湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「歴史探偵 吉原遊廓」(NHKオンデマンド)

NHKオンデマンドで「歴史探偵」を見た。

 

歴史を探偵する、という趣向のようで、スタジオは端的事務所に見立てられ、俳優の佐藤二朗川口所長役になっている。

 

佐藤二朗というと、「鎌倉殿の13人」でつい先日北条時政の騙し討ちで死んだ比企能員のイメージが強くので、おしゃれなスーツを着ていても、なんとなく直垂や鎧のイメージがチラついて見えてしまうのだけど、それはそれで面白いので気にせず試聴。

 

今回見たのは「吉原遊廓」の回。

 

吉原が、幕府の意向で計画的に建設されたアミューズメントシティであったこと、少なくとも江戸前期までは、実社会から隔絶された、豪華絢爛な夢の空間だったことが語られていた。

 

吉原大門の向こうには、整然と区画整理された町並みがあり、数多くのお茶屋や遊廓が立ち並んでいたという。訪れる人のために、「吉原細見」というガイドブックも出版されていて、花魁の格付けなども紹介されていたとか。

 

↓現物の「吉原細見」(香以山人著)がAmazonで売られてた。45000円とのこと。

吉原細見

吉原細見

Amazon

 

f:id:puyomari1029:20220913121211j:image

 

分かりやすい挿絵入り。初めて訪れる人はさぞかし頼りにしたことだろう。

 

17世紀の吉原の町では、桜をたくさん植えて夜桜見物を楽しませたり、仮装行列や曲芸も披露されるなど、多彩な催しがあったため、男性だけではなく、女性の観光客も少なくなかったと考えられているらしい。

 

でも豪華絢爛だったのは、江戸前期までで、大名や豪商があまりお金を落とさない江戸後期に入ってくると、遊廓の経営が厳しくなり、遊女を虐待するような店主も出てきたという。

 

とくに、梅本屋の店主佐吉は、実にろくでもない人間で、遊女たちに腐った漬物とご飯しか与えず、縛り付けて殴るなどの過酷な折檻も行い、時には二日ほど食事を抜かせることもあったという。

 

そんな仕打ちに耐えかねた梅本屋の遊女たち16人は、佐吉の非道な仕打ちを世に訴え出るために、大火にならないように工夫をして店の天井に放火し、揃って自首したという(嘉永2年・1849年梅本屋事件)。

 

放火の大罪を犯した彼女たちを裁いた遠山金四郎景元(遠山の金さん)は、一応は罰を与えたものの死罪にはせず、不当な虐待を働いていた店主佐吉の罪を認めて島流しとしたという。

 

梅友屋での顛末については、佐吉のお抱え遊女だった桜木が書き残した「おぼへ帳」というものに詳細に書き残されていたそうで、当時の裁判所記録にも綴じ込まれ、事件の全貌は「梅本記」(東北大学図書館の狩野文庫所収)としてまとめられたという。

 

日記って、大事だなあと、つくづく思った。

 

 

(_ _).。o○

 

 

歴史といえば、歴メシネタ。

 

今回見たのは「吉原遊廓」では、梅本屋の遊女たちの悲惨な食事のみ紹介されていた。

 

腐った漬物と、ごはん。それだけ。(´・ω・`)

 

佐吉はたぶん地獄に落ちたことだろう。

 

あまりにも物足りないので、Kindle unlimited「読み放題)で利用できる観覧書籍を探してみたら、一冊あったので、早速ダウンロードしてみた。

 

「江戸の色町 遊女と吉原の歴史 江戸文化から見た吉原と遊女の生活」

 

 

本書のなかに、「遊女はどんなものを食べていたか?」という章があって、食事事情が少し紹介されていた。

 

梅本屋ほどではなくても、吉原の楼主はみんな吝嗇で、売れっ子ではなき遊女たちの食事は一汁一菜、ご飯は盛りきり一膳、おかずも、野菜の煮物や漬物程度だったそうだ。

 

身体をはった仕事なのに、そんな食事で足りるはずもない。身分の低い新造(しんぞ)や禿(かむろ)たちは、前夜の宴席の残り物を小鍋で煮て食べたりしていたのだとか。

 

上客のいる遊女たちの食事は豪華で、お客のお金で宴席料理を味わい、自腹であれば出前を自由に取ることもできたという。

 

