湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記(4月2日)

こんにちは。

 

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久々にiPhoneラクガキをした。

 

亭主にお題を頼んだら「桜」というので、夜桜っぽいものを描いてみた。

 

いつものように、AIにアレンジを頼んでみたら、こうなった。↓

 

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うん。

似てるけど、別物だ。

 

(_ _).。o○

 

今日は二ヶ月に一回の内科の診察日だった。

 

受付をして、血圧を測定したら、やけに高かった。たぶん東野圭吾のせいだろう。

 

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末っ子に借りていた「クスノキの番人」を読み終わったので、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を借りて、待合室で読み始めたら、すっかり引き込まれたので、晩御飯のあとに一気に読み終えた。

 

どちらの作品にも、少しだけファンタジーな要素があるけれど、基本は現実社会で生きる、ごく普通の、ちょっとダメな人たちの人生の物語だ。

 

クスノキの番人」の主人公は、水商売の母親の私生児として生まれ、教養もなく運もなく、夢や希望を抱く勇気も、努力して身を立てようという気概もないまま、成り行きのまま下へ下へと流されるうちに勤め先を首になり、窃盗未遂で逮捕されている。

 

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の主役の三人組も、養護施設で暮らしていた頃からちんけな盗みを繰り返し、大人になってもまともな仕事にありつけないまま、空き巣などを働いている。

 

荒れた土地にこぼれて芽吹いた種みたいに、うまく育たず立ち枯れかけていたような彼らだけれど、非現実的な仕掛けによって、見ず知らずの他人の人生とリンクして、深い思いを真正面から受け取ることによって、思いもよらぬ形で再生を遂げることになる。

 

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」と「クスノキの番人」は、内容的には全く別の物語だけれど、人としての芯がグズグズな主人公たちが、超常的な状況での他者との深い繋がりから、自分の人生の価値を捉え直して、シャキッと立つまでの経緯は、とてもよく似ている。

 

あと、どちらの作品にも、父親の猛反対を押し切って音楽の道を志したものの挫折し、夢を叶えることなく無惨な死を遂げる人物が出てくるのは、たまたまなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ねこたま日記(3月3日)

こんにちは。

 

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日曜日なので、教会学校に出かけた。

末っ子は友人たちと旅行に出ているので、私一人で参加したところ、いつも来ているご家族がみんなお休みだったため、大人ばかりの子ども礼拝になってしまった。

 

一番年下の私が61歳、牧師先生も日曜学校でお話ししてくださる先生も私よりずっと年上で、最年長の方は90代だったはず。推定平均年齢が80台かもしれないという、大変にレアな「子ども礼拝」になった。

 

今日は、マルコによる福音書の第14章に出てくる、ナルドの香油のお話だった。

 

重い皮膚病の人シモンの家で、ある女性がイエスに高価な香油を注ぐ。その場にいた人たちが、女性の無駄遣いに憤って責めたのを、イエスがたしなめる。

 

この女はできる限りの事ことをしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。

 

マルコによる福音書 第14章 8節

 

ナルドの香油は、当時の人の一年分の年収に相当するほど高価なものだったという。

 

女性にとって、イエスは、それほどの金額を注ぎ込んでも惜しくないほど、全力で推せる存在だったのだろう。

 

マルコの福音書では、女性の名が明かされず、彼女の行動に憤った人の名前も書かれていないけれど、ヨハネ福音書では、女性はマリアであり、怒って騒いだのはユダであると書かれている。

 

このあとユダは、イエスを祭司長たちに売り渡すべく行動を開始する。ユダの裏切りの理由は、新訳聖書では「もともと金に汚かった(会計をちょろまかしていた)」「悪魔が中に入ったせい」という感じで説明されているけれど、案外、この香油の件で、自分はイエスとは相容れないと明確に分かってしまったからではないかという気がする。

 

現世での政治権力にも財産にも執着せず、まもなく訪れる死に抗うこともしない指導者を、マリアのように人生賭けて推すことはできないと、悟ったのではなかろうか。

 

