湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記

こんにちは。

 

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昨晩、日本のあちこちで「ネットに繋がらない」騒ぎがあったらしい。

 

複数のネット回線の会社がダメだったみたいで、うちでもパソコンやiPadがネットを使えずにいた。

 

iPhoneのモバイル通信なら繋がるけど、たくさん使うとお金がかかるから自粛。紙の本を読んで夜を過ごした。

 

境界性パーソナリティ障害=BPD はれものにさわるような毎日をすごしている方々へ」(ランディ・クリーガー &ポール・メイソン著)

 

しばらく前に亭主に頼んで大学内の書店で注文してもらっていた本。昨日久々に出勤して、持って帰ってくれたのだ。

 

副題から察せられると思うけれど、この本は境界性パーソナリティ障害の人ではなく、その傍にいる人々のために書かれている。そういう本を、ずっと前から渇望していた。

 

 

私の人生は、どういうわけか、子どもの頃から何らかのパーソナリティ障害の傾向をもっていると思われる方々と御縁ができる機会が妙に多い。

 

気がつけば、となりにいる。

そしていつのまにか満杯のガラクタ箱(敢えて三角コーナーとは書かずにおく)をぶちまけたような騒動の渦中に突っ込まれている。そんな感じだ。

 

親しい友だちには「自分が呼んでるのでは」的なことを言われることもあるし、自分でも実際そういう「巻き込まれやすい」面があったことは否定できない。

 

結婚して子どもができてからは、家族をトラブルに巻き込むわけにはいかないというのもあって、かなり気をつけるようになったけれども、ご近所付き合いやPTAなど、あからさまには避けにくい状況下では何度か巻き込まれかけた。うまく避けたつもりが、とんだ遠隔攻撃(陰口で孤立させられるとかそういうやつ)を食らったこともある。ほんと、勘弁してほしい。

 

おそらくは、痛みや苦しみに共感しやすい性質を見込まれるのだと思う。さらに具合の悪いことに、「言われたことを言葉通り受け止める」上に、中途半端にお人好しという性質まで持っている。大人しそうで気が弱そうに見えるのもよくないのだろう。実際争いごとは嫌いではあるし、たいていのことは自分のほうで我慢して流してしまうので、御しやすく思われるのかもしれない。

 

で、そんなことはどうでもよくて、私が本書で1番知りたかったことは、パーソナリティ障害と発達障害、そして統合失調症との関連性だ。

 

 

有り余るほどの(出来ることならネットオフに叩き売ってしまいたいほどの)個人的体験を踏まえるならば、それらには密接な関係があるとしか思えない。

 

そして、あくまでも素人考えだけれども、虐待された等の生育歴だけでは説明のつかない、脳の器質的な問題が、根っこの深くで絡みついているとも思っている。

 

 

なぜなら私は、何からの発達障害を持っていると思われる人が、10代のころから何らかのパーソナリティ障害的な振る舞いをしはじめて、その後、統合失調症の陽性症状と言われるような状態になるという事例に、何度も何度も出くわしているからだ。

 

なんで自分の人生にはこんな迷惑なオプションがあるのだろうと常日頃思っていたけど、長女さんの「発病」と入院を経た今となっては、これは意味のあるオプションだったと思う他はない。こういう経験のある私が母親でなかったら、こんな状況は、なかなか受け止められなかっただろうから。

 

昨晩読んでいた本の序盤には、境界性パーソナリティ障害の診断基準として、つぎの条件を挙げている。

 

一過性のストレス関連性の妄想用観念または重篤な解離症状

 

解離症状については、長女さん本人が10年以上も前から訴えていて、具体的にどういう状態になるのか、私は詳しく聞いてきている。

 

感情の消失。

非現実感。

日常のあらゆることへの説明のつかない違和感。

一時的な記憶の脱落。

 

そうした訴えと同時に「自分がどういう人間であるのか、確証が持てない。毎日変わってしまうし、前の自分が思い出せない」ということも、よく言っていた。

 

それは言い換えるなら、

 

「同一性障害」(著明で持続的な不安定な自己像または自己感

 

ということになるのだろう。そしてこれも境界性パーソナリティ障害の診断基準になるのだと、上の本に書いてあった。

 

 

 

