唐突だけど、Queenの楽曲はどれもこれも本当に完璧だと思う。
ボヘミアンラプソディを聴くたびに、壮絶な歴史的滅亡スペクタクルに飲み込まれたような気持ちになる。
Radio Ga Gaからは、どうしてだか分からないけど、文明の爛熟の果てに訪れたディストピアの気配を感じさせられて、薄ら寒い気持ちになる。
一曲一曲に、濃密で比類のない世界があって、甘いのに恐くて、とんでもないエネルギーに満ちあふれる物語が織り込まれている。
そうした楽曲は、聴く側にもそれ相応のエネルギーと精神力を求めてくるので、弱っているときに聴くと、心が曲を受け止めきれず、酷い時には蹂躙されることもある。
フレディ・マーキュリーという人は、どうしてこんな凄まじい曲を大量に遺すことができたのだろう。
演奏しているときに、自分の曲や、観客から跳ね返ってくる熱に打ち負かされることはなかったのだろうか。
寿命を縮めた病気とは別に、もしかしたら、曲にすべての生命エネルギーを注ぎこんだが故の、あの短命だったのかとも思わなくもない。
(_ _).。o○
そしてまた唐突に話が変わる。
私の場合、鬱が悪くなってくると、聴覚過敏がひどくなり、まず音楽を聴くのが苦しくなる。だから鬱の程度を知るために、音楽を聴くようにしている。
今日は息子の代理受診があったので、帰りの車のなかでQueenのCDをかけながら、楽曲の完璧さに浸っていた。
曲に浸れるということは、深いイメージを喚起できるだけの精神エネルギーがまだ残存しているということでもある。
脳が健やかさを失えば、そうした精神活動がキツくなることは、かつての鬱悪化で何度となく体験済みだ。
つまり、現時点で、まだ鬱はそんなに酷くない。
私の鬱は、よく歩くことで改善することも分かっている。
ブログの更新をしんどいと感じる程度には状態が悪いけれど、これ以上悪化する前にしっかり歩けば、たぶん一か月ほどで、だいぶ軽くなるだろう。
というわけで、病院の帰りにショッピングモールに寄って、買い物がてら店内をウォーキングをすることにした。
横に長いお店(150メートルくらい?)なので、各階を歩き回ったただけで、3000歩以上は稼げる。
ランチを買うように亭主に頼まれていたのだけど、その前に息子の服を見ようと思った。
昨日、亭主が息子のコットンパンツを買ってきたのだけど、サイズが合わなて履くことができず、ズボンは亭主のものになった。
息子(25歳・身長175cm)の標準体重は、60kg。
この一年ほどで、90kg超→78kgと、10kg以上の減量に成功した息子だけど、まだまだ標準体重には遠い。
ウエストは減っているのに、腕周りや太ももは太いままだから、服のサイズダウンが微妙に難しい。亭主は息子のウエストだけ計測してコットンパンツを選び、太ももやお尻の太さを考慮しなかったようだ。
同じウエストサイズでも、カーゴパンツなら、太ももやお尻まわりがゆったりしたデザインのものが多い。大きなサイズの紳士服売り場を見回って、お手頃価格の迷彩柄のカーゴパンツを見つけたので、似合いそうな長袖シャツを合わせて購入。
よい買い物が出来たとホクホクしながら、食品売り場に回って、ランチ用のサンドイッチやサラダを購入。
ところで、ショッピングモール内で、二ヶ所以上のお店で買い物をするときに、必ず自分に言い聞かせることがある。
最初に買った商品を、次の買い物の精算後に起き忘れないよう、必ず荷物を確認すること。
特に、「次の買い物」がスーパーだったりすると、買った食材をレジ袋に詰めている間に、前の買い物のことを完全忘却して、サッカー台に置き忘れたり、カートに引っ掛けたまま帰ってしまう確率が上昇する。
ADHDと診断されてコンサータを服用するようになってからは、かなり物忘れの頻度が減ったけれども、それでも年に一回はやらかしている。
