昨日の読書
昨日の日記にも書いたように、AmazonのKindle読み放題でダウンロードしたものである。
物語のあとに掲載されている、長い「後日譚」を読んで驚いた。
映画「マイ・フェア・レディ」のラストは、イライザとヒギンズ教授の間に、かすかなロマンスの芽生えがありそうな感じだった。
ところが原作者はそんなことを全く想定していなかったのだ。
「後日譚」は、それだけで「続・ピグマリオン」が出来てしまいそうな物語になっているけれども、たぶん観客にとっては、あまりおもしろくない話だと思う。
結論から言うと、イライザとヒギンズ教授の間にロマンスが生まれることは、決してなかった。
そしてイライザが自分の伴侶に選んだのは、うつくしく洗練された彼女を崇拝してやまない没落貴族の息子、フレディであった。映画でもイライザをエスコートする美青年が端役で登場しているけれど、戯曲のほうでは彼の無能ぶりが、より詳しく、容赦なく描かれている。けれどもイライザはヒギンズ教授ではなく、フレディを愛したのである。
イライザとヒギンズ教授の年齢差は二十歳だったという。けれどもロマンスの不成立は、年の差によるものではなかった。
映画のヒギンズ教授も大概ひどい人柄だったが、戯曲のほうではさらに幼稚で自己チューな学者バカを極めていた。彼は常に無礼で騒々しく、皮肉屋で嘲笑が大好きで、他人の気持ちに配慮するスキルなど微塵も持ち合わせていないため、実の母親も含めてたいていの人間にもてあまされ、結婚どころか、社交界での人付き合いすらまともに出来ない、非常識なトンデモ人間として描かれている。
けれども、そうしたヒギンズ教授の性格が、ロマンスの妨げになった訳でもなかった。
作中では二十歳前後であったイライザは、学はないが聡明な女性であり、結婚相手としてヒギンズ教授が全くふさわしくないことを、しっかりと見抜いていた。その理由は、ヒギンズ教授が自分にこれっぽっちも心を寄せていないこと、スリッパほども存在価値を認めていないことを、イライザは知っていたからである。
彼女には、父親同様ヒギンズが自分を必要としていないことは分かっていた。あの日彼が、君がここにいることにすっかり慣れてしまった、君がいないと細々とした用がこなせなくなる、君が出ていくと淋しくなるだろう、と(フレディや大佐には到底言えないようなことを)言ったときの実直さゆえに、彼女の中では一層自分が彼にとって「そのスリッパおどん価値んねえ」ことへの確信が深まっている。それでいて、彼女には、彼の無関心が月並みな男たちののぼせ上がりよりも深いことが分かるだけの分別もある。彼に対し、計り知れないほど興味を感じてもいる。時には密かに、彼を無人島に連れ出し、あらゆるしがらみから解き放ち、気にしなければならない人間が誰もいないところに二人きりになって、彼を台座から引きずりおろし、普通の男並に恋をささやかせてみたい、と悪戯っぽく想像することもある。誰でもその種の個人的な空想は楽しむものだろう。
しかし、夢や空想の世界から離れたビジネスや実生活でのことになると、彼女はフレディが好きで、大佐が好きで、ヒギンズや父親のドゥーリトルは好きになれない。彫像のガラテアがみずからの創造主であるピグマリオンを本当に好きになることは決してない。彼女にとって彼はあまりにも神のごとき存在であり、到底つき合えるものではないのである。
(「後日譚」の末尾から引用)
とはいえ、この「後日譚」によって、映画「マイ・フェア・レディ」のラストの解釈を変えようとは思わない。あれは、イライザの夢想の延長線上にあった一つの可能性である、ということで、いいのではないだろうか。
しかし、言語学者ほど恋愛に不向きな人材はいないということを、本作が欧米社会に深く刻み込んだ可能性はかなり高いと思われる。
↓昨日の日記
今日の健康観察
ぐだぐだである。
意欲減退。
だるい。
あ、でも、痛いところは少ない。
手は、握らなければ特に痛みを感じない。
握ると関節を締め上げられるような圧迫痛。なので、極力握らず、マッサージに努めている。
BGM
息子(十九歳重度自閉症・会話は厳しい)が、鼻歌で結婚行進曲ばかり歌うので、ロック風にアレンジしたものをYouTubeで探して聞かせてみた。
おどろいたことに、息子の鼻歌の音程は、ぴったりと合っていた。
絶対音感的な感覚でもあるんだろうか。あるんだろうな。自閉の子には少なくないというし。
一時期、私が鼻歌を歌っていると、耐えられんという顔で口をふさぎに来ることがあった。たぶん、自分の頭の中にある曲と、音がズレていたのだろう。
ちなみに私はまごう事なきオンチである。
なにはともあれ、エレキバージョンの結婚行進曲を、息子は気に入ったようだ。
外出
日曜日なので、末っ子の付き添いで、教会の日曜学校へ。
モーセが海をぱっかーんと割ってエジプトから逃れ出たのだということぐらいは知っていたけれども、二百万人ものユダヤの人々が約束の地であるカナンにたどりつくまで、四十年もかかったということは、初めて知った。
旧約聖書、新約聖書は、Kindleのunlimited(読み放題)で読むことができる。
私もKindleやiPhone版KindleでDLしているけれども、結局紙の本のほうが読みやすくて、結局そちらを使っている。
あとがき
ちかれた。