湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

避難所のこととか正岡子規とか万葉集とか

おはようございます。

 

昨日は快晴でしたが、今日は雨が降っています。

 

台風は過ぎ去っていきましたが、各地の被害のひどさに言葉が出ません。

 

おとといの夜の不安が尾を引いているのか、身体がどんより重いです。
携帯電話が頻繁に警報を鳴らすのが、なかなかキツかったですが、古来から「荒れる」ことで有名な川が徒歩圏内にあるのだから、仕方がありません。

 

被害報道をあまり見続けていると、心身にダメージがくるので、必要最低限にとどめるようにしています。

 

これは、同時多発テロのときに得た教訓です。

崩れ落ちる世界貿易センタービルの映像を、エンドレスのように放映するテレビの前にずっといて、その後、一か月以上も入院して点滴生活するハメになりました。テロの報道が直接の原因ではありませんでしたが、映像に誘発される強い不安と不眠とが、持病悪化や、免疫系の不具合の引き金を引いたのは、間違いないと思っています。


そういえば、近隣のショッピングセンターが、車の浸水被害対策のために屋上駐車場を解放していたのだということを、台風が来ている最中に知りました。

 

大型台風が来そうだというときには、可能なら、先に車を避難させるべきかもしれません。もっとも、近隣の車の台数を考えれば、早いもの勝ちの取り合いになるかもしれませんが…。

 

車どころか、避難が必要な住民全員が、設定された避難所には入りきらないのじゃないかという、考えたくもない現実が、台風19号のおかげで明らかななったようでもあります。

 

もっとも、重い障害のある息子のいる我が家の場合は、避難所が確保されていたとしても、そこに入ることは難しいでしょうけども。

 

東日本大震災、熊本の大震災の経験から、重度障害、難病者への避難時の配慮については、少しずつ日が当たっているようではありますが、全員が守られるという状況には程遠いだろうと思います。実際、地域の福祉避難所の周囲、水に漬かって通行止めになってたみたいですし。浸水、大丈夫だったのかな。(´・ω・`)

 

 

www.hazardlab.jp

 


というわけで、基本は自衛(非常用物資の確保等)。

どうしようもないときに、頼れる場所を普段から意識して、どう動くべきかを想定しておく。できることは、それくらいでしょうか。

 

正岡子規万葉集の「すずし」

 

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秋風

台風のあと、また暑くなるのかと思ったら、そうでもない。風はひんやりとして、秋の気配が強くなってきた。


というわけで、正岡子規の「すゞし」という短文を、青空文庫で読んでいる。

 

「すゞし」といふ語は「すがすがし」のつゞまりたるにやと覚ゆれど、意義稍変りておもに気候に関して用うる事となり、「涼」の字をあてはむるやうにはなりぬ。月令には「涼風至白露降」といふを七月としたれば涼風は初秋の風なるべし。されば支那の詩亦多くは初秋に涼の字を用う。すゞしといふ語は万葉には無きかと思はる。  

                (正岡子規「すずし」青空文庫)

 


「すゞしといふ語は万葉には無きかと思はる。」と、子規先生はいうけれど、萬葉集総索引をみると、少ないながら、「すゞし」と詠んだ歌は存在している。

 

子規は見落としたのか、あるいは、「すずし」とは違う読みを採用していたのかもしれない。



 

初秋風涼しき夕(ゆふべ)解かむとそ紐は結びし妹に会はむため  大友家持

                      (万葉集 巻二十 4306)


詞書に「七夕の歌八首」とあって、その冒頭の歌である。


意訳(誤訳もしくは迷訳)してみる。


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やっほー
ひさしぶり!

俺俺

 

何してたの?

俺はいま起きたとこ
着替え中

 

寝坊すぎるって?
ゆうべもいそがしかったんだよ
仕事がね、いろいろとね

 

浮気?
してるわけないって
一年間、ずっとキミのことだけ思ってたんだから

 

今夜行くからさ、待ってて

しっかし、もう秋だな
風がひんやりしてる

 

着替え、ウザイなあ
どうせすぐ脱ぐのにな

 

でもまあ、一年ぶりだから、ビシッとキメていくよ
楽しみにしてくれよ!

