湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

妖精の王と鴨川の鬼と

 読書

 

 

フィリップ・K・ディックの短編集を少しづつ読んでいる。

 

 

 


ゆうべ読んだ「妖精の王」は、映像を頭に思い浮かべやすい作品だった。


通行量の少ないハイウエ沿いのガソリンスタンドを営んでいるシャドラック・ジョーンズは、どしゃぶりの日にやってきた妖精王とお供の兵団を自宅で雨宿りさせる。ところが妖精王は長年のトロールとの戦いに疲れ果てていたため、シャドラックを次代の王に指名して、亡くなってしまう。


途方もない成り行きだけれども、兵隊たちの懇願に流されるようにしてシャドラックは王になることを引き受け、そのことをを幼なじみのフィニアス・ジャッドや、近所に住むダン・グリーンに話して聞かせる。フィニアスはまじめに話を聞いてていたけど、ダンのほうはシャドラックがおかしくなってしまったと思ったらしく、シャドラックが妖精王になったという噂はあっという魔に近隣に知れ渡った。

その夜、妖精の兵士がシャドラックに、トロールとの大決戦が迫っていると伝える。その対策を立てるために妖精の国に来てもらいたいと言われたシャドラックは、呼び出された場所である「大いなるオーク」の木が、幼なじみのフィニアスの農園内にあることに気づく。


オークの木を目指して暗がりを歩くシャドラックを、フィニアスが呼び止めて、自宅でコーヒーをふるまい、家に帰るようにと諭す。シャドラックは少し気持ちが落ち着いたのか、思い出話をはじめる。


「あんたはよく〈ヴィリアの歌〉を弾いたっけな。おぼえてるかい、そこへ・ダン・グリーンがあの女を連れてやってきてさ。ほら、夏のあいだポップの店で働いてたあの女だよ。焼きものの店を出したいとかいってた」


フィニアスが弾いていたという「ヴィリアの歌」は、オペラ「メリー・ウイドー」に出てくる歌で、妖精に恋して捨てられた若者のことを歌ったものである。

 


Karita Mattila - Vilja Song - Merry Widow  ヴィリアの歌

 

歌詞の内容は、こんな感じらしい。


ある若者が、ヴィリアという森の妖精をみかけて、狂おしいほどの恋に落ちる。
若者は、ヴィリアに、恋人にしてくれるようにと頼みこむ。
するとヴィリアは若者を岩屋に引きずり込んで、熱烈なキスをした。
ところが、ヴィリアはキスに満足して消えてしまう。
置いてきぼりにされた若者は、もう一度ヴィリアに会って、おつきあいを懇願するけれど、懇願のところで歌が終っているので、おそらく思いは叶わなかったものと思われる。


ひどい話だ。(´・ω・`)


「妖精の王」の話の流れから推察するに、フィニアスは、ダン・グリーンが連れてきたという女と何かあったのだろう。それがフィニアスの片思いで、しかも木っ端微塵に失恋したのだとすると、その後のとんでもない経緯の説明がつく。

 

あろうことかフィリアスは、長年にわたって妖精たちを苦しめてきたトロールの首魁、邪悪なる大トロールであったのだ。

 

月明かりの下でフィリアスの本当の姿を見抜いたシャドラックは、フィリアスに襲いかかられるが、すかさず反撃して、逆に殴り殺してしまう。するとあたり中からおびただしい数のトロールが出現し、シャドラックを殺そうと押し寄せてきたけれども、妖精の大兵団と力を合わせて、勝利を勝ち取る。


シャドラックは元の生活に戻ろうとしたけれど、寂れたガソリンスタンドには何の未来もないことに気づき、妖精たちに担がれて彼らの国へと旅立っていく。


…という内容なのだけど、読後、これはファンタジーだったのか、それとも孤独な老人の脳内妄想が現実にあふれ出して、親友を惨殺しただけの話だったのか、どうにも確信がもてないまま、もやもやとしたものが残る。そのもやもやも、作者の狙いなのかもしれない。


