湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

昨日と今日の短歌

f:id:puyomari1029:20230218100319j:image

 

Twitter歌会の「#ついうた」さんのお題「弾け飛ぶ」「生真面目な」を初句にお借りして詠んだ歌。

 

弾け飛ぶ罵詈雑言の舌の根の濡れた浜辺の夕波千鳥

 

弾け飛ぶ熱暴走の端末が最後に奏でたピンク・フロイド

 

弾け飛ぶ青椒肉絲の牡蠣油シャツの終焉私が悪い

 

生真面目な片言隻句に触覚と手足生やして巷に放つ

 

生真面目な鯵の干物と不埒なるカマスの干物を差し替えてみる

 

生真面目な辛み大根辛すぎて町内三周走ってこようか

 

生真面目な二月の午前十二時のうつつが嫌い自分が嫌い

 

生真面目な脱獄囚にならんとて朝のスープににんにくを足す

 

生真面目な歴史にほへどちりぬるを地雷の上を戦車がとおる

 

生真面目な俯瞰の鳥に問うてみる見えないものも見なきゃいけない?

 

ねこんでるねこたま

 

 

 

f:id:puyomari1029:20230218100629j:image

 

歌に添えているLINEスタンプは、長女さん作。

 

短歌アプリで縦書き表示した画像をLINEに貼るときに、スタンプで飾り付けできるので、それを保存して流用。たのしい。

 

 

今朝の短歌…お題「復活の」

Twitterの歌会「#ついうた」さんのお題「復活の」を初句にした短歌を詠んだので、こちらにもメモしておく。

 

 

復活のワタクシ起動半ばにてフリーズしました布団に戻る

 

復活の予兆の轟音地をゆらしはたりととまり「フリダシニモドル」

 

復活の世界がどうであろうとも布団の中から出たくないのだ

 

復活の極秘呪文を極小の文字で便座の裏側に書く

 

復活の嫗(おうな)のからだ置き去りにおどろおどろと西日が沈む

 

復活の貴女は気品に満たされて三日月型の白目を剥いた

 

復活の呪文の途中でくしゃみ出てもうそれ全部台無しだから

 

 

ねこんでるねこたま

 

うん。

ひどい歌だ。

いやひどいのは主に自分か。

 

 

 

今日の短歌…お題「チョコレート」

 

Twitterで、「#ついうた」というハッシュタグで短歌のお題を出してくださっているアカウントを見つけたので、数首詠ませてもらった。

 

ついうた(お題やハッシュタグ企画) (@twiuta) / Twitter

 

手作りの自己肯定(ちよこれいと)は黒すぎて邪念の白いクリーム混ぜる

 

チョコ食めば情動鼓動もうずうずと芽生えひこばえ成すは虚無の実

 

ふつふつと情を煮溶かし銀紙でくるめば黒い媚薬的ブツ

 

階段を「ちよこれいと」で登ったら遠い昭和の夕日が見えた

 

 

チョコレート嫌いじゃないけどいらなくて割って砕いて咲きません 恋

 

短歌を詠むのは数年ぶりかもしれない。

 

朝日歌壇に投稿して最後に掲載してもらったのが、たしか平成30年だから、5年近くサボっていたことになる。

 

リハビリしよう。

 

 

昨日買った本…「絶叫委員会」穂村弘

 

穂村弘「絶叫委員会」

 

穂村弘という人の本を書店で手に取って中を見てしまうと、買わずに帰るのが難しい。だから家に何冊もあるし、Kindleの中にもあるけど、たぶん一冊も読了できていない。

 

短い章を一つ読んだだけで、頭も気持ちも満足してしまって、そこを踏み台にしていろいろ思い巡らすからだと思う。

 

倉橋由美子又吉直樹の小説以外の本も、似たような事情で読了した本が少ない。たぶん私の頭はあまり読書向きじゃないのだろう。

 

「絶叫委員会」という強烈なタイトルにふさわしく、ぴらりと開いたページには、こんな太字の一行があった。

 