 

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すずしい風が、さむーく感じる気がするのは気のせいだろうか。


(´・ω・`)

 

 

 青空文庫版、正岡子規「すゞし」は、kindleでも無料で読めます。

すゞし

すゞし

 

 

 

 

台風一過・他

台風19号

 

おはようございます。

台風一過、すばらしい青空が上空に広がっています。

 

災害報道の緊迫感を嫌う息子が、テレビをつけさせてくれないので、ネットでニュースを拾っています。

 

息子が普段、福祉サービスで連れていってもらっているあたりは、完全水没している様子。

 

我が家は某一級河川の近所で、避難勧告がじゃんじゃん出るような地域に居住していますので、どうなることかと固唾をのんで夜を過ごしていました。最寄りの避難所よりも、うちのほうが「高い」ので、家族全員、しずかに家におりましたが、万が一堤防が決壊すれば、とんでもないことになりますので、心配でなりませんでした。

 

まだ被害の全貌が見えてこないですが、人命にかかわる状況が増えないことを、祈るばかりです。

 

 

マンガよんだメモ

めずらしい、近代皇室(フィクションだけど)をあつかった少女マンガ。

 

パレス・メイヂ 1 (花とゆめコミックス)
 

 

メイヂ天皇のあとをついだ女性天皇と、侍従見習いとして働く男子学生の物語。

 

架空の日本だけれど、背景となる社会は、大正時代となるのだろう。

 

物語のなかでは、皇位を継いだ女性は、退位後も生涯未婚でいなくてはならないという規則があるようで、ヒロインの上様は、そのために宮家の男性との婚約を解消している。ところがその宮様は、上様との結婚を諦めきれず、自分にふりかかる縁談を蹴散らしながら、上様に迫ってくる。

 

一方、上様に侍る学生は、自分の恋心がかなうはずもないことを知りながら、一途に上様を慕い、できる限り彼女を守ろうとする。

 

この先どうなるのか、気になる作品。

完結してるようだから、一気に読みたいけれど・・・しばらく我慢。

(´・ω・`)

 

大正時代の文学作品というと、白樺派とか、芥川龍之介とかだろうか。宮沢賢治も入るのかな。川端康成は昭和の作家だと思っていたけど、「伊豆の踊子」は大正15年(昭和元年)の発表だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

台風とか漱石の二百十日とか表現の自由とか


おはようございます。m(. .)m

 

気持ち悪いサイズの台風が迫ってきていて、大雨洪水警報、強風、雷注意報など出ていますが、いまのところ我が家のあたりは普通の土砂降りが続いています。

 

このまま何ごともなく素通りしていってくれるようにと願うばかりですが……

各地で竜巻、冠水など、もういろいろ起きている様子。

 

とりあえず、食料、飲料の備蓄と、お風呂にためた水がありますので(今朝息子が入れてた)、用心しながら様子を見ます。

 

 

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19号

 


二百十日


台風が近づいているので、なんとなく、漱石の「二百十日」を読んでいる。

 
圭さんと碌さんという、二人の男性の、どことなく落語みたいな会話がずっと続く。
二人は、阿蘇山に登るたびに旅をしてきたようだ。

台風は、序盤では出てこない。

 

「全体豆腐屋の子がどうして、そんなになったもんだね」
豆腐屋の子がどんなになったのさ」
「だって豆腐屋らしくないじゃないか」
豆腐屋だって、肴屋だって――なろうと思えば、何にでもなれるさ」
「そうさな、つまり頭だからね」
「頭ばかりじゃない。世の中には頭のいい豆腐屋が何人いるか分らない。それでも生涯豆腐屋さ。気の毒なものだ」

(夏目漱石二百十日青空文庫)

 


圭さんは、豆腐屋の息子だったらしい。けれども、全く豆腐屋らしくなく、実際豆腐屋にもならなかったようだ。

頭がよくても、豆腐屋豆腐屋にしかなれない、というのは、社会の中の階級差による縛りへの批判だろうか。

その後、圭さんは、社会の中の上位者に対する嫌悪と、革命的な考えを、あからさまに口にする。

 

 

