4月14日(火曜日)
亭主から「入院費の請求書と振り込み用紙が届いた」と連絡があった。
私がずっと実家にいない可能性もあったので、自宅のほうに送ってくれるように依頼しておいたのだけど、結局こちらにいるのだし、銀行をなどを通すと手数料もかかるから、私が直接病院に行って支払うことにした。
そのついでに、ここ最近の父のことなどを、手紙にまとめて書いて、病棟の母に渡してもらうことにした。
タクシーで病院に行き、支払いを済ませて、母への手紙を受付に託してから、近くのローソンでお昼ご飯(まい泉のソースカツ丼)を調達し、またタクシーで帰宅。往復のタクシー代は、2200円。
午後、見舞いのために、父の転院先の病院へ。
前日の主治医の見解が、父の余命の残り少ないことを前提としたように思えてならず、気持ちが沈んでいたけれど、それでもきちんと見届けるのが役目と思って自分を鼓舞しつつ、病棟へ上がった。
今日の父は目を開けていて、思いがけず意識もしっかりとしていた。どこか痛いところや苦しいところはないのかと聞くと、首をかすかに横に振って、手を少し持ち上げると、親指と人差し指で丸印を作ってみせた。
「オッケーなの?」
と聞くと、頷いて、また👌サインを出してくれる。
それから、父は自分を人差し指で指しながら、口をゆっくりと動かした。読唇をしてほしいのだと察したので、何度か繰り返してもらうと、
「おれの、びょうきは、なんだ?」
と聞いているらしいことがわかった。
「肺炎が治りかけだって。胸水はまだ溜まってるけど、肺炎がよくなれば少しずつ抜けてくるから、養生していれば胸の苦しいのはなくなるって。あとは高血圧と糖尿病が、まだだいぶ重いから、注意しないといけないみたいよ」
と答えたけれど、父は何か納得できない表情をする。その理由に心当たりがあるので、すぐに言葉を足した。
「最初に入院したときも、今回転院先したあとにも、脳の検査はやったそうなんだけど、脳梗塞も脳溢血も見つからなかったって。いま喋れなくなってるのは、肺炎が重くて体力が急激に衰えたせいらしいから、まず病気を治して、少しずつリハビリしていけば、良くなっていくって」
たぶん父は、自分が喋れなくなっているのは脳の病変のせいだと思って、いろいろと辛い覚悟をしていたのだと思う。私だって、倒れた時にはそう思っていた。
脳梗塞でも脳溢血でもなかったと知った父は、清々しいほど明るい表情を見せてくれた。
それから、何かを言いたそうに口を動かすのだけど、うまく読唇できないので、ものは試しと思って父にボールペンを持ってもらい、手帳を差し出して、字を書いてもらったら、
I M O K
と書いて、口の動きで、
「あいあむ、おーけー」
と伝えてくれた。
いや、なんでそこで英語なのよと、半泣き半笑いでつっこんでから、また明日と言って、午後4時半ごろに病室を出た。
夕食をどこかで食べて帰るつもりだったのだけど、どうにも食欲が出ない。しばらく街を歩き回ったらお腹が空くかしらと思って、商店街をうろついてみたけれど、足がいたくなるばかり。
たしかこのあたりに学生のころの行きつけの書店があったはず…と思って足を運ぶものの、ことごとく見つからない。某丸善と某金港堂、一体どこに消えたのか。
うろついているうちに、見知らぬ本屋さんを見つけたので入ってみた。
先日買った「戦争語彙集」なども読み終わっていないので、新しい本を買うつもりはなかったのだけど、売り場を見回るうちに気になる本が何冊か目についたので、そのなかから二冊だけ購入。
真紀涼介「勿忘草をさがして」(創元推理文庫)
モンティ・ライマン「脳のなかの免疫、めんえきのなかの心」みすず書房
実家にいる間に読めるだろうか。
本屋を出ても食欲は出なかったものの、いい加減食べて帰らないと遅くなってしまうと思い、たまたま見つけたコメダ珈琲店に入った。
サンドイッチという気分ではなかったから、ビーフシチューを頼んでみたのだけど…

疲労困憊したせいか、味覚がすっかりおかしくなっていて、ビーフシチューとは到底思えない味がした。
