湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ラノベ読んだ日記

 

 

「最凶の人型魔導書に偏愛されているのですが。」(柏てん 著)

 

 

kindleの読み放題で読んだ作品。

 

表紙の絵の、いかにも鬼畜そうなロン毛男性が、「最凶の人型魔導書」のオプスキュリテ・グリモワールというキャラだ。

 

ラノベなのだから、最凶なんちゃらと言ってても、どうせヒロインにメロメロになって、ズブズブの相思相愛の極甘エンドになるのだろうと、たかをくくって(大いに期待して)いたのだけど、甘さなんぞすずめの涙程度も出ないまま、お話が終わってしまった。

 

オプスキュリテという魔導書は、人間の情愛には微塵も共感しない人外で、自分の持ち主となった日本人女性のイチカの存在も、交換可能な道具程度としか思っていない。

 

おまけにこの魔導書、自分の主人を懐柔して、完全に依存させて、すっかり信頼させたところで、冷酷無残に裏切って絶望させるのを、心から楽しみにしているのだ。

 

たいていのラノベであれば、ストーリーが進むにつれて、少しづつヒロインと情が通って、お互いにかけがえのない存在になって……ところだろうに、そういう美味しい展開は全くなかった。

 

つまり、恋愛要素皆無なのだ。

 

そういう意味では、とても稀有なラノベだと思う。

 

読んでいて、「魔界探偵脳噛ネウロ」の、ネウロとヤコの関係に似てるかもと思った。

 

 

 

ネウロも人情など全く持たない魔人だったので、たまたま取り憑かれてコンビを組まされたヤコとの関係は、王様と奴隷よりも隔たったものだった。

 

それでも長い物語の中で、互いに持たない力を補い合いながら、かけがえのない相棒になっていく。

 

恋愛要素がなくても、せめて多少の信頼関係が生まれていれば、もう少し面白かったのに。

 

 

 

「レディローズは平民になりたい」(こおりあめ 著)

 

小説家になろう」で読んだ作品。

 

前世でプレイした乙女ゲームのヒロインである貴族令嬢に生まれ変わってしまった女性が、俺様性格の王太子との婚約を破棄して平民になるべく、孤軍奮闘するお話。

 

ヒロインが貴族の身分と俺様な王太子を激しく嫌う理由は、前世の死因に深く関わる実兄からの虐待と、両親のネグレクトにあるようなのだけど、作中ではその詳細は明らかにされない。

 

乙女ゲームのシナリオ知識を利用して、自分のポジションをうまく悪役令嬢にシフトさせることに成功したヒロインは、まんまと王太子による婚約破棄宣言を勝ち取り、意気揚々と学園を後にする。

 

ところが、平民の地位と就職先を確保して、念願の自活を始めたヒロインの元に、ゲームで攻略対象だった貴公子たちが、次々と押しかけてくる。

 

彼らと迂闊に関わって、悪辣な令嬢などではないことがバレたり、うっかり恋愛の対象にされたりすると、問答無用で貴族の身分に戻されてしまう可能性もある。最悪の場合、王太子との婚約が復活してしまうこともあるかもしれない。

 

平民ライフを死守するために、ヒロインは細心の注意を払って対処しようとするものの、運命は容赦なく既定路線に突き進んでいき……。

 

この作品内では、ヒロインは無事に運命の改変を達成するのだけど、主要人物に関する、気になるフラグの多くが回収されていないので、きっとこれから続編が書かれるのだろう。

 

と思ったら、もう「聖女リリーは殺されたい」という続編がすでに書かれて、完結していた。作者様、ありがとう。

 

 

 

いろいろまとめた日記

 こんにちは。

 

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めまいの出口が見えてきた。

今日は一度も回っていない。

 

買った本のメモ



 

河合真理「 迷宮レストラン 第一巻」 NHK出版 

迷宮レストラン 第1巻

迷宮レストラン 第1巻

 

 

