湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

健康観察と言語学者と

今朝のドタバタと健康観察

 

見出し文字、デカいな。。。

でもこれより小さくすると、見出しが本文に飲み込まれる気がして、落ち着かない。

なんか飾りをつければいいんだろうけど、そんな知識もセンスもない。

まあいいか。わかりやすいし。

 

 

寝坊した。

息子(もうすぐ二十歳・重度自閉症)が私の枕元の目覚まし時計を、止めたのだ。

目覚ましは、六時に鳴るはずだった。

亭主のiPhoneのアラームが鳴り出したのが、6時半。

起き出してみると、息子はもう布団にはいなくて、風呂に湯を入れていた。

今日はお休みだとカンチガイしたらしい。

月曜日だし、介護施設に行く日だと伝えると、すぐに納得して、入浴に固執することはなかった。やれやれ。

 

寝坊したけれど、入眠も遅かったから、睡眠時間は足りていない。

ゆうべ、睡眠導入剤を飲むのをうっかり忘れて、なかなか寝付けなかったのだ。

 

頭はボーッとするし、全身がだるい。憂鬱な気分(ドツボというほどではない)。

 

ただ、関節の痛みがそれほどでもなかったので、ちゃっちゃと起き上がって、末っ子の弁当を作ることはできた。

 

 

IPhoneが勝手に落ちる不具合

 

中見出しだから、一回り文字を小さくしてみた。 

 

お弁当製作後、息子のショートステイの申し込むために、iPhoneのカレンダーを見ようとしたら、なぜか画面が閉じて真っ黒になった。しばらくすると、パスワードを求める画面が表示され、入力するとすぐに開くのだけど、十数秒もしないうちに、また真っ黒になる。

 

これは噂に聞くバグであるなと思ったので、同じiPhoneを使っている亭主や長女に対処方法を調べてもらった。

 

こういうことだったようだ。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 

私のiPhoneは、物忘れ防止のために、頻繁にカレンダーの通知が表示されるようになっている。とくに朝は薬の飲み忘れ、家族の予定などを、繰り返し知らせてくれるように設定している。

 

その通知が作動するたびに、画面が落ちてしまうのだから、おちおちカレンダーも見られない。

 

落ちずにいられる十数秒の間に、大量のアプリの通知許可を全部不許可にすべく、アクションゲームのように指を動かした。

 

それでシャットダウンは起こさなくなったけど、とっても疲れた。(~_~;)

 

 

 

 そして一応くつろぎのひととき

 

 

その後、九時過ぎに息子を送り出し(送迎バスに乗せた)、郵便受けの新聞を取ってから帰宅。

 

お茶などのみながら新聞を読み、投稿した短歌が落選しているのを確認しつつ、どうぶつの森でカレイやイカを釣って住民に分け与え、それから「ふにゃもらけ」に移行してふにゃをバイトに送り出し、さらに「城とドラゴン」を開いてモンスターの育成状況を確認したあと「なめこ」の大群が城に攻め込んでくるのを迎撃し(落城した。なめこ如きに負けた)、さらに新聞を眺めていたら、こんな広告を見つけた。

 

 

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日本の言語学者、田中克彦氏の新刊らしい。

広告のなかに「たたかう言語学者の思考の軌跡をたどる」とある。

 

出勤途中の亭主にLINEで広告を送り、「何とたたかっているのだろう」と聞いてみたらば、

 

「なんとでも闘うひとです」

 

とのことだった。

穴あきくつしたとも、闘っておられたのだろうか。

気になる。

読んでみたいけど、ちょっとお高いご本である。

電子化(Kindle化)もされていない。

亭主の学校の図書館に入るようなら、内容教えてもらおう。

 

 

 

 

言語学者についての補足

 

昨日の日記に書くのを忘れた気がするけど、バーナード・ショーの「ピグマリオン(映画「マイ・フェア・レディ」の原作)の序文に、トンデモ言語学者であるヒギンズ教授の人柄は、ヘンリー・スウィートという実在の言語学者を参考としている、という風に受け止められる説明がある。

 

