湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

万葉集・クサい人?

今回は、ちょっとにおいそうな歌。

 

【目次】

 

高宮王の屎葛の歌

 

皂莢(そうきょう)に延ひおほとれる屎葛(くそかづら)絶ゆることなく宮仕えせむ (3855)

 

万葉集 巻第十六

 

作者は高宮王という人。

「王」とあるので皇族だと思われるけれども、詳しい系譜は不明のようで、この歌を含めて二首だけが万葉集に掲載されている。

 

「皂莢(そうきょう)」は、サイカチの木のこと。
マメ科の木で、私は見たことがないけれど、幹から枝にかけて、かなり凶悪な見た目のトゲがある。

 

www.uekipedia.jp

 


「おほとる」は、毛や蔓などが乱れるという意味だと、岩波古語辞典にある。ただし用例が少なく、はっきりしないらしい。類語らしきものに、下二段活用の「おぼとる」があり、毛などがからまって乱れる意味なので、そこから類推してあるのかもしれない。


「屎葛(くそかづら)」は、ヘクソカヅラのこと。葉などをちぎって匂いをかぐと、名前から想像される通りの芳香が漂うそうである。機会があれば、勇気を出して一度体験してみたい。


高宮王は、「凶悪な棘だらけのサイカチの木に這いずりまわってこんがらかっている、臭い臭いヘクソカヅラのように、永遠に宮仕えをしよう」といっている。

 

素直に、宮仕えへの意欲を表明するにしては、喩えに使っている植物が特徴的すぎる。

たぶん、何か含むところがあるのだろう。

 


【意訳とは名ばかりの何か】

よう、久しぶり。
就職してから会うのって、はじめてだっけか。
うまくやってるかって?
ま、それなりにね。


どーせ、いつクビになるか、賭けでもしてたんだろ。
お見通しなんだよ、お前らの思いつくことなんざ。

 

ぶっちゃけ、居心地悪いよ、宮仕えってのは。
どいつもこいつも、トゲトケしてやがってさあ。
物言うと、なーんかすぐ、鼻つまみもん扱いだし。
俺が屁でもこいたのかっつーんだよ。


ご清潔な連中には、
俺のヒラメキの価値が、わかんねーのよ。
そりゃちょっと、
下ネタベースのジョークが多めだったけどさ。

それをやめとけって?
やなこった。

 

引かれようが鼻つままれようが、
俺は俺の道をクサーく行くのさ。
トゲトゲのサイカチの大木にも
しぶとくシツコくからみつく
あのヘクソカヅラのようにな。
 
宮中がクサくて近寄れなくなるって?
知るかよそんなこと。
悪臭上等!
くやしかったら鼻に栓して来やがれってんだ。

 

 

(2005年06月14日)

※過去に書いた文章を修正して掲載しています。

 

 

 

 

万葉集・ウナギを勧める理由

【目次】

 

大伴家持が吉田連老に送った歌

 

痩せたる人を嗤笑(わら)ひし歌二首

石麻呂に我物申す夏痩せに良しといふものそ鰻捕り食(め)せ (3853)


痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな (3854)

 

右、吉田連老、字を石麻呂と曰ふもの有りき。所謂(いわゆる)仁敬(じんけい)の子(ひと)なり。その老、人と為り身体甚だ痩せ、多く喫(くら)ひ飲むと雖も形は飢饉するに似たり。これに因りて、大伴宿禰家持、聊かにこの歌を作り、以て戯咲を為ししものなり。

 

【意訳】

石麻呂に申し上げる。夏痩せに効くというウナギを捕ってお食べなさいませ。(3853)

痩せすぎても生きてりゃいいけど、ウナギを捕りにいって川で流されるなよ。(3854)


吉田連老、字(あざな)を石麻呂という者がいた。世にいうところ仁敬の子であった。彼は生まれつき大変にスリムな体形で、いくら飲食しても飢えに苦しむ人のようであった。そこで大伴家持が、ちょっとこんな歌を作って、石麻呂をからかったのだった。


※めす【食す】……「食う」の尊敬語。

※はたやはた【将や将】……ひょっとして。もしや。万が一。

 

・・・・・

 

吉田連老と吉田連宜


万葉グルメシリーズが書きたいのに、なかなか書けずにいる。

 

今回の歌には、ウナギが出てくるけれど、食べた話ではない。

 

作者の家持が、石麻呂という痩せすぎの男性に、ウナギを自分で捕獲して食べることを勧めているだけである。しかもマジメな忠告ではない。「痩せたる人を嗤笑う」とタイトルにあるように、相手をおちょくって詠んでいる。

 

多分、親しい間柄なのだろうけど、かなり冗談がキツい。

茅花の歌での紀女郎とのやりとりにも悪ノリしている気配があった。
家持という人、決して「まじめ一辺倒」というタイプではなさそうである。


おちょくった歌を贈られた吉田連老(石麻呂)という人の詳しいプロフィールが分からない。

歌の雰囲気から、同世代の遊び仲間という印象だけど、「所謂仁敬の子(ひと)なり」というのが気になる。

 

岩波文庫版の「万葉集」では、「仁敬」について、漢籍を引いているだけで、意味を説明していない。

 

「仁敬」は「君、仁敬なれば即ち時雨これに従ふ」(尚書洪範休聚・雨)とある。

 

万葉集」(四) 岩波文庫

 

尚書」は儒教の経典である五経のうちの一つである「書経」のことで、「洪範」はそのなかの一篇だそうだ。民を治める君主が「仁敬」であれば、時雨も従うというのだから、「仁敬」は徳の高いことを言っているのだと思う。

 

「仁」は愛情深いこと、「敬」は慎み深く相手に礼を尽くすこと。

 

石麻呂は、ずいぶん立派なお人柄だったようだ。

 

この吉田連老(石麻呂)の関係者と思われる、吉田連宜という人物が同時代に存在している。


吉田連宜は、百済からの渡来僧だったけれど、医術に優れていたために還俗して吉宜(きちのよろし)という名前になり、神亀元年(724年)には吉田連に改姓し、天平10年(738年)には典薬頭(てんやくりょう/くすりのつかさ)になったという。(Wikipediaによる)