たとえて言うなら、甘酸っぱい雑巾に、花火の火薬をまぶしたような…
以前、コロナ後遺症に苦しんでいた頃も、おかずの味が硝煙臭く感じてたまらなかったのだけど、その現象が再来してしまったらしい。
いかに異様な味であっても、食べればちゃんとえいようになるはずと信じて、なんとかビーフシチューを完食。料理に申し訳のないことをした。味覚が戻ったら、再挑戦しよう。😭
電車とタクシーで家に帰り着いたのは、夜9時過ぎだだった。

どう考えても、歩き過ぎだ。
疲れきっていたので、シャワーを浴びて、早めに休んだ。
4月15日(水曜日)
自宅では、私の抜けた穴を、長女さん(29歳・グループホーム在住)と末っ子(大学四年)が協力して埋めてくれているようだ。
息子(28歳・重度自閉症)は、平日は介護施設に通っている。施設を退所したあとは、福祉サービスで家まで連れ帰ってもらっているのだけれど、亭主と末っ子の帰りがどうしても遅くなってしまう日には、長女さんが前もって自宅に泊まって、息子を待ち受けてくれている。
末っ子も、大学から早く帰れる日には、夕食の支度をして、兄と一緒に食べているらしい。
家族みんなに負担をかけている状態だけど、今月中はどうにも帰れそうにない。自分も含めて、体調に気をつけながら、乗り切るしかない。
午前中は疲れが抜けず、横になって過ごした。
午後三時過ぎに、父の見舞いのために家を出た。
タクシー代がかさみすぎて恐ろしいので、膝などの痛みが強くない日には、できるだけ路線バスを使うことにした。1時間に一本しかなくて不自由だし、混んでいて座れないこともあるけれど、タクシー代の十分の一で済むのは大きい。
父は眠っていて、声をかけても起きなかった。看護師さんに話を聞くと、今日は朝から眠りがちだったという。
けれども、今日から口の中で舐めて溶かすタイプの薬を投与されることになったため、飲ませる前に、看護師さんが、
「あのね、血圧が高いから、お口からお薬いれるからね!」
と、大声で何度も声をかけて覚醒を促したところ、眠ったまま、うるさそうに「わかったから」というジェスチャーをしたのだとか。
父も、疲れが溜まっていたのかもしれない。
月曜日の転院のときには、ずっと緊張して起きていたし、昨日私が面会して脳に異常がなかったと伝えるまでは、おそらく不安で休めていなかったのだろうから。
父のベッド脇のテーブルに、見舞いにきた時刻や励ましの言葉などを書いたメモと、コンビニでプリントした孫たちの写真などを置いて帰った。
夕食は、病院近くのサンマルクカフェで、チーズドリアなどを食べた。味覚はおかしかったけど、わずかに感じられるチーズの風味が、すべてを救ってくれた。

4月16日(木曜日)
昼ごろ、母の入院先の病院から電話が来た。
母の今後のリハビリ計画や、退院について、相談と報告のために、来院して主治医やリハビリ担当者と面談してほしいとのこと。また、母のリハビリの様子を見学してもらうとも言われた。
いつがいいかと聞かれたので、ずっとこちらにいる予定だからいつでも可能と答えると、主治医たちの予定を確認して、また連絡するとのことだったので、午後は父の見舞いに出ているので、午前中に連絡をくれるようにお願いした。
午後二時半ごろ、父の面会のために実家を出た。この頃は、なるべくタクシーを使わずに、バスを使うようにしている。
三月以来のタクシー料金と新幹線代を合計すると、軽く十万円を超えている。幸い父の転院先が、実家からバス一本で行けるところなので、これ幸いとバスに切り替えた。これまでタクシーで往復8000円近くかかっていたのが、往復800円で済む。バスだと必ずしも座席に座れず、足腰が辛いけれど、7200円を節約できると思えば、歯を食いしばって耐えられる。
耐えたご褒美に、春物の服をいくつかAmazonでポチった。
あと前払いのご褒美に、ニンテンドースイッチのゲームソフトを二つか購入。
夜、実家に一人でいると、どうしても気が滅入ってくることがある。