長女さんは統合失調症のような様態だったために医療保護入院となり、統合失調症の人がよく処方される薬(エビリファイ、リスペリドン)を服用しているけれども、いまのところ、主治医から診断名が統合失調症であるとは、少なくとも私たち家族は聞いていない。

 

主治医のお考えは分からないけれども、発達障害であることを踏まえて、幅を持たせた判断をしようとしているのではないかと思っている。

 

入院直前の数日間、長女さんの言動は、境界性パーソナリティ障害の人の典型的な振る舞いとされるとのに(それは私が実人生でよく見聞きして食らってきたものとそっくりだったし、上の本に実例として掲載されているものとも重なっていた)、どんどん近接していった。そして、パンクしてしまった……のだと思う。

 

 

境界性パーソナリティ障害である人生とは、1日24時間、度し難い不安や恐怖、壮絶な空虚さに耐え続けることなのだという。多くの問題行動は、その苦しみから逃れるために引き起こされるのだとも。

 

 

自己像が不安定で「自分がない」と感じることの苦しさは、私にはよく分からない。最近もの忘れが増えてきて、昨日の夜食べたものすら即座に思い出せない私だけど、自分は「ある」と疑いなく感じているし、そのあたりに関する空虚さなど微塵も持たない。これはきっと、とても幸せなことなのだろう。

 

「自分がない」という自己同一性障害は、なぜ起きるのか。

 

それは治療や療育、本人の意図的な努力などで、なんとか出来るものなのだろうか。

 

どうも、そういうものではないように思えてならない。

 

理解と確信は違う。

 

自分がいまペンを持っているのは右手だということは理解していても、いまペンを持っているのが自分の右手だと、心からカチッと確信できるかどうかは別の話だ。

 

その理解が合理的だと分かっていても、ピンと来ない、確信が持てないということはいくらでもある。

 

 

 

本の続きを読もう。

 

 

 

 

 

 

ねこたま日記&お掃除日記(14)

 

1つ前の「ねこたま日記」を書いてすぐ、入院中の長女さんの主治医から電話がきた。

 

いつもは亭主が電話に出るのだけど、たまたま家電のあたりを掃除していたので(歩いているカツオブシムシを発見してギャーーとなっていた最中でもあった)、亭主を呼ぶまでもないと思って私が出た。

 

 

主治医によると、長女さんはすっかり落ち着いて、状態もよく、本人は退院と再就職を強く希望しているという。

 

もしかして一心不乱の大掃除の効果があったのかしらと、一瞬バカなことを思った直後に、そんなはずはないと思い直した。

 

まだカツオブシムシが床を歩行している状況で、健康運アップも何もあったものではない。私は落ち着くべきである。

 

 

入院当初の予定では、長女さんの入院期間は2ヶ月ほどと言われていたけど、電話での主治医の話しぶりでは、もう少し早まりそうな様子だった。

 

ほんとうに良くなったのだろうか。

 

入院直前、亭主と二人でかかりつけのクリニックを受診したあと、長女さんは「あんな家に帰れるか」と言って、ネットカフェに行ってしまった。そのまま帰宅しなかったため、入院の当日、ケアマネさんがネットカフェまで迎えにいって、病院に連れてきてくれたのだ。

 

あれほど「帰りたくなかった家」に、すんなり帰りたい気持ちなるものなのか。

 

ネットカフェ滞在中、長女さんは亭主にLINEで「退院後はグループホームに入れるよう手配を頼みたい」と言ってきたと聞いている。

 

そうしたことが心に引っかかるので、いまの長女さんの意向を主治医に聞かずにはいられなかった。

 

「あの、本人は退院して自宅に帰るつもりでいるのでしょうか」

「退院するんだから、そういうことだと思いますけど」

「入院直前、退院後はグループホームへの入居を強く希望していて、親にもそう話しています。本人の中では、自宅に帰ることをぜんぜん想定していない可能性があります。確認をお願いします」

 

私の言葉に主治医は戸惑っていた様子だったけど、長女さんは自閉症である。それはいわゆる「普通」や「当たり前」が全く通用しないということでもある。

 

以前から自閉症自閉スペクトラム症)という診断は出ていたけど、今回の入院後に行った「文章テスト」なる検査でもそう判断されたと、今日の電話で主治医が話してくれた。

 