 

家持は    養老2年(718年)ごろの生まれなので、吉田連宜は家持よりも一世代以上年上ということになる。

 

吉田連老(石麻呂)が吉田連宜の息子だとすれば、ちょうど家持と同世代だった可能性が出てくる。


吉田連宜は家持の父である大伴旅人とも親交があったようで、筑紫に赴任している旅人への熱烈な思慕を込めた手紙と歌が万葉集に掲載されている。手紙の一部と歌を一首、引用してみる。

 

宜が主に恋ふる誠、誠は犬馬に逾(こ)え、徳を仰ぐ心、心は葵藿(きくわく)に同じ。

 

【意訳】この私、宜めが、ご主人様を恋しく思う真心、その誠の心は犬や馬が飼い主に抱く忠誠心をはるかに超えるものであり、ご主人様の人徳を仰ぎ見る思い、その心情は葵や豆の葉が太陽を恋い慕うのと等しいのです。

※藿……豆の葉

 

 

 

後れゐて長恋せずはみ園の梅の花にもならましものを (864)

 

【意訳】愛しいご主人様が催された梅の花を愛でる宴会に参加することもできず、奈良の都に居残りをして恋しい恋しいと思い続けているくらいでしたら、いっそのこと、ご主人様のお庭に咲く梅の花になってしまいたいものを。

 

864の歌で、吉田連宜が参加できなかった梅の花を愛でる宴会というのは、「令和」という元号の出典になった詞書「初春の令月、気淑しく風和らぐ」の歌会のこと。


晩年の筑紫赴任で望郷の念にかられる旅人をなぐさめるための手紙だったようだけど、吉田連宜の恋慕の情が熱すぎて、いったい二人はどういった関係だったのか、かなり気になる。

 

宜の手紙と歌が、筑紫の旅人の元に送られたのは、たぶん天平2年(730年)ごろのことで、この年の終わりごろに、旅人は帰京するのだけど、翌天平3年(731年)には、病気のために亡くなってしまう。

 

おそらく吉田連宜も旅人の治療に関わっただろうし、まだ幼かった息子の家持と出会う機会もあったかもしれない。


吉田連宜には吉田古麻呂という息子がいて、この人も医師になっている。

 

生没年は不明だけれど、天応元年(781年)に従五位下となり、延暦3年(784年)には、皇室の診察と薬の処方を行う内薬正(内薬司のトップ)になっている。家持と同世代だと考えると、60代ぐらいでその地位を得たことになる。

 

この吉田古麻呂が、家持のお友達の吉田連老(石麻呂)だったのじゃなかろうか。

古麻呂と石麻呂。字面が似ている。

「古」と「老」も、意味が近い。

 

父親が優秀で、(旅人限定かもしれないけど)恐ろしく情の厚い医師だったのだから、そのあとを継いで医師になった息子が「所謂仁敬の子なり」といわれるような人物に育ったとしても、不思議ではない。

 

痩せていた理由

 

なんで痩せていたのかは分からない。
いくら食べても「形は飢饉するに似たり」というのは、かなり不自然だ。

 

ひょっとしたら、回虫持ちだったのじゃなかろうか。

 

飛鳥時代藤原京の便所の遺構を発掘したところ、豚肉から感染する有鉤条虫(ゆうこうじょうちゅう)という寄生虫の卵が見つかったという。

 

www.asahi.com

 

奈良時代には豚や鶏などが食用として飼育されていたけれども、仏教が広まるにつれて、食肉が禁忌となり、狩猟や肉食の禁止令が何度も出されたらしい。

 

けれども、何度も禁止するということは、取り締まっても食べる人が絶えなかったということだろう。

 

また肉食禁止令は渡来系の官吏や貴族を牽制するためとする説もあるという。(Wikipedia「日本の獣肉食の歴史」より)

 

吉田連の人々は渡来系である。

 

痩せ過ぎの友人にウナギを勧めた家持は、そのあたりに、何か思うところがあったのかもしれない。

 

《意訳とは名ばかりの何か》


謹啓 猛暑の候、石麻呂先生におかれましては、恙(つつが)無くお過ごしでございましょうか。

いや、さっき会ったばっかりだけど、お前があんまり痩せてて驚いたから、これ書いてる。

まるっきり餓鬼道におっこちた亡者じゃん。誇張なしで。

健啖家のお前が何をどうしたらそこまで痩せるわけ?

元気に働いてるんだから大丈夫なんだとは思うけど、見た目がヤバすぎる。

もうちょっと肉をつけたほうがいいと思うぞ。

あ、肉は元から好物だろうけど、もうちょっと別のもんを食ってみるとか。

脂ののったウナギとか、お勧めだな。

川に行って自分で捕ってくれば、運動にもなるし、一石二鳥だろ。

あーでも、今のお前だと、ウナギと一緒に川に流されそうで心配だな。

一緒に行くか。

痩せててもいいけど、長生きしてくれよ。

 

(2005年06月14日に書いたものを手直ししています)

 

 

 

万葉集・紀女郎と大伴家持

上代グルメ探訪・・・・のつもりだったけど、どうも違う話になってしまった。

 

【目次】

 

紀女郎と大伴家持の歌

紀女郎、大伴宿禰家持に贈る歌二首


戯奴(わけ)がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花そ召して肥えませ (1460)


昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ (1461)

右は、合歓の花と茅花とを折り攀じて贈る。


【1460の意訳】
お前のために私が手も休めずに春の野で抜いた茅花ですよ。食べてお太りなさい。

【1461の意訳】
昼は咲いて夜は恋して眠る合歓の花を、主である私だけが見ていいものかしら。お前も見なさい。

 

大伴家持の贈り和ふる歌二首


我が君に戯奴は恋ふらし賜りたる茅花を食めどいや痩せに痩す (1462)


