湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

休養日・不登校関連のニュース

夜の健康観察日記

 

一日中、軽い頭痛と気持ちの悪さが続いたので、用心して静かに過ごした。

 

目のかすみが酷くて、本を読むのが辛いから、ぼーっとしていた時間が長い。まあそんな日もある。

 

 

 

不登校

 

 

クラスジャパン、とかいうところが、全国の不登校児童、生徒の教育に取り組むことについて、多くの抗議や疑問の声が上がっているというニュースを読んだ。

 

「不登校の生徒を元の学校に戻す」 教育支援団体に批判殺到「ふざけるな。戻すな」(キャリコネニュース) - BLOGOS(ブロゴス)

 

現在は撤回されているようだけど、

 

「日本全国の不登校者全員の教育に取り組み、通学していた学校にもどす」

 

というミッションを掲げていたらしい。

 

 

そのクラスジャパンのホームページを見てみると、すでに参加を表明した自治体の名前があった。(島根県益田市

 

 

クラスジャパンプロジェクト – Class Japan Project | 一般財団法人 クラスジャパン教育機構

 

 

なんだか子供の頭数を国の人的資源として見ているような気配に、いささか「うへえ」と思いつつも、不登校児の親だった経験があるので、いくらか想像できることがある。

 

おそらくは、対処の方法を持たずに途方にくれている学校現場や保護者たちのニーズに応えようとして、あるいは(少し辛辣に言うとすれば)そこにビジネスチャンスがあると見込んで立ち上げられた事業なのだろう。

 

ネット関連会社は、いま、いろいろな形で教育現場と関わりを持っている。保護者への一斉メールのシステムを提供する会社と契約したり(特別支援学校)、ネットを利用した家庭学習システムを導入したり(公立小学校。ただし利用は強制ではなく自由だった)、SNS利用の講習会を開いたり、児童生徒の登下校を自動送信メールで親に知らせるシステムを導入したり。

 

そこから一歩踏み込んで、先生方の手の回らないほど増え続けている不登校児童生徒問題のケアを、ネットサービスとして提供しようと誰かが思いつくのは、時間の問題だったはずだ。

 

だって、私自身、せめてそういうサービスがあってもいいのにと、切実に思っていたから。

 

 

公立の小中学校のニーズを自治体が汲んで、予算がつけば、それは確実に大きなビジネスになるだろう。

 

引きこもり、ニートの問題が不登校の問題に隣接していることは、現実にそういう子供たちが大人になる過程を通して見てきた立場にある方々から、何度も聞かされる機会があった。我が子のそういう未来を予測せざるをえない親たちの不安や苦悩は、いうまでもないだろう。

 

うちの子供が通っていた学校では、不登校生徒に対するケアは、学校内に設置された「相談室」と、月に一回くらい面談してくれるスクールカウンセラーに任されていた。担任の先生は、関わることに非常に消極的だった。関わる余裕がなかったんだと思う。

 

「相談室」には、すでに退職された元先生や、なんらかの形で学校や子供たちと関わった経験があるらしき方々が、非常勤職員的な形で在籍して、「学校に来ても教室に入れない」生徒たちの相手をしていた。けれども、「学校に来ることのできない」生徒については、ほぼ無策の状態だった。そして、「相談室」から「教室」に「戻る」のは、容易なことではなかった。結局うちの子も、授業を受けることなく、月に数回「相談室」に通い、スクールカウンセラーと面談するだけで、中学では一切の学校行事に参加せずに「卒業」となった。

 

そういう「相談室」やスクールカウンセラーが、不登校生徒を学校や教室に戻すことにどの程度貢献していたのかを、私は知らない。だから、自分の子供の体験から類推するしかないのだけど、率直に言って、あまり役立っているようには見えなかった。

 

親の私にとっても、「相談室」は息苦しい場所だった。ある相談員に「母子分離が上手くいっていないのよ」と、暗に母親の責任だと指摘され、愕然として小児精神科の主治医に相談したら、「違いますからw」と一笑にふされたこともあった。その主治医には。「もう中学校は捨てていいんですよ」とも言われたっけ。

 

学校や「相談室」では、言葉にはされなくても、常に、子供の不登校は親に原因があると非難されている感じがあって、とにかくしんどかった。あんな感じでほかの親にも対応していたのならば、親との信頼関係や、子供をサポートする協力関係など出来るはずもなかったろう。そして、そういう決めつけの色眼鏡は、子供たちに対しても同様に発揮されるわけだから、子供が心を開くはずもない。