そのことについて触れている序文を少し引用する。

(読みやすいように改行を入れる)

 

------------------------------------- 

 

私がこのテーマに興味を持つようになった一八七〇年代の終わり頃、「視話法(ヴィズィブルスピーチ)」の創案者で有名なアレクサンダー・メルヴィル・ベルはカナダへ移住してしまっており、かの地で息子が電話を発明していた。

 

アレクサンダー・J・エリスは、長老としてロンドンに留まっていたが、いつも頭にビロードのスカルキャップを被っているのが印象的で、公の場で人に会うときはいつも極上の礼儀作法で着帽の非礼を詫びるのだった。

 

彼と、もう一人のベテラン音声学者ティト・パグリアディーニの二人は、到底嫌うことなどできないような好人物だった。

 

ヘンリー・スウィートは、当時まだ若かったが、名前に似合わず、先輩方のような甘く優しい気質を欠いていた。因習的な人間に対して甘いところを見せるとしたら、それはせいぜいイプセンやサミュエル・バトラーと同程度のものだった。

 

音声学者としての能力は高く(私が思うにこの職にある人物の中で最高)、天下に表彰されてこの学問をもっと世に広めることができていたかもしれないが、音声学よりもギリシャ語に重きを置く学会の権威やその他一般の人々に対する悪魔のような侮蔑的態度が仇となった。

 

一度、サウス・ケンジントンに帝国協会が建てられて、ジョゼフ・チェンバレン大英帝国を盛りたてていた頃に、私はある主要な月刊批評誌の編集者を説いて、帝国における音声学の重要性についてスウィートに原稿を依頼させた。

 

原稿が届いてみると、そこにはある言語・文学の教授に対する激しい侮蔑的な攻撃が書かれているばかりで、スウィートは、その教授の椅子は音声学の専門家にこそふさわしいと考えていた。中傷記事であるため、掲載不可能ということで、原稿を送り返すしかなかった。そして、スウィートに脚光を浴びさせようという私の夢も諦めざるを得なかった。

 

その後、随分しばらくぶりに彼に会った時、驚いたことに、もとはかなり見栄えのする若者だった彼は、全くの侮蔑心から自らの外見を変えてしまい、オックスフォードとその伝統すべての「否認の権化」になっていた。きっとそこで音声学の講師職という立場に圧し込められているのが不本意だったに地がいいな。

 

音声学の未来は、彼に心酔する教え子たちに託されることになった。

だが、何をもってしてもこの男を大学の意に従わせることはできなかった。

 

(「ピグマリオン」序文からの引用)

------------------------------------------------------------------------- 

 

大変な言語学者がいたものだと思うけれども、このヘンリー・スウィートについての人物描写は、偏屈で変人というところ以外、作中のヒギンズ教授のイメージとは結びつきにくい。

 

ヒギンズ教授はピカリング大佐とは仲良しだったし、皮肉でデリカシーなど微塵も持たない、度しがたい人物ではあったけれど、全体としては快活であり、他人への侮蔑や恨みつらみから容姿まで変わってしまうほど陰険な性格ではないように思われるのだ。

 

ウィキペディアでヘンリー・スゥイートについての記述を読むと、なんと、ヒギンズ教授の本当のモデルは、別人の可能性があるのだという指摘があった。

 

(以下、ウィキベデアからの引用)。

 

バーナード・ショーは自作の戯曲『ピグマリオン』の序文においてスウィートについて長々と触れ、主人公であるヒギンズ教授がスウィート自身というわけではなく、性格も異なるが、スウィートに影響された部分があることは認めている。しかしこの序文には疑問もあり、ライデン大学のビヴァリー・コリンズ (Beverley Collins) とインゲル・メース (Inger Mees) によると、実際にはダニエル・ジョーンズをモデルにしていたが、大学で音声学を教えている実在の人物がモデルであるとわかると不都合なので、序文で故人であるスウィートに言及することでジョーンズに迷惑が及ばないようにしたのだという。

ヘンリー・スウィート - Wikipedia

 

ダニエル・ジョーンズについてウィキペディアの記述を読むと、物語のなかのヒギンズ教授を彷彿とさせる部分がいくつかある。

 