我妹子が形見の合歓木は花のみに咲きてけだしく実にならじかも (1463)


【1462の意訳】

私はご主人様に恋をしているらしいです。いただいた茅花を食べても痩せるばかりです。


【1463の意訳】

あなた様の形見にいただいた合歓の木ですが、花だけ咲いて実を結ぶことはないのではないかと。

 

万葉集」巻第八

 

紀女郎(きのいらつめ)は、本名を小鹿(をしか)といい、紀鹿人(かひと・ししひと)という人の娘。


紀鹿人は、家持の叔父である大伴稲公(おおとものいなきみ)と親しかったようなので、幼少期の家持と紀女郎が知り合う機会もあったのかもしれない。

 

紀女郎が家持に贈ったという茅花(つばな)は、茅(ちがや)の花。
食べられるらしい。

 

つばな【茅花】《ツはチ(茅)の古形》

チガヤの花。早春つぼみのころは食べられる。後には白い綿毛の密生する長い穂になる。


「岩波古語辞典」

 

この植物は分類学的にサトウキビとも近縁で、根茎や茎などの植物体に糖分を蓄える性質がある。外に顔を出す前の若い穂はツバナといって、噛むとかすかな甘みがあって、昔は野で遊ぶ子供たちがおやつ代わりに噛んでいた。地下茎の新芽も食用となったことがある。万葉集にも穂を噛む記述がある。

Wikipedia「チガヤ」のページより

 

古代でも子どものおやつ替わりだったかどうかは分からないけれども、大人の嗜好品のようにも思えない。

 

もしかしたら紀女郎は、幼少期の家持と一緒に茅花をかじって遊んでいたのかもしれない。

紀女郎と安貴王の息子とされる市原王は、大伴家持とほとんど同世代だったようだから、紀女郎が家持を子守する関係だったかもしれない。


「戯奴(わけ)」という呼びかけの言葉にも、紀女郎が年下の家持に向ける親しさが表れているように思う。

 

わけ【戯奴】《ワカ(若)と同根か》

1,自分を卑下していう語。
2,人を親しんで呼ぶ語。

 

「岩波古語辞典」

大人になってからも、自然と姉貴風を吹かして、ちょっと威張ったりもしていたのだろうか。

 

紀女郎と安貴王

紀女郎は、天智天皇の末裔といわれる、安貴王(あきおう)の妻だった。

 

ところが安貴王は天皇に仕える因幡八上采女(いなばのやかみのうねめ)という女性と深い仲になり、それがバレて、失脚してしまう。

 

采女というのは、天皇や皇后の食事など身の回りのお世話をする女官で、諸国の豪族などから、容姿の優れた若い女性が献上されて仕えていたという。采女には天皇の妻妾という側面もあり、寵愛を受けて子を産むものもいたという。

 

才色兼備の美しい采女たちは、男性たちのあこがれでもあったようだ。


采女に触れることが出来るのは天皇のみとされていたけれども、手の届かない高根の花であることも、安貴王の恋心に油を注いだのかもしれない。


不倫関係が発覚した安貴王と因幡八上采女は、「不敬罪」とされ、強引に引き離された。

 

安貴王はそれでもあきらめられず、会うことのできなくなった愛人を思って悶え苦しむ長歌など詠んでいる。


真実の愛を引き裂かれて懊悩する安貴王の歌

安貴王の歌一首 短歌を幷せたり

遠妻の ここにしあらねば 玉鉾の 道をた遠み 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 苦しきものを み空行く 雲にもがも 高飛ぶ 鳥にもがも 明日行きて 妹に言問ひ 我がために 妹も事なく 今も見るごと たぐひてもがも (534)

 

反歌

しきたへの手枕まかず間置きて年そ経にける逢はなく思えば (535)

 

右は安貴王の因幡の八上采女を娶るや、係念極めて甚だしく、愛情尤も盛りなり。時に勅して不敬の罪に断め、本郷に退却せしむ。ここに王の意怛して聊(いささ)かにこの歌を作りしなり。


【怪しい意訳】

最愛の彼女の所在地が遠すぎる!
距離が遠すぎて、不安神経症になりそうだ! 
嘆く心が苦しすぎて耐えられない!
ああ僕は雲になりたい!
鳥になりたい!
明日飛んで行って愛する彼女と語り合うのだ!
僕が行けば彼女だって幸せになる!
そうだ! 
いま僕は全身全霊で妄想している!
二人っきりの愛の暮らしを!

 

君とベッドインできなくなって長い年月が経ってしまった……ような気がする!

それもこれも会えないのが悪いんだ!

 

(これらの歌は安貴王が熱愛した八上采女との関係を不敬とされて、引き離された直後に詠んだものである)

 

※聊(いささか)かに……ほんの少し

※悼怛(とうだつ)……いたみ悲しむこと

 

熱愛中のところを引き裂かれたのだから、悲嘆にくれるのも分かるけれども、引き裂かれた直後に歌を詠んでいるのに「間置きて年そ経にける」というのは、ちょっとおかしい。いろいろ暴走しておかしくなっちゃったのかもしれない。

 

なにはともあれ、これでは妻の紀女郎の立場がない。

 

紀女郎の心情

紀女郎は「怨恨の歌」を残している。

怨恨を向ける相手が誰なのかははっきりしないけれども、普通に考えれば夫の安貴王だろう。

 

紀女郎の怨恨の歌三首 

鹿人太夫の女、名を小鹿と曰ふなり。安貴王の妻なり

 

世の中の女にしあらば我が渡る痛背の川を渡りかねめや(643)

 

【意訳】私が世の中によくいるタイプの女だったなら、心のままに思う人のところに行けないなんてことが、あるだろうか。

 

今は我はわびそしにける息の緒に思ひし君をゆるさく思へば(644)

 

【意訳】命がけで愛していたあなたを手放すことを思うと、つらくてたまらない。

 

白たへの袖別るべき日を近み心にむせひ音のみし泣かゆ(645)

 