気の利いた泊り客だと、遊女の朝風呂を待って、配下の新造なども引き連れて、茶屋へ寄って湯豆腐や朝粥を振る舞うこともあったとか。

 

朝から湯豆腐とお粥。

健康的ではある。

美容にもいいかもしれない。

 

 

 

帰ってきたコロナ日記(最終回かも)

昨日処方してもらった咳止めが効いたのか、咳が八割がた落ち着いて、昨夜はよく眠れた。

 

今朝の体温は37.0度、酸素飽和度は98。

 

ハーシスに加入しておいたら、保健所から電話がきた。今日一日を寛解日として、療養期間を修了とし、明日から外出してもいいとのこと。

 

明日の息子の精神科外来の代理受診に間に合って、本当によかった。

 

まだ体力は戻っていなくて、立ち歩いただけで少し動悸がする。これが後遺症だとしても、前回の感染のときと同じだとすれば、最悪でも七ヶ月で終わる。無理せずゆっくり戻していこう。

 

先に療養解禁となった家族たちは、すでに通常の生活に戻りつつある。

 

末っ子は今日から登校再開。オミクロンのせいで、模試を一回受けそびれて落胆していたけど、なんとか頑張ってほしい。

 

長女さんは亭主と一緒に療育手帳の更新のために役所に出かけた。息子はいま亭主に連れられて買い出しに行っている。

 

私は快気祝いをかねて、KindleNHKオンデマンドの登録をしてみた。大河ドラマを含め、膨大なコンテンツが見放題になる。しばらくの間、楽しもうと思う。

 

とりあえず今日は「歴史探偵」の「吉原遊廓」の回を見ている。「鎌倉殿の13人」で比企能員を演じていた佐藤二朗氏が探偵社所長をしていて、なかなか楽しい。

 

 

 

 

帰ってきたコロナ日記(療養期間ほぼ終了)

これまでの経過のまとめ。

 

9月2日(金曜日)

息子の介護施設の職員さんからコロナ陽性が出たと連絡あり。息子は濃厚接触者には当たらないけれども、抗原検査をしてもらい、陰性だったとのこと。

 

けれどもその後、息子が利用している福祉サービス関連でコロナ感染が出て、息子が濃厚接触者に認定されたため、5日間の自宅待機が決まった。

 

この数日前から、長女さんがお腹の不調を訴えていた。

 

9月3日(土曜日)

この日予定されていた、息子の福祉サービスの遠足は辞退した。

この日の時点で、息子は無症状。

 

夕方、息子が大パニックを起こす。

咳などの目立った風邪症状はなかったけれど、もしかしたら具合が悪かったのかもしれない。

長女さんのお腹の不調も続いていた。

 

9月4日(日曜日)

私は微かに喉に違和感が出始めていた。具合が悪いというほどではないものの、動くのがひどく億劫で、横になっている時間が長かった。

 

長女さんが微熱を出し始め、息子も少しだけど咳をし始めた。

 

9月5日(月曜日)

 

長女さんが38度超えの高熱を出し始める。喉もかなり痛いという。

 

息子は平熱だけど、頻繁に咳が出るようになった。けれども食欲はあって、顔色もよく、元気に動き回っていた。

 

亭主は咳や喉の痛みはないものの、口がひどく乾くと言っていた。二年前のコロナ感染でも同じ症状があったと記憶している。

 

私は喉がかなり痛んで、声が出にくくなり、起き上がるのもつらいレベルだったけど、夜になるまでは平熱だった。

 

末っ子は、この時点ではまだ無症状。

 

亭主がドラッグストアで抗原検査キットを5個買ってきて、まず、濃厚接触者の息子と高熱のある長女さんの検査をやってみたところ、息子は陽性、長女さんは陰性と出た。

 

↓ドラッグストアで購入した「COVID-19 Antigen ラピッドテスト」

f:id:puyomari1029:20220912153104j:image

 

かかりつけの病院の発熱外来(実質的にはPCR検査外来)を受診しようと電話をかけたところ、本日の予約は終了したと言われた。予約は朝10時までの電話受付で、定員いっぱいになったら終了とのこと。数ヶ月前までは予約は不要だったのに。第7波で受診者が爆裂したからかもしれない。

 