外国語の音声調査。

英語を母国語としない人への発音指導の基礎となるような著書の出版。

理論よりも実用を重んじる態度。

 

けれども残念ながら、人柄が分かるような記述はなく、恩師の姪と結婚したことが書かれているのみだった。

 

ダニエル・ジョーンズ (音声学者) - Wikipedia

 

 

ご本人が発声・録音したと思われる、母音の発音動画があった。

 


The Cardinal Vowels with Daniel Jones

 

ちなみにgoogle翻訳くんは、「The Cardinal Vowels」を「枢機卿母音」と訳してくれたが、意味はなんとなく分かったので、よしとする。主要な母音っていうことだよね。(´・ω・`)

 

 映画「マイ・フェア・レディ」作中で執拗に繰り返される、あの有名な発音練習も、イライザの母音の発音の悪いことを狙い撃ちにしたものだった。

 

The rain in Spain stays mainly in the plain.
「スペインの雨は、主に広野に降る」。

 

 

学生のころ、音声学の講義が苦手で、つまらなくて、試験でも最低な成績を取ったものだったけど、いまこうして、百年前の音声学者たちの業績について、上っ面だけでも知ってみると、大変な時期を経て成立した学問だったんだなあということが分かる。

 

どこにでも録音機を持って行ける時代ではなかった。音声分析のための機械やコンピュータープログラムがあるわけでもないから、すべては音声学者の耳と記憶と判断に拠るところとなる。

 

ヒギンズ教授と同世代の、つまり百年前の言語学者たちが、いまのiPhoneなどの音声認識の能力や、語学アプリの性能を見たら、どんな反応をするのだろう。

 

ヒギンズ教授は、おもしろがって夢中になりそうな気がする。

でも、iPhoneアプリで発音練習をさせられるイライザは、百年前と同じように、ひどい頭痛に見舞われるだろうと思う。だってiPhoneの語学アプリの音声認識、ほんとに厳しいのだ。ヒギンズ教授との違いは、罵詈雑言を吐かずに根気よく褒めてくれることぐらい。

 

 

 ↓昨日の日記

 

dakkimaru.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

日曜日の午後の日記

昨日の読書

バーナード・ショーピグマリオンを読了。

 

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昨日の日記にも書いたように、AmazonKindle読み放題でダウンロードしたものである。

 

 

ピグマリオン (光文社古典新訳文庫)

ピグマリオン (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

 

物語のあとに掲載されている、長い「後日譚」を読んで驚いた。

 

映画「マイ・フェア・レディのラストは、イライザとヒギンズ教授の間に、かすかなロマンスの芽生えがありそうな感じだった。

 

ところが原作者はそんなことを全く想定していなかったのだ。

 

「後日譚」は、それだけで「続・ピグマリオン」が出来てしまいそうな物語になっているけれども、たぶん観客にとっては、あまりおもしろくない話だと思う。

 

結論から言うと、イライザとヒギンズ教授の間にロマンスが生まれることは、決してなかった。

 

そしてイライザが自分の伴侶に選んだのは、うつくしく洗練された彼女を崇拝してやまない没落貴族の息子、フレディであった。映画でもイライザをエスコートする美青年が端役で登場しているけれど、戯曲のほうでは彼の無能ぶりが、より詳しく、容赦なく描かれている。けれどもイライザはヒギンズ教授ではなく、フレディを愛したのである。

 

イライザとヒギンズ教授の年齢差は二十歳だったという。けれどもロマンスの不成立は、年の差によるものではなかった。

 

映画のヒギンズ教授も大概ひどい人柄だったが、戯曲のほうではさらに幼稚で自己チューな学者バカを極めていた。彼は常に無礼で騒々しく、皮肉屋で嘲笑が大好きで、他人の気持ちに配慮するスキルなど微塵も持ち合わせていないため、実の母親も含めてたいていの人間にもてあまされ、結婚どころか、社交界での人付き合いすらまともに出来ない、非常識なトンデモ人間として描かれている。

 