【意訳】あんなに愛し合っていたあなたと別れる日が近いので、声をあげて鳴くことしかできない。

 

 

紀女郎が、大伴家持に「戯奴(わけ)がため」の歌を贈ったのは、夫の不倫失脚後のことであるらしい。

 

ヤケになっていたのか、それとも、もともと家持に対する恋心がないでもなかったのか。そのあたりのことは、想像するしかないけれども、上の怨恨の歌の(643)は、夫が身勝手な恋に走ったように、自分も思う人のところに走りたいという気持ちを漏らしているようにも取れる。

 

意訳とは名ばかりの妄想コント

出演

 紀女郎(小鹿)

 大伴家持

 

「もしもし、おーい、寝てるの?」

「zzzzz」

「こら! 起きろ!」

「うわ、誰!?」

「私が呼んでるんだから、ちゃっちゃっと起きなさい!」

「なんだ、小鹿ねえさんか。ひさしぶりっていうか、どうしたの、こんな夜中に」

「家持がまたうじうじ悩んでるって聞いて、活入れに来てやった」

「別に俺はなんともないけど」

「あんまり食べてないんでしょ。離れ離れのお嫁ちゃんのことが心配で心配で」

「なんだよそれ」

「お嫁ちゃん、まだ若いってか、幼いもんねー。あんまり会わずにいると、あんたのこと忘れちゃうかもね」

「大きなお世話だよ。手紙のやり取りはしょっちゅうしてるし、心はちゃんとつながってるから」

「うわー生意気! 家持のくせに」

「うるさいな。ほんと何しに来たんだよ」

「暇つぶし。あと差し入れ持ってきた」

「何?」

「ツバナ。あんたの好物。これかじってちょっとは太りなさい」

「かじりませんよ。子どもじゃあるまいし。こっちは合歓の花と、酒?」

「きれいでしょ。一人で見てもつまんないから、あんたと飲みながら見ようかと思って」

「人妻が何やってんだか。こんな花、男に贈ったら誤解されるでしょーが」

「あなたと一緒にネムりたいって? あはははは。それいいかも」

「あのねえ。俺だから誤解しないけど、旦那さんに知られたらまずいでしょ」

「旦那ねえ。あの頭に花咲いたクソバカを旦那と呼ぶのは、もう私じゃないけどね」

「え?」

「真実の愛に目覚めたおかげで、仕事クビになって自宅謹慎中のアレを、私が旦那と呼ぶ義理はないと思うわけよ」

「うわ、そんなことになってたの?」

「知らなかった?」

「あー、いや、うっすらと噂に聞いたりはしてたけど。仕事がクビって、お上にバレちゃったってことか」

「そ。バカよねー。彼女のほうも親元に強制送還されたってさ。そんで引き離された彼女に会いたがって半狂乱。離れるのが嫌ならバレないようにやれっての」

「それはまた。話し合いとかは、してないの?」

「話になんないのよ。顔見せたとたんに罵詈雑言吐かれるんだもの。面の皮の厚い古女房なんか見たくもないんだって。あっちの彼女のほうは、私と正反対の守ってあげたいタイプだったみたい」

「なんだかなあ。でも子どもだっているんだし、気持ちが落ち着けば、やり直そうって言ってくるんじゃない? あの人、なんだかんだいって、姉さんのこと頼りにしてたと思うし」

だが断る

「そっか。まあ、しかたないよね」

「てことで、飲もう!」

「や、ちょっと待って。俺明日も仕事だし、もう寝ないとまずいから」

「じゃ、寝よう! お姉さまが添い寝してあげちゃうよ。なんなら愛人にしてあげる!」

「あー、完全に酔っちゃってる。参ったなあ」

「あんたあたしのこと好きでしょ!? 昔はお姉ちゃんと結婚するーって言ってたくせに」

「いつの話だっての」

「なによ、あたしが嫌いだっていうの!? 年増でおせっかいだから? 守ってやらなくてもいいぐらい面の皮厚い女だから?」

「いや、好きですよ、そういうとこは結構好きですけどね、息子とほとんど年が変わらない俺相手にヤケ起こしたって虚しいだけでしょ」

「・・・わかってる。今夜だけ、ちょっとだけ、助けてくれればいいの」

「俺が助けになれるようなことなんか、ないと思うけど」

「あの馬鹿が女に贈った真実の愛の歌なんかより、素敵な歌詠んで、私に贈って」

「そんなことでいいの?」

「うん。千年残るようなキラッキラな恋の歌、よろしく」

「うわー、ハードル高いな。ていうかそれ、妻にバレたら俺がヤバくない?」

「そのときは責任とって私が引き取ってあげる」

「やれやれ・・・」

 

 

(2005年06月13日)

※過去に書いたものを修正して掲載しています。

 

 

万葉集・干しアワビと逆ナンと僧侶

【目次】

 

通観の作りし歌一首(「万葉集」巻第三 雑歌 327)と意訳

 

娘子等の、裏(つつ)める乾鮑を贈りて戯れに通観僧の呪願を請ふことありしに、通観の作し歌一首


わたつみの沖に持ち行きて放つともうれむそこれがよみがへりなむ (327)

 

ねこたま意訳】

 

ギャルたちが、僧が食べられない干しアワビを持ってきて、「ねえ、これ食べて、アタシたちのために祈って♥」と言ってきたときに、僧の通観が詠んだ歌。

 

「沖に持っていって放流しても、干物は生き返りませんね」

 

※わたつみ……海。海原。

※うれむそ……用例が少なすぎて意味不明の表現。ここは「どうして~だろうか」という反語表現だろうと解釈されている。

 

作者は、釈通観。

貝を詠んだ歌は万葉集のなかに少なからずあるけれど、干し鮑を詠んだものは、この一首だけのようだ。

 

詞書によると、娘たちが乾燥アワビを持ってきて、ふざけて「呪願(しゅぐわん)」してくれと願ってきたときに作った歌だという。

 