何年も前に、NHKの「きょうの料理」のテキストで「会員制不思議料理店」というタイトルで連載されていた読み物。

 

古代から近代までの歴史上の人物が食べていたかもしれない料理のレシピを再現している。

 

歴史と食べ物の組み合わせに目がない私にとって、この上なくうれしい連載だったので、ほとんどこの連載を読むためだけに「きょうの料理」のテキストを買い続けていたほどである。

 

テキストはもう手放してしまったので、いつかまとめて出版されないかなあと思いつつ忘れてていたのだけど、先日たまたまAmazonのストアでkindle版を見つけたので、大喜びでポチった。

 

kindle版は、第1~4集までの分冊になっているけど、紙の本は一冊にまとまっていて、「クレオパトラから樋口一葉まで」という副題がついている。

 

 

 

 宮沢章夫「時間のかかる読書」 (河出文庫)

時間のかかる読書 (河出文庫)

時間のかかる読書 (河出文庫)

  • 作者:宮沢 章夫
  • 発売日: 2014/12/08
  • メディア: 文庫
 

 

結局購入。

最初のところだけ、昨晩末っ子に音読してもらった。

 

  

昨日と今日のやったことリスト

 

  • 生協宅配の注文書を送信した(主に食材)
  • 寝る前の音読に村上春樹の「ラオスになにがあるというのですか」を読んでもらったけど読み手に不評だったので結局宮沢章夫の本を追加で読んでもらった。
  • ゲームは白猫プロジェクトと猫のニャッホとふにゃもらけ、その他
  • フラの練習
  • 化粧品を買った(ヤクルト)
  • 障害者就労支援センターに電話相談

 

もう二十年以上、ヤクルト化粧品を愛用している。

毎年新しく発売されるコフレを訪問販売の方からクリスマス頃に購入して、そのなかに入っているファンデーションやおしろい、リップクリームやアイシャドウなどを、一年使い続ける。

化粧水や乳液は、一番お手頃値段のシリーズものを、無くなるタイミングで購入。

 

化粧品には極力お金をかけないのだけど、クリームだけは、ちょっと高いリベシィシリーズのものを使っている。


リベシィシリーズのグリーン系の香りは、青葉アルコールという成分に由来するものだとか。試供品をもらったときに、その香りが大好きになって、自分へのご褒美的なアレで購入した。


(ただリベシィシリーズの成分表示を見ても、どれが青葉アルコール系なのか、化学の素人にはよくわからない…)


青葉アルコールの香りは、動物実験などで、ストレスを解消して脳を活性化させる効果があることが立証されているのだそうだ。


アカゲザル(Macaca mulatta)に青葉アルコール、青葉アルデヒド、サルの好物であるバナナの香りをそれぞれ暴露した実験によると、脳の異なる部位に血流が現れ、また、みどりの香りを与えたときに、バナナのそれに比べて優位に血流が流れることが見出された。

 

Wikipedia「みどりの香り」

 

midorinokaori.jp

 

なんてことを書いていたら、緑茶が飲みたくなった。(´・ω・`)

 

今日のやることリスト

 

  • スキンケアをする。せっかく化粧品を買ったのだから、サボらないようにがんばろう、と毎月思う。
  • 家族の障害者手帳の更新書類を市役所に取りに行く。
  • 本の整理(やろうやろうと言いながら、毎日どんどん散らかっていく)



過去日記をだいぶ更新しているけど、リンクはまた改めて。

 

 

 

音読日記…宮沢章夫「百年目の青空」と蛇足。


一昨日の夜の音読で末っ子に読んでもらって、爆笑して寝た本。


宮沢章夫「百年目の青空」(マガジンハウス)

 

百年目の青空

百年目の青空

  • 作者:宮沢 章夫
  • 発売日: 1999/04/01
  • メディア: 単行本
 

 
エッセイ集。

たぶん、読んでもらう順番が秀逸だったんだと思う。


最初は、「くしゃみの問題とその対策」という文章だった。


人は、あまりに「くしゃみ」のことを知らなすぎるのではないだろうか。


と始まるこの文章は、衝撃的な事件を報告する。

 