「バーベキュー、バーベキューって何回やっても駄目なんです!」

 

頭が素直な私は、アウトドアな集まりで、バーベキューのセットに致命的な不具合を引き起こすことを繰り返すために困窮している人を想像したけれども、違っていた。

 

会社の勤怠用データ管理システムにアクセスするためのパスワードが各人に配布され、この女性社員は「barbecue」という文字列をもらったのだけど、設定側のミスで「barbeque」になっていたため、「何回やっても駄目なんです!」という状況に陥って、パニックになっていたのだという。

 

 

心の底から気の毒に思う。(´・ω・`)

 

でも歌人が注目したのは、その社員の窮状ではなく、

 

「バーベキューってやる」

 

という言い方への違和感に、「パニック状態の切実感と狂気」を感じたからだという。

 

「バーベキューってやる」は、より状況に即した表現に置き換えるなら、

 

「バーベキューって入力する」

 

となる。バーベキューがパスワードだと知っていれば、「バーベキューってやる」は、特に問題ない言い方となる。

 

けれども、それを知らされていない総務部の課長(著者)が、システム部の女性社員に「バーベキューって何回やっても駄目なんです!」と叫ばれたなら、狂気を疑ったとしても仕方がないのだろう、とは思う。

 

でも私がその場にいたなら、おそらくは狂気とはとらえず、この章段を読み始めたときと同じように、その女性のバーベキューの練度が足りないせいだと思っただろうし、キャンプ指南の本や初心者向けホームページなどを検索して教えてあげたほうがいいのだろうかと、余計なお節介を画策し始めるのではないかと思う。

 

会社の就業時間中に、他の部署にやってきてバーベキュー行為の不具合について絶叫するというシチュエーションに対して、私はとくに異常性を感じない。そういうこともあるだろうと思うだけだ。

 

だって私の人生では、そういう人はそんなにレアではなかったら。自分も含めて。

 

 

短歌を作るのは好きだけど、何十年たっても、上達の気配はない。

 

私ように空気が読めない人間は、歌人にも向かないのだろう。

 

 

スサノオクシナダヒメが蛇肉でバーベキューする神話の認証

 

ねこたま

 

 

 

「鎌倉殿の13人」(38)時を継ぐ者

 

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第38回「時を継ぐ者」を視聴した。

 

北条時政が、実朝を排して平賀朝雅を新将軍に擁立しようとしたという「牧氏事件」のクライマックスの回だったのだけど、この事件、なんだかよく分からないところがある。

 

吾妻鏡」は、このクーデター未遂事件について、

 

牧御方、奸謀を廻らし、朝雅を以て関東の将軍と為し、当将軍家[時に遠州の亭に御坐ます]を謀り奉る可きの由、其の聞こえ有り。

 

と書いていて、完全に牧の方一人を主犯扱いにしている。

 

だけどこの陰謀、「聞こえあり」(そういう噂がある)というだけで、本当に実行されようとしていたのかどうか、この記事だけでは、はっきりとは分からない。

 

けれども、畠山重忠の件で御家人たちの反感を買い、執権としての仕事を政子に奪われて、実質的に干されていた時政(遠州)が、自分の館に将軍実朝を滞在させた上、人を大勢召し集めていたのだとすれば、それなりに物騒な状況ではあったのだろう。

 

比企能員が時政に謀殺された時も、兵も連れずに時政の館に出向いていって、大勢で武装して待ち構えていた時政によって、まんまと討ち取られていた。状況的にそのときとそっくりなわけだから、怪しまれたとしても不思議ではない。

 

吾妻鏡」には、尼御台(北条政子)が、長沼宗政、結城朝光、三浦義村、三浦胤義、天野政景らを時政の館に送って、実朝を迎えに行かせ、義時の館に移動させたと書かれている。

 

そして、

 

即ち相州(義時)の亭に入御するの間、遠州(時政)召し聚め被るる所の勇士、悉く以て彼の所に参入し、将軍家を守護し奉る。

 