それと、どうでもいいんだけど、戦闘シーンで、ちょっぴり、映画「鴨川ホルモー」を思い出した。


鴨川ホルモーのバトルシーン


Battle League HORUMO Trailer


もっかい見たいな。

 

 

言葉


外のブログに言葉関連の日記を書いた。



medanadakki.blogspot.jp

 

medanadakki.blogspot.jp

 

 

 

 

わいたよ・・・・orz

 

今朝、たまたま、ナウシカの大海嘯を思い出していた。

理由は、とくにない。

あの王蟲の大群が押し寄せる光景が、ふっと意識のどこかをよぎったのだ。

 

 

そのあと、前の日記に書いたゴミ屋敷掃除動画を見ていたら、奇しくもナウシカ腐海の話が出ていた。

 

 

思えばそれは、虫の知らせだったのだろう。

 

 

 

 

リアル大海嘯(主観的には)

 

 

午前中、ちまちまと家事などしていたら疲れたので、和室で少し横になっていた。

 

Kindleの読み放題でみつけた、ハーレクインの漫画なんかをちらちら読んで、なにこの王子様、超ムカつくヤツだなとか、どーでもいいことを思いつつ、ふと、部屋の隅に目をやった。

 

末っ子の使い古したノート類が数十冊積んである上に、処分しようかどうしようか迷っている古着がのっかっている。つまり資源ゴミ案件だ。

 

しかしそのかげに、お菓子の包み紙っぽいものが…。

 

末っ子は片付けが心底苦手な人で、本人は「母親からの遺伝だ」と主張してるし私もそうだと思っているからあまり強くは叱れないのだけど、おやつを食べたあとの包み紙などをゴミ箱にもっていかずに、そのへんにポイッと置いて、そのまま忘れてしまうという悪癖をもっている。

 

それが包み紙だけならまだしも、「後で食べよう」と思って残した食べかけのお菓子も放置していたりするから、我が家では時折これまで怪しい虫が発生する事件が何度か起きている。

 

しかし、いまは冬だ。

厳寒の北国ほどじゃないけど、一応寒いし、ナニかが繁殖したくなるような気温ではない。

 

 

だけど、その場所はエアコンの真下だった。

あたたかい場所なのだ。

 

そして紙の束の上に、布類。さらにはお菓子の包み紙。

 

そして・・・・・

 

 

数は数えてない。

少なくとも両手足の指の数よりは、はるかに多かった。

 

 

 

ネットのお悩み相談室などで、私が求める回答がたくさん見つかった。

 

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 

 

seikatukakekomi.com

 

 

 

とりあえず、窓全開にして、ざっと掃除機で吸い取って、掃除機のゴミタンクがいっぱいになったから決死の覚悟で蓋開けて捨てて、さらにまた吸って、近くにあった衣類布類は全部洗濯に回して……

 

疲れた。orz

 

掃除機で吸っても、生きてるし……

 

 

 

ああああああああスチームクリーナーほしい。

いますぐ、ほしい。(T_T)

 

 

 

 

 

癒やしのBGM。

 


【癒し効果】ジブリ・オルゴール「風の谷のナウシカ」王蟲との交流 作業用、睡眠用BGM

 

 

 

 

曇り空なのに日が燦々と

 

今朝の健康観察日記

 

気温が少し上がってきているせいか、冷えをそれほど感じずに目覚めることかできた。

関節のごわごわも、そんなにひどくない。

睡眠はイマイチ。よく眠れた実感がない。

 

夢ばかり見ていた気がする。

育った街の公園に車を止めて、そこから電車(たぶん仙山線)に乗って旅行に行くという夢。目的不明。

仙山線 - Wikipedia

 

 

映画

 