 

スクールカウンセラーさんはにはそんな色眼鏡はなかったけれども、学校内での位置付けが曖昧で、カウンセリングで話し合ったことは、学校の先生がたとは実質的に共有されず、なんの連携も行われないため、結果的に生徒を「相談室」から教室に戻れるようにする支援にはなっていなかった。

 

皮肉なことに、カウンセラーさんが理解のある、優しくて、子供に寄り添う包容力のある素敵な大人であればあるほど、担任の先生がクソに見え…いえ、親しみにくく面倒な(そしてべつにどうでもいい)存在に思えてしまうという弊害すらあったのだ。

 

 

うちの体験が一般的かどうかはわからないけど、「相談室」的な場の人員やスクールカウンセラーに予算を取っても、目に見えて効果がでなければ、学校も自治体も別の方法を考えるしかなくなるだろう。いまでは多くの子供たちが、スマホを通してネットに親和的な生活を送っているから、それを使って学校と生徒をつなぎ、教育を提供するシステムを確立した会社があれば、そこに外注してしまえば、学校は肩の荷が降りるし、学校で肩身の狭い思いをしている親たちも、希望をそちらにかけるかもしれない。「なにもないよりはマシ」なものとして。

 

でも、不登校に至る事情はほんとうにいろいろあるし、複雑だしデリケートだから、一律で「こうあるべき」という枠をはめてかかっても、あんまりうまく行かなそうな気がする。

 

それに、ネットで「育った」児童生徒を、元の学校は、あるいは社会はどう受け入れるのか。

 

そんな危惧はいろいろと思い浮かぶけど、きっと不登校児童生徒のケアを外注する方向で、いろいろ進んでいくんだろうなとは思う。

 

 

 

 

 

 

健康観察と幼女戦記

今朝の健康観察日記

 

この日記書いたら、朝ごはん食べるんだ。今日こそは。

 

なんで毎朝、「まともに食べる」のを忘れるのか。

薬を飲まなくちゃならないから、申し訳程度にちょびっと物を口にいれるのだけど、それで食べた気になってしまって、昼まで食事のことを思い出さない。

 

それと、朝しんどいのを我慢しながら弁当をこしらえるせいで、精神的に満腹してしまうというのもある。

 

 

こういう不注意も、なんとかしたい。

 

食事だけでなく、水分も取らなかったりしている。

 

中年以降の水分不足は、脳卒中の原因になると、ずいぶん前にテレビでみた。水泳のインストラクターさんとか、特に危険なんだそうだ。水がいっぱいあるところにいるのに、水を飲まずに重い運動を続けるから。

 

今朝起きてから、薬を飲むときに飲んだ一口分の水しか、とっていない。さっさと飲もう。トーストでも焼こう。これ書いちゃったら。

 

 

マンガ

 

昨日の夜、末っ子の塾が終わるまで寝てしまわないようにと、Kindleを眺めていたら、「幼女戦記」の最新版が出ているのに気づいて、こころのなかで狂喜乱舞しつつダウンロード。

 

 

幼女戦記(8) (角川コミックス・エース)

幼女戦記(8) (角川コミックス・エース)

 

 

発売日が先月になっている。なんで気づかなかったのか。ずっと待ってたのに。(;_;)

 

帝国の大艦隊の先鋒として、沿岸要塞の制圧を命じられたデグレチャフ少佐は、敵国のアンソン・スー大佐との死闘で九死に一生を得て、上陸作戦を成功させる。アンソン大佐の国は敗北し、首脳陣は他国に亡命政権をつくることに。

 

大佐の愛娘として、メアリー・スーも登場。愛らしい美少女になっている。ウェブ版の原作では、独善的な狂信者で、敵だけでなく味方を犠牲にすることにも躊躇がない壊れた人物だったため、デグレチャフ少佐に「糞袋」と呼ばれていた。マンガではだいぶキャラが違うようだけど、どうからんでくるのか。

 

存在Xを始めとする神々も勢ぞろいしていた。彼らがなぜ人間界に執拗に介入して信仰心を無理やり高めさせ、解脱を促すために操作しようとするのか、その理由もいつか明らかにされるのだろうか。

 

 

ところで、これってなんなのか。

 

 

幼女戦記 (10) フィギュア付き特装版 (角川コミックス・エース)

幼女戦記 (10) フィギュア付き特装版 (角川コミックス・エース)

 

 

 

10巻!!???

