湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記(買い物・差し入れ・パニック)

朝起きてから気づいたのだけど、今日は敬老の日で休日だった。

 

つまり、息子(23歳・重度自閉症)の介護施設通所はお休み。

 

ところが末っ子の高校は、平常授業をやるという。

 

これは、確実に嵐が来ると確信した。

 

嵐というのは、ジャニーズのグループじゃなくて、息子の大パニックだ。

 

昨日の記事にも書いたけれども、息子は休日にパニックを起こすことが多い。

 

そして、昨日の大パニックの引き金を引いたのは、末っ子の外出だった。

 

息子のパニックと会話 - 湯飲みの横に防水機能のない日記

 

 

何か手を打たないと、末っ子が帰宅するまで阿鼻叫喚タイムとなる可能性がある。昨日の今日で、それはキツい。新型コロナ後遺症から回復したとはいえ、私の体力はペラッペラに薄いのだ。

 

しかし打つ手が見えてこない。

 

どうしたもんかと思っていたら、入院中の長女さん(25歳・自閉症)から電話が来た。

 

「もしもし、電話をかけてみたぞ。腹が減ってなにもできぬ」

 

今日は午後から病院に差し入れを持って行く予定だったのだけど、前回差し入れたオヤツが全部なくなってしまった上に、今日の分の売店利用の申し込みをしそびれてしまったのだという。

 

長女さんは、空腹や低血糖が引き金になって、強い不安に陥り、パニックを起こすことがある。

 

私は何年も前から把握していたので、自宅では間食や夜食の用意をしていたけど、今回の医療保護入院で、長女さん自身もはっきりと自覚するようになったらしい。それだけに、手持ちの食料がなくなった状態が不安なのだろう。

 

たくさん差し入れを持っていくことを電話で約束して電話を切った。

 

そして、思いついた。

 

差し入れツアーに息子も連れて行けばいいじゃん、と(ついでに亭主も)。

 

 

さっそく息子に聞いてみた。

 

私「○○(長女さんの愛称)の病院に行くけど、一緒に行く?」

息子「買い物に行く!」

私「うん、買い物してから、○○の病院に行くよ」

息「……」

 

病院、という単語に引っかかったのか、息子の復唱が止まった。

 

これは説得が必要だと思ったので、言葉を重ねてみた。(以下の会話は途中をだいぶ端折っている)

 

私「○○が入院している病院に、差し入れに行く」

息「○○が、にゅーいん……」

私「うん。○○が入院している病院に、おかーさんの車で行く。買い物して、おやつを持って行く」

息「○○がにゅーいんしている病院。買い物……」

私「そう。おかーさんの車で、おやつを持っていく」

息「持っていく!」

私「病院に行く?」

息「○○の病院に、行く! おかいもの行く!」

 

説得完了(?)。

 

 

どの程度、息子が理解しているのかは、正直分からない。

 

けれども「何かが伝わっている」手応えが私にはある。だから、きちんと話しておく価値はあると思っている。

 

何はともあれ、息子と亭主を車に乗せて、ショッピングモールに行った。

 

まず、衣料品店で、長女さんの衣類を購入。

先日、長袖シャツを何枚か差し入れたけど、ここのところ暑さがぶり返してきているので、半袖のTシャツが欲しいのだという。長女さんが好みそうな柄のシャツを三枚と、触覚過敏に差し障りなさそうな素材のズボンを一本買った。

 

衣料品店で私が買い物をしている間、息子はニコニコ顔で静かに待っていてくれた。考えてみると、私と買い物に出かけるのは、かなり久しぶりだった。

 

車での外出なら、そんなに体力を使わない。

だったら休みの日には、出来るだけ車で買い物に連れ出そう、などと思ったのだけど。

 

新型コロナの後遺症から脱却できたといっても、私にはまだ大弱点が残っていた。

 

外出時にランダムに襲ってくる過敏性腸症候群と、パニック発作だ。(;_;)

 

食料品売り場に移動して、長女さんに差し入れるクッキー類やカロリーメイトなどを探し歩いていたら、ひさしぶりに強い動悸に襲われた。スマートウォッチで心拍数を確認すると、120まで上がっている。気がつけばお腹も痛い。とっても痛い。

 

差し入れ品をほぼ選び終わったところで、亭主と息子に後を頼み、レジの近くにあったベンチに退避。座って冷や汗を流しながら、亭主たちが清算を済ませて戻ってくるのを待った。