けれども、そうしたヒギンズ教授の性格が、ロマンスの妨げになった訳でもなかった。

 

作中では二十歳前後であったイライザは、学はないが聡明な女性であり、結婚相手としてヒギンズ教授が全くふさわしくないことを、しっかりと見抜いていた。その理由は、ヒギンズ教授が自分にこれっぽっちも心を寄せていないこと、スリッパほども存在価値を認めていないことを、イライザは知っていたからである。

 

彼女には、父親同様ヒギンズが自分を必要としていないことは分かっていた。あの日彼が、君がここにいることにすっかり慣れてしまった、君がいないと細々とした用がこなせなくなる、君が出ていくと淋しくなるだろう、と(フレディや大佐には到底言えないようなことを)言ったときの実直さゆえに、彼女の中では一層自分が彼にとって「そのスリッパおどん価値んねえ」ことへの確信が深まっている。それでいて、彼女には、彼の無関心が月並みな男たちののぼせ上がりよりも深いことが分かるだけの分別もある。彼に対し、計り知れないほど興味を感じてもいる。時には密かに、彼を無人島に連れ出し、あらゆるしがらみから解き放ち、気にしなければならない人間が誰もいないところに二人きりになって、彼を台座から引きずりおろし、普通の男並に恋をささやかせてみたい、と悪戯っぽく想像することもある。誰でもその種の個人的な空想は楽しむものだろう。

 しかし、夢や空想の世界から離れたビジネスや実生活でのことになると、彼女はフレディが好きで、大佐が好きで、ヒギンズや父親のドゥーリトルは好きになれない。彫像のガラテアがみずからの創造主であるピグマリオンを本当に好きになることは決してない。彼女にとって彼はあまりにも神のごとき存在であり、到底つき合えるものではないのである。

(「後日譚」の末尾から引用)

 

 

とはいえ、この「後日譚」によって、映画「マイ・フェア・レディ」のラストの解釈を変えようとは思わない。あれは、イライザの夢想の延長線上にあった一つの可能性である、ということで、いいのではないだろうか。

 

 

しかし、言語学者ほど恋愛に不向きな人材はいないということを、本作が欧米社会に深く刻み込んだ可能性はかなり高いと思われる。

 

 

 

 

 

↓昨日の日記

dakkimaru.hatenablog.com

 

 

 

今日の健康観察

 

ぐだぐだである。

意欲減退。

だるい。

 

あ、でも、痛いところは少ない。

手は、握らなければ特に痛みを感じない。

握ると関節を締め上げられるような圧迫痛。なので、極力握らず、マッサージに努めている。

 

 

BGM

 

 

息子(十九歳重度自閉症・会話は厳しい)が、鼻歌で結婚行進曲ばかり歌うので、ロック風にアレンジしたものをYouTubeで探して聞かせてみた。

 


おめでとう!結婚行進曲をエレキギターで弾いた

 

 

おどろいたことに、息子の鼻歌の音程は、ぴったりと合っていた。

絶対音感的な感覚でもあるんだろうか。あるんだろうな。自閉の子には少なくないというし。

 

一時期、私が鼻歌を歌っていると、耐えられんという顔で口をふさぎに来ることがあった。たぶん、自分の頭の中にある曲と、音がズレていたのだろう。

ちなみに私はまごう事なきオンチである。

 

なにはともあれ、エレキバージョンの結婚行進曲を、息子は気に入ったようだ。

 

(´・ω・`)

 

 

外出

 

日曜日なので、末っ子の付き添いで、教会の日曜学校へ。

 旧約聖書出エジプト記について、教えていただいた。

モーセが海をぱっかーんと割ってエジプトから逃れ出たのだということぐらいは知っていたけれども、二百万人ものユダヤの人々が約束の地であるカナンにたどりつくまで、四十年もかかったということは、初めて知った。

 

 旧約聖書新約聖書は、Kindleのunlimited(読み放題)で読むことができる。

 

 

旧約聖書 新改訳

旧約聖書 新改訳

 

 

 

聖書 新共同訳  新約聖書
 

 

 

私もKindleiPhoneKindleでDLしているけれども、結局紙の本のほうが読みやすくて、結局そちらを使っている。

 

