湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

介護メモ(4月12日〜13日)

4月12日(日曜日)

 

午後2時半ごろ、父(94歳)の入院先に行って、面会した。

 

父は相変わらず発語のできない状態で、仰向けに寝たまま点滴を受けていた。

 

父の両手の甲には、点滴のせいで出来たと思われる内出血の跡が、痛ましいほどたくさんあった。その手をそっと握ると、思いがけずしっかりと握り返してくれた。

 

どことなく不安で寂しそうな様子の父に、何を話せばいいのか咄嗟に思いつかず、それでもとにかく安心してほしくて、あれこれととりとめもなく話しかけてみた。

 

家のことやお金のことは何も心配いらないということ、母も元気でリハビリを頑張っているらしいということ…

 

話しているうちに、父がうとうとし始めたので、担当の看護師さんに、父の病状について質問してみた。

 

まず、倒れた直後から発語困難になってしまっていることについて、脳梗塞などの異常が見つからなかったのかと聞いてみた。

 

看護師さんは、手元の端末で父のCTの映像を確認して、私にも見せながら、脳にはこれといって異常が見つからず、体に麻痺なども見られないことから、発語や体動が困難になっている今の状況を、廃用症候群と見ているのだと説明してくれた。

 

廃用症候群というのは、病気や怪我などで、活動量が低下した状況が長く続いたために、心身の機能が低下してしまった状態のことをいうのだそうだ。

 

看護師さんによると、今月6日に入院した直後のチェックで、父の腰のあたりに「床ずれ(褥瘡)」があるのが見つかったという。

 

先月末にひどい風邪の状態になってから、父はそれまでやっていた洗い物などの家事も出来なくなり、ほぼ一日中、リビングに敷いた布団の上で座っているか、横になって過ごしていた。

 

食事の時には立ち上がってダイニングテーブルに移動してくれたけれど、それ以外だと、歯磨きや洗顔、あとはトイレに立つ時くらいしか、体を動かすことがなかった。

 

倹約家の父は、夜眠るときにはリビングの暖房を全部止めてしまっていた。リビングよりは暖かいはずの二階で寝ていた私は、エアコンをつけていても寒くて眠れず、Amazonで電気毛布をポチったというのに。

 

我慢強い父は、寒いなどとは決して口にしなかったけど、寝ている間に冷えて血行が悪くなっていたのかもしれない。

 

10日ほどの期間ではあったけれど、父の年齢を考えれば、床ずれができても仕方がない暮らしだった。

 

そんな生活の中で、次第に認知症的な言動がちらちらと出始め、血圧の高くなることも増えていった。点滴のために通っていた、かかりつけの病院では、糖尿病が悪化して、不整脈もあると言われていた。

 

父の心身機能の低下は、倒れた直後に始まったのではなく、その前から少しずつ始まっていたのだなと、納得できた。  

 

それにしても、廃用症候群という用語は、胸が痛くなるほど字面がよろしくない。最初に聞いたとき、どんな漢字を当てるのか分からず、看護師さんに聞いたら、

 

「廃棄物の廃に、用いるって書きます」

 

と言われ、内心、それはないだろうと思った。😭

 

もう少し穏当な言い方はないものかと思ったら、「生活不活発病」とも言われているようだ。そちらのほうが、まだマシに思えるし、分かりやすい。

 

4月13日(月曜日)

 

父(94歳)の転院手続きのため、朝9時過ぎに病院へ行った。

 

いくつもの書類にサインして、医療費を支払ってから、持参したパジャマに着替えさせてもらった父と一緒に、病院の救急車で転院先に移動した。

 

介護タクシーではなく、救急車での移動となったのは、父の容態があまり良くないためのようだった。

 

救急車に乗った父の血圧は、211-130というような、高すぎる数値のままだった。心電図の見方は分からないけれど、脈が時折飛んでいるようで、不整脈なのかなと思った。

 

移動の間、父はずっと目を開けていて、 少し緊張している様子だった。喉が渇くのか、紙マスクをずらして、口元や顎のあたりに手をやって、擦っていた。

 

10時半ごろ、転院先の病院に到着し、父と一緒に病棟に上がり、そこでまたたくさんの書類に住所を書き、サインした。

 