 

こんな調子では、息子と二人でショッピングモールに出かけるのは、ちょっと無理だろう。今日は亭主がいてくれて、助かった。

 

買い物が済んで車に戻り、動悸が収まったのをスマートウォッチで確認してから、病院に向かった。

 

敬老の日だけど、病院は平常営業に近い雰囲気だった。売店は開いているし、受付の人もいる。そういえば、以前その病院でカウンセリングを受けていた頃、祝日でもカウンセリングは行なっていると聞いた。

 

病棟の看護師さんを呼び出して、差し入れと洗濯物の受け渡しをして、帰宅。

 

病院があまり得意ではないはずの息子は、一切動揺することなく、最後までずっと上機嫌のままだった。事前の「説得(説明?)」が功を奏したのかもしれない。

 

 

しかし、やっぱり嵐はやってきた。

 

昼ごはんを食べてしばらくは穏やかだった。

 

午後三時ぐらいから、末っ子の名前を連呼しはじめた。

 

さっそく「会話」に誘導。

 

私「●●(末っ子の愛称)は、学校に行きました」

息子「●●は!!!」

私「学校に行きました」

息「●●はがっこーいきました!!」

私「そう、●●は学校で勉強しています」

息「●●はがっこーでべんきょーする!」

私「勉強しています」

息「勉強しています!」

私「●●は学校で国語の勉強をしています」

息「国語の勉強する!」

私「歴史の勉強をしています」

息「●●! 勉強を! しています!」

 

他にもいろんなことを話して、息子に復唱してもらった。

 

末っ子の学校の名前とか。電車通学であることとか。

大学受験のために勉強を頑張っていることとか。

ほんとうにいろいろ話した。

 

歌も歌った。昨日と同じ、忍たま乱太郎のテーマ曲。Apple Musicで曲を流して歌詞を確認したところ、私がだいぶ間違って覚えていたことが判明した。

 

冒頭は「カリカリしてー」じゃなくて「がっかりしてー」だった。

 

「夢を叩いて冒険しよう」って、ずっと歌ってたけど、「胸を叩いて」だった。考えてみたら「夢」叩いてどうするんだよと。長年疑問に思わなかった自分に呆れる。

 

まあ、この歌を歌う時って、たいてい息子のパニック中だから、歌詞の意味を考える余裕などなかったわけだけど。

 

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今日はバッハにもお世話になった。

 

いつも聞いている「マタイ受難曲」ではなく、「ヨハネ受難曲」にしてみた。指揮者はカール・リヒター。「マタイ」より効果はマイルドだった気がする。なんとなく。

 

疲労気味だったので、ラジオ体操はやめておいた。

 

息子は二度ほど玄関を開けて、外に身を乗り出しかけたけど、飛び出すことはなく、小一時間でパニックは収束した。昨日のパニックの半分の時間で済んだのは、大いなる進歩だ。

 

 

パニックがおさまってからも、息子はときおり、

 

「●●(末っ子)は、学校に行った」

 

と言っていた。

 

「会話」の積み重ねが、多少なりともパニックからの回復の支えになったのだとしたら、この上なく嬉しい。

 

普段から、もっといろんなことを話そうと思う。

 

そういえば、昨日は息子に、長女さん宛ての手紙を書いてもらったのに、持っていくのを忘れてしまった。

 

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文面は私が考え、口述筆記してもらったもの。

 

末っ子の名前を連呼中に書いたので、行間に末っ子の名前を書き込んでいたのだけど、上の画像では消去してある。

 

次の差し入れのときには、忘れずに長女さんに渡そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

息子のパニックと会話

 

自閉症スペクトラムで重度の知的障害のある息子(23歳)は、休日にパニックを起こすことが多い。

 

いつからそうなったのか、はっきりしないけど、特別支援学校の高等部を卒業して介護施設に通所するようになってから、次第にその頻度が上がっていったように思う。

 

学校生活と違って、介護施設での生活には行事が少なく、長期休暇もない。

 

つまり、一年を通してあまりメリハリなく過ごすことになるわけで、変化への適応が苦手な自閉症者にとっては好ましい環境のはずなのだけど、どうもそういう平坦な暮らしに慣れれば慣れるほど、自宅でパニックを起こしやすくなったように思う。

 

変化の少ない生活のなかで、平日と休日という、こくありきたりな変化にも、ストレスを感じるようになってしまったのかもしれない。

 