 たとえばある知人の場合はすごかった。お盆にいくつか湯飲みをのせ、これから客に出そうとしたときだ。何かの拍子に「くしゃみ」をしてしまった。「くしゃみ」の反動で、お盆の上の湯飲みが数十センチ空中に浮かんだのを私は見たのだ。


「湯飲みを空中に浮かばせる力」


もちろん、超能力といった種類の力が働いているのではない。それはただの、「くしゃみ」だった。「ただの、くしゃみ」だからこそ、私は驚いたのだ。

 

想像を絶するようなエネルギーがそこに出現した。


(宮沢章夫「百年目の青空」くしゃみの問題とその対策)

 

(引用文中は読みやすいように行間を開けるなど改変している)


 


数十センチ空中に浮かんだ湯飲みが、その後どうなったのかを、この文章は報告しない。

 

どうなったんだろうか。

 

液体の入った複数の湯飲みが垂直に上昇し、そのまま垂直にお盆に落下して事なきを得たのだとしたら、それは一種の奇跡である。そんな奇跡はまず起こらないから、十中八九、大惨事となったはずだ。

 

なのに、想定される大惨事について著者はきっぱりと切り捨てて語らず、話は次の出来事に移ってしまう。

 

あるいは、「くしゃみ」が原因で、ぎっくり腰になってしまったまた別の知人のことを私は知っている。

 

やはり、お盆に湯飲みをのせて運ぶ途中だったという。そのとき、「くしゃみ」が出た。もちろん、本来なら湯飲みののったお盆が空中に浮かぶはずだったのだが、そのことを知っていたその知人は、お盆を飛ばさぬよう、腕が動かぬようにとそのことに気を使ったのだ。だが、エネルギーがそれで消滅してしまうわけではないことを忘れてはいけない。エネルギーは不変だ。「くしゃみ」のそれが確実に存在するとするなら、それはどこに行ってしまうのだろう。

 

腰である。

腰に来るのだ。

 

湯飲み茶碗を空中に舞い上げたほどのエネルギーが腰に集中するとしたらどうだろう。

 

「がぐぎが」といやな音がした。腰が音を立てたのである。それから知人は、丸一週間、動くことができなくなったという。そう考えてみれば、「一週間分の人の労働力」を奪う力が、「くしゃみ」ひとつに込められているのだということがわかる。

 

あなどってはいけない。
恐るべき力だ。

 

(宮沢章夫「百年目の青空」くしゃみの問題とその対策)

 

 


ここで一つ、気になることを指摘しておく。

最初に引用した文章では、

 

お盆の上の湯飲みが数十センチ空中に浮かんだのを私は見たのだ。


とある。つまり、空中浮遊したと書かれているのは湯飲みだけであって、お盆の上昇については触れられていない。

 

ところが、次の文章では、

 

もちろん、本来なら湯飲みののったお盆が空中に浮かぶはずだったのだが


とある。お盆が飛ぶのが「本来」だというのならば、最初の事例で湯飲みの飛翔についてのみ語られ、お盆の動向について言及のないのは不自然である。


何か、おかしい。

もしかしたら、


「本来ならお盆にのった湯飲みが空中に浮かぶはずだったのだが」


と書くべきところを、


「本来なら湯飲みののったお盆が空中に浮かぶはずだったのだが」


と書き間違えたのだろうか。


著者の「牛乳の作法」という本では、演劇を志す若い人々への指導として、目に入った注意深く観察して描写報告するという練習課題を設定した話があった。表題作である「牛乳の作法」が、それだったと記憶している。

 

牛乳の作法 (ちくま文庫)

牛乳の作法 (ちくま文庫)

 

 

 

