こんにちは。
少しずつ体調が戻ってきている。
おかげでブログの更新もできる。
(_ _).。o○
昨日、ハリー・ポッターシリーズの登場人物たちの、その後の人生について書かれた記事が目に入った。
舞台になっている「ハリー・ポッターと呪いの子」では、中年になったハリーが、息子との関係構築にしくじって、なんと、毒親化しているのだとか。
舞台脚本がKindle Unlimited(読み放題)で読めるようになっていたので、さっそくダウンロードして読んでみた。
脚本を読むのは慣れないので、最初は少し億劫に感じたけど、あっという間に物語の面白さにに取り込まれて、ほぼ一気読みだった。
「呪いの子」の主人公は、ハリーの次男のアルバス・セブルス・ポッターと、ドラコの息子のスコーピオス・マルフォイ。
ヴォルデモートを倒した英雄として知られ、魔法界で多くの人々に尊敬されるハリーだけれども、息子のアルバスにとっては、だいぶ鬱陶しい存在だったようだ。
名付けの問題もある。
ハリーは、長男と娘には、亡き両親の名前をつけて、次男には、恩人である、ダンブルドアと、スネイプの名前をつけている。
偉大すぎる故人からもらったアルバス・セブルスという名前は、自分が何者であるのかも、何を目指せばいいのかも分からない少年には、あまりにも重すぎたのだと思う。
現代の日本では、亡くなった肉親や偉人の名前を子どもにつけるという風習がほぼ無くなっているけれども、イギリスでは、まだそういう名付けが一般的なのだろうか。それとも物語の中の魔法族にだけ残っている慣習なのだろうか。
いずれにせよ、名前と一緒に、その名で生きていた人々の重い過去を背負わせるというのは、子どもにとっては酷なことではあると思う。
その名にふさわしいように生きることを親に期待され続けるのも、名に釣り合わない自分の現実を抱え続けるのも、思春期の子どもがグレるのに、十分なきっかけになりそうだ。
ハリーの息子のアルバスは、ありのままの自分を理解しようとしない父親に反発し、かつてハリーの事情に巻き込まれてヴォルデモートに殺された少年を助けるために、 親友となったスコーピアスと一緒に魔法省に忍び込んで逆転時計(タイムターナー)を盗み出し、過去に向かう。
ところが、死ぬはずの少年の命を救ってしまったことで、歴史がとんでもない方向に変わってしまう。
ハーマイオニーがロンと結婚しなかったり、ハリーがヴォルデモートに殺されたりして、生まれるはずの子どもたちが生まれず、ヴォルデモートが存命という、お先真っ暗な未来が来ることを知ったアルバスとスコーピアスは、歴史を元に戻そうと奔走するけれども、ヴォルデモートの娘(がいたことにびっくりした。あの人、いつ子作りしたんだろう…)が仕掛けた罠にはまって逆転時計を奪われ、ハリーの両親が殺された、1981年10月31日に取り残されてしまう……
親世代のハリーたちは、息子たちが引き起こしたトンデモ事件に翻弄されながら、親として足りていなかった部分や、子どもたちの抱える孤独や息苦しさに、少しづつ気づいていく。
物語の最後で、ハリーは息子に正直に告白する。
でも何が一番怖いかというと、アルバス・セブルス・ポッター、おまえの父親であることなんだ。
なんの手がかりもなく進まなければならない。ふつうは基準となる自分の父親がいる──それを模範とするか、反面教師にするかだ。私には何もなかった──ほとんどなかった。
だから、いいかね、私は学習中なんだ。いいね? 私は持てる力を全部注いで努力する──おまえにとって良い父親になれるように。
四十歳のハリーは、まだこれから成長するのだろうと思う。父親として、人として。
還暦過ぎてみてつくづく思うけれども、四十代の伸びしろって、半端なく大きかった。伸びしろが大きいということは、至らないことがどっさりあるということで……かなり悪戦苦闘したけど、伸びきれなかった感が強い。
八十代になったなら(そこまで生きていたら…)、六十代の伸びしろもなかなか大したものだったなんて、思い返したりしているのだろうか。