診断など出るずっと前から、長女さんとはコミュニケーション上の問題がよく起きていた。言葉は通じるのに、意図を理解されなかったり、こちらが長女さんの意図をつかみそこねることがあるのだ。

 

常識的にそう考えるのが「普通」だろう、ということが、長女さんには通用しない。そもそも母親の私も自閉症の可能性アリのADHDと診断されたすっとこどっこいだったりするので、家族間、母娘間での「通じなさ」には、さらに想定外のねじれが入ることもある。要するにわけがわからなくなる。

 

だからこそ、確認が大事だと考える。

 

もしも長女さんが「退院後すぐにグループホームで暮らせる」と考えた上で退院を希望しているのだとして、その確認なしに退院日を迎えてしまったりしたら、お互いに大変不愉快な混乱が起きるのは間違いない。

 

ゆくゆくはグループホームを利用するとしても、退院直後にそのまま入居というのは、全く現実的ではない。長女さんの入院時に大変お世話になったケアマネさんは、某コロナで自宅療養中っぽい感じの「不在」のお知らせがあって以来、まだ「復帰」の連絡がない。無事に「復帰」されたとしても、あるいは別の福祉事業所のケアマネさんに相談するにしても、長女さん本人の意向や状況がはっきりしないうちは、動きようもない。

 

長女さん本人は再就職を希望しているそうだけれども、主治医は長女さんの性格や病気の性質を考えた上で、病院内にあるデイケアのゆるやかな利用を勧めているという。デイケア通所のための大型バスは、我が家の前を経由している。

 

主治医は来週あらためて長女さんと話すつもりであると言っていた。どういう方向に話が進むのか分からないけど、退院の目処が立つなら、自宅に帰ることになるだろう。

 

 

となれば、掃除の完遂を急がなくてはならない。

 

帰ってくるのであれば、長女さんの神経を圧迫するようなストレスフルな汚部屋の片鱗など、ほんの少しも残しておきたくはない。

 

 

 

(_ _).。o○

 

というわけで、主治医との電話を終えた後、大掃除を続行した。

 

居間の家具の下や裏側の徹底掃除。

同じく和室の掃除。

 

結果……

 

生きてるカツオブシムシの幼虫6匹。

死んでる幼虫2匹。

抜け殻1個。

 

 

 

ダメだ。

ダメすぎる。

 

抜け殻があるということは、既に成虫になってしまった個体がいるということだ。

 

そいつは我が家のどこかで今ごろ40〜90個の卵を産んでいるかもしれないのだ。

 

 

(;_;)

 

 

 

北側の一室、元書庫であり長女さんの自室でもあった部屋は、いまだに床の半分が物で埋まっている。

 

整理整頓と不用品の処分、がんばろう。

 

 

 

お掃除日記(12)

ネットオフからサービスのダンボール6箱が届いたので、昨日はひたすらダンボールに本とCDとDVDを詰め込んでいた。

 

書籍が400冊前後、DVDその他が60〜80個程度だと思われる。

 

 

その程度減らしたところで焼け石に水だろうと思っていたけど、物を処分して空いたスペースを暫定的に活用することで、なんとか元書庫の床が多少見えてきた。

 

 

床が空いたことで、自分の脳内のワーキングメモリの空き容量も確保できるようになったらしく、薄っすらと「どのように片付ければいいのか」を考えることができるようになってきた。

 

それと同時に、なぜ自分が「片付けられない」人間であるのかも、なんとなく分ってきた。

 

ADHD特性だと思うのだけど、私は家の中のどこに何があるのかを、ほとんど把握していない。どこかに物を置くと、すぐに忘れてしまうのだ。

 

片付けをしていても、ちょっと前まで手に持っていたはずの物を、すぐに見失ってしまう。

 

ゴミ袋を3つ用意して、燃えるゴミ、布ゴミ、燃えないゴミに分類していたはずなのに、気がつけばゴミ袋のいつくかが見当たらなくなっている。仕方なく新たにゴミ袋を出してくるのだけど、それもすぐにどこかに行ってしまう。

 

目に見えるところにあるものでも、こんな有様なのだから、クローゼットや棚にしまい込んだ物のことを覚えていられるはずがない。

 

気がつけば、まとめておくべき物が家中の収納のあちこちに分散してしまっている上に、何がどこにあるのか全く分からなくなっている。

 

