湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「歴史探偵 吉原遊廓」(NHKオンデマンド)

NHKオンデマンドで「歴史探偵」を見た。

 

歴史を探偵する、という趣向のようで、スタジオは端的事務所に見立てられ、俳優の佐藤二朗川口所長役になっている。

 

佐藤二朗というと、「鎌倉殿の13人」でつい先日北条時政の騙し討ちで死んだ比企能員のイメージが強くので、おしゃれなスーツを着ていても、なんとなく直垂や鎧のイメージがチラついて見えてしまうのだけど、それはそれで面白いので気にせず試聴。

 

今回見たのは「吉原遊廓」の回。

 

吉原が、幕府の意向で計画的に建設されたアミューズメントシティであったこと、少なくとも江戸前期までは、実社会から隔絶された、豪華絢爛な夢の空間だったことが語られていた。

 

吉原大門の向こうには、整然と区画整理された町並みがあり、数多くのお茶屋や遊廓が立ち並んでいたという。訪れる人のために、「吉原細見」というガイドブックも出版されていて、花魁の格付けなども紹介されていたとか。

 

↓現物の「吉原細見」(香以山人著)がAmazonで売られてた。45000円とのこと。

吉原細見

吉原細見

Amazon

 

f:id:puyomari1029:20220913121211j:image

 

分かりやすい挿絵入り。初めて訪れる人はさぞかし頼りにしたことだろう。

 

17世紀の吉原の町では、桜をたくさん植えて夜桜見物を楽しませたり、仮装行列や曲芸も披露されるなど、多彩な催しがあったため、男性だけではなく、女性の観光客も少なくなかったと考えられているらしい。

 

でも豪華絢爛だったのは、江戸前期までで、大名や豪商があまりお金を落とさない江戸後期に入ってくると、遊廓の経営が厳しくなり、遊女を虐待するような店主も出てきたという。

 

とくに、梅本屋の店主佐吉は、実にろくでもない人間で、遊女たちに腐った漬物とご飯しか与えず、縛り付けて殴るなどの過酷な折檻も行い、時には二日ほど食事を抜かせることもあったという。

 

そんな仕打ちに耐えかねた梅本屋の遊女たち16人は、佐吉の非道な仕打ちを世に訴え出るために、大火にならないように工夫をして店の天井に放火し、揃って自首したという(嘉永2年・1849年梅本屋事件)。

 

放火の大罪を犯した彼女たちを裁いた遠山金四郎景元(遠山の金さん)は、一応は罰を与えたものの死罪にはせず、不当な虐待を働いていた店主佐吉の罪を認めて島流しとしたという。

 

梅友屋での顛末については、佐吉のお抱え遊女だった桜木が書き残した「おぼへ帳」というものに詳細に書き残されていたそうで、当時の裁判所記録にも綴じ込まれ、事件の全貌は「梅本記」(東北大学図書館の狩野文庫所収)としてまとめられたという。

 

日記って、大事だなあと、つくづく思った。

 

 

(_ _).。o○

 

 

歴史といえば、歴メシネタ。

 

今回見たのは「吉原遊廓」では、梅本屋の遊女たちの悲惨な食事のみ紹介されていた。

 

腐った漬物と、ごはん。それだけ。(´・ω・`)

 

佐吉はたぶん地獄に落ちたことだろう。

 

あまりにも物足りないので、Kindle unlimited「読み放題)で利用できる観覧書籍を探してみたら、一冊あったので、早速ダウンロードしてみた。

 

「江戸の色町 遊女と吉原の歴史 江戸文化から見た吉原と遊女の生活」

 

 

本書のなかに、「遊女はどんなものを食べていたか?」という章があって、食事事情が少し紹介されていた。

 

梅本屋ほどではなくても、吉原の楼主はみんな吝嗇で、売れっ子ではなき遊女たちの食事は一汁一菜、ご飯は盛りきり一膳、おかずも、野菜の煮物や漬物程度だったそうだ。

 

身体をはった仕事なのに、そんな食事で足りるはずもない。身分の低い新造(しんぞ)や禿(かむろ)たちは、前夜の宴席の残り物を小鍋で煮て食べたりしていたのだとか。

 

上客のいる遊女たちの食事は豪華で、お客のお金で宴席料理を味わい、自腹であれば出前を自由に取ることもできたという。

 

気の利いた泊り客だと、遊女の朝風呂を待って、配下の新造なども引き連れて、茶屋へ寄って湯豆腐や朝粥を振る舞うこともあったとか。

 

朝から湯豆腐とお粥。

健康的ではある。

美容にもいいかもしれない。