 

 あとがき

 

ちかれた。

 

 

 

表示されるネット広告とのつきあい方(私の場合)

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なんだか広告に「見られてる」気がする

 

googleアドセンス広告が、ネットユーザー個人の趣味嗜好や属性に合わせて広告内容を選んでいるらしいのは、だいたい察せられるのだけど、このごろそれが、ほんとにピンポイントに迫ってくるので、ちょっと気味が悪くなってくる。

 

 

一つ前の日記で「マイ・フェア・レディ」について触れたから、オードリー・ヘップバーン関連の商品を勧めてくるのは、まあ分かる。

 

 

dakkimaru.hatenablog.com

 

 

でも、それと一緒に「55歳、汚部屋から抜け出せた理由」という広告を表示するのは、どうなのか。

 

ほんと不気味だ。

なんで年齢まで当てちゃうの? (T_T)

 

自分が「あまり片付けられない女」であることは認める。

 

でも、ここのブログにはそんな記事をせっせと書いた覚えはないし、汚部屋関連のブログやホームページをのぞき見することも滅多にない。

 

それとも、ここのブログの内容を見ただけで、

 

「この文章を書いてるヤツは片付けられない55歳女だ」

 

と分かるようなAIが開発されているとでもいうのだろうか。

 

あ、もしかすると、更年期障害とか鬱とかの記事を書いてるからかな。

でも、よほど詳しくブログを読み込まないと、「汚部屋・55歳」とピンポイントで攻めてくる根拠になるとも思えないけど。

 

(言い訳がましいかもしれないけど、いま現在の我が家は、そんなに「汚部屋」ではない!!! ということは軽く主張しておきたい)

 

 

ほんと、どうなっているのだろう。

 

ちなみに「55歳、汚部屋から抜け出せた理由」の広告は、まだ開いていない。

 

たぶん一度触ってしまうと、どこへ行ってもソレ系の広告につきまとわれることになるのだろうから。

 

そんなネットサーフィン、素敵じゃなさすぎる。(T_T)

 

 

とはいうものの、本当のところ、googleアドセンスをはじめとしたネット広告がそれほど嫌いなわけじゃない。

 

書籍やゲームアプリの広告は、よく開いて眺めている。

(そして時々「釣られて」いる)

 

あまりしつこくポップアップしてくるようなものは、記事を読むのに邪魔くさいから苦手だけれども、そういう広告をのっけているサイトには次から行かないようにするので(行かなくても困らない場所であることがほとんどだし)、そう気になることもない。

 

いま知りたいなと思っている情報に関する広告を、まるで有能な執事でもあるかのように、さっと出してくれるときもあって、ちょっと感動したりすることも多い(チョロいユーザーです)。

 

たとえば今日表示されたもののなかには、「55歳汚部屋」以外に、「ユーキャン」の介護福祉士の通信講座の広告と、BLESSというMMOロールプレイングゲームの広告があった。

 

介護福祉士については、長女が資格を取りたいと話していたばかりだったので、ちょっと情報を集めたいと思っていたところだったし、BLESSについても、つい最近、お友達が「おもしろい」と話していたのを聞いて、興味を持っていたものだった。

 

 

介護福祉士に関してはPCで検索したりどこかに書いたりはしていないと思うけれども、数日前に、iPhonegoogle検索していたと思う。

 

その情報が、PC側にも伝わっているということは、同じgoogleアカウントの持ち主であると認識された上で、広告を提供されているということだろうか。

 

BLESSについては、検索すらしていない。

けれども、BLESSと類似のMMOの情報を調べたり、アカウントを取ってプレイしてみたことはある。そういうことも、私の情報として、google側にストックされていたりするのかもしれない。

 

 

なんというか・・・

 

いっぺん、googleさんが私という個人についてどう思っているのか、語ってほしい気がする。

 

新明解国語辞典に「新開さん」という名前をつけて、あたかもヒトであるかのように親しみを持ってその意味記述を愛読するということがはやったことがあったけれど、私としては、googleのサービス全般を取り仕切る一個の人格を認めて、「googleくん」と呼びたくなることもある。