フィリップ・K・ディックの「エレクトリック・ドリームズ」を、結局全部見てしまった。(現在シーズン1がAmazonプライム会員特典で見放題)

 

 

 

 

どれも強烈に印象的だったけど、最終話の「よそ者を殺せ」は特に気持ち悪かった。

 

近未来のアメリカ合衆国らしき国が、いつのまにか、南北アメリカ大陸全域を支配する超巨大国家になっているだけでなく、一党独裁全体主義的国家になっているのだ。けれども国民のほとんどは、そのことの不気味さや危険に全く気づいていない。生活の隅々まで、それこそ一人一人の肉体のリアルタイムのテータまで把握可能なシステムが行き渡った、完全な情報管理社会が作り上げられていて、人々はその枠の中で無個性に暮らしている。

 

あるとき、一人の工場労働者が、政治家の選挙演説中に「よそ者を殺せ」というスローガンが挟み込まれたことに気づく。労働者はぎょっとしてSNSでの他の人々の反応を見るけれど、誰も気づいていないのか、全く話題にならない。マスコミもそのことを取り上げない。


そのうち、「よそ者を殺せ」という看板が、街のあちこちに建てられ始める。
真っ赤な看板には、生身の人間の死体らしきものがぶら下げられていて、この上なく気持ちが悪い。なのにやはり、誰もそれを話題にしない。気がついてはいるけれど、意識に入れないようにしているらしい。

 

労働者は誰とも気持ちを共有できない状況に置かれて情緒不安定になり、いろいろな問題行動を繰り返して、当局に見とがめられるようになる。けれども医師も職場の人々も「よそ者を殺せ」という政府のスローガンについては、無視を決め込み、労働者の訴えを無視し続ける。


政府の洗脳はじわじわと進み、やがて住民たちが自ら「よそもの」を狩りはじめる。
労働者は、「よそ者」とされた女性に暴力をふるっている集団を止めようとして、逆に捕まってしまう。

物語の終わりには、政府によっ「よそ者」に仕立て上げられ、プロパガンダに利用された労働者が、死体となつて、看板につるされていた。

 

大多数の人々が共感あるいは黙認している、現行の社会制度や政治権力、政策などに対して、ちょっとした疑問を抱いた国民が、実に効率よくあぶりだされてマーキングされ、孤立させられ、やがて駆除されていくのに必要な条件が、短い作品のなかに、明確に提示されている。

 

まず生活の安定。これは絶対条件だろう。物語のなかの政府は、徹底した産業管理によって、貧富の差を解消することに成功しているらしいことがうかがえる。主人公の労働者も、たいした仕事をしていない(機械でも代行できるような軽作業をになっている)のに、何一つ不自由ない暮らしを送っている。完全自動運転の車が無償で支給されているようで、電車通勤をする人がほとんどいない。そもそも労働者がほとんど見当たらない社会なのだ。おそらくベーシックインカムの制度が成立しているのだろうと推測される。だから、一党支配に対して不満を抱く国民がほとんどいないのだと思われる。

 

次にあらゆる価値観の一元化と、個性の平均化。
人々は、どこにいても、マスメディアから流される立体映像につきまとわれ、話しかけられ、常にそれらに洗脳されつづけているような状況下で暮らしている。大半の人々が、そういうものだと思ってなじんでしまっている。主人公の労働者だけは、絶えず寄ってくる広告にうんざりして、生活から排除しようとしていたけれど、露骨なセックスアピールをしてくるチーズのCMの美女に対しては、ついうっかりよろめいている。陳腐だけれど、疑問を持たず、なじんで暮らしてさえいれば、至極快適な社会なのだ。


そして、そんな暮らしの中で、人々は知らず知らずのちに、孤立化させられている。
誰もが当たり障りのない表面的なつきあいを楽しみ、露骨な対立関係が生じないように、自発的に調整しながら暮らしている。現実に意見の対立が生じると、社会制度にとって害となる可能性のある側が、「病気」として扱われ、同調者を生み出す前に、治療や隔離など、コントロールの対象となってしまう。それでも社会に順応できない場合は、「よそ者」として殺されるというシステムなのだ。