あるいは、自宅での退屈な時間そのものが、ストレスなのかもしれない。

 

日曜日の今日、息子はお約束のようにパニックを起こした。

 

今回の引き金は、午後2時半ごろ、末っ子が一人で買い物に出かけたことだった。

 

末っ子が出かけて20分ほどたったころから、息子は7つ年下の妹である末っ子の名前を連呼しながら、何度も何度も玄関を開けて外を確認し始めた。

 

息子の場合、何かを大声で連呼することはパニックの徴候なので、まずいなと思って、気をそらすために声をかけていたけれど、どうしても我慢できなくなったようで、裸足で外に飛び出してしまった。

 

玄関から出てしまってもマンションの通路だから、即座に迷子や交通事故の危険があるわけではない。

 

けれども、Tシャツにトランクスいっちょの巨大な男が大声で何かを連呼しているのだから、息子を知らない人が通りかかったら、何と思われるか分からない。というか、普通に怖がられるだろうと思う。本来とても気の優しい息子が他人に恐怖を与えるような存在になってしまうのは、親としてあまりにも悲しい。

 

とはいうものの、親の力づくではもはや息子に勝てない。玄関に駆けよろうとする息子を全力で引っ張ったところで、私が引きずられるだけで(私だってそんなに軽量ではない)、全く抑止にならないし、暴走する息子の前にうかつに立ちはだかろうものなら、勢いよく吹っ飛ばされて怪我をしかねない。

 

 

いつもなら、GABAのサプリメントとバッハのマタイ受難曲で対応するのだけど、あまりマタイ受難曲に頼ると、

 

マタイ受難曲=パニック受難曲」

 

という関連付けが強くなって、そのうち聞くだけで不快な曲ということになってしまいそうな気がしたので、今日は敢えてバッハには頼らず(GABAは飲ませた)、「会話」などでしのぐことにしたのだけど……

 

 

大変だった。(;_;)

 

 

毎度のことながら、つくづく思う。

自己コントロールを見失ってパニックで状態にある人と、意思の疎通を図ろうとするのは、とてつもない重労働なのだと。

 

 

あと、やっぱりバッハの音楽は偉大だ。

 

 

とはいうものの、パニックの最中であっても、息子はかろうじて私の言葉を聞いてくれた。

 

息子「ざわざわざわーーー」(パニックになった息子の決まり文句)

私「パニックになると、頭がざわざわする?」

息「パニックになると、ざわざわする!」

私「パニックは?」

息「パニックは、嫌いです!!!」

 

私の言葉の復唱ではなく、自発的に「嫌いです!」と強烈に断言していた。

 

私「パニックになると、苦しいよね」

息「パニックになるとくるしいよね!!」

私「深呼吸しよう。息吸ってー」

息子「いきすってひゅーーー」

私「吐いてー」

息「はいてしゅーーー」

 

末っ子の名前を絶叫しながらだけど、私が声をかけると、両腕を上げたり下げたりするアクションをつけながら、深呼吸をしてくれた。たぶん、学校か介護施設でも、やったことがあるのだと思う。

 

深呼吸を誘導しても、三回ほどしか続かないので、すぐに別の提案が必要になる。

 

歌を歌ってみた。

 

アニメ「忍たま乱太郎」のテーマソングの頭出しをして、息子に続けて歌ってもらった。

 

私「かーりかりしてー」

息「めーそめそしてー」

私「どーーしたんだいー」

息「たいよーみたいにーわらうー」

私「きみーはーどこだいー」

息「うぉーうぉー」

 

 

息子は歌を一人で歌うことができない。

誰かと声を合わせて歌うこともできない。

 

たぶん好きな曲の歌詞は全部覚えていると思うのだけど、上のように交互に歌う形でないと、途中で声が止まってしまうのだ。

 

それでも歌うことは嫌いではないらしくて、たとえパニックの最中であっても、私が歌いかけると真面目に続けてくれる。そして、ちょっとだけ気分が落ち着く。

 

逆に私は歌うことが苦手だ。

自分の音痴な声を聞くのはストレスだし、息子の絶叫連呼に負けないように声を張り上げたりすれば、息が切れてヘトヘトになる。

 

脳貧血を起こしそうになりながら、忍たま乱太郎を二回ばかり歌い上げたところで、絶叫連呼が少し落ち着いたので、深呼吸を挟みながら、また「会話」を試みた。

 

私「本でも読もうか」

息「……(無反応)」

私「好きな本、取って」

 