他の病院を探したところ、二年前に私が入院した病院が、ネット診療を始めたことがわかった。抗原検査の結果を、ホームページにある問診票フォームから送信すれば、診断してくれるという。

 

亭主が手続きをしたところ、すぐに折り返し医師から電話が来て、息子の陽性の診断をしてくれた。保健所等への連絡も病院から回してくれるとのことだった。

 

末っ子は登校していたので、亭主が学校に電話を入れた。ちょうど放課後の受験講座が始まるところだったそうだけど、すぐに教室に連絡がきて下校させられたという。

 

下駄箱に向かう途中、廊下で末っ子が嫌っている先生とすれ違い、「うおおっと!」と大袈裟なアクションで避けられたという。おふざけのつもりだったんだろうけど、人によっては命に関わる感染症なのだし、患者の家族にかましていい冗談とも思えない。末っ子が、出席できるようになったらヤツに蹴りを食らわすと真顔でいっていたので、私の分も1割増しぐらい食らわしておくようにと言っておいた。あ、「禿げ増し」の呪いも送っておこうか。

 

夜になって、私も熱が出始めたので、抗原検査キットを使ってみたのだけど、陰性だった。

 

 

9月6日(火曜日)

 

朝起きたら、ほとんど声が出なくなっていた。

全身の倦怠感と、頭痛と腹痛と吐き気。とても酷い咳。食欲ゼロ。水を飲むのもしんどいほど。でも熱は37℃ちょっとで、高くはなかった。

 

長女さんの熱は39度を超えていた。

 

かかりつけの病院の発熱外来を予約。

午前中のうちに、私の運転で病院へ行き、長女さんと二人で受診した。

 

まず抗原検査を受けた。

結果、長女さんは陽性、私は陰性。

 

その後、私だけPCR検査を受けてから、薬局で解熱剤と咳止めを5日分もらって、帰宅。

 

末っ子はこの日はzoom授業を受けていた。

 

夜になって、亭主と末っ子も熱が出始めた。

抗原検査キットを使ったところ、亭主は陽性、末っ子は陰性。

 

私は熱が38度を超えて、カロナールを飲んでも平熱には下がらなくなっていた。咳が猛烈に酷く、胸や腹筋に痛みが出るほどで、睡眠がほとんど取れなかった。

 

亭主も39度台まで熱があがり、夜中に唸っていた。

 

9月7日(水曜日)

 

Amazonで、本日中に届くという抗原検査キットを注文し、末っ子の検査をしてみたところ、今度は陽性になった。さっそくオンライン受診のできる病院に問診票フォームを送って、陽性の診断を受けた。

 

真っ先に発熱した長女さんは、このころには症状が落ち着きはじめて、食欲も戻っていたれけども、喉の痛みだけは酷いと言っていた。

 

この日は長女さんの精神科外来の予約日で、処方薬をもらわないといけなかったのだけど、家族全員自宅から出られない状態なので、病院に相談したところ、電話受診で薬を宅配してもらえることになった。

 

息子は時折微熱が出るものの、咳の頻度は減ってきていて、食欲もいつも通り。ありがたいことにパニックになることもなく、iPadでマインクラフトなどやりながら、穏やかに過ごしてくれていた。

 

亭主と私と末っ子は、高熱と喉の痛み、咳、全身の倦怠感、頭痛、食欲皆無、その他たとえようもない具合の悪さをかかえて、完全にへたばり状態。この日から3日間が、一番つらかったような気がする。

 

9月8日(木曜日)

 

病院から電話が来て、私のPCR検査結果が陽性だったと伝えられた。症状を聞かれたので、とにかく咳と熱が酷いことを伝えたところ、来診時に処方した薬が無くなっても症状が続くようなら、電話で受診して薬を出すことができるから、具合が悪かったら、内科の先生たちの診療時間内に相談するようにと言ってくれたので、感謝しつつ深く心に記憶を刻んだ。

 

その後、保健所からも電話が来て、症状を聞かれたので答えたところ、肺炎等の重症化の心配があるから本日中に診察を受けられるように手配する、入院準備をして待っていてと言ってくれたのだけど…結果は以前の日記に書いた通りで、レントゲンもCTも撮ってもらえなかった。

 

↓徒労の受診記録

帰ってきたコロナ日記(ハーシス?なにそれ美味しいの?) - 湯飲みの横に防水機能のない日記

 

