットなどで情報を集めたところ、教育にはいろいろと配慮する必要があるらしいと分かり、療育教室の先生の勧めもあって、私立中学へ進学させることを考えはじめた。そのままいくと、長女さんが不登校を完遂した地元の公立中学に進むことになるけれども、定型発達ではない生徒に対する無理解のひどいことがわかっている学校に通わせる気にはなれなかった。

 

とはいうものの、中学の「お受験」など自分でも未経験だし、近隣の私立学校の情報もない。どうしたものかと思ったものの、餅は餅屋、受験は専門家に任せるべきかということで、家から徒歩20秒のところにある学習塾に相談し、そこに入塾した。結果、小学6年生の末っ子は、療育教室二つと、学習塾一つに通うことになった。

 

当時の私は、長女さんの通院とカウンセリング(あわせて月5回ほど)、息子の登校と役員仕事と療育教室(土日以外ほぼ毎日)、末っ子の療育と受験勉強のつきあいで、ほぼ忙殺されていたと思うのだけど、一体どうやって暮らしていたのか、もはやあまり覚えていない。思い出せないほど、異様な生活だったのだろう。

 

その後。末っ子は中学に合格。

勉強は、ほどほどをキープ。赤点だけは絶対に取らないというのをスローガンにして、現在までそれを守っている。地獄のような忘れ物体質は、宿題を全部学校で片付け、教材その他授業で使うものはすべて学校に置いて帰るというやり方で「克服」したようだ。

 

息子は支援学校高等部を卒業して介護施設への通所を開始。並行して福祉サービスでの遠足なども利用。コロナ感染その他、まあいろいろあるけど、基本的に楽しく通っている。

 

長女さんは専門学校に進学し、頑張ったけれども、2年目に入って精神的にきつすぎて休学。その後、福祉のボランティア活動や、介護施設等でのアルバイトをしていたものの、本格的に調子を崩してしまって長期入院となる。その時点で、自閉症による不適応からくるストレスによることが明らかとなって、人生や生活環境の根本的な見直しを迫られることとなった。それが去年のことで、今年も春に同じように不調となって長期入院したものの、いろいな折り合いがつくようにもなってきて、いまは通院とデイケア、カウンセリング、就労支援施設での作業をルーティンとして、ずいぶん落ち着いている。ここまでくるのに時間はかかってしまったけれども、有難いことだと心から思う。

 

というような暮らしを送りつつ、うつ病の治療過程でADHD自閉症の診断をもらい、新型コロナ肺炎とその後遺症やらで体を壊すというのが、この10年の私だった。

 

ここまでざーっと書いてみて、亭主の話が全く出てきていないけれども、私が病気で倒れたり、過敏性腸症候群のおかげで外出がままならなくなったりしたときに、家事をやって学校行事に全部参加してくれたのが亭主だったことは言うまでもない。

 

切に願う。

次の10年は、できることなら、もう少し穏やかに暮らしたい。

 

(´・ω・`)

 

 

 

 

 

 

ねこたま日記

こんにちは。

 

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人の顔みたいに見える夕方の街を歩いていたら、ひさびさにラクガキしたくなったので描いた。

 

描いた、といっても、撮った写真にいろいろ重ねただけなので、自分で描いたとは言いがたい。技量があれば描きたいと思うものを自力で描けるのだろうけど、私はアプリやツールがないと無理。

 

こういうのも作品と言えるのだろうか。

言えない気がする。

だからラクガキとしておく。

 

 

(_ _).。o○

 

先週末にコロナの濃厚接触者認定された息子(24歳・重度自閉症)は、今のところ何の症状もない。家族も特に変わりはない。このまま無事に済んでほしい。

 

息子は比較的穏やかな性格だけれども、環境の変化に弱く、介護施設の人事異動や新規入所の利用者さんの来る春先や、秋口の台風シーズンになると、行動が荒れることが多い。

 

いつもなら、夏場はそんなに荒れないのだけど、今回の濃厚接触のために、福祉サービスの遠足に参加できなかったことで、かなり気持ちのバランスが崩れたようで、昨晩は盛大にパニクった。私が持病の通院で帰宅が遅れ、夕食どきに間に合わなかったことも原因だったようだ。

 

大声で泣き叫ぶこと、2時間あまり。

 

かなり酷い聴覚過敏のある末っ子(17歳・ADHD)にはどうにも耐え難かったようで、家出して、どこぞのゲームコーナーでダンスエボリューションやら太鼓の達人やらをやりまくっていたとか。そちらのほうがよほど喧しそうな気もするけど、兄の号泣よりは神経に堪えないというのはわかる。