本棚だらけの部屋で、床にも本が山積みなのに、息子は本を手に取らず、別の物を黙って手渡してくる。

 

私「これ、本じゃなくて、ファイルだよ。そこにある本、取って」

 

すると息子は、床に積んであったルーズリーフにサインペンで「ほん」と書いて、渡してよこした。

 

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私「本、読みたくないの?」

息「……」

 

沈黙。

 

ためしに、手近にあった子供向けの歴史の本を読み上げてみたけど、一行読み終わる前に、

 

「おしまい!おしまい!おしまい!」

 

だった。

 

歌は可。

ほとんど復唱の「会話」もなんとか許容。

でも読み聞かせは拒否。

 

そういうことらしい。

 

その後、また歌ったり、深呼吸したり、私の口三味線でラジオ体操第一をやったりした(体操したのは私だけで息子はところどころメロディを口ずさんで見ていた)。

 

末っ子が帰宅たあとも、息子はしばらく「ざわざわ」していたものの、夕食までには落ち着いた。

 

 

パニックの始まりから収束まで、だいたい二時間ほどだったろうか。

 

夕食後の今は、iPadでマイクラをやりながら、ときおり忍たま乱太郎のテーマ曲をハミングしたりして、ゆったりくつろいでいる。

 

私は心底ぐったりしつつ(歌とラジオ体操が過酷だった…)、今日の反省と記録のために、このブログを書いている。

 

 

次は出来れば一時間以内に収めたい。 

気持ちを落ち着けるために繰り出すネタを、もっといろいろ考えておこう。

 

それと、過ごし方を工夫することで、日曜日のパニックリスクをもう少し下げたいところだけど、今のところアイデアがない。

 

 

 

息子との会話

 

今日は息子(23歳)の歯科検診だったので、介護施設をお休みさせて、私が車で連れていった。

 

検診先は、息子が全身麻酔で歯科治療をした病院。

 

重度の知的障害がある巨漢の息子にも対応できる、特別な歯科で、うちから車で片道40分ほどかかる。

 

息子はいつも後部座席の右端に座る。

 

運転席の真後ろで、息子が繰り返し、

 

「歯医者さん!」

 

と連呼する。

 

放っておくと、100回でも200回でも「歯医者さん!」を叫び続けるので、聞く側は大変なストレスになる。

 

息子も自分で止めるのが難しいらしくて、叫び声が徐々に緊迫してくる。

 

「歯医者さん!歯医者さん!歯医者さん!!!!」

 

同じ言葉の連呼には、たぶん、強迫性障害的な部分もあるのだろうと思う。様子を見ていても、言いたくて言い続けているようには、とても思えないのだ。

 

けれども繰り返している単語に格助詞をつけて、問いかけてみると、息子は動詞を補うなどして二語文を作ることができる。

 

私「歯医者さんに?」

息子「行く!」

私「車で?」

息子「行く!」

私「おかあさんと?」

息子「車で歯医者さんに行く!」

 

日本語の基本的な文法や語彙の知識がなければ、このような補いは不可能なはずだ。

 

だけど私の誘導がない状態で、息子が二語文以上を発っすることは滅多にない。

 

脳神経の何らかの不具合のために、自由な発語が妨げられているのだろうと思う。

 

 

歯科へ向かう途中、息子の構文能力を誘導しながら、いろんな文を作ってもらった。

 

誘導されて出てくる言葉は、息子が本当に喋りたいことではないだろうけれども、それでも息子と「会話」できることは、私にとっては大きな喜びだ。

 

 

私「今日の天気は?」

息「晴れです!」

私「いや、曇ってるよね。空見て。きょうの」

息「きょうの天気は……くもり、です」

 

息子は晴れの日が大好きで、雨が降りそうになると、しょんぼりすることが多い。

 

私「台風は」

息「台風は……」

私「台風は嫌い?」

息「台風は嫌い!!!!」

 

かなり力のこもった復唱だった。

 

幼い頃は台風が来るたびにパニックを起こしていた。いまはパニックになることは稀になったけれど、嫌いではあるのかもしれない、などと思う。

 

 

私「言葉を」

息「話す」

私「言葉を」

息「言葉を話す」

私「言葉で話すと、みんなに伝わる」

息「みんなに……」

私「言葉で話すと」

息「言葉で話すとみんなに伝わる」

 

長い文なのに、息子の反応がよかった。

なので、少し掘り下げてみた。

 