 

9巻は、どこへ行った!!!???

まさか、もう出てるの?

 

 

健康と無呼吸

今日の健康観察日記

 

急に冷え込んだせいなのか、朝から膝が痛すぎる。

 

午前中は絵画教室に、午後は内科に行ったのだけど、診察が終わる頃には座っていても時折激痛が走るから、なかなか帰路につく勇気が持てず、会計が終わってからも、しばらくベンチに座り込んでいた。

 

iPhoneKindleに読みかけの本でも入れてくればよかったのに、なにもないので、パズルゲームで痛みから気をそらしていた。パズルがさっぱり成功しなくて意気消沈したあたりで、歩く勇気がたまってきたので、ゆっくり帰宅。

 

 

今日は無呼吸外来だった。

CPAPという、睡眠時の呼吸を補助する機械で治療をはじめて、もうすぐ10年になる。

 

重症の睡眠時無呼吸症候群。検査入院した時には、一晩中溺れているレベルだと言われ、7年以内に死亡する確率が17%ほどだと脅されたけど、今のところ生きている。

 

今でも、一時間に4回くらいは、長く息が止まっているらしい。息が止まると、機械がそれを察知して、高い気圧で空気を送り込んでくれる。それで死なずに済んでいる。

 

治療を始めたばかりのころは、1日の平均睡眠時間は四時間台だった。それで昼寝もせずに、何年もやっていたのだから、健康を壊しても当然だったと思う。

 

その後睡眠時間は五時間台で安定していたけど、昨年夏にうつ病の治療を始めて、睡眠導入剤を処方されるようになってから、六時間台まで伸びた。ただし、薬を飲み忘れると、全く眠れない。

 

無呼吸外来では、毎回、機械のメモリーカードを持って行って、睡眠状況(眠った時間や、無呼吸および低呼吸の頻度など)のグラフや表を印刷してもらっている。薬を飲み忘れた日の睡眠時間は、ゼロになっていた。二時間ほどは眠っていたはずだけど、機械の装着を忘れたらしい。死なずに済んでよかった。

 

 

ゲーム

 

病院でやっていたのは、「ポコポコ」というパズルゲーム。パズル類は基本的に苦手だけど、これだけは長く続いている。いま700面台。そろそろ天井に着くのかしらと思ったら、また新しい面が追加されてた。

 

基本的には課金はしないけど、昨年末、なんだか体調が悪い日が多くてつらかったので、お正月には少し課金してライフ無制限にして、思う存分遊んでみようかしらなんて思って、小さなたのしみにしていた。でも結局課金しなかった。そんな元気がなかったのだ。(;_;)

 

今年の末にも、またおんなじ事を思っていそうな気がする。

 

 

 

 

 

健康観察と脳

今日の健康観察日記

 

ダメだった。

朝目が覚めた時点で、すでにグダグダ。

頭が動かない。

いや、頭が身体を動かそうとしないと言うべきか。

 

関節は錆びついたみたいにギシギシ。(あ、痛みはそうでもなかった)

 

 

何年も前、北のほうに暮らしてたころ、雪が降って車がスタッドレスタイヤでも坂を登らなかったから、仕方なく自力でジャッキ上げしてチェーン巻いて、なんとか家に帰り着いたことがあった。

 

あの感じだ。

とんでもなく頑張らないと、普通に動けないしんどさ。

 

鬱の揺り戻しか。

気長に回復待つしかないか。

 

 

それでも勉強だけはできた。

まあ座って本読むだけだし。

 

 

 

脳が、いろんな機能のモジュール集合体だというような話は、息子の重度の知的障害がわかった頃に、脳研究に関するいろいろな本を読んで、漠然と知った。

 

四歳になっても息子は言葉をほとんど話さなかったし、理解しなかったのだけど、それは脳内のどんな事情で起きている現象なのか、どうしても知りたくて、毎日毎日考えていた。

 

なんで、たいていの人間は言葉が使えるのか。

どうして息子は言葉を習得しないのか。

 

目も見える。耳も聞こえる。運動機能も問題ないように見える(病院で検査した)。体験したことを記憶する力もある。なのに、話さない。理解しない。

 

 

幼児期の息子は、耳で聞いた音声言語をなかなか記憶できなかったようだった。あるいは、聞き取って記憶したかもしれない音声を、自分の発声器官を使って再現することができなかった。