「呪願」とは、法会または食事のときに、導師が施主の願意を述べて、その成就を祈ること、と辞書にある(岩波古語辞典)。

 

 

 

ところで、日本では、古くから貝を生で食べていたらしい。「日本書紀」に景行天皇が「白蛤」の膾を食べた話が出てくる。

 

景行天皇がハマグリの膾を食べた「日本書紀」の記事

冬十月至上総国従海路淡水門。是時聞覚賀鳥之声。欲見其鳥形。尋而出海中。仍得白蛤。於是膳臣遠祖。名磐鹿六鴈。以蒲為手繦。白蛤為膾而進之。故美六鴈臣之功。而賜膳大伴部。


(「日本書紀」巻七 景行天皇五十三年冬)


※覚賀鳥……カクカトリ。ミサゴのことらしい。
※蒲……ガマ。水辺に生える草。葉を編んで敷物などを作った。
※淡水門(あわのみなと)……安房国のこと。

磐鹿六鴈(いわかむつかり)……天皇の食事を作る膳氏の祖先とされる人物。

 

【なんちゃって書き下し文】


冬十月、上総国に至りて、海路より淡水門を渡りたまふ。この時に覚賀鳥の声を聞しめして、その鳥の形を見そなはすを欲して、海(わた)のうちにいでます。仍(より)て白蛤(うむき)を得る。是に於いて膳(かしわで)の臣の遠祖先、名は磐鹿六鴈(いわかのむつかり)、蒲(かまり)をもって手繦(てたすき)となして、白蛤を膾(なます)に為て、之をたてまつる。故、六鴈の臣の功をほめて、而して膳大伴部を賜ふ。

 

-----------------------------------

【大雑把な意訳】

十月、景行天皇は上総の国に至って、海路で淡水門にお渡りになった。そのとき、カサゴの声が聞こえた。景行天皇は鳥をご覧になりたくて海上に出られ、そこでハマグリを入手された。

そのハマグリを、膳臣の祖先の磐鹿六雁が、ガマの葉をたすきにして、ハマグリを調理して膾にして天皇にさしあげた。天皇は六雁をほめて、膳大伴部を賜った。

 

-----------------------------------

 

景行天皇は、実在したとすれば、四世紀前半の人だという。

膾といえば、酢が欠かせない。

日本に酢が伝来したのは四世紀から五世紀ごろだというから、磐鹿六雁は、時代の最先端の料理を天皇に供したのかもしれない。

 

新鮮な魚介の膾は、きっと美味だったことだろう。

 

けれども、干物だって、ものによっては高級食材にもなる。

アワビの干物は、古くから神饌(神への供え物)とされ、さまざまな儀式に使われるだけでなく、上品な酒の肴として愛好されきた。

 

干しアワビ(乾鮑)を僧侶の通観に贈ろうとした娘たちの真意は分からない。

もしかしたら、逆ナン狙いだったのかもしれない。

でもって、簡単にはなびいてくれないイケメン僧侶の気を引こうとして、

 

「ぴちぴちのナマモノ(ギャル)はダメでも、旨味の強い干物(熟女)だったら召し上がるんじゃないの?」

 

と、干しアワビにかこつけて、カマをかけてみたのかもしれない。

 

「干物を海に放っても生き返りませんよ」と、斜め上の歌を返した通観は、はたしてただの朴念仁だったのだろうか。

 

 

意訳とは名ばかりのただのコント「僧侶と干物とシーモンキー

 

「ほら、あんたの好きな通観さま、いるよ」

「え、どこどこ?」

「あそこ」

「ほんとだわ! ああっ、いつ見てもステキな御方(はぁと)」

「あんな堅そうな坊さんのどこがいいのよ」

「インテリっぽいところ。あとクールなところ!」

「それって頭でっかちで情がないって言わない?」

「イケメンだからいいの!」

「あっそ」

「きゃー! こっちにいらっしゃるわ! ねえあたし、メイクとか服とか変じゃない?」

「別にー。普通だよ。安定の行き遅れ」

「何よひどい! あんただって同い年の行き遅れじゃないの!」

「だから地道に婚活してるでしょ。ミーハーなあんたと違って」

「通観さまは渡さないからっ」

「渡されてもいらないっての。一生結婚しない坊さん相手にどうしろってのよ」

「夢くらい見たっていいじゃない! それにもしかしたら、あたしとの真実の愛に目覚めて還俗してくださるかもしれないじゃない」

「はあ、まあ夢みるのは自由だけどさ。プレゼントまで用意しちゃって、ほんとにアレにアプローチする気?」

「もちろん! 最高の贈り物を用意したんだから!」

「一体何を用意したのよ」

「鮑」

「は?」

「あ・わ・び」

「って、干物?」

「パパに頼んで上総の国から取り寄せた超高級品よ! すっごくおいしいんだから」

「まさかと思うけど、行き遅れの干物女にひっかけてるわけ?」

「熟女といいなさい! ピチピチのナマモノがおいしいのは新鮮なうちだけよ。貝だって女だって、時間をかけてじっくり干しあげることで芳醇な味わいになるの。教養のある通観さまなら、﨟󠄀たけたあたしみたいな女が、どストライクなはずよ」

