湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記(7月19日)

こんにちは。

 

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少しずつ体調が戻ってきている。

おかげでブログの更新もできる。

 

(_ _).。o○

 

昨日、ハリー・ポッターシリーズの登場人物たちの、その後の人生について書かれた記事が目に入った。

 

舞台になっている「ハリー・ポッターと呪いの子」では、中年になったハリーが、息子との関係構築にしくじって、なんと、毒親化しているのだとか。

 

舞台脚本がKindle Unlimited(読み放題)で読めるようになっていたので、さっそくダウンロードして読んでみた。

 

 

脚本を読むのは慣れないので、最初は少し億劫に感じたけど、あっという間に物語の面白さにに取り込まれて、ほぼ一気読みだった。

 

「呪いの子」の主人公は、ハリーの次男のアルバス・セブルス・ポッターと、ドラコの息子のスコーピオス・マルフォイ。

 

ヴォルデモートを倒した英雄として知られ、魔法界で多くの人々に尊敬されるハリーだけれども、息子のアルバスにとっては、だいぶ鬱陶しい存在だったようだ。

 

名付けの問題もある。

 

ハリーは、長男と娘には、亡き両親の名前をつけて、次男には、恩人である、ダンブルドアと、スネイプの名前をつけている。

 

偉大すぎる故人からもらったアルバス・セブルスという名前は、自分が何者であるのかも、何を目指せばいいのかも分からない少年には、あまりにも重すぎたのだと思う。

 

現代の日本では、亡くなった肉親や偉人の名前を子どもにつけるという風習がほぼ無くなっているけれども、イギリスでは、まだそういう名付けが一般的なのだろうか。それとも物語の中の魔法族にだけ残っている慣習なのだろうか。

 

いずれにせよ、名前と一緒に、その名で生きていた人々の重い過去を背負わせるというのは、子どもにとっては酷なことではあると思う。

 

その名にふさわしいように生きることを親に期待され続けるのも、名に釣り合わない自分の現実を抱え続けるのも、思春期の子どもがグレるのに、十分なきっかけになりそうだ。

 

ハリーの息子のアルバスは、ありのままの自分を理解しようとしない父親に反発し、かつてハリーの事情に巻き込まれてヴォルデモートに殺された少年を助けるために、 親友となったスコーピアスと一緒に魔法省に忍び込んで逆転時計(タイムターナー)を盗み出し、過去に向かう。

 

ところが、死ぬはずの少年の命を救ってしまったことで、歴史がとんでもない方向に変わってしまう。

 

ハーマイオニーがロンと結婚しなかったり、ハリーがヴォルデモートに殺されたりして、生まれるはずの子どもたちが生まれず、ヴォルデモートが存命という、お先真っ暗な未来が来ることを知ったアルバスとスコーピアスは、歴史を元に戻そうと奔走するけれども、ヴォルデモートの娘(がいたことにびっくりした。あの人、いつ子作りしたんだろう…)が仕掛けた罠にはまって逆転時計を奪われ、ハリーの両親が殺された、1981年10月31日に取り残されてしまう……

 

親世代のハリーたちは、息子たちが引き起こしたトンデモ事件に翻弄されながら、親として足りていなかった部分や、子どもたちの抱える孤独や息苦しさに、少しづつ気づいていく。

 

物語の最後で、ハリーは息子に正直に告白する。

 

でも何が一番怖いかというと、アルバス・セブルス・ポッター、おまえの父親であることなんだ。

 

なんの手がかりもなく進まなければならない。ふつうは基準となる自分の父親がいる──それを模範とするか、反面教師にするかだ。私には何もなかった──ほとんどなかった。

 

だから、いいかね、私は学習中なんだ。いいね?  私は持てる力を全部注いで努力する──おまえにとって良い父親になれるように。

 

四十歳のハリーは、まだこれから成長するのだろうと思う。父親として、人として。

 

還暦過ぎてみてつくづく思うけれども、四十代の伸びしろって、半端なく大きかった。伸びしろが大きいということは、至らないことがどっさりあるということで……かなり悪戦苦闘したけど、伸びきれなかった感が強い。

 

八十代になったなら(そこまで生きていたら…)、六十代の伸びしろもなかなか大したものだったなんて、思い返したりしているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Kindle読書メモ(三好達治、昆虫記)

 

気に入っている作家や詩人の評伝など、目に入れないほうがいいのだろう。(´・ω・`)