「いや、日に何遍云っても云い足りないくらい、毒々しくってずうずうしい者だよ」
「君がかい」
「なあに、華族や金持ちがさ」
「そうかな」
「例たとえば今日わるい事をするぜ。それが成功しない」
「成功しないのは当り前だ」
「すると、同じようなわるい事を明日やる。それでも成功しない。すると、明後日になって、また同じ事をやる。成功するまでは毎日毎日同じ事をやる。三百六十五日でも七百五十日でも、わるい事を同じように重ねて行く。重ねてさえ行けば、わるい事が、ひっくり返って、いい事になると思ってる。言語道断だ」
「言語道断だ」
「そんなものを成功させたら、社会はめちゃくちゃだ。おいそうだろう」
「社会はめちゃくちゃだ」
「我々が世の中に生活している第一の目的は、こう云う文明の怪獣を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰を与えるのにあるだろう」
「ある。うん。あるよ」
「あると思うなら、僕といっしょにやれ」
「うん。やる」

(夏目漱石二百十日青空文庫)

 


華族や金持ち」のやる「わるい事」について、具体的には書かれていないが、話の流れから考えて、弱者に対するハラスメントだろう。

 

そしてまだ、台風は出てこない。

 


「君の腕は昔から太いよ。そうして、いやに黒いね。豆を磨いた事があるのかい」
「豆も磨いた、水も汲くんだ。――おい、君粗忽で人の足を踏んだらどっちが謝るものだろう」
「踏んだ方が謝まるのが通則のようだな」
「突然、人の頭を張りつけたら?」
「そりゃ気違だろう」
「気狂なら謝まらないでもいいものかな」
「そうさな。謝まらさす事が出来れば、謝まらさす方がいいだろう」
「それを気違の方で謝まれって云うのは驚ろくじゃないか」
「そんな気違があるのかい」
「今の豆腐屋連はみんな、そう云う気違ばかりだよ。人を圧迫した上に、人に頭を下げさせようとするんだぜ。本来なら向むこうが恐れ入るのが人間だろうじゃないか、君」

(夏目漱石二百十日青空文庫)

 

 


華族や金持ちも、中身は豆腐屋と変わらない人間なのに、優位であることをかさに着て、筋の通らないふるまいをするのだと、圭さんは力説する。

 

どうやら個人的に、華族や金持ちがらみで、何かイヤなことがあったらしい。

 

それはきっと、頭を殴っておいて、殴った相手に謝らせるというような、理不尽な仕打ちだったのだろう。

 

その後ふたりは風呂に入り、宿屋のお姉さんに半熟卵を四つ注文したら、生卵二個と固ゆで卵二個が運ばれてきた。宿屋のお姉さんは、半熟卵を知らなかったのだ。

 

百年ちょっと前の、東京と地方の文化的な格差は、いまの日本からは想像もつかないほど大きなものだった。

 

阿蘇山は噴火して、夜にはその火が見えるほどだけれど、地元の人たちは女性でも平気で登るのだと、宿のお姉さんは話してくれる。
それに勇気を得て、二人は阿蘇に登るのだけれど、どしゃぶりの雨と強風に見舞われる。

二百十日の嵐は、恐ろしいものだった。

 

草の中に立って碌さんが覚束なく四方を見渡すと、向うの草山へぶつかった黒雲が、峰の半腹で、どっと崩れて海のように濁ったものが頭を去る五六尺の所まで押し寄せてくる。時計はもう五時に近い。山のなかばはたださえ薄暗くなる時分だ。ひゅうひゅうと絶間なく吹き卸ろす風は、吹くたびに、黒い夜を遠い国から持ってくる。刻々と逼まる暮色のなかに、嵐は卍に吹きすさむ。噴火孔から吹き出す幾万斛の煙りは卍のなかに万遍なく捲まき込まれて、嵐の世界を尽くして、どす黒く漲みなぎり渡る。

(夏目漱石二百十日青空文庫)

 

 

短い描写だけど、あらためて、漱石の筆力に圧倒される。

 

明治期にあって、尾崎紅葉樋口一葉のような千年以上にわたって積み上げられてきた古典を下地にした絢爛豪華な擬古文ではない、生まれたばかりの口語の日本語で、噴火する阿蘇山で嵐に襲われる状況を、いまどきのフルCGの映画のように表現してみせる凄みに、感じ入るほかはない。