 

まず最初に「何をどこに置くか」を、しっかり決めておくべきなのだと思う。

 

分別中のゴミ袋は定位置に置いて、決して持ち歩くべきではない。持って歩いて一旦どこかに置いたら最後、置いた場所を二度と思い出せなくなるのだから。

 

クローゼットは、何を置いたか忘れても確認できるように、見えるところにラベルをつけるべきだろう。

 

改めて、自分なりの片付けのルールをまとめておく。

 

[物の処分ルール]

 

  • 自分の本は書架に収まらない量を持たない。
  • 一年以内に一度も使っていない衣類や雑貨は基本的に処分する。
  • ベランダの粗大ゴミを順次捨てる。

 

[片付けのルール]

 

  • 床に物を置かない。
  • 居間には普段ほとんど使わないものを極力置かない。
  • 普段使う物の置き場所を決めて家族に周知する。
  • 物を置いた場所が分かるようにラベルをつける。

 

 

(_ _).。o○

 

 

一昨日、自分のパソコン机の上に積み上がっていたものを、すべて撤去した。

 

ためしにリストを作ってみたのだけど、あまりの脈絡のなさに目眩がした。

 

 

三葉虫の化石

眼球けん玉

化粧品の入ってた空き箱

賞味期限切れのサプリ

ファミマのハズレくじ二枚

人修羅のフィギュア1体

腕輪3個

メモ帳 4冊

ミニランドセルのアクセサリー

パンツのゴム一巻き

フェルト人形たくさん

イージーパンツの型紙

何も入ってない写真立て

干支石鹸(牛)

ミニ絵本

息子の写真の缶バッヂ

かぼちゃのお菓子入れ

用途不明の家型缶

目覚まし時計

ブリキのロケット2個

小さな黒カバンのついたストラップ

432円の値札がついたキラキラしたストラップ

ピングーの絵本

加圧靴下(片方だけ)

末っ子の幼稚園のころのミニアルバム

使ってないハガキ数枚

息子の高2のころの連絡帳

教会の週報

顔そり用カミソリ6本 

ニ穴パンチ

ふなっしーのストラップ

赤ちゃんの人形(20センチくらいのもの)

使ってない封筒一枚

シールセット(70枚入り)

クリアケース2

息子の高2の時の宿泊学習のしおり

新書

キノコの置物

ほおずき一個

中身パンパンの布製ペンケース

小型のオバケ屋敷

水彩絵の具

ファンデーション

コウモリ

白鳥

保険の契約内容書

化粧水

犬夜叉の人形

末っ子と亭主のツーショットの写真が入った写真立て

いくつあるか数える気にもならないSDカードやメモリースティック

iPhone用のイアホン

息子の漢字練習用ノート

ほぼ未使用の付箋セット多数

揚げ物のぬいぐるみ

チーク

手芸キット(丸底ポーチ2個分)

布用絵の具(黒)

ネックレス2個

本のページを押さえておく錘つきのクリップ

 

 

これらを全て取り除いたパソコン机は、まるで別世界のように使い勝手がよくなり、鬱の発症以来ずっと億劫に感じていたパソコン作業が、ちっとも苦にならなくなった。

 

 

ふと思う。

家がすっかり片付いたなら、持病の項目から「うつ病」が消えるのじゃなかろうか。

 

そうだといいな。

 

 

 

 

 

 

ADHDと音読

 

眠れない夜が続いている。

 

正確に言うと、「催眠導入剤と末っ子の音読と瞑想アプリの重ねがけをしないと眠れない」のだ。

 

眠れないことを憂いて悶々と時を過ごすなど馬鹿らしいので、ことさらに夜更かしを楽しむことにしている。そして結構楽しんでもいる。だから多少睡眠不足になることを除けば、特に問題はない。

 

 

ゆうべは、松本ハウスの「統合失調症がやってきた」を最後まで読んでもらったのだけど、いろいろと感動して話が盛り上がってしまったので、ちっとも眠気がこなかった。

 

末っ子が、「じゃ、このあとはわしのフリートークでいくか」と言ったけれども、それだと全く眠れる気がしなかったので却下して、別の本を読みながらしゃべろうということになった。

 

 

末っ子のフリートークは、恐ろしい。

学校などでの、私が聞いたこともない、できれば聞きたくなかったような話がいくらでもでてるくる。

 