推しを裏切って殺すという形で推し活を辞めたユダは、イエスを売った金で土地を買ったあと、なぜかその土地に墜落死した(使徒言行録)とか、貰った金を神殿に放り込んで首吊り自殺した(マタイによる福音書)とか言われている。

 

なんとなく、三日天下の明智光秀を思い出す。

安土城で家康をもてなすように命じられた光秀は、もてなしに不備があったとして信長にきつく叱責され、その直後に裏切って本能寺の変を起こしたものの、天下人になることなくあっけなく死んでしまう。

 

人生賭けた推しを殺す代償は、自分の死であるらしい…

 

などと、まとめていい話ではないだろうけど、そういうところまで追い込まれる前に、できることはあっただろうに、とは思う。ユダも光秀も。

 

 

 

 

 

 

 

 

読書メモ(3月2日)

読んでる本のメモ。

読書日記をつけてから出ないと、次の本を読まないという縛りは、私にとってはものすごくキツい。

 

面白いシリーズに当たったら、全巻一気に読みたいのに、書き物などしていたら、読む勢いが落ちてしまう。

 

でも目を守るために決めたことだから、可能な限り遵守する。10年後も読んでいたいし。

 

 

雨川透子「悪党一家野愛娘、転生先も乙女ゲームの極道令嬢でした。〜最上級ランクの悪役さま、その溺愛は不要です!〜」

 

主人公は、日本の極道の親分の孫娘だったのだけど、愛する祖父を銃撃から守ろうとして殺されて、異世界転生してしまう。

 

生前、心の底からカタギの人生に憧れていた主人公だったけれど、転生先は異世界の裏社会で大きな権力を握る一家の一人娘であり、元の人生以上に極道な人生が保証されてしまっていた…

 

そんな境遇のなかで、人一倍正義感が強くて人情に熱い主人公が、与えられた運命を変えるために、周囲を思いっきり巻き込んで奮戦する。

 

1巻目はKindle Unlimited(読み放題)で読了。

2巻目からは課金が必要。

 

フライングで少し読み始めているけど(ダメじゃん)、1巻目同様に面白い。

 

 

 

 

読書メモ

今年に入ってから、読みすぎている。

 

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ほとんどがラノベだから、あっという間に読み終わってしまう。

 

ラノベだからといって、目の負担なライトなわけではない。それにこのままだと、年間500冊を超えかねない。節制しないとまずい。

 

でも、他にストレス発散の方法がないから…

 

読んだら読書日記を書く。

書くまで次の本は読まない。

 

何度も挫折している縛りだけど、他に節制の手段も思いつかないから、また頑張ってみようと思う。

 

(´・ω・`)

 

で、とりあえず、昨日と今日で読んだ本。

 

顎木あくみ「わたしの幸せな結婚」(ガンガンコミックス)

 

 

Kindleではなく、無料漫画サイトでみつけて、1巻目だけ読んだ。

 

典型的なドアマットヒロインもののファンタジーだけど、舞台となっているのはヨーロッパ風の異世界ではなく、大正期くらいの日本。歴史上の大正時代とは違って、異能を持つ帝が国を治め、異形の存在と戦う軍隊が存在している。

 

そんな国で、異能者の名家に生まれながら、主人公ら異能を持たないために、実父に見捨てられ、義母と義妹に虐待されながら育つのだけど、厄介払いのように決まった嫁ぎ先で、運命的な出会いに恵まれ……

 

という感じの、いわゆるシンデレラストーリーだけれども、苦難や機嫌が次々と襲いかかってくるので、結婚に至るまでの道のりがかなり長くなりそうだ。

 

Kindle版では原作小説の1巻目が読み放題になっていたので読んでみたら、続きがとても気になったので、3巻目まで購入して読了。

 

 

 

 

主人公の美世は、無能力者であるという負い目に加えて、虐待された育ちのせいで自己肯定感が恐ろしく低く、常に徹底的に自信がない。

 

それに対して縁談相手の久堂は、強大な異能の持ち主であるばかりか、女嫌いで他人に気を許さず、美世に対しても最初から拒絶的な態度しか取らない。

 

この二人、結婚できるんだろうかと思いつつ読み始めたけれど、美世の異様な打たれ強さと、邪心のなさに気づいた久堂が、徐々に心を開いていく。

 