 

この上なく気持ちの悪い社会だけれども、もしも世界がこんな単一国家になったなら、おそらく戦争も飢えもない、極めて安全で安定した社会が実現することだろう。

 

現実に残虐な戦争が繰り返されている世界とどっちがいいかと問われると、私には、簡単には選ぶことができそうにない。

 

 

 

 

キーボード

 

さっきから、キーボードが暴走して、書きにくいったらありゃしない。

勝手に改行を連打したり、かな入力がローマ字入力に勝手に変わってしまったり。

ときどきあるんだけど、ほんとに困る。まるでキーボードに別人格が宿ったかのようだ。

 

なんて書いてたら、安定してきた。

寝ぼけていたのかもしれない(私じゃなくてキーボードが)。

 

 

読書

「エロクトリック・ドリームズ」があまりにも面白かったので、フィリップ・K・ディックの短編集を少し読み始めた。

 

 

 

 

 

この作品集には、「エレクトリック・ドリームズ」で映像化された作品の原作である、「地図にない街」と「父さんもどき」が収録されている。

 

原作も面白いのだけど、映画では、より現代社会の問題をえぐるような要素がいろいろと付け加えられていたのが分かった。

 

「地図にない街」のほうは、状況設定は原作に近いけれども、登場人物たちは、まったく違う人生をあてがわれている。何らかの脳障害に由来する問題行動を繰り返す、駅員の息子は、原作には登場しない。映画のシナリオを作った人は、フィリップ・K・ディックの視点に深い敬意を表しつつ、それを超える作品を作るために全力を尽くしたのではないかと思われる。

 

見放題で見ることができて、ほんとうによかった。

シーズン1ということは、シーズン2もいつか見られるのだろうか。だったらいいな。

 

 

 

 

 

晴れた空の土曜日

今朝の健康観察日記

 

朝六時に携帯のアラームで目が覚めた。

うわっお弁当作らなきゃと思って慌てて起きようとしたけど、身体が金縛りにあったみたいに動かない。ギシギシ。しかも冷えてる。

 

どうしようかと思ったけど、考えてみたら今日は土曜日だった。学校もお弁当もない。安心して二度寝に突入。

 

 

 

ドラマ

 

 

ゆうべ寝る前に、Amazonプライムビデオで、SFドラマを少し見た。

 

 

 

フィリップ・K・ディックのエレクトリック・ドリームズ。

 

Amazonビデオで、いま全編見放題になっている。

最初の三本を見た。

 

現実よりも不幸な仮想現実に魅了され、自分にふさわしいのはそちらだと信じて、現実世界に戻ることを拒否した女性の物語である「真生活」。

 

 

核戦争で人間社会が破壊された世界で、無人の自動工場が無限に製品を作り続けてドローンで配達してくる。残り少ない人間たちの集落は、自動工場の撒き散らす環境汚染と、使い道のないままゴミの山となっている製品に苦しめられて、風前の灯となっている。そこで人間の革命家たちが自動工場を破壊する作戦を実行するのだけど、そこで明らかになったのは、この世界には人間など一人もいないという現実だった……「自動工場」。

 

水資源の枯渇した未来の地球では、宇宙船で他の星から水を運んでこなくてはならなかった。けれども水のある星には原住民がいて水源をまもっているため、水の採取には激しい戦闘を伴った。その戦闘を生き延びて、水を持ち帰った宇宙船の乗務員が、帰還後、様子がおかしくなった。元は冷酷で陰険な男だったのに、まるで別人のように思いやり深い愛妻家になってしまったのだ。乗務員は、船を襲った原住民に人格を乗っ取られたものと見なされ、裁判にかけららるけれども、彼は共犯を疑われた妻を守るために、自分の処刑を受け入れようとする。その自己犠牲の精神から、彼は人間であると認められるけれども……「人間らしさ」。