というわけで、時政が招集していた「勇士」たちも、全員あっさり義時の館に行って実朝を守ったと、「吾妻鏡」には書かれている。

 

で、どうなったかというと、

 

同日丑の刻、遠州、俄に以て落餝せ令め給ふ[年、六十八]。同時に出家の輩ら、勝げて計ふ可からず。

 

その日のうちに時政は頭を丸めて出家した。同時に出家した人間は数え切れないほどだったという。

 

未遂に終わったクーデターだとしても、なんともしまらない成り行きではある。

 

館に大勢人を集めていたら、大勢の人が迎えに来たので、みんなで別の館に移動しました。奥さんが悪だくみしてるという噂があって、旦那さんが出家して流されました。なんじゃそら。

 

人(勇士)を集めていたのに、政子が迎えをよこしただけで、みんなあっさり寝返っているし、出家のスピードもずいぶん早い。

 

この流れだけ見れば、時政には、クーデターなんて最初からやる気がなかったとしか思えない。

 

時政の館に招集されたものの、あっさり義時側に乗り換えたらしい「勇士」たちは、そもそも何で集まったのか。もしかしたら最初っからクーデター計画など知らされていなかったんじゃなかろうかと想像したくなる。

 

ドラマでは、歴史音痴のそんな疑問を、細やかに解決してくれる形でシナリオが進んでいった。

 

吾妻鏡」では尼御台によって時政の館に送り込まれたと書かれている三浦義村は、ドラマでは時政側につい加担するふりをして、謀反の情報を義時にリークしていた。

 

クーデターの当日、三浦義村は時政の館にいたけれども、積極的に実朝を守ろうとはせず、時政と実朝を二人っきりにしている。

 

義村としては、実朝が死ぬか出家するかして将軍職から排除されれば、自分が乳母夫をしている善哉(源頼家の息子で、のちの公暁)が鎌倉殿になる可能性が多少は出てくるわけだから、内心ではどっちに転んでもいいぐらいに思っていたのかもしれない。クーデター失敗で時政と平賀朝雅が消え、どさくさに紛れて実朝も死んでくれれば、三浦一族が鎌倉の頂点に立てる日が近づく……そんな思惑を秘めていた可能性だってありそうだ。

 

事件当日、時政の館にやってきた和田義盛は、「吾妻鏡」でいうところの、時政に召し集められた「勇士」の一人という役どころだろうか。

 

ちっとも事情が分かっていない義盛は、最初っから寝返る予定で時政側についていた三浦義村(寝返る予定)に、時政の謀反の計画を聞かされて仰天し、止める義村を振り切って、実朝と時政のいる部屋に押し入っていく。

 

そこで、将軍職を辞する起請文を書こうとしない実朝に時政が刀を突きつけているのを見た義盛は、起請文なんぞ後で破ればいいんだから書いちゃいなさいと、ぶっ飛んだ方向への説得を開始。義時が聞いたら頭を抱えていたことだろう。

 

場がぐだぐだになったためか、時政は実朝を置いて、りくの部屋へ行く。

 

屋敷を包囲されたことを知って追い詰められたりくは、実朝を痛い目に合わせてでも言うことを聞かせるべきだと主張するけれども、時政はりくの言葉に頷かず、動こうとしない。

 

ドラマの時政は、りくを無事に逃す方法だけを考えていたのかもしれない。実朝を傷付けた上で戦闘になってしまえば、比企一族の時のように、妻だろうと容赦なく殺害されることになる。それを避けたかったのだろう。

 

結局、時政は自分の死によって事を収める覚悟を決めて、和田義盛に実朝を託して屋敷の外に送り出し、りくについては、都の平賀朝雅夫妻の元に逃すようにと、三浦義村に命じた。

 

義村は使用人たちの中にりくを紛させて、館の包囲網から抜け出させたけれども、結局りくは都へは行かず、鎌倉で捕縛された。

 

