たぶん、全部の歌に目を通したことはある。
でも覚えているのは、ほんの少しだ。
亭主にも聞いてみた。
「全部おぼえてる?」
「万葉集? ちゃんと記憶しとるのは十分の一やね。見て思い出すので、半分ぐらい。万葉仮名で書いてあるのは覚えやすいけど、正訓表記のやつは覚えにくい。せやから、人麻呂よりは家持のほうが、覚えてる数は多いかな」
「ふーん」
「あきさればーきりたちわたるーあまのがわーいしなみおかば つぎてみむかも、とかな」
「それは?」
「家持」
「それは万葉仮名で書いてあるんだ」
「あほ学生でもよめるぞ」
「いしなみおかばって、何だ?」
「天の川にな、石並べて置いたら、あなたにまた会えるかしら~ちゅうこっちゃ」
「ああ、『並(な)む』ね。いじいじ切ない系の歌だ」
「正訓表記の歌はなあ、日本人の学生は読めんなあ。むしろ中国人留学生のほうがすんなり読める」
「へー。なんで」
「漢文の語順で書いてあるからやろが」
「そういえばそうだ」
亭主が出勤したあと、「あきさればー」の歌を探してみることにした。
家持の歌が万葉集のどのあたりにあるかなんて私には分かんないから、当然、「万葉集総索引」のお世話にならなくちゃならない。
魔窟のごとき亭主の書斎に分け入って捜索したら、ものの五分で奇跡的に見つかった。場所は亭主のパソコン机の手元あたり。いまでもよく使ってるんだろか。
安吉佐礼婆 奇里多知和多流 安麻能河波
伊之奈弥於可婆 都藝弖見牟可母 (4310)
これが「あほ学生でも読める」という万葉仮名表記である。
テキストは、桜風社の「萬葉集」(鶴久・森山隆編)。
語釈も解説もない、シンプルな本。
遠い昔、これで授業を受け、死ぬ思いでレポートを書いた。歌読むのに人の解釈つかうのは邪道や、という亭主のせいで、うちには万葉集の注釈本というものが、ほとんどない。
岩波古語辞典を引いてみた。
「あきされば」……秋になると
「たちわたる」……一方から他方へと移動する。あるいは一面にあられる。一帯に起こる。
「つぎ」……継ぐ。絶えないようにする。
ふむ。
【意訳】(誤訳とも言う)
秋に冷え行く天の川
霧にかくれてどこへやら
僕らのあいだも冷え切って
互いの心も見えなくなった
逢瀬を遮るこの川に
石を並べて置いたなら
心惑わす霧を抜け
逢い続けることができるだろうに
若い家持に何があったのか、ほんとに川に石をならべるぐらいの思いをして恋しい人に会いにいったのかどうか、私には分からない。
結局会いに行けなかったから、こういう歌になったのではないかという気がする。
大伴家持という人は、両親に早く死なれ、早くから一族の長としての責を担ってがんばっていた人らしい。
家を守るために、吹き荒れる政争の嵐にできる限り近寄らないようにしていたのに、病死したあと、藤原種継暗殺の首謀者の汚名を着せられ、遺体を隠岐に流されている。
当時の新興貴族だった藤原さんたちの陰謀にハマッたものだろうが、死後二十年ほどたって、やっぱり無罪でしたということで名誉挽回している。
ちなみに、暗殺された藤原種継の娘は、「薬子の乱」で有名な藤原薬子。妖しい才媛である。
(2005年05月12日)
※過去日記を転載しています。
※別ブログに「腐女子の万葉集」等のタイトルで、ほぼ同内容の記事を掲載していますが、少しづつ、こちらにまとめていくことにしました。