そのような観察や描写の課題を提案するほどの著者が、湯飲みが盆ごと吹っ飛んだのか、盆を置き去りにして湯飲みだけが吹っ飛んだのかを、見分けられないはずがない。書き間違えの可能性は低いと思われる。


書き間違いでないとするなら、どのような意図で、お盆の動向をこのようにあいまいな形で提示しているのだろう。


初回の事件で、湯飲みは飛んだ。

そして、おそらくはお盆も飛んだ。

 

しかし初回の「くしゃみ」の引き起こした事件を描写するにあたって、著者は、まずお盆の存在を切り捨て、落下完了後の大惨事も切り捨てた。


なぜだろう。

本当の理由は著者に直接聞かなければ分からないけれども、推測することはできる。



お盆の上の湯飲みが数十センチ空中に浮かんだのを私は見たのだ。

 

初回の事件の目撃談は、このように、お盆と湯飲みとの距離に焦点が当てられている。

 

湯飲みたちは、あたかも多段式ロケットのごとくにお盆を中途で切り話し、さらなる高みへと飛翔したのだ。

 

そのような事象の主役として観察者の視線をまず勝ち取るべきであるのは、湯飲みである。


お盆は所詮役目を終えて早々に切り捨てられる下段のロケットに過ぎないのだから。


けれども誠実で正確な観察者として、著者は、「湯飲みだけでなく、お盆も飛んだ」という真実を完全に切り捨てることはできなかったのだろう。

 

その誠実さが「本来なら湯飲みののったお盆が空中に浮かぶはずだったのだが」という表現に投影されたのだと私は見る。


だから何だという話だけども。


で、この「くしゃみの問題とその対策」という文章で、末っ子と私は大爆笑した。


「湯飲みどうなったんだ?」
「受け止めたのか?」
「それはないだろう。落とすよ普通」
「うはははははは」
「わはははははは」


書かれなかった大惨事が、笑いの引き金を引いたのだ。

 


そして、次に末っ子が選んで読んだのは、この文章だった。

 

知人が腰をだめにした。


(宮沢章夫「百年目の青空」出られないものには入らない)

 

 

冒頭の一文で、すでに爆笑するほかはない。

 

「どんだけ腰悪くしてる知人がいるんだ」
「同じ知人じゃない?」
「むしろ本人かも」
「うはははははは」
「わはははははは」


先を読むにつれて、本人疑惑がじわりと深まる。

 

 

 

昨年の十二月三十一日、つまり大晦日のことだ。何かのはずみで腰に痛みを感じた。はじめはそれほどでもないと思っていたが、少しづつひどくなってゆく。といっても、かつての経験からすれば軽いほうで、本格的な腰痛なら立つことさえままならない。知人の痛みはそれほどでもなかった。この程度ならたいしたことではないとたかをくくっていたのがいけなかったのかもしれない。その翌日、つまり年が明けた元旦の朝だ。眼を覚まして立ち上がろうとしたが、思うように身体が動かないのに気がついたという。下手に動かせば腰に激痛を感じる。

 

かなりまずいことになっているのではないか。


(宮沢章夫「百年目の青空」出られないものには入らない)

 



「知人」の体験であるはずなのに、途中一か所「という」という伝聞の形式が出てくるだけで、あとはすべて直接的な経験を語る形式で書かれている。


最初に「知人が腰をだめにした」と断ってあるのだから、腰をだめにしたことについてのエピソードが知人のものであることは明白であり、すべての文に伝聞情報であるという形式を付帯する必要はない。


でも思うのだ。

 

この知人の話、伝聞情報にしては、やたらと実体験っぽい生々しさに満ちていないだろうかと。

 

劇作家ならではの文体なんだろうか。よくわからない。


腰痛本人疑惑に決着がつかないまま、お話は著者視点に切り替わる。



その話を聞いた数日後、書店で私は、腰痛に関する書籍を発見した。書名はひどく直接的でる。

『腰痛』

いきなりこうきた。なにかひねりがあってもよさそうじゃないか。しかし、これは日本語版の書名である。もちろん原題は英語だ。


『GOOD NEWS FOR BAD BACKS』


(宮沢章夫「百年目の青空」出られないものには入らない)