 

どの話も、真実が見えないように隠されていて、見ている私も登場人物たちと一緒に迷宮に取り込まれたかのような気持ちになる。

 

 

救いのない未来社会ばかりでてくるのに、どれもどこか古風で、なぜだか引き込まれる。

 

先日見た「コングレス未来会議」や「ゴースト イン ザ シェル」と、雰囲気が重なるところがあった。街中に巨大な立体画像の広告を浮遊させるセンスは、未来社会の定番イメージなんだろうか。いつか現実化したら、ちょっと嫌だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

めまいのその後

 

夜の健康観察日記

 

朝六時過ぎに突然始まった、とんでもないめまいは、午後になっても続いていた。

 

起き上がるたびに、天井がぐるんぐるん回る。

寝返りをうっただけでも部屋が回る。

そのうち気持ち悪くなり、吐き気がしてきた。

 

これはダメだと思って、まず明日の予定をキャンセルした。

 

それから、かかりつけの総合病院に電話して、何科にかかればいいか相談したところ、耳鼻科だと言われたので、耳鼻科の午後の診療時間と混み具合を確認。

 

一時前から受付開始で、二時から診察、混み具合は大したことなさそう、とのことなので、一時過ぎに病院に着くように家を出た。その時点で、まだ天井は景気良く回っていたし、足元もフラフラ。

 

長女に付き添ってもらって、なるべく頭を動かさないように、ゆっくり移動。

 

病院で受付をしたり、立ったまま問診票を書いたりするのが、とんでもない苦行だった。

 

それほど待たずに耳鼻科の診察になり、聴力とめまいの検査を受けた。

 

検査室に入るときには、世界はまだ回っていた。

 

ところが、耳にヘッドホンを当てられて、小さな音を聞き取らされているうちに、世界が徐々に動かなくなり、めまいの検査に入ったところで完全に停止。

 

 

結果、異常なしと言われた。

めまいの検査は、めまいを起こしている最中でないと、異常なしになるとのこと。そりゃそうだろう。

 

その後、神経内科に回って、また問診票を書き、CT撮影されることに。めまいは完全におさまっていたから、スタスタと普通に歩いて移動できたし、問診票の記入も別に苦行ではなかった。

 

CTでも異常なし。

少なくとも脳の恐ろしい病気は見当たらないとのことで、まずは一安心。

 

でも朝の強烈なめまいの原因は、結局わからないままだ。それがちょっと、気持ち悪い。

  

なにしろ、前置きも予兆もなしに、いきなりひっくり返ったのだ。

 

あんなのが運転中に起きたら、どんな事故を起こすかわからない。料理中もあぶない。

 

変な疲労が溜まっていた自覚はある。

睡眠時間が短くなっていたし、体力も落ちていた。

 

しばらくは、用心して暮らすしかない。

 

 

 

 

映画

 

なにか気が緩むような映画がないかなと、Amazonプライム・ビデオを探してみたら、もうすぐ見放題が終了する作品リストのなかに、「珍遊記」という松山ケンイチ主演の映画があったので、みてみたのだけど……

 

 

珍遊記 [DVD]

珍遊記 [DVD]

 

 

どうしようもない映画であった。(´・ω・`)

 

なのに、最後まで見てしまった。

どんなものにもなってしまう松山ケンイチはすごいとしか言いようがない。どんな兵器や武力を持った敵に囲まれてもオナラで全滅させ、巨大な野糞をし、常に鼻くそをほじり、なにかというと真っ裸になるヒーローなんて、なかなかなれるものではない。

 

どうでもいいけど、Amazonビデオの作品紹介文のなかに誤植があった。玄裝と太郎が目指しているのは「点熟」じゃなくて、「天竺」だ。