父の入った病室は五人部屋だったけど、父以外に人がおらず、がらんとして薄暗く、静かだけど、冷えていた。父が寒いのではないかと、布団をしっかり掛け直そうとしたら、父は腕をぎこちなく動かして、袖をまくろうとしていた。暑いのかとか聞いても頷かなかったので、袖の感触が煩わしかったのかもしれない。

 

病室で、担当の看護師さんに、倒れる前の父の自宅での生活の様子や、倒れてからの経緯などを、聞かれるままに話していると、父の検査のお迎えが来た。ストレッチャーで運ばれていく父を見送ってから、私は病棟の談話室のようなことろに移動して、そこでまた看護師さんに父の話の続きをした。

 

看護師さんとの話を終えてから、できれば早めに父の主治医から病状の説明などを伺いたいと伝えると、血液検査の結果が出てからであればお話できると言われたので、そのまま談話室で待つことにした。

 

1時間半ほど待って、父の主治医と面談した。

 

病状については、前の病院で聞いた説明とほとんど変わらなかった。

 

ただ、こちらの主治医は、倒れた直後から呂律が回らなくなっていることについて、やはり脳に何か起きたのだと考えると言った。CTでは脳梗塞のような病変は見つからなかったけれども、小脳のあたりが黒くなっているなど、脳の劣化が少し見られるのだという。

 

胸にかなり胸水が溜まっていて、肺を圧迫しつつあり、まだ肺炎の影が残っているとも言われた。

 

誤嚥の問題もあり、口から食事や水分を取ることが難しいけれど、点滴で高カロリーの栄養を入れると、糖尿病が悪化する可能性があること、年齢的なものを考えて、水分だけで様子を見るとのことだった。

 

入院期間は二週間ほどを予定しているそうで、その時点の父の状態によって、長期療養のための病院に移るか、介護施設に移るかを考えることになるけれども、こういう状況だからいつ何が起きるか分からない…ということろまで聞いて、主治医の説明は終わった。

 

その後、病室に戻った父に会い、声を掛けてから、午後二時前に、病院を出た。

 

どこかで昼食を取ろうと思い、Googleマップでお店を探したら、徒歩数分のことろにサイゼリアや大戸屋があると出たので、そちらに向かって歩きながら、頭のなかで主治医の話を反芻した。

 

想定された入院期間は、二週間。

その間、栄養の補給はせず、水分の点滴だけで様子を見ると言われたことが、心に重く引っかかっていた。

 

肺炎の治療はするのだろうけど、増えてしまった胸水をどうするのか、聞きそびれた。脳に何らかの異常があると考えるとは言われたものの、それについての対処の話も出なかった。

 

確証はないけれど、主治医はたぶん、父にこれ以上回復の見込みはなく、命の期限を残り二週間ほどと見ているのだろうなと感じた。

 

その間、父が苦しくないように、できるだけ心地よいように、ケアしてくれるのだとは思う。主治医も看護師さんたちも、真摯で暖かな人柄のように感じられたから、そこは心配していない。

 

けれども、がらんとした病室に一人で置かれ、話もできなくなってしまっている父の寂しさ、孤独を思うと、どうにもやりきれない気持ちになった。

 

サイゼリアでぼたぼたと涙を落としながらハンバーグを食べる客に、店員さんはさぞかし引いたことだろう。大戸屋にすればよかったかもしれない。

 

コンビニで、少しお値段高めのレトルトカレーやシチューなどを買い込み、実家近くのスーパーではクリームたっぷりのスイーツを買い込んで、帰宅。

 

郵便受けに、両親の介護保険関連と思われる封書が二通入っていた。

 

父の介護区分は、要支援1で出ていた。現状、要介護3か4だろうから、即座に区分変更を願い出る必要がある。

 

母への通知は、医師の意見書を回収できなかったため、認定が延期になったという知らせだった。

 

地域包括支援センターに電話して、その旨を伝えると、諸々の手続きや意見書の督促はすべてやってくれるそうで、私は待っているだけで大丈夫、とのことだった。

 

父の退院後の行き先については、退院時期が具体的になった時点で、病院側のソーシャルワーカーさんからアクションがあるはずだから、その時に相談すればいいという。

 

食欲は全くなかったけだ、晩ご飯には久々にご飯を炊いて、牛肉がごろごろ入っているレトルトのシチューをいただいた。

 

途轍もなく疲れた気がしたので、早めに布団に入った。

 

 

 

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