 

佐藤春夫とは仲が悪く、三好が佐藤の家の前で「バカヤロウ」と怒鳴り走り去るとすぐさま佐藤も三好の家の前へ行き「バカヤロウ」と怒鳴り返したとのエピソードも伝わる。

 

ただお互い詩の才能は認めていた。

 

Wikipedia 三好達治のページより)

 

 

馬鹿じゃなかろうか。

どっちも。

 

佐藤智恵子との結婚生活

桑原武夫は著書の中で、自身がフランス留学をしていた1937年からの2年間のうちに恐らく佐藤春夫と達治の関係が悪くなり、智恵子ともうまくいかなくなったとしている。

 

そしてその頃の結婚生活について、

 

「ある日、三好が縁側にすわって青空の白雲をながめている。すると奥さんが、もう月末はそこですよ、そんなにぼんやりしていないで、なにか書いたらどう、と言う。瞬間、三好の拳が智恵子さんの頭上にとぶのである」

 

と記している。

 

Wikipedia 三好達治のページより)

 

人前で妻にDVとか、控えめに言っても最低なのだけども、それが許される時代でもあった。でも最低なのに変わりはない。

 

詩は、あんなにきれいなのに。

 

いや、きれいなだけでもないけれども。

 

 

庭  

 

太陽はまだ暗い倉庫に遮ぎられて、霜の置いた庭は紫いろにひろびろと冷めたい影の底にあつた。

 

その朝私の拾つたものは凍死した一羽の鴉であつた。かたくなな翼を綞の形にたたむで、灰色の瞼をとぢてゐた。

 

それを抛げてみると、枯れた芝生に落ちてあつけない音をたてた。

 

近づいて見ると、しづかに血を流してゐた。

 

晴れてゆく空のどこかから、また鴉の啼くのが聞えた。

 

『測量船』三好 達治著

 

明け方に凍死したカラスをわざわざ拾って投げ捨てて、血を流すのを観察するような人(少年?青年?)の感情は、よく分からない。

 

若い頃だったなら、気になって読み返して心に残して、気に入ったような気持ちになったかもしれないけれども。

 

「測量船」は、1930年に刊行されたという。

 

1900年生まれの三好達治は、1930年には30歳になっている。カラスを投げ捨てたのがいつなのか(そもそも実話なのか)、「庭」という作品がいつ書かれたのかは、分からない。

 

十代の少年だとすれば、わからなくもない。

 

アラサー男性の行動だと思うと、かなり引くし、やべえ奴だと感じる私は、平凡で平和を愛する一般庶民だ。

 

ただ、「測量船」刊行前の三好達治は、だいぶ不健康で、不運だったらしい。

 

萩原朔太郎の妹と結婚しようとしたものの、無職だったために反対され、職を得てなんとか婚約にこぎつけたけれども、会社が潰れて失業し、結局破談になったのだとか。

 

その後、ヤケクソのようにファーブルの「昆虫記」などを大量に翻訳しまくっていたという。

 

あれ?

「昆虫記」の翻訳って、大杉栄もやってなかったっけ?

 

大杉栄伊藤野枝は1923年に甘粕に殺されているから、未完だったのかな。

 

ファーブルの「昆虫記」は、私の子ども時代の超愛読書の一つだったのだけど、初期に翻訳を手がけた人たちがろくでなしだったとは、知らなかった。別にいいんだけど。

 

大杉栄訳の「昆虫記」は、2005年に明石書店から出ているようだ。復刻版なのだろうか。Amazonの中古で8千円以上の値段がついている。

 

 

明石書店のホームページを見に行ってみた。

 

大杉栄訳 ファーブル昆虫記 - 株式会社 明石書店

日本を代表するアナーキスト大杉栄によるファーブル昆虫記日本語訳…1922年に刊行され、名訳の誉れ高い昆虫記第1巻の復刻版。大杉翻訳時には不可能だった昆虫の和名訳を解説者の手によって補い、読者の理解を深めるための解説を付し、名訳を蘇らせた。

 

 

名訳なのか。

 

私が子どもの頃に読んでいた「昆虫記」は、誰の訳だったのだろう。小学一年のころに買ってもらったものだから、1969年以前に刊行された本のはず。

 

子ども向けの本ではあったけど、全一巻で、箱に入っていて分厚かったような記憶がある。

 

