湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

水族館劇場 「Nachleben 搖れる大地」をみてきた。

 おととい、水族館劇場の公演を見に行った。 

観劇は25年ぶり。水族館劇場は初体験。

 

 

 

 旧満州の悲惨な事実と、現代日本の気持ちの悪い世情が、時をへだててまぜこぜになって、死者と生者の区別なく巻き込んで押し寄せてくる、そんな暗澹たる物語であるのに、前芝居からおしまいまで、とにかく「ここに居て、たのしい」と感じられる、不思議な作品だった。

 

行けて、よかった。

ちょっとだけだけど、水も飛んできて濡れた。うれしかった。

 

次に見に行けるのは、いつだろう。

 

それにしても、自分の体力を考えたら暴挙に等しい思いつきではあった。

無事行って帰れたのだから、問題なし。

 

芝居のセリフのなかに、「甘粕、阿片、電通……といったワードが並ぶ。

 

歴史オンチの私は、その組み合わせの意味するところが分からない。甘粕って、大杉栄を殺した人というのはうっすら知ってるけど、それと「阿片、電通」かどう繋がるのか。

 

帰宅後ググッて、了解した。

 

 

知らないことは、ほんとうにたくさんある。

 

そのうち読んでみたい本のメモ。

 

 

阿片王―満州の夜と霧 (新潮文庫)

阿片王―満州の夜と霧 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

メモ日記

昨日から、あまり体調がよくなかった。

お昼頃が一番具合が悪かったけれど、その後復活。いまは普通。

 

 

 

東田直樹「自閉症の僕が跳びはねる理由 2」(角川文庫)のなかにあった詩が、あまりにもよかったので、メモ。

 

 


トンボが死んだ


静かに

黙って

ひとりで

トンボが死んだ

誰にも気づかれず

飛んだままの姿で

トンボが死んだ

飛んだままの姿は美しい

きっと

力の限り

生きたんだね

 

 

 

 

自閉症の僕が跳びはねる理由 (2) (角川文庫)

自閉症の僕が跳びはねる理由 (2) (角川文庫)

 

 

 

読書の途中

昨日、東田直樹さんの本を買いにでかけたけれど、目当ての著書「東田くん、どう思う?」は、残念ながら書店に在庫がなかった。


書店の在庫検索システムでは「在庫僅少」と表示されていたけれど、私が行く直前に、買われてしまったらしい。
取り寄せをお願いしたら、二日で届くとのことだった。今週中には入手できる。楽しみだ。


いまは、「跳びはねる思考」(角川文庫)を読んでいる。

 

 

 

 

 苦しくてたまらなくなると、空を見上げます。

 目に飛び込んでくるのは、抜けるような青空と白い雲です。見ている僕はひとりぼっちなのに、世界中の人とつながっている気分になります。

 自然はどんな時も、人々に平等です。そのことが僕の心を慰めてくれるのです。


  東田直樹「跳びはねる思考」(角川文庫)

 


この一節を読んで思い出したのは、教会の日曜学校で習った、「マタイによる福音書」のなかの、イエスの言葉である。

 

 

 

『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。


マタイによる福音書(口語訳)  5章43-45節  WIKISOUCEより

 

 

キリスト教も含めて、多くの宗教は、人を分け隔てし、差別する道具の一つにされてしまうことが多い。


そもそも人間の脳は、「仲間意識」と「排他感情」で強い快感を得る仕組みになっているのだというから、信仰や信念に限らず、特定の属性をを共有するグループに所属すれば、どうしたって差別や排他は行われてしまうということになる。


思えばイエスという方は、同時代の社会に蔓延していた差別や排他感情の生け贄として、十字架につけられてしまったようでもある。

現代の豊かな社会のなかにあっても、いわれのない差別をうけたり、無理解で排他的なまなざしをあびてしまう障害者もまた、十字架を押しつけられているようなものだろう。


自然は、そんな人間の脳内の差別の仕組みなどとは無関係に、全ての人にやさしく、また厳しい存在である。

 

そんなことを思いながら、東田直樹さんの言葉を読むと、どうしようもなく悲しくなってくる。


自閉症の方々が、社会のなかにいて「苦しくてたまらなくなる」ような時が、すこしでも、減っていきますように。

 