 

いつの日か、googleが、iPhoneのSiriよりもずっと人間くさい、対話型AI「googleくん」みたいなアプリを出したら、ユーザーになるだろうと思う。

 

わたし「ちょっとgoogleくん」

 

google「はい、なんでしょう」

 

わたし「今日の私が何をしたいと思ってるか、当ててみて」

 

google「そうですね。まずは手足の念入りなマッサージと、保温でしょうか。昨日の日程から類推するに、今日は関節の痛みが増しているものと思われますので。それから…」

 

わたし「あー、それはさ、やったほうがいいことでしょ。やりたいこととは、ちょっと違うんだなー」

 

google「失礼しました。ふむ…微妙ですね。推測される睡眠時間の短さ、および体調全般の好ましくない状態から見て、なにかをしたいという意欲は、それほど高くないと思われます。どこかへ出かけたり、肉体的負担の大きな行動は望まれていないと考えられます。けれども、今現在、パソコンデスクの前に腰掛けて、パソコンを操作しながら文章を書いておられるということから、寝込むほどの不調ではないとも言えるでしょう。しかし、このような問いかけをされているということは、自ら判断して実行するほどの精神的余力にも欠けていることを示していそうです。その他、これまでの生活スタイル、行動パターンのすべてを勘案して判断するに、何か温かい飲み物をこの場で飲みたい、というところではないでしょうか。飲み物の種類は、紅茶か、ウーロン茶。いかがでしょう」

 

わたし「あたり。というわけで、お茶入れてきて」

 

google「不可能です」

 

 

生きているうちに、一般家庭用AI執事の実用化を見たいものである。

 

 

 

 

新解さんの謎 (文春文庫)

新解さんの謎 (文春文庫)

 

 

 

 

アカハラ教授とピグマリオンと

教授によるブーメランなアカハラ

 

朝からイヤなニュースを見た。

 

www.nishinippon.co.jp

 

 

学生を「あんたは発達障害だよ」と決めつけ、論文執筆能力がないと言ったり、論文の研究データを「捨てろ」と言ったり、ゼミ変更を強いたりという、いかにもなアカハラ案件だけど、この訴えられた教授の驚くべき点というかダメすぎる点は、自身が発達教育の研究者であり、

 

「注意集中困難・多動性発達障害児の発達支援と学校適応に関する臨床発達心理学的研究

 

という研究を、わざわざ科研費を貰って行っている人であったということだ。

 

research-er.jp

 

自分が「発達障害」と認めた学生の支援を拒否して学校適応を阻害してどうするのだ。(~_~;)

 

論文執筆能力がない学生に「論文執筆能力がない」と宣告することは、場合によっては必要なこともあるかもしれない。

 

けれどもその場合であっても、学生に「あんたは発達障害だよ」と伝える必要はあるだろうか。

 

(ただしアカハラ被害にあった学生は、発達障害ではなかったと記事には書いてある。)

 

だいたい、発達障害が疑わしい大学の先生なんて、山ほどいるのだ。

とくに自閉圏内の可能性がある人は、研究者には多いはずだ。

 

アインシュタイン自閉症であったと推定され、エジソンADHDであっただろうというのは、いまではよく知られた話だ。この教授にはそういう知識がなかったのだろうか。

 

なにはともあれ、記事を読んだ限りでは、この教授自身が、論文のデータを捨てて研究を撤回すべきであると思われる。

 

 

┐(´~`)┌

 

 

教授とロマンス

 

 

 

昨日の日記でハーレクイン系の作品をよく読むと書いた。

 

 

dakkimaru.hatenablog.com

 

 

んで、ヒロインの彼氏(このジャンルではヒーローと呼ばれるらしい)になる人物はほとんど例外なくセレブで大金持ちで美形であるとも書いた。

 

なぜだか分からないけれど、大学教授や研究者が彼氏(ヒーロー)になる作品には、滅多にお目にかからない。

 

ごくまれにあるけれども(その場合はとんでもない変人か世捨て人的なキャラとして登場する)、その教授や研究者の数は、アラブの大富豪やヨーロッパの架空の王族よりもだいぶ少ない印象である。