「自分で﨟󠄀たけたっていう女、はじめて見たわ。まあ、がんばって。骨は拾ってあげないけど」

「別にいいわよ! 通観さまに拾ってもらうから!」

「うーん、あの男、そんなに甘くないと思うわよ。うかつに近づくと、骨拾われるどころか、墓掘って埋められそうな気がするのよねえ。大丈夫かしら」


・・・・・・・


「あ、あの、通観さま、よかったらこれ、どうぞ」

「ええと、これは」

「とても美味しいアワビですの。その、あたくしと思って、受け取っていただければと。できればあたくしごと……」

「死んでいるようですが」

「はい?」

「このアワビです。死んでますよね」

「あ、干物ですので死んでおりますけれども、高級な品でございますから、きっとお味をお気に召すかと」

「でも死んでますよね。こちらで埋葬すればよろしいでしょうか」

「いえあの、そうではなくて」

「もしかして、蘇生可能と考えてお持ちになったとか?」

「違います!」

「ではなぜ持ってこられたのです?」

「そ、それは、私の真実の思いを通観さまに伝えたかったので」

「つまり貴女の真実の思いとやらは、この死んだアワビであると」

「え……」

「なるほど分かりました。そういうことでしたら、貴女の思いとアワビの死体をまとめて成仏させましょう」

「そんな! わたくし生きておりますから!」

「おや、そうなのですか。困りましたね。うちではナマモノはお預かりできませんので、お引き取りを」

「そんな……あの、せめて、アワビだけでも。ナマモノじゃありませんから」

「と言われましてもねえ。生きているうちだったら、海に返せば功徳にもなりますが、死体を不法投棄するわけにもいきませんし。やはりこちらも貴女の思いと一緒にお引き取りを」

「ひ、ひどいわっ・・・・」

 

・・・・・・・

 

「通観お前、ほんと女に容赦ないな」

「そうか? 毎度丁重にお帰りいただいているだけだが」

「干しアワビくらい、もらっとけばいいじゃん。こっそり食ったってバレないって」

「干物より、シーモンキーのほうが好みだ」

「はあ? なんだそりゃ」

シーモンキー節足動物の一種でな、体長は約1cm。甲殻亜門 鰓脚綱 サルソストラカ亜綱 無甲目 ホウネンエビモドキ科 。エビのエサになる。卵は乾燥に強く、海水に入れると丸一日で孵化し、二週間で大人になる。そして単性生殖も可能だ」

「で、そのエビのエサが何だって?」

「干物になった卵を海に戻すと生き返るところに浪漫を感じる」

「はあ」

「干物からのピチピチ回帰。生まれ変わったら嫁にしたいかもしれない」

「知らんわ。永遠に僧侶やっとけ」

 

(-_-)/'チーン♪

 

(2005年06月12日に書いた文章を改稿しています)

 

 

 

万葉集…山上憶良と奈良時代の中二病

長い記事なので目次をつけてみる。

 

【目次】

 

学校で習った万葉集の歌のなかでは、山上憶良の「子等を思ふ歌」と、その反歌が、いちばん分かりやすかった記憶がある。

山上憶良長歌「瓜食めば」と反歌

瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食(は)めば 
まして偲(しの)はゆ  いづくより 来(きた)りしものそ 
眼交(まなかひ)に もとなかかりて 
安眠(やすい)し寝(な)さぬ  

(万葉集 巻五 802)

 

反歌


銀も金も玉も何せむに勝れる宝子にしかめやも

(万葉集 巻五803)

 

 

ねこたま意訳】

メロンを食べれば子どものことが思い出される。

マロンを食べれば、ますます偲ばれる。

いったいどこから湧いてくるのか、子どもたちの姿が目の前にやたらとちらついて、安眠できない。

 

反歌

金銀宝石など、子どもの価値に及ぶべくもない。

 

………

 

「子供より大切な宝なんて、存在しない」と言われれば、いかに心の荒んだ現代人でも、それが社会のなかで大多数の賛同を得そうな一般常識であることに、同意しないわけにはいかないだろう。共感するかどうかは別として。

 

現実に子供をめぐる環境がどうであれ、形の上では一応、「子供は大切にすべきもの」という思想に基づいて、人々は家庭を営み、行政も行われている。


ただし、その「子を思う」気持ちが、純粋に情から出ただけのものかと問われると、現代人はたちまち言葉を濁さざるをえなくなる。

 

生まれた子供に対して渦巻く、ありとあらゆる親のエゴは、もちろん「(子を)思う」という行為のなかに含まれてくるわけだし、行政の立場からやかましく叫ばれている「少子化対策」は、むしろ純粋に社会体制の維持のために目論まれるものであって、子が愛しいという個人の情愛とは無関係のものである。


では、憶良さんの時代は、どうだったのか。


「勝れる宝子にしかめやも」と歌った彼は、純粋な親の情だけで、これを作ったのだろうか。


802と803の歌には、これらの歌が仏教思想に基づいて作られたものであることを示す詞書がある。

 

詞書

釈迦如来、金口に正しく「等しく衆生を思ふこと、羅睺羅の如し」と説きたまひ、また「愛すること子に過ぐることなし」と説きたまひき。至極の大聖すら、尚し子を愛する心有り。況むや、世間の蒼生、誰か子を愛せざらめや。


ねこたま意訳】


お釈迦さまが、次のように説教された。「私が生きとし生けるものすべてを同じように思うことは、我が子ラゴラちゃんをいとしく思うのと、同じである」それからまた、このようにも説教した。「我が子以上に愛するものはない」究極のスーパー聖人でさえ、我が子は愛しいのである。まして、世間一般の我々が、自分の子にメロメロにならないわけがない。


※金口(こんく)……釈迦の説法。
※羅睺羅(らごら、ラーフラ)……釈迦の実子。
※蒼生……人民。

 

……

 

分かりやすい話ではある。

だけど、お釈迦様って、妻子への愛着を断ち切って家出、じゃなくて出家したのじゃなかったっけ。


遣唐使経験者のエリートであり、仏典にも通じていたはずの山上憶良さんが、そんなことを知らないわけはない。

 

では、どんな意図があって、上のような詞書をつけたのだろう。

そのヒントは、おそらくこの一つ前の歌にある。

 

 

山上憶良が惑へる中二病患者に贈った歌

惑へる情を反さしむる歌一首 

 

或人、父母を敬ふことを知りて、侍養を忘れ、妻子を顧みずして、脱(し)よりも軽にし、自ら異俗先生と称す。

意気は青雲の上に揚がれども、身体は猶し塵俗の中に在り。未だ修行し得道するに験あらざる聖か。

蓋しこれ山沢に亡命する民ならむか。所以に三綱を指示し、更に五教を開き、これに贈るに歌を以てし、その惑ひを反さしむとす。

 