私「考えたことを、言葉で話す」

息「考えた……」

私「考えたことを」

息「言葉で話す」

私「考えたことを」

息「考えたことを言葉で話す」

私「考えたことを言葉で話すと、みんなに伝わる」

息「考え……みんなに伝わる」

私「考えたことを」

息「言葉で話すとみんなに伝わる」

私「考えたことを?」

息「考えたことを言葉で話すとみんなに伝わる」

 

 

息子は意味が分からないまま、ただ私の誘導に従って文を補い、その場で覚えて復唱しているだけなのかもしれない。

 

でも、これだけの長さの文は、復唱の形であっても、息子はなかなか言えない場合が多い。

 

「考えたことを言葉で話すと、みんなに伝わる」

 

ということは、息子にとっては、頑張って復唱したいと思えるほど価値のある内容だったのではないか。

 

往復の車中で、ほかにも息子といろんな「会話」をした。

 

私「去年、おかあさんは、新型コロナで、入院しました」

息「去年おかあさんは…」

私「新型コロナで」

息「新型コロナで入院しました」

 

私「自閉症の人は、パニックになることがあります」

息「自閉症の人は」

私「パニックに」

息「パニックになります」

 

私「お姉さんは、今年の夏、パニックで入院しました」

息「お姉さんは、入院しました」

私「今年の夏、パニックで」

息「お姉さんは、今年の夏、パニックで入院しました」

私「10月に、お姉さんは退院します」

息「10月にお姉さんは退院します」

 

私「うん、そうだよ」

 

 

息子の知的障害はとても重い。

知能テスト(田中ビネー式など)では、IQが30にやっと届く程度という結果になる。

 

そういう状況を踏まえるならば、息子が自分が復唱する言葉の内容を全く理解していないと考えるほうが、妥当であるのかもしれない。

 

でも、こんな「会話」をすると、しばらくの間、息子はとても穏やかになり、奇声や常同行動は鳴りを潜めて、同じ単語を連呼することもなくなるのだ。

 

 

(_ _).。o○

 

 

「嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書  自閉症者と小説を読む」を、少しづつ読み始めた。

 

 

著者のラルフ・ジェームズ・サヴァリーズ氏は、自閉症の男の子を養子として育てているという。

 

その息子さんは、里親の元にいた6歳ごろまでは、トイレトレーニング無理と思われていて、オムツで暮らしていたのだそうだ。

 

その後、養父母となった著者夫妻の指導によって、文字入力した言葉を音声に変える装置をつかってコミュニケーションが可能になり、普通高校から大学に進学して、学者である父親よりも良い成績をおさめているのだとか。

 

重度知的障害の自閉症児が、ファシリティテッド・コミュニケーションの指導を受けて高い知性を発揮するという事例は、同じような自閉症者の親にとっては、ある意味とても残酷で過酷な「希望の光」だと思う。

 

私自身、息子が「話せるようになる」ことを夢みて、途方もない試行錯誤を続けてきた。

 

 

言葉を添えた絵カード。

 

筆談。

 

発語や意思表示を支援する、さまざまな器材やアプリケーション。

 

学校や療育教室の先生方にも相談しながら、ほんとうにいろんなことを試してきて、息子にも散々努力してもらったけれども、どうしても息子は「自分が考えたことを、二語文以上の言葉にして出す」ことができなかった。

 

 

単純な欲求を動詞の一語文で示すことはできるけれども、もう何年もそこで停滞したまま、進まない。

 

「嗅ぐ文学」の著者の息子さんや、「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」の著者の東田直樹さんのように、キーボードや文字盤で考えたことを言葉にして発することのできる重度自閉症の青年たちは、私には眩しすぎる存在だ。

 

 

 

 

眩しいからといって、そこにあるものを見ないという選択肢は、私にはない。


彼らのように、息子がコミュニケーションの窓を開いてくれる日が来るのかどうか。

 

重度知的障害の太鼓判を押されている息子の中に、オリジナルの文章を紡げるほどの思考が存在するのか。

 

眩しすぎる「希望」に手をかざしながら、これからもずっと考え続けることになるのだろう。もしかしたら自分の人生が終わる日まで。

 

 

(_ _).。o○

 

 

歯科からの帰り道、息子とこんな「会話」もした。

 

 