 

敵役となる教授の事例はわりと見つかる。

ヒロインを大学内でたぶらかして捨てたり、妊娠させて放り出したり、ヒロインの研究データを盗用するロクデナシとして、それらの教授は登場する。さんざんな扱いだ。

 

ハーレクイン的な人物評価の体系では、大学教授や研究者は、ヒーローにふさわしいセレブではないらしい。

 

 (´・ω・`)

 

そんなわけで、私の場合、ヒーローが研究者の作品として、真っ先に思い浮かぶのは、ハーレクインの諸作品ではなく、「マイ・フェア・レディ」だ。

 

 


My Fair Lady - Audrey Hepburn - The Rain In Spain  スペインの雨

 

 

うるわしいオードリー・ヘップバーンが演じるヒロイン、イライザは、下層階級の娘であり、とんでもなく言葉が汚いために、貴族階級の言語学者のヒギンズ教授に目をつけられ、言語教育の実験材料として自宅に引き取られる。

 

そこで上流階級の美しい英語をたたき込まれたイライザは、王族との対話でも引けを取らないほどに洗練され、自分の成長を見込んで教育してくれたヒギンズ教授に恋心を抱く。

 

けれども、教授はそんなことには全く気づかない。

ついでにイライザが人格が備わった女性であることすら、もとから念頭になかったらしく、自分の「成果」に大喜びして親友と飲み明かし、イライザと喜びを分かち合おうともしない。

 

そのことに怒ってヒギンズに食ってかかるイライザの気持ちなど、まったく理解できず、困惑し逆ギレするありさま。

 

まあ、いいトシになるまで独身で女っ気の全くない暮らしをしていたらしいヒギンズ教授だから、女性蔑視云々以前に、とんでもない朴念仁だった可能性も高いだろう。

 

そんなこんなで、居場所のなさを感じたイライザは、教授の下を去る。そして・・・

 

 

いちおう、ラストではお互いの心が通じ合ったことを示唆する場面があるけれど、ラブラブのアツアツになる可能性は低いと思われる。

 

ヒギンズ教授、いまならアカハラ、セクハラで盛大に訴えられかねない。

本人の同意があったとはいえ、家に連れ込んで秘書みたいな仕事をさせて、ヒマさえあれば発音の特訓、人格無視の皮肉や罵詈雑言三昧、「成果」があがるとドレスを着せて社交場へ連れ回し・・・だいぶアウトだ。

 

ああそうか、「教授」だの「研究者」だののイメージは、欧米ではヒギンズ教授みたいなド偏屈の変人タイプが中核にあるのかもしれないな。そりゃハーレクインのヒーロー要員にはなりにくいわ。

 

でも、この映画、大好きだったなあ。

 

 

マイ・フェア・レディ スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

マイ・フェア・レディ スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

 

 

Amazonビデオで見られるようだ。

ひさしぶりに、見てみようかな。

 

とはいえ、イライザとヒギンズ教授の年の差、かなりありそうではある。

映画では、ヒギンズ教授はどう見ても五十代かそれ以上、イライザは二十代前半に見える。

 

原作「ピグマリオン」では、どういう設定だったんだろう。

 

 おや、バーナード・ショーの「ピグマリオン」が、AmazonKindle読み放題で、読めるようだ。光文社の古典新訳文庫。さっそくDL。

 

ピグマリオン (光文社古典新訳文庫)

ピグマリオン (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

 

 

 

 

具合悪くなって漫画読んだ日記

 

健康観察第二部

 

 

午前中は通院。

 

帰宅してお昼食べたら疲れが出たので、そのまま横になって休息。

猛烈な眠気が押し寄せてきたけど、睡眠には至らず。

 

夕方まで休息したものの、だんだん疲労の圧迫感が上がってきて、気分がつらくなったので、夕食後に「頓服」的に出してもらっている処方薬(最弱クラスの安定剤)を服用。そのうち効いてくるだろう。

 

のどが頻繁に乾く。

動悸も少し。

動けるうちに、飲み物取ってこよう。

 