 

 

 

「どう思う?」と、聞いてみたい。答えてほしい。

 

この本が気になっている。

あとで、買いに出ようと思う。

 

 

この本の内容なのかどうか未確認なのだけど、東田直樹さんは、周囲に「人間」というものがいるのは知っていたけれど、自分が同じ「人間」だとは思わなかったのだという。

 

自閉症者は、他者の心の状態を推測することが難しいというのは、よく言われているけれど(心の理論)、推測がどうこうという話とは全く別の次元の断絶があるのだということに、愕然とする。

 

ドキュメンタリーで見る、東田さんの普段の様子は、うちの息子と同じくらい、きわめて重度の自閉症者に見える。

けれども、キーボードを前にすると、彼の内側からは豊かな言葉があふれだす。

 

その姿を見るたびに、また、彼の著書を読むたびに、心が締め付けられるような気持になる。

 

息子の内側にも、もしかしたら、あふれるような言葉が、思いが、知性が、あるのかもしれない。そう考えられると、いてもたってもいられなくなる。

 

息子の、ことばが知りたい。

言葉は「知って」いるけれど、自発語のほとんどない息子だけれども、表情を見ていれば、複雑な感情があることは伝わってくる。それを、言葉にして表出する方法はないものだろうか。

 

( _ _ ).。o○

 

ここのところ、あまり調子がよくないので、ゆるめに暮らしている。

とくに、短期記憶やワーキングメモリ関連がダメダメなので、何かをたくさんやろうとすると、とてつもなくしんどくなる。

ゆっくり、ひとつづつ。

直近の出来事を覚えておくことや、、行動の組み立てがキツいので、しっかりメモをとることと、とったメモを確認するようにしている。


それでなんとか、一日が回っている。

 



 

ひさびさに

日記再開。

 

病院の診察待ちで、あまりにもヒマなので。

(´・ω・`)

 

 

一時間待ちなど当たり前、二時間待ちもよくあるから、慣れているはずなのに、トシのせいか、ただ待つのが、ひたすらしんどい。

 

 

本でも読めばいいのだけど、今日はとくに周囲が騒々しくて、集中できず。いちおう本は三冊持参。うち一冊は、これ。

 

 

 

「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)

「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)

 

 

橋本治氏が亡くなってから、「窯変源氏物語」を読破。その後も手当たり次第、氏の著作を読んでいる。

 

三島由紀夫が猛烈に苦手で、ほとんど読めていないのだけど、橋本治フィルターを通して眺める「三島由紀夫」という人物は、とても興味深い。

 

待合室が、だいぶ静かになってきた。

 

 

少し読もうか。

 

 

と思ったら、診察に呼ばれた。(´・ω・`)

 

 

 

新潮社のツイートを見て小説が読みたくなった話


Twitterで、「新潮45」と、それ以外の新潮社の中の人たちとの戦い(?)が話題になっている。

 

www.huffingtonpost.jp


新潮社のアカウントはフォローしてなかったけど、国文学研究資料館館長のロバート・キャンベル氏が、元ツイートにコメントをつけてリツイートしたのが流れてきたので、気がついた。


「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事(佐藤義亮)」

 

新潮社の創業者の言葉だそうだ。
岩波書店のアカウントも、これをリツイートしていた。


ロバート・キャンベル氏のご専門は日本の近世文学だそうだけど、最近では、同性婚をカミングアウトした学者さんということで、マスコミの登場頻度が高くなっている。新聞記事は読んだし、テレビを見るのが苦手な私にしてはめずらしく、出演されたテレビ番組も、ちょっと見た(途中で息子に消されたけど)。ご専門のほうの一般向け著作は、まだあまり出版されていないようだ。残念。


それはともかく、どんな様子なのかと思って「声援」のコメント群を見物していたのだけど、たしかに多くの読書好きの、それも文学好きの方々の熱い思いがつぶやかれている。


でも、中に一つ、どう読んでも「声援」ではないコメントがあった。

 
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貴社の文芸の編集者に言われたことをきっちりお返ししよう。