カロナールは欠かさず飲んでいたけど、夜、37.6度の熱が出た。

 

9月9日(金曜日)

 

このころには、長女さんはほとんど熱が上がらなくなった。

 

亭主も次第に落ち着きつつあるようだけど、まだかなり具合が悪そうに見える。それでもありあわせのもので家族の食事を作ってくれていた。

 

私の熱は39度を超えることはなくなったものの、37度台と平熱をいったりきたりしている感じ。咳がひどくて、CPAP睡眠時無呼吸症候群のための呼吸機器)を使えないので、朝起きると頭痛がつらい。食欲はないけど、根性で物を口に入れて飲み込んでいた。

 

末っ子も私と同じような感じで、ほとんど食事を取れないので、体重を減らしていた。

 

 

9月10日(土曜日)

 

昼間、37.5度の熱が出たので、その旨ハーシスに書き込んだところ、夜になって保健所から電話がきた。

 

息子と私は9月4日に発症したことになっているので、翌11日には7日間の療養期間が終了する予定だったのだけど、終了24時間前までに37.5度以上の発熱があった場合は、療養を継続しなくてはならないのだという。本当に解熱したかどうか確認しなくてはならないので、カロナールを飲まずに様子を見るようにと言われた。

 

というわけで、私の療養期間は1日延長が決まった。

 

9月11日(日曜日)

 

息子の療養期間が無事終了。

だけど他の家族がまだ療養中で付き添えないから、実質的には外出不可。本人、とても外に出たがっているけれど、待ってもらうしかない。

 

長女さんは、身体の怠さは残るものの、ほぼ治った様子。

 

私は微熱と平熱を行ったりきたりだけど、カロナールなしでも平熱の時間帯が増えてきた。

 

 

9月12日(月曜日)

 

亭主と長女さんの療養期間が終了。

二人とも、まだ本調子とは言えないものの、近所を出歩く程度には体力が戻っている。本当によかった。

 

というわけで、やっと、買い出し解禁。

お昼ご飯は、コンビニのサンドイッチを買ってきてもらったのだけど、なんだか妙に美味しく感じた。

 

誰も外に出られなかった前日までは、生協の食品宅配(週1配達)と、ネットスーパー(2回利用)で持たせていた。

 

今回、自治体による食料品の配給は利用しなかった。頼めば家族五人分の非常食(レトルト食品とごはんなど)が無料で届いたのだけど、自治体のホームページに、ほんとうに必要な方に届くようにしたいので、ネットスーパー等を利用可能な方はそちらを頼るようにというお願いがあったので、遠慮したのだ。

 

午前中に、私宛に保健所から電話があり、健康状態を確認されたので、熱はほぼ出なくなったものの、まだ咳が酷いこと、今日中にかかりつけの病院の電話診療を受けるつもりであることを伝えた。

 

保健所の人は、咳のことを重く受け止めたようで、熱はなくても慎重に考えるべきだと思うから、療養期間については、諸々確認の上でもう一度電話すると言った。

 

その後、かかりつけの病院に電話診療を申し込んだところ、折り返しで院長先生から電話をもらった。やはり肺炎を心配してくれたけど、療養期間が明けないと普通に内科を受診できないということで、咳対策で喘息の人の使う「レルベア200エリプタ」という吸入薬を出してもらうことになった。調べてみたら、ステロイドだった。たぶん効くと思う。亭主が薬局まで自転車で取りに行ってくれた。

 

長女さんは、久々に外歩きを楽しみ、最近発売された「スプラトゥーン3」を買って帰宅。末っ子と遊んでいるようだ。うらやましい。

 

 

息子も亭主に連れられて、買い物に出かけ、好きなジュースを買ってもらって帰ってきた。

 

末っ子は、明日から登校の予定。

 

あとは私が治れば、今回のコロナ騒動は一応収束するとこになる。なんかまた微熱がちらちら出てるんだけど、気合いで下げたい。

 

 

後遺症、出ないでほしい。ほんとマジで。

これからまた七ヶ月もほとんど寝たきりとか、たまらない。

 

 

 

 

 

鎌倉殿の13人(34)理想の結婚

コロナにかかっちゃったせいで、書くのが遅くなった。(´・ω・`)

 

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第34回「理想の結婚」を視聴した。

 