 

DanceEvolution ARCADE 遊び方 - YouTube

 

もっとも、やりすぎて腰痛を悪化させたのは、アホとしか言いようがない。腕も上がらないと言っていた。どんだけ太鼓を叩いたのやら。

 

息子は、パニック対策として、昨年から医師の処方でデパケンという薬を毎日服用しているほか、大きなパニックになったときにはGABAのサプリメントを飲ませている。

 

在庫がだいぶ少なくなっていたので、さっきAmazonでポチっておいた。

 

 

 

 

ねこたま日記(息子の超こだわり、他)

こんにちは。

 

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ここのところ毎日、日の出前に息子(24歳・重度自閉症)に叩き起こされるせいで、慢性的に寝不足になっている。

 

今朝も4時ぐらいに呼吸器(CPAP)を止めにきたので、往年のアリ対猪木みたいな攻防戦を繰り広げることになった。

 

枕元の呼吸器(CPAP)のスイッチに素早く飛んでくる息子の右ストレートを寝たまま足技でガードし、張り手でベッドぎわから下がらせること数回。

 

なんとか撃退できたものの、二度寝ののちに起きたときには、めりめりと頭痛がしていた。

 

息子よ、還暦手前の母親に何をやらせているのか。(;_;)

 

亭主によれば、そんな荒事があったにも関わらず、今朝も機嫌良く介護施設に出かけていったそうだ。

 

こんなことがずっと続くと、私の体調回復が遅れるばかりだ。鬱にも良くない。しかしどうしたら回避できるのか。

 

そもそも、なぜ息子が私の呼吸器(CPAP)に執着するのかが分からない。

 

呼吸器(CPAP)を目の敵にしているというわけでもない。

 

朝は外させようとするけど、夜にはむしろ装着させようと迫ってくるのだ。

 

今年に入って、息子は突然大声を出すことが増えているのだけど、叫ぶ言葉は数語に限られてきて、そのうちの一つが、

 

「つけて!」

 

なのだ。

 

呼吸器(CPAP)を、つけろと言いたいようなのだけど、しばらく前から、介護施設のスタッフさんや、支援外出でお世話になるヘルパーさんにも、切迫した表情で「つけて!」と叫ぶようになったようで、現場で困惑が広がっているらしい。

 

どうも、息子の中で、「つけて!」という表現が恐ろしく汎用性の高いものへと変貌を遂げているらしい。

 

何かをつけないと、息子の世界の中で、何か恐ろしいことが起きるとでもいうのだろうか。

 

あるいは、チック症のように、本人の意思に関わりなく、「つけて!」と叫ぶスイッチが入ってしまうのか。

 

「つけて!」の連呼が、チック症と同じ仕組み起きているのなら、主治医に相談して投薬治療を考えてもらうべきなのかもしれないし、実際そうしようと思ってもいたのだけど、どういうわけか、この連呼、息子の診察日が近づいてくると、不思議と沈静化してしまうのだ。

 

そうなると、これ以上あまり処方薬に頼りたくない私としては、まあ今回は見送ろうかと思ってしまうわけで、なかなか話が先に進まない。

 

息子の次の診察日は、来週になる。

それまで、息子の様子を詳細に観察してみようと思う。

 

(_ _).。o○

 

自治体のウォーキングアプリで溜まったポイントで懸賞に応募したら、一口当選して、QUOカードなるものが送らられてきた。

 

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埼玉県の川越にある時計塔の絵のカードだ。

 

川越には何年も前に友人に連れられて出かけたことがある。この時計塔ももちろん見てきた。懐かしい。

 

QUOカードはコンビニや書店で使えるようだ。

本を買う時に、使おうかな。

 

(_ _).。o○

 

 

午後、長女さんの病院に差し入れを届けた。

コロナのせいで面会はできない。看護師さんを介しての品物の受け渡しのみできる。

 

コーヒーを飲みたがっていたので、BOSSなどのペットボトルのものを数本。

スナック菓子の小袋をいくつか。

 

新しく買った靴下とシャツ。不織布のマスクどっさり。

 

書店で見かけた、コウペンちゃんの本。

気に入ってくれるかどうかは未知数。

退院したら、私も読ませてもらおう。

 

脳トレ系の本も買ってみた。

 

↓こういうやつ。これじゃなかったかもしれないけど。

 

長女さんからは、絵葉書をもらった。

 

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家族5人で、楽しそうに遊んでいる。

見ていたら、泣けてきた。