微かな記憶を頼りに検索してみたら、1967年にポプラ社から出ている、古川晴男訳「世界の名著(7)ファーブル昆虫記」が、どうやらそれらしい。

 

国立国会図書館にこの本のデータがあったので、目次を見てみたら、読んだ内容を鮮明に思い出した。まちがいない。

 

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懐かしい…

機会があれば読み返してみたいけれども、きっと入手は難しいだろう。

 

 

 

 

 

 

ねこたま日記(7月3日)

こんにちは。

 

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7月2日。

 

体調不良が続いている。

 

 昨夜の晩ご飯はこんな感じだったけど、胃が痛くて食べられず、夜九時過ぎにやっと少しものが喉を通った。

 

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具合が悪くて何もできないので、Kindleでマンガ「ミステリという勿かれ」を一巻から最新刊まで読んでやりすごした。

 

 

何度読み返しても、すごい作品だと思う。

 

特に好きなのは、爆弾を仕掛けたあとに車に轢かれて記憶を失った爆弾魔と、主人公の整(ととのう)君が、三好達治の詩などについて語るシーンだ。

 

乳母車

 

母よ――淡くかなしきもののふるなり

 

紫陽花いろのもののふるなり

 

はてしなき並樹のかげをそうそうと風のふくなり

 

時はたそがれ

 

母よ  

 

私の乳母車を押せ

 

泣きぬれる夕陽にむかつて 轔々と私の乳母車を押せ

 

赤い総ある天鵞絨の帽子をつめたき額にかむらせよ

 

旅いそぐ鳥の列にも季節は空を渡るなり

 

淡くかなしきもののふる紫陽花いろのもののふる道

 

母よ  

 

私は知つてゐるこの道は遠く遠くはてしない道

 

 

 

(↑現在、Kindle Unlimitedで読み放題利用できます)

 

 

私ももともと好きな詩だけれども、「ミステリと言う勿れ」の作中の、複雑な背景を持った人物たちに暗唱されることで、奇妙なほどリアルな質感を持って情景が立ち上がってくるのだ。

 

そういえば、三好達治の伝記を知らない。

 

近代以降の詩人や歌人には、わりとろくでなしや困った人が多い気がするけど、乳母車を押す母親をこのような詩に綴る詩人には、どんな生い立ちの記憶があるのだろう。

 

「ミステリと言う勿れ」の主要人物たちは、主人公の整くんを含めて、深刻すぎる家庭の事情を抱えている。三好達治の詩を口にした爆弾魔も、母を失って心を病んでいた。

 

整くんの事情については、まだ詳しく明かされていないけれど、彼の母親は、自殺を装う形で、身内(夫と姑)に殺害されているらしい。

 

ドラマ版の菅田将暉の整くんを見たいと思ったのだけど、残念ながらAmazonプライムビデオのサービス内では見られず、別の有料サービスに加入しないとダメなようだった。映画版は500円。そのうち見よう。

 

 

 

(_ _).。o○

 

 

夜中になって、猛烈に空腹になったので、残り物などで補給。

 

微熱がある感じだったけど、熱を測ることを思いつかず、測っていなかった。

 

7月3日。

朝食を食べられなかった。

お昼は素麺。亭主作。

 

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食後に熱を測ってみたら、37.3度だった。

微熱。お腹の風邪でもひいたのかもしれない。

 

 

 

 

 

Kindle読書メモ…「絶望名人カフカの人生論」

 

フランツ・カフカ頭木弘樹「絶望名人カフカの人生論」

 

⭐︎現在、Kindle Unlimited(読み放題)で利用できます。

 

60 結婚こそが現実入門

 

女性は、いやもっと端的に言えば結婚は、

おまえが対決しなければならない実人生の代表である。

 

カフカは三回婚約して、三回とも自ら婚約解消したのだという。

 

最初の婚約者であるフェリーツェには、五年に渡って、全集二冊分にもなる膨大な手紙を送りつけるほど依存していたにもかかわらず、どうしても結婚に踏み切れなかったらしい。

 

なお、フェリーツェのほうは、カフカと別れた後、お金持ちの実業家と結婚し、子供も二人できました。

 

フェリーツェと実業家との結婚が幸福なものだったかどうかは分からないけれども、彼女の親は、娘がカフカと結婚せずに済んだことに、たぶんホッとしたことだろう。(´・ω・`)

 

 

実人生の代表との対戦に敗退したカフカの言葉から、著者の頭木氏が想起したのは、現代短歌を代表する歌人だったらしい。

 