私「僕は」

息「僕は」

私「僕は自分の考えたことを、まわりの人に分かってほしい」

息「僕は自分の」

私「考えたことを」

息「まわりの人に」

私「分かってほしい」

息「まわりの人に分かってほしい」

私「僕は自分の考えたことを」

息「僕は自分の考えたことをまわりの人に分かってほしい!」

 

 

ほんとうに、息子は意味が分からずに復唱しているだけなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

ねこたま日記(日々の雑録)

こんにちは。

 

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毎晩末っ子に東野圭吾の「プラチナデータ」を音読してもらっているのだけど、だいたい五分ほど聞いたところで寝てしまうので、ちっとも話が進まない。事件のなりゆきがとても気になるので、そのうち昼間に一気に読んでしまおうと目論んでいる。

 

 

(_ _).。o○

 

 

長女さんの主治医と面談してきた。

 

診断は、自閉症スペクトラムの人がさまざまな要因で調子を崩して、被害妄想的になり、不安やパニックを起こした状態、という感じの見立てであるという。

 

主治医のお話では、統合失調症の言動と、自閉症スペクトラムの人の(素人目には)統合失調症のように見える言動とでは、質的に違う部分があるのだという。

 

具体的な違いについてはあまり語ってもらえなかったけれども、心理テストの結果や対話の感じから、そういう判断となったようだ。

 

自閉症スペクトラムの人が調子を崩して被害妄想的になるのは、とてもよくあることだ、とも言われた。被害妄想だけじゃなくて、幻聴や関係妄想もバリバリ出てたみたいだけど、専門医には違いが分かるらしい。

 

長女さんの状態にあうようにという主治医の判断で、エビリファイが中止になり、いまはアルプラゾラムという、不安を抑える薬が出ているとのこと。リスペリドンは継続して処方されていて、頓服的に追加することもあるとか。あとは胃腸薬が出ているそうだ。

 

3カ月で退院の予定とのことなので、家に帰るのは来月下旬くらいになりそうだ。

 

次の面談では、ケアマネさんも交えて、退院後の生活や就労について相談することになった。

 

当初は、退院後は病院内のデイケアに通所しながら、ゆったり社会参加することを主治医に勧められていたけれど、デイケアを体験利用した長女さんが、自分には合わないと拒否。大きな部屋に数十人の人が集まって、とりとめなく過ごしている様子が、あまりいい思い出のない学校(小中、および通信制高校のサポート校)を連想させるので、無理と感じたという。それよりも、やることが明確な仕事のほうが良いらしい。

 

無理な場所で頑張ってストレスになったのでは、再発のリスクが上がるだけなので、長女さんの希望に沿うような職場や就労支援を探すことになるだろう。

 

面談のついでに、また少し衣類の差し入れをした。

病棟の看護師さんを呼び出して受付に来てもらったら、本人が家に持って帰ってほしいものをまとめていたということで、大きな紙袋いっぱいの衣類を渡された。その中に、先日買って差し入れたばかりのルームウェアやジーンズや下着が入っていたので、不思議に思って看護師さんに理由を聞いてみたけれども、分からないということだった。

 

面談から帰宅すると、長女さんから電話が来た。

 

先日差し入れた衣類のなかに、触覚過敏がつらくて着られないものがあったので、まとめて返したのだという。ジーンズは足の皮膚がチクチクするので無理で、ルームウェアは裏側がふんわりもこもこした材質なので、厳しかったらしい。

 

長女さんが成人してからは、私が服を選んで買ってやることがほとんどなくなっていたから、触覚過敏のことをすっかり失念していた。不覚だった。

 

うちの子どもたちは、自閉組もADHD組も、自宅では一年中半袖短パンで過ごしている。息子など真冬でもトランクスいっちょになりたがるから、シャツを着せるのが大変なのだ。肌に触れるものでイラつくよりは、肌との接触面を極力減らして平穏を保つという戦略なのだろう。寒い日にはせめて長袖を着てくれないと見ているこっちが寒くなるといくら言っても誰も耳を貸さないので、もう諦めている。

 

長女さんが返してよこした新品の衣類は、触覚過敏がそれほどでもない末っ子がホクホク顔で引き取った。

 

 

 

虹・パニック・水ダイエット

ねこたま日記

 

こんにちは。

今日はなんとなく見出し機能を使ってみることにする。

 

今日のふにゃもらけ

 

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雲のじゅうたんに、ひつじ。

 

お洋服は先日のイベントでがんばって作成した、虹色のシャツ。

 

 

福祉関連の施設の名称には、「虹」関連のことばが使われていることが多いように思う。

 