 

ものすごくたくさん、長い時間練習をして、五十音の一音を聞き取って、すぐにまねして発音できるようになったのは、小学校に上がる前ぐらいだったか、もう少し早かったか。

 

ところが、ひらがなを読むことは、聴き取り・発音よりもずっと早く習得した。書くことを覚えるのは、本当に大変だったけど、ひらがなが書けるようになると、少しずつ、言葉を記憶するようになってきた。

 

けれども、覚える言葉は動詞ばかり。

立つ、座る、食べるなど、生活のなかで頻繁に行われる自分の動作を表す動詞は、特別な練習の必要もなく覚えることができた。

 

なのに物の名前を覚えるということが、息子にはとんでもなく難しかった。何年にもわたって、一つの単語について何百回、何千回と教えても、ごく身近なものの名前を記憶することができなかった。

 

ところが、ひらがなの読み書きが上達し、絵カードに添えた文字(絵に描かれているものの名前)を読み上げて、書き取れるようになったところで、急に息子は名詞を記憶するようになった。

 

物(具体物の視覚情報)、ひらがな(記号)、それによって示される音声、さらに、ひらがなを書き取るという動作。これらの刺激がセットになって、脳にもたらされたとき、息子ははじめて、言葉を「使える」ものとして、自分のものにしはじめた。

 

ものの名前を覚えはじめたころの息子は、よく、聞き取った言葉を空気中にひらがなで書いていた。空書とも呼ばれる、その様子を見ていて、息子の脳は、「書く」動作そのものを記憶しなければ、ものの名前の記憶を維持できないのではないかと想像した。

 

自分の体の動きを表す動詞を先に覚えていったのも、動きと音声とがセットになった言葉だったからなのかもしれない。

 

脳の専門家ならば、息子の脳がどのようにしてものの名前を覚え、それらを言葉として使えるようになったのか、きちんと説明できるのかもしれない。

 

私に分かることは、息子の覚えた「名詞」には、それを表す文字列の記憶と、自分の手で文字列を書く動作の記憶、読み上げられた音声の記憶、そして具体物の情報の全てが、緊密に結び付けられているということである。

 

このことを実現するために、息子の脳は独自のモジュールを構築して、素早く運用できるように訓練を積んだのだと思う。IQ20の息子にとって(昨年末に障害年金取得のために病院で検査してもらって出た知能指数がそれだった)、それはどんなに大変な冒険だったことだろうか。

 

 

息子の脳は、すごい。

息子はこんな大変な試練を受けても、鬱になんぞならなかった。強い脳の持ち主だ。

 

ずっと息子に付き合ってきた私の脳は、息子の脳ほどの強度はなかったのだろう。

 

あるいは使い方を間違えたか。

 

 

鬱から立ち直るためのモジュールの仕様書、どこかにないものか。

 

 

 

あ、自分で見つけないとダメか。

息子も自分で見つけたのだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の気持ち・ADHDやることリストメモ


人の気持ちは一つではないと、このごろつくづく思う。


若竹千佐子氏の「おらおらでひとりいぐも」の桃子さんのように、無数の「おら」が中にいるのは間違いない。

 

たしかにおらの心の内側で起こっていることで、話し手もおらだし、聞き手もおらなんだが、なんだがおらは皮だ、皮にすぎねど思ってしまう。おらという皮で囲ったあの人がたはいったい誰なんだが。ついおめだば誰だ、と聞いてしまう。おらの心の内側にどやって住んでんだが。あ、そだ。小腸の柔毛突起のよでねべが。んだ、おらの心のうちは密生した無数の柔毛突起で覆われてんだ。ふだんはふわりふわりとあっちゃこっちゃにゆらいでいて、おらに何かいうときだけそこだけ肥大してもの言うイメージ。おらは困っているども、案外やんたぐね。それでもいい、おらの心がおらに乗っ取られでも。 

(「おらおらでひとりいぐも」の最初のほう。Kindle版だからページがわかんない)

 

 

ここに書いてあること、桃子さんが言っていることは、「ミンスキー博士の脳の探検」が四百ページも使って説明しようとしていることの実体験版であると私は思っている。

 

しかしながら、〈自己単一〉という概念は実際的な効用があるが、自分自身を理解する助けにはならない。なぜなら、この概念は、自分自身が何であるかという理論を構築する際に用いることができるより小さな部分・部品(構成要素)を提供しないからだ。