嵐のなか、二人は道に迷い、圭さんが山の亀裂に落下するというアクシデントもあり、結局登山を諦めるのだけれど、その途上、こんな会話もあった。

 

「ハハハハそんなに聞きたければ話すよ。その代り剛健党にならなくちゃいけないぜ。君なんざあ、金持の悪党を相手にした事がないから、そんなに呑気なんだ。君はディッキンスの両都物語と云う本を読んだ事があるか」
「ないよ。伊賀の水月は読んだが、ディッキンスは読まない」
「それだからなお貧民に同情が薄いんだ。――あの本のねしまいの方に、御医者さんの獄中でかいた日記があるがね。悲惨なものだよ」
「へえ、どんなものだい」
「そりゃ君、仏国の革命の起る前に、貴族が暴威を振ふるって細民を苦しめた事がかいてあるんだが。――それも今夜僕が寝ねながら話してやろう」
「うん」

(夏目漱石二百十日青空文庫)

 


ディケンズの「二都物語」を読んだのは、四十年近く前のことだ。

 

こちらは、まだ内容をうっすらと覚えているが、同じころに読んだはずの「二百十日」は、こんな話だったのかと思うくらい、内容を覚えていなかった。

 

たぶん、当時は面白みがわからなかったのだとと思う。

 

二百十日」は、1906年明治39年)10月、雑誌『中央公論』に掲載された作品であると、ウィキに書いてあるけれど、「華族や金持ち」に対する反発心をあからさまにした作品を、のびのびと発表できる時代だったのだろうかと、ちょっと気になって「日本の言論弾圧の年表」をウィキで確認した。

 

ja.wikipedia.org

 

該当箇所を引用。


1900年 - 1919年
第一段階。1900年制定の治安警察法により結社の自由が弾圧され、1910年から1911年に起こった大逆事件無政府主義者が弾圧・粛清された時期。この時期には、東京帝国大学憲法学の教授である上杉慎吉天皇主権説を主張し、天皇機関説を主張した美濃部達吉を攻撃した。また、平沼騏一郎が検事として大逆事件幸徳秋水らの死刑を求刑した。その一方で、政府は幸徳の遺作である『基督抹殺論』の刊行を認め、『基督抹殺論』は政府や軍部による反キリスト教政策のために利用された。


圭さんと碌さんの思想の向かう方向は、時代的に、結構きわどかったんじゃなかろうか。

漱石は、その危険さをわかっていて書いたのかもしれない。

 

韜晦、というのとも違うのかもしれないが、作品の中に仕込んだ芸術としての毒が、イデオロギー検知のフィルターに引っかかって、つまらないことにならないように、巧妙に物語を作ったのではないかという気がするのだけど、どうだろうか。


愛知トリエンナーレの、例の展示をした方々には、「二百十日」の漱石に、学ぶところがあるのではないかと思うのだが。と小声でつぶやいてみる。

 

 

二百十日

二百十日

 

 

 

 

朝の健康と樋口一葉

 朝の挨拶と健康観察

 

おはようございます。

今朝も挨拶から書き始めてみます。m(. .)m

昨日の外出予定は、結局キャンセルしました。
めまいがあったので、こりゃやめたほうがいいだろうと。

楽しみに通っている習い事なので、残念でしたが、このごろは少しばかりの無理でも、一週間は後を引くので、心を鬼にして引きこもりを心がけています。

 

しかし引きこもっていても、結局ムリをしていることが多いという・・・。


昨日は、樋口一葉を読んでいて、わからないことがあったので、いろいろと調べているうちに、時間がかかってしまい、疲れをため込んでしまいました。今朝は、めまいはおさまっているものの、肩こりと目の疲れからくる頭の重さがきついです。


持病がいろいろとあるので難しいですが、どうにかして、スカッと元気になりたいものです。(´・ω・`)


樋口一葉


読んでいたのは、「闇桜」という掌編。青空文庫で読むことができる。

幼なじみへの恋心を自覚しただけで、極度の睡眠障害抑うつ状態に陥り、衰弱して命を落としてしまうらしい少女と、彼女に思われていることを、亡くなる直前に知って愕然とする少年の物語である。

現代の感覚だと、とてもありえないような恋の物語だけれど、医療技術がそれほどなかった時代であれば、恋煩いで体調を崩したところにインフルエンザにでもかかってしまい、命が危険な状態になるということは、ない