 


続いて、この本の内容が紹介される。

 

 

しかし「風呂の入り方」に関するアドバイスは貴重である。浴槽についてこう書かれている。


「出られないものには入らないこと」

 

(宮沢章夫「百年目の青空」出られないものには入らない)

 

 

 

「出られないものには入らないこと」

 


思わずこの「腰痛」の本を買おうかと思ったくらい笑った。

 

 

 


Amazonの書籍情報を見たら、中古品が49円で売りに出されているとあったけど、紙の本を安易に増やさないと決めているから思いとどまった。


ちなみに末っ子は、この箇所以降の音読を拒否。私も「セックス再開のときの心得」なんぞを子どもに音読してもらいたいとは思わないから、拒否を了承。


その次に読んでもらったのは、「爆発と死について」という文章。



知人の祖母がある日、ぽつりと、こう口にしたという。


「爆発するのはいやだねえ」


(宮沢章夫「百年目の青空」爆発と死について)

 

 


著者の知人の層がどうなっているのか全く知らないけれども、私の頭の中では、この本に出てくる「知人」について、

 

くしゃみで湯飲みをふっとばし腰痛になって「セックス再開のときの心得」についての詳細なアドバイスの書かれた「腰痛」という本を贈られたかもしれない人


というプロフィールが出来上がってしまっている。

 

そこに「爆発するかもしれない祖母がいる」という一文が加わったところで、音読終了。


「爆発」については、その後も気になっていたので、今日になってネット検索して少し調べた。


ペースメーカーを体内に埋め込んでいる方が亡くなって、火葬が行われる場合、爆発する場合があるのだという。「知人の祖母」が気にしていたのは、火葬時に体内のペースメーカーが爆発することだったのだ。


私が気になったのは、死後のペースメーカー除去に保険が効くのかどいかということと、除去可能な環境ではないところで亡くなった場合に、どうするのかということだ。


調べたところ、どうやら保険は効かないようだけれども、病院で亡くなった場合は、無料で除去してもらえる場合もあるらしい。

 

自宅で亡くなったり、病院で除去が行われなかった場合のことは詳しくは分からなかったけれども、火葬場の設備によっては、事前に報告があれば問題なく火葬が行える場合もあるということのようだった。


ふむ。

 

ところで全くの蛇足なのだけど、この文章を書いている途中で、ウィキペディア宮沢章夫氏の記事をナナメ読みしていたら、「来歴」のところのおしまいに、「2019年に暴力事件を起こしたことで停職処分を受け、第64回岸田國士戯曲賞の選考を辞退した」とあって、はあ? となった。


劇作家って、停職処分されるような職種だっけと思ったら、そちらではなくて、「早稲田大学文学学術院文化構想学部教授」のほうだったようだ。


俳優を殴っちゃったらしい。


暴力もハラスメントも、ものすごく大嫌いだ。
バイオレンス作品は読んでも、パワハラ的な意味でリアルにバイオレンスな作家の作品は読む気がしない程度には、大嫌いだ。


若いころ、井上ひさし氏の作品が好きでよく読んでいたのだけど、前の奥さんを殴る蹴るしながら書いていた作品だという話を知ってから、どうにも読む気がしないまま、四十年もたってしまったほどである。


でも末っ子に音読してもらって大笑いした宮沢章夫氏の著作が、私は好きだ。

 

この「好き」と「大嫌い」に折り合いをつけられるほど、私の頭は大人ではない。


だから困った。


なぜ、彼らは、自分より立場の弱い相手を殴ってしまうのだろう。


井上ひさし氏の場合は、義父による虐待と、孤児院時代の凄惨ないじめなど、トラウマ満載の感のある成育歴が、殴る人格の土台になっていたのかもしれないと、いまなら思える。