虹の家

虹の里

虹の国

虹の園

……

 

 

空にかかる虹はきれいだと思うし、見るとうれしくなるけれども、「虹」という漢字は虫偏で、日々カツオブシムシの自宅内繁殖力と戦っていて、もともと虫が苦手な私としては、あまり好ましくない字面ではある。同じように感じる人も多そうな気がする。虫を嫌悪する人はとても多いから。

 

「虹」は、もともと虹のアーチを大蛇に見立て作られた漢字だという説があるんだとか。

 

もっと別のものに見立てればよかったのに。(´・ω・`)

 

 

現代日本福祉施設とは逆に、昔の和歌には虹を読んだ歌がとても少ないように思う。

 

気象や色彩に敏感なはずの歌人たちが、虹をスルーした理由が分からないけど、もしかしたら蛇に関連づけられた自然現象だったからかもしれないと想像してみる。

 

蛇を詠んだ和歌ってあるんだろうか。あとで探してみよう。

 

 

パニック

 

昨日の夜、息子(24歳・重度の知的障害を伴う自閉症)がひさびさに大パニックを起こした。

 

きっかけも、原因も不明。

晩ご飯を食べ終わったあたりから、だんだん落ち着かなくなってきて、入浴後には意味の取りにくい絶叫が止まらなくなった。

 

風呂場やトイレに突入して、水を流し続けようとしたり、水道のレバーを力任せにガチャガチャやろうとする。それを止められると、ベランダ窓を開け放って、裏声で叫ぶ。どう考えてもご近所迷惑だから止めようとしたけど、声がけ程度では火に油を注ぐ結果になるだけだった。

 

意味不明の絶叫の合間に、何度も「れんらくちょう!」と叫ぶので、介護施設の連絡帳をカバンから出して、見せてもらった。

 

家族と職員さんとのやりとりは、主に連絡帳で行なっている。家族からは本人の体調などの申し送りをして、職員さんからは施設での様子や食事量、日課や行事などの報告がある。

 

昨日は、朝から少し興奮気味で、日課の一部(手作業の後の片付け等)に、うまく参加できなかったりしたという。

 

興奮した理由について、職員さんは、天気が悪くなりそうだったからかも、と推測していた。

 

息子は雨が降りそうなときや、台風が接近してきているときに、パニックを起こしやすい傾向がある。

 

昨日は一日中はっきりしない空模様だったので、イラついたのかもしれない。あるいは、そういうイラつきを下地として、何か別のことでストレスがかかったためにパニックになったのかもしれない。

 

介護施設を出て、行動援護のヘルパーさんと帰宅してくる途中は、とくに荒れることもなかったという。

 

家に帰って、食事をしてお風呂に入って、一段落したところで、記憶のフラッシュバックがあったのだろうか。

 

叫んでいる息子は、うっすら涙を浮かべていて、とても苦しそうだった。

 

何かにひどく追い詰められている様子で、こちらに訴えたいことがあるように見えるけれども、それがなかなか分からない。

 

身体のどこかが痛そうでもないし、具合が悪いという感じでもない。

 

息子は体調を崩すと、何をさておき布団をかぶって寝てしまうことが多い。食欲も落ちる。体調悪化がパニックの引き金になることもあるけれど、昨晩は食欲もあったし、布団を敷いて寝かせようとしても、横になるのを嫌がった。

 

GABAのサプリメントを飲ませて、iPadYouTubeアプリでバッハの「マタイ受難曲」をかけた。息子は居間にいたので、亭主が廊下に続くドアの前に椅子を置いてそこに座り、風呂場やトイレに駆け込む道を塞いだ。それでしばらく様子を見ていたところ、若干落ち着いてきたので、ボディクリームを足や背中に薄く塗って少しばかりマッサージしてみたところ、嫌がらずに受け入れてくれたので、そのまま続けた。

 

 

GABAのサプリメントの効果は眉唾だという人もいるけれども、息子のパニックにはなぜか効くことが多い。「マタイ受難曲」と併用すると更によく効く。

 

GABAと「受難曲」を使用してからパニックが一段落するまで、2時間近くかかったと思う。いつもなら、小一時間でおさまるところなのに。よほどパニックの程度が重かったのか。

 

 

パニックの原因は分からないままだ。

 

ただ、息子の連絡帳を入れている布袋が、目も当てられないほど裂けて、ボロボロになってしまっていたので、もしかしたら、そのことが何か関係していたかもしれない。

 