本を読んだり、チャットして気を紛らわしたり、買い込んだゲームやネトゲで遊んだりして、なんとか気持ちのバランスをとってはいるし、無理もしていないつもりだけど、知らず知らずのうちに、身に降り積もっているものがあるのだろうか。
4月17日(金曜日)
朝起きて、まずゴミ出しをした。
その後、朝食。
コンビニで買ってあった、ちょっとお高いレトルトのハンバーグと、ずっと前に私が実家に送ったレトルトの赤飯をチンした。
ハンバーグは、甘酸っぱい雑巾に、火薬をかけたような味がした。
どうも私の味覚障害は、デミグラスソース的なものに対して、強く異変を起こすようだ。よくなるまでは、ビーフシチューとハンバーグは避けておこう。
午前中は、実家の掃除に時間を費やした。
といっても、クイックルワイパーにウェットタイプのシートをつけて、ひたすら床を拭きまくっただけ。
拭いても拭いても、どこからともなく埃が出てきて、キリがない。
高齢の父と母の二人暮らしで、掃除にまで手が回らなかったのだろう。
本当なら家具を全部動かして、徹底的に埃を撲滅したいけど、私自身、体力が心許ないから無茶はできない。見えるところだけ、毎日こまめに拭くしかなさそうだ。
午後三時前、母との面会のために外出。
Googleマップによれば、母の入院先は、実家から徒歩15分の距離となっているけれど、途中には坂道もあり、膝の痛みを抱えた状態で歩きたい道のりではない。
片道1200円ほどのタクシー代を節約したくて、なんとかバスで行けないかと思って、病院近くのバス停を調べてみたら、徒歩6分ほどのところにあった。
自宅から最寄りバス停まで、徒歩3分。
降りたバス停から病院まで、徒歩6分。
バスを使っても、結局は徒歩で9分は歩くことになる。利点があるとすれば、坂道のほとんどをバスで移動できること。
その利点を取ることにして、バスを使ったものの、今日に限って膝の痛みが鮮烈で、歩きながらだいぶ後悔した。
病院に入る前に、近くのコンビニに寄り、元気だった頃の父の写真や、実家近くの満開の桜の写真、孫三人の写真などをプリントしてから、差し入れ用に雑誌やメモ帳などを購入した。
面会は3時半から。
時間ちょうどに病棟に着いたのだけど、母がリハビリから戻っていなかったので、しばらく待たされた。
前回同様、10分に設定されたストップウォッチを渡されて、面会開始。
大急ぎで母の近況や体調などを確認してから(骨折の他にも、それまで黙って我慢していたらしい、様々な不調が検査で露見したため、並行して治療していると聞き、なんとも言えない気持ちになった…)、猛烈な早口で父の病状を伝えた。月曜日に病院の受付に託した手紙で、ある程度のことは知らせてはいたけれど、改めて脳には異常がなかったことと、この数日の父の顕著な回復ぶりや、筆談で「I M O K(あいあむ、おーけー)」と話してくれたことなどを伝えると、母は手を打って喜んだ。
母は、自分や父の病状よりも、娘の私がワンオペでいろいろ動いていることを、ひどく案じていたらしい。実家で一人で、ちゃんと食事できているのか、不安でつらくないのかと、何度も聞かれ、返事に窮した。
私に言わせれば、肺炎で胸水がたまりまくっているのに病院を嫌がって自宅で我慢し続けたり、大腿骨骨折してるのに「打ち身」だと言い張って一晩我慢して救急搬送されたりするほうが、よっぽどつらいし、絶対にごめん被りたいことだけれど、母にそう言ったところで絶対に納得しないのはわかっている。
そもそも、指を骨折してるのに「突き指」だと言い張って何週間も整形外科に行こうとしなかった私は、完全に両親と同類なので、平気だと言い張ったところで説得力は全くない。
そうこうするうちに10分が経過して、ストップウォッチがぴーぴー鳴り出したので、来週また来るからと伝えて病室を辞した。
帰りもバスを利用。
膝があまりにも痛く、疲労も重かったので、今日は父の病院へは行かないことにした。明日はちゃんと行こう。