一方、時政を討とうとする義時を、政子や泰時、時房が、必死で止めようとするものの、義時は全く耳を貸さない。

 

自分の父親だからといって時政を許してしまえば、北条が御家人たちの反感を買うことになり、求心力の弱い実朝ではまとめきれずに、鎌倉が荒れてしまう。そうならないために、義時は人の心を捨てる覚悟だったのかもしれない。

 

けれども、どうしても義時に父親殺しをさせたくなかった政子は、その場で土下座して御家人たちの心を動かし、戦を止めることに成功する。

 

これまで、政子が命を救おうとした人々や、生きてほしいと願った人々は、ことごとく殺されている。

 

大姫の婚約者だった源義高。

頼朝に従わなかった源義経

我が子頼家と、孫の一幡。

妹の実衣の夫の、阿野全成

畠山重忠一族。

 

御台所、尼御台と呼ばれる地位にありながら、政子には、時局を動かすような力がほとんどなさそうだった。

 

けれども、父時政の失脚後、執権に代わって自ら政治に関わる事になったことから、御家人たちにも実質的な権力者と認識されるようになってきたのかもしれない。

 

ドラマの中の政子は、土下座して肉親の情を訴えるという形で、初めて御家人たちを自分の意志に沿うように動かし、義時の父親殺しを止めることに成功する。

 

ノリノリで時政の首を刎ねようとしていたはずの八田知家(こっそりガテン系バーサーカーと呼んでいる)も、政子の土下座に心を動かされたのか、館の中で自害しようとしていた時政を間一発で制止し、死なせずに助けることになる。

 

事件の収束後、政子と対面したりくが、謀反は時政ではなく自分の意向だったと言って謝罪する。

 

また、義時と対面した実朝は、祖父時政の減刑を願い、自分は全てをなかったことにすると宣言する。

 

一連の流れを受けて、大江広元たちは、時政を処刑ではなく流罪にすることを決める。

 

吾妻鏡」が「牧御方、奸謀を廻らし」と、すべてをりく(牧の方)の意向であるとし、軍事活動ではなく、実朝と御家人の移動があっただけだとしながら、なぜか時政が即日出家して伊豆に流されるという、もやっとした記述に終始している理由を、ドラマはきっちりと説明して見せたことになる。

 

 

慈円は「愚管抄」で、この事件の首謀者は一貫して時政であると書いているという(Wikipediaによる)。

 

世間的には慈円の見方が普通なのであって、「吾妻鏡」は、将軍家や北条氏に忖度して記述したから、あんなもやっとした記述になったのだろう、たぶん。

 

 

(_ _).。o○

 

毎度恒例の歴メシコーナー。

 

時政の謀反という激動の回なので、ご飯は期待していなかったのだけど、時政の館に拉致された実朝が、玄米の握り飯を食べるシーンがあったので、ちょっと嬉しかった。

 

和田義盛と実朝が語り合うシーンでは、小さな机の上に、水差しとお椀、皿が並んでいて、飲食していた風だったのだけど、すでに食べ終わったようで、皿の上には何もなかった。

 

気になったのは、水差しの形。

 

茶道で使う水差しのように、わりと大きめの円筒形で、蓋がついているのだけど、やかんのような細い注ぎ口がついていて、その反対側には持ち手もついている。

 

ネット検索で探してみたら、「水次」「水注」とよばれる、似た形状の道具が見つかった。

 

f:id:puyomari1029:20221008173001j:image

 

 

茶道の道具で、水差しに水を注ぐために使うようだ。

 

ドラマの中の水次は、模様がないシンプルなものだった。どこの焼き物なのだろう。古瀬戸、古備前行基焼……焼き物の歴史に疎いので、見当がつかない。

 

安土桃山時代に発展した茶道具としての水次と、鎌倉時代のものとでは、使い方は違っていただろうし、水次だからといって中に入れるものが水とは限らないだろうけれども、あの時政の館で実朝に供されたのは酒ではなく、握り飯と一緒に水か白湯を振る舞われていたような気がする。