だから、今日もスーパーで買い物しているあいだずっと、息子の服を置き忘れないように意識していた。
レジが済んでサッカー台に向かっている間も、その意識を維持していた。レジ袋に食材が入り切らなかったら、服の入っている袋にも入れればいいと算段していたくらいだから、忘れてはいなかった。
けれども、食材がスーパーのレジ袋にきっちり収まった瞬間に、私の脳内の短期記憶領域から、息子の服のデータが綺麗さっぱり消去された……らしい。
帰宅して、ランチに買ったサンドイッチやサラダをダイニングテーブルに並べようとした瞬間、息子の服を買った記憶が蘇り、家に持ち帰っていないことに気がついた。
即座に家を飛び出して、車の座席を確認したけれども、見つからない。
スーパーでの記憶を再生して、サッカー台かカートに忘れた可能性が高いと分かったので、車でショッピングモールに戻り、サービスカウンターに問い合わせたら、ちゃんと確保されていた。
結婚後、このパターンの置き忘れを何十回となくやらかしているけれども、買ったものを取り戻せなかったことは、ほぼない。親切などなたかが見つけて、届けてくださっているのだ。
日本で暮らす人々の善良さを、私は自分のやらかしのたびに、実証していることになる。
それはそれとして。(´・ω・`)
置き忘れる可能性が高いと分かっていて、直近までしっかり用心していても、自分で予測した通りに置き忘れるのが、私のADHD特性だ。
上に書いたように、短期記憶の保持不全が、置き忘れの原因だと思われる。
ADHDの脳では、ワーキングメモリと呼ばれる部位の働きに問題があるという。
精神科で処方されているコンサータ(メチルフェニデート)は、神経伝達物質であるノルアドレナリンやドーパミンを効率よく働かせる作用があり、それによってワーキングメモリの不具合の改善が期待されるのだそうだ。
けれども、コンサータを服用したからといって、全くやらかさなくなるわけではない。
全体的に見れば、やらかしの頻度は確かに減る。
けれども、精神的に負荷がかかった状態で行動すると、薬ではカバーしきれないらしく、容赦なくやらかしてしまう。
日常的にストレスのかかる状況に置かれた時。
そして、うつ病が悪化した時。
私の場合、それらの負荷によってコンサータは効力を失い、やらかしが横行する。
(_ _).。o○
車で取りに戻るような置き忘れは年に一回程度で済んでいるけど、たった1分前に手に持っていたはずの物を見失うことなら、一日に何度もある。カバンに入れたはずの本が、なぜか机の上に残っていたり、枕元に置いたはずの本が、カバンの中にあるというレベルのことなら、それこそ毎時間起きている。
先月、末っ子の受験ラッシュが終わったあたりから、それが激増している。
だから最近のADHD症状悪化の原因は、歩く頻度が激減したことからくる、うつ病の悪化によるものだと見当がつく。
つまり、やらかしも鬱も、歩けばおさまる。
歩けばいい。歩けば解決。
歩こう。
心の底から億劫だけど。(´・ω・`)
(_ _).。o○
最近に限らず、私にとって、生活するということは、この制御不能な混乱に耐え続けるということでもある。
幼い頃からそうだったけど、一番酷かったのは、大学時代だったと思う。いろいろ思い出してみると、いまよりはるかに酷かった。
ほとんど同じ教室内で過ごす高校までのシンプルな学校生活とは異なり、大学では講義ごとに教室の移動がある。昼食も学内の大きな食堂の喧騒のなかでとるしかない。
つまり、物を置き忘れるデッドゾーンに、一日に何度も突入しなくてはならないということになる。
今思い出しても、大学の最初の二年ほどは、通うだけでヘトヘトにくたびれていた。
通学の路線バスから大学前で降りるのもつらくて、そのまま乗り過ごしてしまいたいと、何度思ったか分からない。
その後、バスの乗り降りを間違えないように気を張るストレスや、運賃を間違えないよう気を配るストレスにも耐えられなくなり、徒歩で通うようになったりもした。