 

Kindleでマンガ読んだ

 

Amazonの読み放題(Kindle Unlimited)のリストにあったマンガから選んだ一冊。

 

 

 

桜沢エリカ作品は、あまり読んだことがなかった。

 

同じ時期(80年代?)によく見かけた、岡崎京子原律子の作品は、結構たくさん読んでいたのに、桜沢作品だけは、なんとなく選ばなかった。

 

なんで読まなかったのか、いまとなってはその理由も思い出せないけれども、絵の雰囲気に、自分が近寄りがたいオシャレな感じがしたからかもしれない。

 

それがただの先入観なのは、上の作品、「世界の終わりには君と一緒に」を読み始めて、すぐに分かった。

 

なんかもう、ひどい(←語彙力貧困)。

主人公も、その周囲の人々も、語られている出来事も。

 

ただ流されて自堕落に生き続ける主人公のケイジ。

享楽的で責任感がないから、仕事は続かず生活もボロボロ。

人のお金を持ち逃げして競馬につぎ込み、行きずりの女性のヒモになって暮らしている。

 

あんまりろくでもないので、序盤で読むのをやめようかと思ったけれども、なんとなく気になったのは、ケイジの生命力というか精神力のしたたかさである。

 

どうしようもない人間なのに、何があっても完全に折れてしまうことがない。

自堕落なりに、世間と関わって暮らしているし、いい加減でろくでもない人柄丸ごと愛されて、慕われることすらある。

 

けれども、慕って寄り添う人たちを守れるほどには、強くもない。

ケイジの近くで、二人が死に、一人が死にかけた。

三人とも、ケイジが直接傷つけたわけではないけれど、ケイジを信じて慕ったり、ケイジを災厄から守ろうなどと考えなければ、そんなことにはならなかった。

 

 

そうした出来事が、ケイジをますますろくでもない根無し草にしたのかどうかは分からないまま、物語は終ってしまう。

 

ケイジが本気で好きになった女性が、ケイジに愛想を尽かして、ジャマイカに渡航してしまうと知らされたとき、ケイジはつぶやく。

 

「みんなオレから離れてく どーしてかなあ」

 

どーしてもこーしても、周囲に人を生かすことのできないような生き方をしているのだから、当然なのだけれども、本人にはそれが分からない。

 

彼は、世界の終わりを共にするたった一人の大切な人に、出会うことがあるのだろうか。

 

 

 

***********

 

「世界の終わりには君と一緒に」は、1990年から1991年にかけて「コミック・ギガ」(主婦と生活社)で発表された作品だという。

 

ケイジを見捨ててジャマイカに行こうとしていた女性は、ジャマイカのコーヒー園でブルーマウンテンを育てる企画に応募し、内定を貰ったようだった。彼女の見ているパンフレットには、

 

~の島で夢の木を育てよう!

ジャマイカ派遣募集

ブルーマウンテンコーヒー園 JCCコーヒー

 

とある。

 

JCCコーヒーは、たぶん、UCCコーヒーのことだろう。

私が学生のころ(1980年代)、大学構内の自販機のコーヒーといえば、大半がUCCコーヒーだったと記憶している。


1980年代から90年代にかけて、ジャマイカ派遣募集の企画のようなものが実在したのかどうかが気になって、ググってみたら、下のサイトが見つかった。

 

 

www.ucc.co.jp

 


ジャマイカには、UCC珈琲の直営農場があるのだそうで、その農場経営に着手したのは、1981年だとのこと。最初に派遣された社員は三人だけで、その方々は、自然災害や現地農民のストライキなど、とんでもない艱難辛苦を経て、初出荷にこぎ着けたようだ。

 

 

もしもケイジが、漫画のラストシーンの競馬場でボロ儲けして、そのお金で自分もジャマイカに渡り、最愛の女性と一緒にトンデモない苦労をするなら、その後の人生は全く違ったものになるだろうけれど、それは想像するしかない。

 

出来ることなら、ケイジがいつか世界の終わりに一緒にいられる人を見つけられるところまで、読んでみたかった。