歌に曰く、


父母を 見れば尊し 妻子(めこ)見れば めぐし愛し 世の中は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ 行くへ知らねば うけ沓(ぐつ)を 脱ぎつるごとく 踏み脱ぎて 行くちふ人は 石木(いわき)より 生(な)り出し人か 汝が名告(の)らさね 天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大君います この照らす 日月の下は 天雲の 向伏(むかぶ)す極み たにぐくの さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに 然にはあらじか  

(万葉集 巻五 800)


    反歌

ひさかたの 天路は遠し なほなほに 家に帰りて 業をしまさに 

(万葉集 巻五 801)

 


ねこたま意訳】

 

ある人が、両親を敬うべきだと分かっているのにケアをせず、妻子を返り見ることなく、脱ぎ捨てた靴よりも粗略に扱って、自分のことを選ばれしアウトサイダー様などと称している。

 

彼の意気込みだけは雲を突き抜ける勢いだけれども、その身はいまだに俗世間にどっぷり浸かったままである。修行しているのに道を得たような気配のない僧であるといえば聞こえはいいけど、実態は山や川に逃れる流民みたいなものだろう。

 

そこで、君臣、父子、夫婦という三綱の道を一つ一つ教えて、父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝たるべしという五教を説き聞かせ、歌を贈って心得違いを矯正しようとした。

 

で、その歌で、このように伝えた。


父母は尊い。妻と子は愛しくかわいい。
それが世の中の当たり前だ。

トリモチに捕まった鳥みたいに家族に束縛されるのはイヤだと君は言うけど、穴のあいた古靴を履き捨てるように、家族を踏みにじって捨てるような人間は、情のない木石から生まれた者なのか。

名乗ってみなさい。君は一体何様だというのか。

この世から飛び出して天にでも上ったなら、どのようにでも好きに生きるがいい。

けれどもこの地上には、君が決して超えることのできない大君がいらっしゃるのだ。

日と月が照らしているこの大地は、空の雲が横たわる遥かかなたまで、ヒキガエルが這っていく地の果てまでも、大君が統治する優れた国なのだぞ。

そういうことを考えるなら、何でも身勝手にふるまうのはいかがなものか。


反歌


宇宙は遠い。
素直に家業を継ぎたまえ。

 

※うけぐつ 【穿け沓】……穴のあいた履物。

※たにぐく【谷蟇】……ヒキガエル
※まほら……とてもすぐれたところ。

 

……

 

この長歌は、どこかの馬鹿息子が、家族を棄てて隠遁者を気取ろうとするのを見かねて憶良さんがその中二病くさい迷妄を払ってやろうとして、詠んだものらしい。

 

先に見た「子を思ふ歌」とは違って、この歌は、もっとストレートに道徳意識を打ち出している。


憶良さんは、まず「父母を 見れば尊し 妻子見れば めぐし愛し」と、身内の情愛に訴えて、世捨て人願望を抱く馬鹿息子にブレーキをかけようとしている。

 

でもその情の捉え方は、「世の中は かくぞことわり」と、なんだか一般論的である。


もちろん憶良さんも、そんなありきたりなお説教に効果があるとは思わなかったのだろう。


歌の後半では「大君(天皇)」を持ち出してきて、その権力の及ぶ地上のどこにいっても、お前なんかが好き勝手に生きることはゆるされないぞと、がすっと釘を刺す。

 

そして反歌では、「家業を継げ」と、正攻法で諭す。


ところで憶良さんは、どうしてこんな歌を詠まなければならなかったのか。


学校の古典の時間では、憶良さんは、「瓜食めば」の歌をを詠んだ、子煩悩な歌人として紹介され、私も長くその印象のみを持ち続けてきた。

 

でも憶良さんは、それだけの人ではない。
この歌を詠んだころ、彼は筑前守だったはずである。国司、つまり役人なのである。


800の歌の詞書で「三綱を指示し、五教を更め開き」とあるが、この「三綱」は、君子・父子・夫婦であり、「五教」は、儒教でいうところの、人が守るべき五つの道であり、五教あるいは五典ともいう。


当時の国司には、この儒教的な道徳観を広め、農耕に励むことを人々に勧める義務があったという。

 

800と801の歌は、おそらくその任務の一環として、作られたものなのだろう。なんとなく一般論めいていて、どこか醒めたような言葉づかいであるのも、もしかしたら、立場上仕方なく詠んだ歌だからなのかもしれない。

 

けれども、これらの歌をじーっと眺めていると、どこかに、憶良さんのお人柄や本音が滲み出ているような気がしなくもない。

 

 

意訳という名のコント

 

《詞書と長歌反歌を全部まとめた意訳》


 -------- 憶良さん@仕事中 --------

 

「おーい、そこのきみ! ちょっと待ちたまえ」

「なんだよおっさん。何か用?」

「まあ、用があるといえば用ありなんだが、洋ナシといえば、ま、ラ・フランスというべきか」

「何が言いたいんだよ」

「つまり何だ、洋ナシというのはだね、これが実に手のかかる品種でねえ。収穫の時期をちょっと逃すと肉質は落ちるわ色は褪せるわ。でもってナシはほかにも和梨、中国梨なんてものもあるが、どれもこれも原産地をさかのぼると、なんとチベットに行き着くんですなあ。きみ、知ってた?」