一昨日聞いた話もすさまじかった。

 

夏休みに入る前に、お友達と二人で廊下を歩いていたら、見知らぬ下級生男子にすれ違いざまに指差されて、

 

「ブス!!!」

 

と罵られたので、間髪を入れずにぶん殴ったら、相手の差し歯がマスクからこぼれ落ちたのだという。

 

一緒にいたお友達が驚いて「歯落ちてるよ歯!」と言ったので、末っ子もまずいと思ったようで、

 

「ごめんね?」

 

と一応謝ったところ、その男子は落ちた歯を拾って打ち震えながら、

 

「……あなたのことを言ったんじゃありません」

 

と答えたんだとか。

 

どうやらその下級生男子は末っ子のお友達に始終からんでは「ブスブス」と貶しつけているヤツだったそうで、その日も同じようにお友達をバカにしたつもりだったらしい。

 

お友達は末っ子と違って柔和な子で、どんなに馬鹿にされてもニコニコして受け流していたようなので、調子に乗って絡んでいたようだ。

 

この年頃のことだから、内心ちょっと気になっていて、構ってほしいから甘えて絡んでいたとか、そんなところだったのかもしれない。

 

気になっている先輩の前でぶん殴られた上に、差し歯を落とした情けない姿を見られたのだから、男子としてはたまらなかったことだろう。

 

その後その男子は二度とお友達に絡んでこなくなったばかりか、姿を見ると避けていくようになったとか。

 

そして末っ子は下級生の間で、

 

「逆らうと殴られて舌を抜かれる地獄のような先輩」

 

という悪名を轟かせることになったそうだ。

 

恐れられると同時に反感を買うのは当然のなりゆきで、末っ子は自分についての誹謗中傷を時折耳にするようになったという。

 

ある放課後、部室にいると、すぐ隣の教室から、

 

「○○ってほんとムカつく!」

「だよね! 無表情だし、目つき悪いし!」

「ほんとあいつ早くいなくなればいいのに」

「あと一年ちょっとだよ。そしたらアタシらの天下だね!」

 

なんていう面白い話が聞こえてきたので、その教室の戸口に立ってニヤニヤしながら聞いていたら、四人ほどいた下級生の一人が末っ子に気づき、ガクガク震えながら指差ししたので、他の子たちが「なに? どうしたの?」と言いながら振り向いて、末っ子の姿を目視し、全員揃って増長天に踏んづけられる餓鬼の如き表情になったまま凍結してしまったそうだ。

 

 

しばらくして、四人そろって末っ子に謝りにきたという。

 

 

他人事なら笑い話かもしれないけど、親の立場としては大変胃が痛い。ぶん殴って歯を吹っ飛ばしたとか、そこだけ聞いたらどんな不良だよという感じだ。

 

卒業まであと一年半、学校から親の呼び出しがないことを祈らずにはいられない。

 

 

(´・ω・`)

 

 

話が盛大に脱線した。

 

末っ子のフリートークを却下したかわりに選んだのは、ADHD 集中できない脳を持つ人たちの本当の困難     理解・支援そして希望へ」(トーマス・ブラウン)という本だ。

 

 

買ってすぐに家の中で無くしていたのだけど、この度の大掃除で数年ぶりに発掘できたので、嬉しくなって枕元に置いていたのだ。

 

末っ子に手渡すと、

 

「なんか、わしの詳細な自己紹介が書かれている予感しかしない」

 

とか言っている。実際その通りだし、ついでに言うなら母親の私の自己紹介本みたいなものでもある。

 

末っ子が「興味のある章段を選んで読みたい」といって選んだのは、

 

「欲求不満の管理と感情の調整」

 

について書かれた箇所で、感情の制御が困難なADHD当事者の具体的な事例が紹介されていたのだけど、末っ子も私も身に覚えのある話ばかりだったので、1ケースごとに「あるある」話で盛り上がってしまった。

 

 

たとえば、レストランで食事中に、隣のテーブルの客の咀嚼音が不快すぎて激怒感情で頭がいっぱいになってしまい、食事どころではなくなってしまうビジネスマンの話。

 