 

もしもそうだとすれば、井上ひさし氏に関しては、「殴る」ことは、精神の傷に由来するものであり、難治性の病気に近いようなものであると言えないだろうか。


作家が傷を持つこと、病気であることを理由に作品を否定していたら、この世から文学作品が多く消えていくことになりそうだ。それはこまる。


暴力的な作家の作品を排斥するというのなら、マルキ・ド・サドの小説など発禁だろうし。


(あ、読む予定はとりあえずない。三島由紀夫の「サド侯爵夫人」だけでお腹いっぱいだ)

 

暴力は容認できない。

社会的にはもちろん、私の個人的な心情でも容認は不可能だ。

 

でも、殴る作家の作品だから排斥し、読むのを拒絶するというのは、やはり違うように思う。


私の読みたいものを書いてくれる作家は、そういう、心に深い傷をもっている人であるかもしれないのだから。

 

折り合いはつけられないけれど、見方を変えることで、自分が作品を拒絶しないようにコントロールできる程度には、私も大人になったということか。

 

 

途中からものすごい脱線だったけど、とりあえず今回はここまでとする。

 

 

 

 

 

 

午前中の日記

おはようございます。

 

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静岡におでかけしているふにゃもらけ君の画像。

富士山がデカい。

 

中学の修学旅行が、東京〜熱海〜静岡だった。

富士山の近くにある野外美術館が、とても楽しかった記憶がある。もう40年以上も経つけど、いまもあるのなら、また行ってみたい。

 

 

健康観察

 

めまい、少し。だいぶ減ってきた。

頭痛、少々。

 

昨日は室内で少し運動しようと思って、また太極拳の動画を見ながら練習してみたけど、無理だった。空間認知の弱すぎる私に、四肢全部がねじれの位置になるような複雑玄妙な動きの模倣は不可能だった。

 

で、フラダンスに切り替えた。

もちろんフラダンスだって難しいけど、同じ動きの繰り返しも多いから、少しづつ覚えていけば、なんとかなりそうに思えたのだ。

 

結果、不可能ではないけど、甚だ困難であると判明。

 

まず、カオと呼ばれる、基本の足腰の動き。これは何とかなった。

 

両足を多少離した状態で膝を軽く曲げ、片膝ずつ屈伸を繰り返すことで、腰をU字に動かしていく。

 

だけど、これに横移動がつくと、もう難しい。

 

足を右に踏み出したら、腰は左側が上がっている。踏み出した足と反対側の腰を上げるためには、踏み出していない側の膝を伸ばす必要がある。そして、頭と肩の高さは不変。

 

それを流れるように続けていくのだ。

 

世の中の踊れる人々の脳は、ほとんど奇跡のような発達を遂げているのではないかと思う。

 

基本のカオだけでも、いまの私には良い運動になるので、もうしばらく続けてみよう。腰回りの血行促進になるから、ギックリ腰の予防にもなりそうだ。

 

 

今日のやることリスト

 

  • 運動
  • 何か本を一冊買う
  • 部屋の整理

 

たまには読み放題本ばかりではなく、有料買取のkindle本を買おうかと思って、Amazonのストアを見るけれど、なかなか一冊に決められない。

 

宮沢章夫のエッセ集で、末っ子との音読に使えそうなのがないかと思ったのだけど……

 

『資本論』も読む (幻冬舎文庫)

『資本論』も読む (幻冬舎文庫)

 

 

「『資本論』も読む」……読んでみたい。あ、マルクスじゃなくて宮沢章夫氏の作品のほうを。

 

でも、幻冬舎文庫なのが、ひっかかる。

津原泰水氏作品の出版取り消し騒動の印象があまりにも悪すぎて、どうにも幻冬舎の本を買う気にならないのだ。あのときに出版取り消しになった「ヒッキーヒッキーシェイク」(ハヤカワ文庫)がとても面白かっただけに、なおさら幻冬舎の印象は悪化していたし。