歌人穂村弘が書いた『現実入門』(光文社文庫)という本が思い出されます。

 

その本のコピーにはこうあります。「『現実』を怖れ、逃げてきた男が、四二歳にして初めて挑む。やるぞ、献血、合コン、部屋探し、そして遂にプロポーズ!」。

 

Wikipediaを見たら、穂村弘氏は私と同い年らしい。

 

四十二歳というと、私は末っ子を産んだ年だ。

 

現実、ヘビィだったなあ……

 

 

 

Kindle読書日記(マンガ)

田村由美「ミステリと言う勿れ」13

 

最新刊(14巻)が出たので、復習のために再読。

 

この巻で、全貌が見えにくかった連続殺人事件が決着する。

 

雑誌「@旅めし」の記者である望月湊と蕪木真夏は、取材先で人を殺し、被害者から盗んだ品を使ったテラリウムを、読者プレゼントにしていた。

 

ものごとを完璧に揃えることに異様な情熱を抱く望月は、自ら設定した「全都道府県で一人づつ殺す」という目的をコンプリートするために、富山で一人の女性をターゲットとして、事故に見せかけて殺害した。

 

けれども、女性の死に疑いを持った地元の人々が、望月たちに疑いの目を向ける。

 

ところが、彼らの犯罪が暴かれる前に、望月が海岸で凍死してしまう。遺体からインスリンが検出されたことから、酔って屋外でうっかり寝込んだための凍死ではなく、意図的に寝込まされたらしいと分かる。

 

主人公の整(ととのう)くんは、その地元の人々の思惑で事件の渦中に巻き込まれ、持ち前の観察力で、望月を殺害した真犯人を言い当てるのだけど……

 

毎度のことだけれど、事件の真相がほとんど明らかになったと思われるところで、整の観察と推理が、全てをひっくり返して上書きし、それでも解決のつかない、底知れない人の心の闇という大きな塊を残したまま、次のステージに進んでいく。このマンガの恐ろしさは、そこにあると思う。

 

 

田村由美「ミステリと言う勿れ」14

 

今回の事件では、整くん本人ではなく、巡査の池本の内面に搭載されている整くん的思考回路が、まるでAIのように活躍して、真相を明らかにしていった。

 

毎度のことながら、印象的なエピソードやフレーズがたくさんあった。

 

例えば、拳銃の訓練に悩む風呂光巡査が、女性の手に合う小型軽量の拳銃があればいいのにとつぶやく場面。

 

それを聞いた上司の青砥警部が、「別の物が必要な人間が声を上げるしかないな」と答える。

 

女性に不利な職業現場について触れたマンガというと、「研修医なな子」(森本梢子 著)を思い出す。外科医を目指すなな子が、手の小さい女性医師では扱いにくい器具に困っている場面があった。

 

 

手の小さいのは女性に限ったことではなく、男性にだって標準よりも小柄な人はいるはずで、女性以上に声をあげにくい状況にあったりするかもしれない。

 

この作品では、声にできない誰かの苦しみが、人知れず堆積し続けるうちに、底なしの淀みとなって、致命的な事件を引き起こすことが多いように思う。

 

風呂光巡査のつぶやきも、いずれ何かの事件への気づきへと繋がっていくのだろうか。

 

SHOOWA「イベリコ豚と恋と椿」海王社

 

Kindleを買ったばかりの頃に読んだBLマンガ。

作者さんを知っていたわけではなく、なんとなく絵柄が気に入って読んでみたのだったと思う。

 

内容は…

どう説明したらいいんだろう。(´・ω・`)

 

集団でゴミ拾いなどして街の美化に勤めている、善良な不良少年たちの、出会いと恋(男惚れ?)のお話…だろうか。

 

双方の親がライバル会社(組)の経営者という、ロミオとジュリエット的な状況を力づくで打破するカップルもあれば、壮絶なトラウマ持ちであるが故に、恋愛に踏み出せないカップルもあったり。

 

自分たちのボスの恋愛成就を願って、学校の屋上に「繁殖小屋」なんてものを建ててしまう手下たちが、なんというか健気だった。BLで繁殖って…。あ、でも近頃は、オメガバースといって、同性間でも妊娠、出産可能な設定のお話がBL界隈でも一般化しているようなので、繁殖もありなのか。

 

続編が三冊でていて、読んでみたいと思いつつ、未読。