成長した実朝に、縁談が持ち上がる。お相手は、坊門信清(ぼうもんのぶきよ)の娘で、後鳥羽上皇の従姉妹だという。

 

時政の妻のりく(牧の方)だけでなく、実朝の乳母の実衣も、高貴な筋との縁談に乗り気で、気の進まない政子を二人がかりで言いくるめて、承諾させてしまう。

 

ドラマの中の実衣という人は、夫の阿野全成が亡くなって以来、権力志向ばかり強烈で人の気持ちを顧みることのない、利己的で残念な女性になってしまった。

 

ドラマでは、そもそも、父の北条時政が妻のりくにそそのかされて、頼家を呪詛するように阿野全成に依頼したのが、夫を失う原因だったはずで、実衣もそのことは知っているのに、それを利用して全成を殺した比企を恨むばかりで、父や義母りくの専横には目をつむっている。

 

そのまま実朝の地位が盤石になったとしても、いずれはかつての比企と北条のように、妬み嫉み恨みの連鎖が繰り返されそうなのは、ちょっと考えれば想像がつきそうなのに。

 

亡き阿野全成Twitterでも「誰も恨んではいけないよ」ってつぶやいていたのに……(´・ω・`)。

 

新納慎也(Shinya NÎRO) on Twitter: "今日から台本ももらってないので、本当に一視聴者として観ましたが。。。 (早倉殿の13人した) …なんというドラマなんだ。。。 もはや怖い。 でも、強烈に面白い‼️ 実衣ちゃん。強く生きてね。 誰も恨んではいけないよ。 #鎌倉殿の13人" / Twitter

 

Wikipediaカンニングしたところ、実衣は乳母として育てた実朝を失った直後に実の息子をも失うようだ。

 

脚本家さんは、ドラマの実衣の人生の結末をどんなふうに作るのだろう。できれば、あまり意地悪なことにならなければいいのだけど。

 

(_ _).。o○

 

鎌倉を掌握したい後鳥羽上皇の意向もあって、実朝の縁談は強引に話が進んでいくけれども、当の実朝は会ったこともない相手との政略結婚に心を暗くする。

 

ドラマの実朝は、少し内気で繊細な青年のようなのに、鎌倉殿としての暮らしはあまりにも過酷だった。

 

武芸の修練では、蛮族コンビの安達義盛と八田知家のしごきを受けまくり、政(まつりごと)の指導ではエリート文官の大江広元にギチギチに詰め込まれ、和歌は嫌味ったらしい源仲章のマンツーマン指導の強制受講、教育ママ化した乳母の実衣による監視もあり、実の母とは満足に交流できず、心を許せる友も部下もなく、外祖父とその妻は私欲にまみれてウハウハしているだけ……

 

当時の実朝は、まだ中学生くらいの年齢だったはず。

 

現代の若者だったら、盗んだバイクでどこかに走り去りたくなりそうな最低な境遇だ。

 



のちに実朝は、由比ヶ浜で唐船を建造させ、鎌倉から宗に渡ろうとして、失敗する。

 

船が不良品だったということだけど、鎌倉殿の外遊など気楽に許される時代とも思えないから、誰かの思惑で、わざと浮かばない船を作らせたような気がする。義時が苦虫を噛み潰しながら、船の建造を依頼された陳和卿に指示をだしたりしたのかも。

 

逃走も暴走も許されることのなかった実朝が、和歌の世界に自分の心の居場所を見つけるのは、必然だったのだろう。

 

息子が心を壊すことを心配する政子が、実朝に和歌を作ることを勧め、自ら和歌を大量に書き写して実朝のそばに置かせていた。

 

頼朝との間の子を既に三人(大姫、三幡、頼家)も失っている政子にとって、実朝が生き延びることが最大の願いだったのだろう。残念ながらその願いは叶わないのだけど、実朝の魂ともいえる思いは和歌に宿って多くの人に愛され、800年後の私の家の本棚にも並んでいる。

 

 

 

(_ _).。o○

 

縁談は実朝だけでなく、義時にも押し寄せてきた。

初恋の人だった八重を水難事故で亡くし、頼朝の後押しで後妻にもらった比奈とは家の問題で離縁に追い込まれるという、気の毒すぎる結婚歴を持つ義時だけれども、少なくともこの二人の妻の愛情は本物だった。