袋を裂いて壊してしまったことを気にしているのだろうか。あるいは袋のことで誰かに何か言われたか。

 

 

連絡帳入れの布袋は私の手製の巾着タイプで、息子が子どものころから学校の連絡袋として使っていたものだ。

 

いつ作ったのか忘れてしまったけれども、特別支援学校の中学部入学のころからだとすると、12年以上も使い続けていることになる。

 

すでになんども補修していて、もとの姿とは違ったものになっている。今回は巾着の口の部分が大破して、袋の部分と分離寸前という、悲惨な壊れ方をしているので、修理すれば、もはや別物になってしまうだろう。

 

 

全く新しいものを用意してもいいのだけど、息子は

持ち物、とくにカバン類に強めのこだわりがあるので、少しでも元の布地を残しておいたほうがいいような気がする。長女さんが長期入院で不在な上に、大掃除で家中の様子が変わってしまっているので、これ以上の変化は望ましくないように思う。

 

夜のお裁縫は視力的に厳しいので、明日補修しようと思う。

 

 

 

水分と冷え性

 

 

私の記憶が確かならば、山岸涼子の「テレプシコーラ」というマンガの作中に、バレリーナを志す太めの少女が、一日に2リットルの水を飲むことで、ダイエットに成功するというエピソードがあった。

 

 

ずいぶん前(ダヴィンチ掲載時)に読んだっきりの作品なので、あまり記憶に自信がない。

 

他のバレエ漫画だった可能性もあるのだけど(バレエ漫画であることには確信がある)、私の中では「水ダイエット=山岸涼子テレプシコーラ」でかたまっていて、他の山岸涼子作品も含めていつか再読しようと思うものの、山岸涼子作品がなかなか電子化されないので、もどかしく思い続けている。

 

 

新型コロナ感染と後遺症のおかげで、感染前よりも7キロほど減量しているのだけど、どうせならもう少し体重を落として、無呼吸症候群の死亡リスクを引き下げたい。もちろん他の成人病リスクも。

 

とはいうものの、いまの体力では家事(掃除)の他に運動量を増やそうとしても続かないのが目に見えているし、うかつに糖質制限などして体力を落とすのも怖いからやりたくない。オヤツ食べたいし。

 

で、なんとなく水ダイエットのことを思い出したので、どんな仕組みで痩せるのか調べてみたところ、面白いことがわかった。

 

水を飲むと体が冷える。つまり体温が下がる。

 

すると、身体が下がった体温を上げようと頑張るので、エネルギー消費が増える。

 

常に水を多く飲んでいると、基礎代謝が上がって太りにくくなり、冷え性も解消される。

 

ということらしい。

 

夏でも足の冷えに悩んでいる私にとって、この上なくいい話である。

 

で、やってみようと決めたのが、3日前のこと。

 

 

いきなり1日2リットルも飲むのは怖いので、少しづつ増やしていって、様子をみることにした。

 

初日は1.5リットル弱。

その日の夜には、足の冷えが消えた。

 

2日目は、足だけでなく、背中や肩がポカポカしはじめた。

 

掃除の最中、水を飲み始める前よりも大汗をかくようになったので、その都度水を飲むように気をつけた。

 

3日目の今朝、別の変化をはっきりと感じた。

いつもなら寝起きの手足のこわばりと痛みでうなりながら起きるのに、うなるほどの痛みがなくなって、こわばりも少し薄れている。全身ポカポカしているので、そのせいかもしれない。

 

 

これだけだったら良いこと尽くしなのだけど、ちょっと困った変化もあった。

 

過敏性腸症候群が、悪化した。

 

自宅では、あまり腹痛を起こすことがなかったのに、水を飲み始めてから、毎日数回強烈なさしこみが来るようになっている。どうも腸の動きが激しく活性化しているらしい。見方を変えればお通じの問題が大幅に改善したとも言えるのだけど、痛いのはちょっと困る。

 

 

冷え性の改善は大変うれしい。

基礎代謝が上がった状態を維持できれば、健康的に減量できるだろう。

 

水を飲んで手足の関節のこわばりや痛みが改善する理由は分からないけど、これも有り難い変化ではある。

 

問題は過敏性腸症候群の悪化だけれども、外出時でなければ、トイレに即座に駈け込めば済む話なので、やり過ごすのは不可能ではない。外出前は水を控えるようにしよう。