「命を落としてしまうらしい」と、推測の形で書いたのは、作中では、彼女の死をはっきりとは書いていないからである。しかも彼女はいまわの際に、明日お詫びをしたいと、彼に声をかけている。もしかしたら、その後奇跡の復活を遂げて、幼なじみと結ばれた可能性は……まずないとは思うけれども、絶対にないわけではないとも思うので、「らしい」としておいた。

でも、翌日にお詫びをしたあと、彼の背後にひっそりと取り憑くというのなら、ありそうな気がする。今風にいうと、「なしよりのあり」というところか。


検索してたら、「ありよりのあり」という歌が出てきた。

 

 


まねきケチャ『ありよりのあり』

 


ありよりのあり / Kamin (cover)

 

幼なじみ以上、恋人未満で終わってしまった「闇桜」の主人公も、こんな歌が歌える時代だったら、たとえ思いを伝えられなかったとしても、死なずに済んだだろうに。


「闇桜」は、ちょうど、樋口一葉が、半井桃水との恋愛スキャンダルに見舞われるころに書かれたものだ。一葉の人生について詳しくなかったので、この際だから樋口一葉日記を読んでみようと思ったけれど、残念ながら、日記は青空文庫には入っていない。

そのかわりに見つけたのは、国立国会図書館デジタルコレクションの画像データ。
昭和9年に発行された、樋口一葉全集の第四巻、「一葉日記集」が、パソコンでそのまま読める。

 

 

dl.ndl.go.jp

 

で、思わずあちこち読みふけって、無理をして、今日も体調が悪いという…。


小説や映画、漫画に出てくる病気を収集するという、我ながら悪趣味なブログをやっていて、そちらにも記事を書いている。

 

 

ikirutakarabako.blogspot.com

 

樋口一葉の作品は、古文の読解力だけでなく、和歌の知識がしっかりしていないと、まともに意味を読み取れないのだなと、あらためて実感。


「涙しなくばと云ひけんから衣胸のあたりの燃ゆべく覚えて」

物思いによる不眠のつらさを描写するこの一文が、紀貫之が歌合せのときに詠んだ歌を引いているなんて、古典的教養のない私にはわからない。


君恋ふる 涙しなくは 唐衣 胸のあたりは 色燃えなまし  (古今和歌集 572)


樋口一葉を読んでいて、なんか意味がとれないフレーズが出てきたら、古典文学を検索すべきであると学んだ。

 

 

 

ご挨拶と、マンガ読んだメモ

おはようございます。

身体を壊して寝込みがちになったことをきっかけに始めたブログで、雑事ばかり書き連ねておりますが、いつも読みにきてくださる方々がいることに、励まされています。ありがとうございます。

 

 ほとんどの記事は、横になって、携帯で書いています。起きて活動する時間が長くなると(つまり元気になると)、更新をサボりがちになります。

 

今年度前半、かなり体調がよかったので、記事がズッポリ抜けておりますが、秋の気配が漂い出してから、動けなくなって、寝込むことが増えてきました。おかげで記事がドカドカ増えてます。(´・ω・`)

 

近頃は多少賢くなったので、本格的に調子を崩す前に、予防的に休むようになりました。

 

今日は出かける予定があるのですが……

うーん、無理かも。

いや、いけるか… …

あと2時間あるので、休みつつ、身体と相談します。

 

 

(_ _).。o○

 

 

マンガアプリで読んでる作品のメモ。

 

ちょっと美人ドクター? 1

ちょっと美人ドクター? 1

 

 

外科の研修医が主人公。

恐ろしく厳しい指導医の元で、過酷な研修の日々を、豪快な性格と、おかしな引きの強さで乗り切りながら成長していく姿が楽しい。

 

二十年ほど前、うちの長女が難病で長期入院していたときの主治医の先生が、この主人公にちょっと似た感じの方だった。もっともマンガと違って研修医ではなく、むしろ研修医を指導する立場の先生だったけど。長女はいま、その当時研修医だった先生のお世話になっている。

 

(_ _).。o○

 

それにしても、もうすぐ400記事になる。

こうなったら、4桁を目指そうかしら。