 

だけど、二階堂行政大江広元に猛烈プッシュされて向かい入れた、のえ(伊賀の方)という女性は、どうやら大変な地雷物件だったようだ。

 

義時に贈られたきのこの山を好物だと言って喜び、前妻比奈の残した子どもたちをあっさり手懐けてみせるなど、表面的には理想の後妻だったけれども、その本性は、義母りく以上の権力志向で、義時への思いなど微塵もなく、しかも大変に品のよろしくない女性だった。

 

取り柄があるとすれば、丈夫そうなところだろうか。

 

のえという後妻は、二十年ほど義時と連れ添い、5人も子どもを産むらしいのだけれども(Wikipediaによる)、夫の死後に何かやらかして、政子に成敗されるようだ。

 

一体どんな結婚生活を送るのだろう。

 

 

(_ _).。o○

 

毎度楽しみにしている歴メシコーナー…なのだけど、コロナでヨレヨレなので、調べ物をする余力がない。

 

それなのに、今回は食事・食材がたくさん画面に出てきた。

 

泰時夫妻の会話シーン。

二人は縁側(?)で瓜を切って食べていた。

 

採りたての色艶のいいナス。その横に添えてある葉物野菜は何だったろうか。見ただけでは種類がわからなかった。

 

輪切りにして干しているものもあった。蕪か、大根のようなものだろうか。

 

武芸の修練でヨレヨレになった実朝を、和田義盛が自邸に呼んで、自分で狩ってきた鹿を鍋にして振る舞っていた。鍋の中には肉ばかりが見えていて、肉以外のものが入っていたかどうかは確認できなかった。味付けは何だったのだろう。現代のもみじ鍋だと、醤油か味噌のようだけど。

 

時政が三浦義村と密談するシーンでは、鯛っぽい焼き魚が一匹だけ出ていた。その他、折敷の上にも小皿があったけど、中はよく見えなかった。

 

時政が賄賂で鮎をもらっているシーンもあった。りく(牧の方)の好物だと言っていたけど、もうすぐ「畠山重忠の乱」や「牧の方事件」が勃発するはずなので、ゆっくり味わう暇があったかどうかは分からない。

 

 

 

 

帰ってきたコロナ日記(あと2日で自宅療養解除)

昨夜はひどい寝汗をかいた。

 

熱は下がってきているけど(今朝は36.5度)、相変わらず、咳が酷い。

 

喉の痛みは和らいできた。ものを飲み込むときの痛みもずいぶん軽くなってきた。

 

自宅療養期間が短縮されたとかで、発症日(0日目)が9月4日である私は、11日には期間が終わる。

 

さきほど保健所から電話が来て、明日一日は、カロナール(解熱鎮痛剤)を飲まないようにと言われた。自力で37.5度以下(未満?)まで解熱しているのを確認できなければ、自宅療養解除できないからだという。

 

咳は出ていても問題ないそうで、療養解除後もゲホゴホしている患者さんは多いのだと、保健所の人は言っていた。

 

保健所の人は、明日(日曜日)も確認のために電話をくれると言っていた。ご苦労様なことだ。

 

ハーシス、あんまり意味なくない?

 

あ、でも、こんなに電話がくるのは、我が家では私だけだ。

 

亭主と息子と末っ子は、自宅で抗原検査をしてから、地元のコロナ基幹病院(一昨年の私の入院先)でオンライン受診して、陽性診断をもらった。この3人には、病院が保健所の代わりに状態確認の電話してきていたけど、最初の一回くらいだけで、その後はかかってきていない。

 

それに対して、私と長女さんは、かかりつけの病院の発熱外来で検査してもらって、陽性の診断を受けている。こちらの病院では、電話による経過観察はしていないようだ。

 

でも保健所の電話が続いているのは私だけで、長女さんには来ていない。

 

私が高齢だからかしらとも思ったけど、同い年の亭主には、電話攻勢はない。

 

うーん、よく分からない。

声が出ないから、正直、電話応答がつらいんだけど。

 

ハーシス、頑張って書き込んでいるのに。

(´・ω・`)

 

まあ、あと2日だ。

 

肺炎の有無は分からないままだけど、自宅療養解除されても酷い咳が続くようなら、内科の外来に行こうと思う。熱さえなければ、レントゲンくらいやってもらえるだろうから。