 

 

ヒッキーヒッキーシェイク (ハヤカワ文庫JA)
 

 

 

でも、本に罪があるわけでもないし。

やっぱり買おうかな。

 

他の出版社から出ている作品はどうだろう。

 

 

時間のかかる読書 (河出文庫)

時間のかかる読書 (河出文庫)

 

 

「時間のかかる読書」(河出文庫)。

なんか表紙がすごい。

 

Amazonの書籍紹介によると、「横光利一の『機械』を十一年かけて読んだ」とか、ものすごいことが書いてある。

 

機械

機械

 

 

一時間あれば読めそうな短編に十一年の歳月をかける人が、マルクスの大著をどうやって読んだのか。ますます幻冬舎文庫のあの本が欲しくなる。

 

どっちにしようか。

 

うん、まずは河出文庫にしよう。

 

お値段、倍もするけど。

 

 

外、猛烈な土砂降りになってきた。

 

 

 

普通の日記

こんにちは。

 

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昨日、一昨日と腹痛が続いてつらかった。

胃が気持ち悪いのもあったけど、たぶんめまいのせいだろう。

 

今朝は朝食を食べても平気だったので、一安心。

 

めまいは、ゆっくりと消えつつある感じ。

寝起きと、日中の暑いときに、多少悪化するようなので、体温調節と水分・ミネラル補給に気をつけながら、出来るだけ同じ姿勢を続けないように気をつけている。

 

 

昨日と今日のやったことリスト

 

  • 教会学校にひさしぶりに出席。
  • 昨夜の末っ子音読は宮沢章夫の「百年目の青空」。爆笑だった。
  • 風で飛びそうなベランダのものを多少片付けた。台風の動向が気になる。
  • 布マスクを洗った。

 

本を音読してもらうのが面白いのは、途中でツッコミを入れられるからかもしれない。つまり、ほぼ読書会なのだ。

 

 

今日のやることリスト

 

  • 部屋の整頓(なかなか進まない)
  • 音読書籍の選択(楽しみ)
  • ぬか床をかきまわそう。
  • そういえば数日血圧を測ってなかった。測ろう。
  • 過去日記の整理

 

のんびりと。

 

読んだラノベメモ

 

松本せりか 著「二度目の人生悪役令嬢として追放されました。ななんでこの世界に前世での夫が付いて来てるのですか。」

 

カクヨム」で読んだ完結作品。

いわゆる悪役令嬢転生物だけれど、主人公の前世が凄かった。

 

(以下ネタバレ有り)

大正生まれだった彼女は、女学校在学中に親の決めた相手と結婚したものの、夫は家庭や妻を全く顧みず、愛人を何人も拵えたまま兵隊に行ってしまう。主人公は、子どもたちと愛人一同をひたむきに守りながら戦火を生き抜き、戦後は愛人団の世話と、心の全く通わない夫の介護をやりきって、天寿を全うする。

 

で、あの世に行ったと思ったら、わけのわからない神に召喚されて、「のんびり暮らしてもらうだけめいいから」などと丸め込まれた上で、問題だらけで破滅寸前の異世界に、聖女として送り込まれてしまう。

 

それだけならまだしも、前世の記憶が蘇ったのと同時に、王太子に婚約破棄と、実質的には死刑である国外追放を言い渡される。

 

しかもその追放への同行を買って出たのが、前世の最低夫だった……。

 

お話が進むにつれて、前世の夫の側の事情も明らかになって、実は相思相愛だったとわかるのだけど、妻が寛容な「良妻賢母」であるという評判を落としたくない一心で、名目上の愛人を大量に囲ったなどというのは、いくらなんでも女心が分からなすぎてアウトだろう。

 

前世夫以外の脇役にもなかなか酷い人材が揃っていたので、それらの言動にイラつきつつも、最後まで一気読みさせられた。