ただ、甘える方法を知らない美世と、デレる才能が全くない久堂なので、ちょっといい雰囲気になっても、すぐに気持ちがすれ違って拗れてしまって、なかなか関係が進展しない。

 

その上、双方の困った身内だの、邪悪な宗教団体だのに妨害されて、平穏がしょっちゅう破られるから、結婚の見通しもなかなか立たない。

 

もしかしたら、読者が焦らされることを楽しむための作品かもしれないと、3巻目まで読んできがついた。

 

焦らしにつられて一気に3巻まで読んじゃったけど、続きはゆっくり読もう。

 

 

 

 

 

 

ねこたま日記(2月25日)

こんちには。

 

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今日も寒い。

小雨が降っていて、外の気温は5度。

 

(_ _).。o○

 

朝、なかなか起きない末っ子を叩き起こして、教会の日曜礼拝へ行ってきた。

 

今日のお話は、マルコによる福音書にある、「やもめの献金」だった。

 

エスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。

 

ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。

 

「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。

 

マルコによる福音書 第12章 41-44節

 

この時代、神殿には十三個もの賽銭箱が置かれていたそうで、箱ごとに、献金されたお金の使い道が、定められていたのだとか。

 

やもめが献金したレプトン銅貨2枚は、いまの日本円に換算すると160円ほどの価値だったという。

 

二千年前に、夫を失ったユダヤ人女性が、どうやって生活費を得ていたのかは分からないけれど、一日の生活費が160円ほどだとするなら、夫から受け継いだ財も、母を養ってくれるような息子もおらず、ほとんど物乞いに近い状態だったのかもしれない。

 

そんな貧しく苦しい暮らしにも関わらず、やもめ女性が生活費全額を賽銭箱に入れたのは、信仰の深さによるものだという。それは信仰による自己犠牲ではなく、「お金がなくても、神様が必ずなんとかしてくれるから大丈夫」という、絶対的な信頼に基づく行動なのだという。

 

礼拝のときに必ずする「主の祈り」にも、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」とある。信じて祈れば、一日を暮らしていけるのだから、不安に思うことはない……キリスト教の信仰の基本が、そこにあると私は思っている。

 

「日用の糧」という言葉から即座に連想するのは、災害被災者と、難民の暮らしだ。

 

国連UNHCR協会によると、2022年に戦争や迫害などで家を追われた人は、全世界で1億840万人にも登るのだという。

 

そのうち難民と呼ばれる人は3530万人で、その76パーセントは中低所得国に受け入れられているという。

 

難民の出身国は、上位から順に、

  1. シリア
  2. ウクライナ
  3. アフガニスタン
  4. ベネズエラ
  5. 南スーダン
  6. ミャンマー
  7. コンゴ
  8. スーダン
  9. ソマリア
  10. 中央アフリカ共和国

 

…とのこと(2022年)。

 

このうち、ウクライナベネズエラキリスト教圏で、コンゴは八割、南スーダンが六割ほど、中央アフリカで五割ほどが、キリスト教徒なのだという。

 

シリア、アフガニスタン南スーダンソマリアイスラム教圏。

 

ミャンマーは仏教国。

 

これを書きながら調べていて初めて知ったのだけど、アフリカ大陸は、大雑把に分けて、北緯10度線を境目にして、北側がイスラム教圏、南側がキリスト教圏になっているらしい。

 

スーダンイスラム教で南スーダンキリスト教なのだけど、二国の国境線は北緯10度あたりにあるようだ。

 

なんで北緯10度が宗教圏の境目になっているのかは、ちょっと検索したけど、よく分からない。植民地時代の宗主国の影響とか、使用言語や公用語の影響とか、イスラム教圏との距離の遠近とか……他にもいろいろありそうな気がする。

 

キリスト教ユダヤ教イスラム教も、アブラハムが信じた一神教をルーツとしている。だから、福音書のやもめが生活費全額を献金するほど信じていた神と、上に書いた国々の難民の多くが信仰する神は、同じということになる。

 

日用の糧、行き渡っているのだろうか。

 

(_ _).。o○