「・・・用ないんなら、俺行くけど」

「ほほう。チベットへ?」

「行かねえよ」

「では、どこへ?」

「そこいらへんの、山だよ」

「ふむ。何のために」

「しつこいなあ、おっさん。隠遁すんだよ。知ってんだろ? いま、イケてるインテリの間では、流行ってんだよ隠遁が」

「ぷぷぷ。ダサーい」

「なんだと?」

「そこいらの山で? 親のスネかじりつつ? ダサダサ」

「悪かったな。あんたに関係ねーだろ。ほっとけよ」

「いーや、ほっとけません」

「なんでだよ」

「お仕事だから」

「はあ?」

「取りあえず調書作らしてね。きみ、名前は?」

「なんの取り調べだよ、これ」

「反社会的分子撲滅のための調書です」

「反社会って・・・俺はただ山に隠遁するだけだっつってるだろ。社会、関係ねーよ」

「だからそれがね、反社会的だと言うんです」

「なんで!?」

「きみの頭がとっても悪いから。腐った頭、すなわちこれ、反社会的存在。またの名を、馬鹿ちん」

「・・・・なんか俺、むちゃくちゃ腹立ってきたぞ。おいおっさん、俺のどこが腐れ頭なんだよ!?」

「さあ自分で考えよう! 馬鹿でも分かる!」

「説明しろこのクソじじい! 俺はこれでも、インテリなんだよ。中国文化の通なの、通! おっさんなんか、どーせ漢文も読めねーだろ」

「僕、これでも帰国子女よ」

「へ?」

遣唐使やってきたもんね。ちなみに中国語、ぺらへら~。漢文訓読、すらすら~」

「げ、マジ?」

「で、さっきの続きだけど、きみ、何のために隠遁するわけ?」

「や、そりゃ、修行のためにさ」

「かわいい妻子捨てて?」

「だって、ウゼーもん。勉強の邪魔になるばっかりで」

「親御さんは、なんて言ってんの?」

「そりゃ、まあ、散々罵倒されたよ。でも俺の気持ちは変わらない。こんな俗世なんか抜け出して、とびっきりの悟りを開くんだ。でなけりゃ俺、なんのために生まれてきたのか、分かんなくなっちまいそうだよ。親の都合のいいように育てられてさ、好きでもない女と結婚させられて、ニョーボコドモのために擦り切れるまで働されてて、いつのまにか小汚いジジイになって、死んじまうなんてさ。人間疎外もいいとこだよ。俺はイヤだね。こんなレールはとっとと外れて自分のために生きるんだ。おっさんだって、本物のインテリなら分かるだろ、俺の気持ち」

「まあね、わかんないこともないけどね、ヒッピーくん」

「はあ? ひっきぃ?」

「ちがう、ヒッピー」

「だから、なんだよそれ」

「んじゃ、現在ニートでホームレス予備軍の万年厨二病青年」

「もっとわかんねーよ。どこの言葉だよ、それ」

「気にしない気にしない。でね、君は、家族ほっぽって山に入って修行しさえすれば、自分がシアワセになれるとか思ってる?」

「え? まあ、このまま家でくすぶって終わるよりは、マシなんじゃないかと」

「予言してあげよう。君は、三百八十五日で野垂れ死ぬ!」

「・・・・なんか妙に数字がこまかいな。根拠あるのかよ」

「いや、特にないけど」

「あてずっぽうかよ」

「そうでもないのよ。さっき僕は、君のことを反社会的分子だって、言ったよね」

「違うけどな」

「どこが違うの?」

「だって俺、犯罪なんてやってないし、税金だって、いままでちゃんと払ってるし」

「そう、そこがポイント!」

「ポイントって・・・・税金ってとこ?」

「そのとおり。きみ、山で小汚い浮浪者になってからも、税金払うつもりある?」

「あるわけねーじゃん。てゆーか、払えねーよ。収入なくなるし」

「つまりきみは、意図的に法律を破ろうとしているわけだね。ほら、立派な反社会的分子でしょ」

「まあ、それはそうかもしんないけど、でもさあ・・・」

「でもは置いといて、そういう分子に対して、国家権力は、どう対処すると思う?」

「・・・・さあ」

「死刑」

「うそっ」

「殺します」

「なんでだよ!?」

「決まってるでしょ、いらない人間だから。あのね、きみみたいなのがたくさん出てきちゃうと、税金集まらないし、農業たちゆかなくなるしで、国はとっても困るわけよ。だから、見せしめのために、僕が君を、ずんばらりっと、成敗します」

「・・・・」

「まあ、すぐにつかまえて殺すのも気の毒だから、三百八十五日ぐらいは、目つぶって遊ばしてあげるけど、それ過ぎたら死刑ね」

「・・・・ジジイてめー、それでも歌人のインテリかよ。骨の髄まで体制に迎合しちまって、薄汚い脅迫こきやがって、それで純粋な歌なんて、詠めんのかよ!」

「だから言ったでしょ? お仕事だって。だったら、これまでの人生全部欺瞞だとか思ってるきみはどーなの? 今しゃべってる言葉だって、甘ったれた欺瞞の充満した体から出てるわけでしょ。まだ浮浪者じゃないんだから」

「浮浪者言うな! 俺はアンタなんかが手の届かないスーパー仙人になってやる!」

「じゃ、空飛ぶようになる前に、捕まえないとねぇ」

「うるせえ! 捕まえられるもんなら、捕まえてみやがれ! 俺は野垂れ死んだって、てめーみたいにはならねーからな!」

「じゃあ捕まえて首チョンパするけど、ホントにいいの? 国家権力、甘くみちゃダメよ?」

「・・・・・・(既に走り出してしている)」

「しょーがないなあ、もう。めんどくさいけど、もう一押ししてみよか。・・・・あー、マイクのテストテストー、本日は晴天なりーと」

「・・・・・・(全速力で走っている)」

「あー、今カラデモ遅クナイカラ、実家ヘ帰レー」

「・・・・・・(躓いてころんだ)」

「抵抗スル者ハ全部税金未納者デアルカラー、タッタ今ツカマエテ撲殺スルー」

「・・・・・・(あわてて立ち上がり、再びダッシュ)」

「オ前達ノ父母兄弟ハ国賊トナルノデ泣イテオルゾー」

「・・・・・・(もう姿が見えない)」

 

「あーあ、逃げちゃった。ま、いっか。彼も、食い物なくて死にそうになったら、自分で家に帰るでしょ。チベット行くほどの根性も、なさそうだしねえ。さて、今日のお仕事、おしまい。旅人さんちの歌会に、間に合うかなー」

 

 

(2005年06月11日に書いたものを修正して投稿)