問題は置き忘れだけではなかった。
講義のたびに変わる教室の位置をどうしても覚えられず、迷子になることも頻繁にあった。
時間割を覚えるのも、予定された時間に合わせて動くのも、苦手だった。
大学には10年通ったけれども、10年かけて脳内に構築したキャンパスマップは、現実のものとはだいぶズレていたらしい。
3年前に、お世話になった教授の最終講義を聴講するために、数十年ぶりに大学に行ったのだけど、忘れるはずのない文学部の大講義室がどこにあるのか全く分からず、心底途方に暮れた。長女さんと末っ子に同行してもらっていなかったら、最終講義に間に合わなかったかもしれない。
こうした私のADHD特性が、子どもたちに濃厚に遺伝しなかったことは、大いなる幸いだと思っている。
自閉圏の長女さん(26歳)は忘れ物とはほぼ無縁。そして、幼い頃から、私が失くしたものを見つけてくれる名人でもある。
重度自閉症の息子(25歳)は、私の置き忘れにいち早く気づいて、持たせてくれる。ほんとうによく出来た孝行息子だと思う。
小学校時代にADHDと診断された末っ子は、独自の工夫で忘れ物や不注意を克服した。コンサータを服用しなくても、生活に困難がなくなっているので、成長とともにワーキングメモリ等の不具合が改善したのだろうと思っている。
(_ _).。o○
話が最初に戻る。
フレディ・マーキュリーの伝記的映画「ボヘミアンラプソディ」を観たとき、彼の人生の端々に、ADHD特性の片鱗を感じた。というか、自分に近い何かを感じて、むずむずした。
映画の中のフレディ・マーキュリーは、彼の実人生を元に生み出された創作物なのだから、本当にADHDだったかどうかは分からないし、映画だけでそういう判断をすべきでもない、とは思う。
でも、一度持ってしまった親近感を消去するのは難しい。
思えば、生まれて初めてQueenの曲を聴いたときに感じたのは、破壊力と、落ち着きのなさと、説明し難い親近感だった。
高校の昼休みに放送部が流した「Bicycle Lace」だったのだけども、静かに歌い上げている最中に絶叫みたいな声が瞬間的に何度も混じったり、一曲のなかで、長調が短調になったかと思った途端に長調に戻ったり、曲の雰囲気が何度も目まぐるしく切り替わったり、果てしなく落ち着かない曲だった。
その極端な落ち着かなさは、モーツァルトの楽曲にも通じるものがあるんじゃないかと思う。
よく、自律神経が落ち着くCDと称して、モーツァルトの曲をたくさん収録したものがあるけれども、私はモーツァルトの曲ほど、落ち着きのないクラシック曲はないんじゃないかと思っている。
少なくとも私はモーツァルトを聞いても全く落ち着かない。
有名な「フィガロの結婚」の序曲だって、しめやかに始まった途端、ドジャーンと驚かされる。あれで気持ちが落ち着く人などいないと断言する。熟睡してても飛び起きるレベルでやかましいし、忙しない。
(落ち着きたいなら、うちの息子のようにバッハを聴くべきだと思う。あるいはエリック・サティを)
(そういえば、モーツァルトはADHDで、バッハとサティは自閉症だという説がある)
落ち着かなさと、破壊力。
なにがなんでも頻繁に炸裂せずにはいられない、エネルギー。
助走から全力疾走。
日常が混乱の坩堝だった私の脳が、Queenの曲にこの上なく共鳴したのは、自然なことだったと思う。
そういえば、Queenの「ボヘミアンラプソディ」を聴いたエルトン・ジョンが「正気か?」と酷評したという話があるようだけど、私の脳内では、フレディ・マーキュリーとエルトン・ジョン(と橋本治)は、近い位置の存在として分類されている。色々な意味で。
(_ _).。o○
今日は久しぶりに5000歩以上歩いた。
息子の服をショッピングモールに置き忘れて取りに戻ったおかげでもある。
明日も歩こう。