何様のつもりだよ、お前みたいなのはエロとウヨでも出してりゃいいんだよ、気取んじゃねえ、屑。

部数求めて地べた這いずり回っていればよろしいかと思う。御社にはとても相応しい。

最大限の軽蔑を込めて。


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tamanoirという方のツイートだ。

Twitterのプロフィールにホームページのリンクがあったので、開いてみて驚いた。
作家の佐藤亜紀氏だった。

 

tamanoir.press

 

 


ウィキペディア佐藤亜紀氏のページに、「新潮社との関係途絶の経緯」がまとめられていたのを読んだ。

 

佐藤亜紀 - Wikipedia

 

 

ただの素朴な読書好きにとっては、頭や胸がどうにも痛くなるような「経緯」だが、平野啓一郎作「日蝕」(平成10年下半期芥川賞受賞)と、佐藤亜紀作「鏡の影」のプロットがだいぶ似ているらしいということには、強い興味を引かれた。


そのうち両方読んでみよう。

理由は、どちらも面白そうだから。

 

平野氏の「マチネの終わりに」は美しい話だったものの恋愛の成り行きがいささか胸クソ…いえ、あまり好みではなかったけど、「日蝕」は中世ヨーロッパのキリスト教の怪しい世界を描いているようで、最近の私の興味に重なる。

 

「鏡の影」も、内容説明や読者のレビューを読んでいて、大変心を引かれる。


という具合に、購買意欲をかきたてるという意味では、「新潮45」のあれは、出版社の本当の意図はどうであれ、炎上商法的になっていると思われた。

 

だって、Twitterの騒動を見かけなければ、今年中にぜひとも佐藤亜紀氏の著作を読もうと思い立たなかっただろうし、「マチネの終わりに」の読後感で討ち死にした後遺症から復活する前に平野啓一郎氏の作品を読もうとも思わなかっただろうから。


創業者がいくらああおっしゃっていても、良心だけでは、売れないし稼げないということなんだろう。


それもこれも、本を買って読む人が少なくなったから……か。


ならば、読もう。

たくさん、読もう。

 

でもまだ体調がもどらないから、ほどほどに。(´・ω・`)

 

ブードゥー人形…

会社などの組織で理不尽な相手に苦しめられている場合、その相手に見立てた人形に針を刺すなどして痛めつけると、ストレスが減って職場の士気が高まるという研究があるんだそうだ。

 

イラっとしたら刺す!上司のブードゥー人形が職場の士気を高めることが判明(カナダ研究) : カラパイア

 

カナダの研究だそうだけど、なんか……

イヤだなあと思った。

 

「(集団に害をなす、理不尽な)悪者を叩く」わけだから、集団内の共感を得やすいだろうし、こっそり作った人形に針を刺したところで、相手にその意味がバレなければ、自分にはなんのリスクも生じない。

 

だから、それでストレス解消して職場やクラスの士気が高まるなら、いいんじゃないかという話になりそうだけども、こういうのって、なんかどうにも、危うい気がする。(´・ω・`)

 

 

現実の人間に見立てた人形にぶっすりと針を刺すというのは、かなり気持ちの悪い行動だ。

 

頭のなかで想像だけするのと、どう違うのかを説明するのは難しいけど、なにか社会的に、あるいは精神的に、マズい一線を超える感じがある。

 

うーん、でも、現実に職場や学校で苦しめられて精神的にも危険な状況の人が、これをすることで、一時的にでもうつ病や自殺の危険から遠ざかることができるのだとすれば、対症療法的にはアリなのか……

 

そういう次元になると、私には判断がつかない。

 

ただ、こういう「ストレス解消手段」とか「士気の高まり」って、いやな上司じゃなくて、その集団のなかで「いじめてもいい人」(罪悪感が生じにくい相手)を選んで集団的に隠然といたぶることでも発生する。

 

そういうことは、どこでもわりと頻繁に起きているはずで、そういう人間関係の構造には、やはり強い拒否感を持ってしまう。

 

「いじめてもいい人」を直接いたぶるのではなく、その人に見立てたブードゥー人形に、こっそり針を刺すことで士気を高めストレスを軽減することは、果たして本当に問題がないのだろうか。

 

まあ、もう少し考えてみよう。