(Marvin Minsky 「ミンスキー博士の脳の探検」共立出版)

 

 

 

ミンスキー博士の脳の探検 ―常識・感情・自己とは―

ミンスキー博士の脳の探検 ―常識・感情・自己とは―

 

 

 

「おらおらでひとりいぐも」と「ミンスキー博士」は私の脳内では同じ棚に置いてある。

 

 


んで、自分の脳内にとても多数の自分がいることを、ちゃんと分かっていないあたりが、抑うつの原因だったかもしれないとも、思い始めている。

 

例えば私はパワハラする人やマウンティングしてくる人とか自己都合だけでこちらの事情や立場や都合に一切構わずに絡んでくる人やその他諸々の私が好きではないと感じるたいていの人が大嫌いだし世界から消えればいいと思うし何かひどいバチとか報復とか受けもらっても一向に構わないとかずいぶんなことを思っているけど、それと同時に(ほんとに同時並行的に)別の心の部位ではそういう人の苦しさとか存在の悲しさとか、かみ続ければアジが出る系のおもしろさとか意外なかわいさとか、細胞がいっぱい集まって構成された人体だなとか、輪切りにしたところは見たくないとか、何がどうであっても幸せになっていいんじゃないとか所詮は無縁だとか、実に散り散りバラバラなことを思っている。


まとまらない。
それは全部私だ。

嫌いなもの一つとりあげても、このありさまだ。
好きなものだと、より一層(いや多層的に)よくわからなくなる。

たいていのものは「なぜ好きなのか」を説明できない。説明しようとすると、どんどん理由が逃げていくし、いくらでも見つかる。嫌いかもしれないと思ったりもする。

 

その全部私と思える私のさまざまな部位が、ずいぶんと鬱血していた。

ろくに血が通っていなかった。

動かなくなっていた。

自分で自分にリミッターをかけていた(のか?)


ということに、ここのところお友達といろいろ話をしていて気づいた。


もうずっと、私はADHD的な部分の私をもう少しなんとかしたいと思っていて、そのほうが周囲も自分も便利だし幸福だし鬱的な状態から開放される一つの道筋だと思っているけど、そのどうしようもなく不具合で不都合な自分も、また自分の一部だということも良く分かっている。


この不便で不都合で傍迷惑な自分だから、いまの人生がある。
そう思う自分も確実にある。


だから、もしもそこを変える方向で何かするのであれば、それを楽しんだり喜んだりする自分が必要になる、と思っている。


面白くないことは、たいてい嫌いだ。
(心底面白くないことを面白くないというのとは別の感じ方で捉えることは、いくら私でも少し難しい)

 

そういう面白くなくて嫌いなことに自分を強制すると、どこかが死ぬ。

 

自分の心身のどこかが死ぬようなことを、ずっとやってきたのじゃないかと。

その結果を全身で表現しているのが、いまの心身の不健康なんじゃなかろうか。

 

 

自分を変えるといっても、多少都合良く運用できるようになるというだけで、おおもとがごっそり入れ替わるわけがない。それなら面白い風にやってみてもいいのではないか。

 

というわけで、認知行動療法を行いながらADHDの治療薬を試してみる方向に、だいぶ気持ちが動き始めている。

 

 

ADHD

 

今日のやることリストの経過。

 

・床の掃除……○○○

・衣類の整理……○

・勉強……○○

・三月のカレンダーに予定を書き込む……○

 

私の生活が混乱する(散らかる)原因は、「不注意」と「うっかり」と「詰めが甘い」ところにあるので、そこを意識しながら、いろいろなことをした。

 

 

 

 

大人のADHDの認知行動療法<本人のためのワークブック>

大人のADHDの認知行動療法<本人のためのワークブック>

 

 

 

掃除してて、エイメン博士の本を掘り出した。

 

↓この二冊。

 

 

「わかっているのにできない」脳〈1〉エイメン博士が教えてくれるADDの脳の仕組み

「わかっているのにできない」脳〈1〉エイメン博士が教えてくれるADDの脳の仕組み

 
「わかっているのにできない」脳〈2〉エイメン博士が教えてくれるタイプ別ADD対処法

「わかっているのにできない」脳〈2〉エイメン博士が教えてくれるタイプ別ADD対処法

 

 

買ったっきり、家のなかのどこいったか分からなくなってから十数年っていうのもすごい。

よくまあ見つかったもんだ。

 

ぼちぼち読もう。