末っ子は学校のお弁当の時間になると、マナーの鬼と化すらしい。口に物を入れたまま喋りだそうとする友達がいると、我慢ならず全部寸止めしているそうだ。大らかな気持ちで末っ子と付き合ってくれているお友達の皆さんには感謝しかない。

 

自宅でも兄や姉の食事マナーに対して舌鋒鋭く「指導」を入れている。私も時々食らっている。落としたりこぼしたりを見逃さないのだ。

 

幼児期のころ、食事中にテレビなどがついていると、末っ子は全く食事ができなかった。当時は食事のときに、息子が好んで見ていたNHKの子ども番組を流していたりしたのだけど、末っ子に食事をさせるために、食事中にはテレビをつけないようになった。その習慣を維持したまま現在に至る。

 

私は末っ子ほどではないけれど、あまりに気の散る環境だと食が進まなくなるところは似ている。

 

けれども逆に、一人っきりで食事するときには、自分の頭の中がうるさすぎて全く食が進まなくなったりもする。そのために一人の食事のときは本や新聞を読みながら食べるようにしている。目で追って読むものがあれば、とりあえず頭がそこに集中して落ち着くから、食べやすくなるのだ。

 

などと話しているうちに眠気がきたので、音読トークはおしまいにして、瞑想アプリで就寝した。

 

 

今夜は松本ハウスの「相方は、統合失調症」を読んでもらう予定。この本はKindle unlimited(読み放題)ではないので、購入してダウンロードした。

 

 

 

 

今夜も楽しみだ。

 

 

 

 

 

発達障害と統合失調症

 

自閉症スペクトラムのような発達障害統合失調症は「隣の次元」にあるものだと、ずっと思っていた。

 

あるいは、「温帯気候」と「熱帯低気圧」のように、そもそものカテゴリーが違うものだと思っていた。

 

生まれたときから持っている発達障害と、人生の途中で「発病」してはじまり、再発と寛解を繰り返す病気とでは、質的に全然違うだろうというのが、私の持っていた印象だった。

 

 

けれども統合失調症について知れば知るほど、発達障害との違いがよくわからなくなる。

 

 

自閉症の息子にも、調子が悪くなってパニックを頻繁に起こす時期がある。

 

重い知的障害のある息子は言葉をほとんど話さないから、パニックの原因も、内面に抱えている苦しみの様相も知ることができない。もしかしたら、統合失調症の人たちと同じように、脳の一時的な不具合と寛解とを繰り返しているのかもしれない。

 

 

これまでに、統合失調症当事者の方の手記をいくつか読んだけれど、もともと発達障害でもあったという著者の方が複数おられた。

 

 

統合失調症日記」の著者の木村きこりさんは、高校時代に発症して、闘病しながら美大を出た方だそうだけれど、発達障害も持っていると、シリーズで出されている著作のなかにちらりと書かれていた。

 

 

 

統合失調症サバイバル・マニュアル」の著者である大沢ひでくにさんも、著作の終わりのほうに発達障害であることを書いておられた。

 

 

 

長女さんも5年ほど前に発達障害の診断をもらって、療育手帳を取得している。当初の診断では広汎性発達障害、現在は自閉スペクトラム症となっている。

 

 

下地に発達障害があって、統合失調症を発症するという事例がどれほど多いのかは分からない。発達障害統合失調症発症のリスクを高めるというような話も、いまのところ見つけていない。

 

けれども、情報処理や対人関係など、もともとの発達障害で苦手としているジャンルでのストレスが過重にかかってしまうことが、発症の引き金になるというのは、ものすごくありそうなことではある。

 

 

(_ _).。o○

 

ずいぶん前に、山岸涼子の「牧神の午後」という漫画作品を読んだ。ニジンスキーというバレーダンサー(競走馬ではない)の伝記を元にした作品だった。

 

 

 

 

作中のニジンスキーは、孤独で不器用な性格の青年として描かれていたけれど、私には自閉症の人のように思えてならなかった。

 

名声と失意の繰り返しに戦争が絡むという過酷な人生を送るうちに、ニジンスキーは精神を病んで対話不能な状態となり、バレエの世界を去っていく。

 

ウィキペディアには、ニジンスキー統合失調症だったと書いてあった。

 

戦争のない時代に生まれて、理解ある支援者や家族に守られながらバレエに打ち込んでいられたなら、ニジンスキーは発病せずに済んだのだろうか。

 

 

わからない。